内 輪   第369回

大野万紀


古沢嘉通さん 大森望さん

 5月15日に、SFファン交流会がオンラインで開催されました。5月のテーマはケン・リュウと『三体』。「ケン・リュウ日本オリジナル短篇集第四弾『宇宙の春』刊行を機に、SF作家であり、『三体』などの中国SF翻訳者・紹介者としても活躍するケン・リュウの魅力について」ということで、ゲストは古沢嘉通さん、大森望さん、それと早川書房編集者の梅田麻莉絵さんでした。
 まずは映画「Arc」にまで至るケン・リュウの紹介・翻訳事情について、古沢さんが作成しためちゃくちゃ詳しいプレゼンテーション資料を画面に表示しながら、語ります。
 古沢さんが最初に読んだケン・リュウは「結縄」。2011年1月のこと。これがケン・リュウの日本での紹介の始まりで、ツイッターで殊能将之さんがお墨付きをくれた。酉島伝法さんも読み、面白かったと。そこから「良い狩りを」なども紹介されて評価が高まっていき、日本オリジナル短編集『紙の動物園』へと結実します。又吉直樹さんのプッシュもあって大人気。でも長編『蒲公英王朝記』は売れずがっかり。そしてオリジナル短編集第二弾『母の記憶に』、第三弾『生まれ変わり』、第四弾『宇宙の春』へと続くのです。古沢さんは、ちょっとエモい方向を強調しすぎたと思って『宇宙の春』では硬派な作品にシフトしたとのこと。そんな古沢さんの話に、大森さんは鋭くツッコミを入れます。いわく、ぶ厚すぎる。同じような傾向の作品ばかりを集めるのは良くない、歴史認識問題SF作家として化けると良いなどなど。古沢さんは、ケン・リュウが後からこれも入れてくれと言ってくるから長くなったんだよ~と。ふむふむ。
 それからケン・リュウが翻訳家として訳した中国SFの話に。『三体』(1と3)もその一つです。大森さんからは中国語版と、ケン・リュウ訳の英語版の違いについてなどの話もありました。ケン・リュウの訳は明晰で、原文に忠実だがとてもわかりやすいのだとか。
 他に、ケン・リュウとテッド・チャンの比較についても、古沢さんが比較表を作って説明されました。一番大きな違いはとにかく執筆量。大森さんによればケン・リュウの作品数はディックに迫る勢いだそうです。後、ケン・リュウは中国や東アジアを扱うことが多いが、テッド・チャンには一切ないなど。
 今回のSFファン交流会はいつもと違って夕方6時の開始(本来開催される予定だったSF大会のタイムテーブルに合わせていたそうです)だったので、お腹のすく時間帯でしたが、興味深い話題が多く、楽しめました。みなさん、お疲れ様でした。

  それでは、この一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『宇宙の春』 ケン・リュウ 新☆ハヤカワ・SF・シリーズ7
 日本オリジナル編集の短編集第4弾で、10編が収録されている。『文藝2020年春期号「中国・SF・革命」』に収録された表題作を覗く9編は本邦初訳である。
 「宇宙の春」は中国の春節を祝うネット企画で発表されたごく短い詩的な作品。全ての恒星が黒色矮星になってしまう宇宙の真冬。知的生命たちは島船となって何兆年も星々を渡り、細々とした明かりに集い、互いの情報を交換しながら物語を語りあって生きていく。地球にルーツをもつわたしも、そのようにして衰退していく宇宙を旅していく島船だった。だがサイクリック宇宙論によれば、宇宙には再び春が訪れる。だからわたしは言祝ぐ。「新年おめでとう、宇宙」と。北京西駅などが象徴的に扱われていることを思うと色々と勘ぐることはできるだろうけれども、このようなロマンチックでSF心をくすぐる作品に野暮なコメントをつける必要はないだろう。すてきだ。
 「マクスウェルの悪魔」は戦争と多重差別に翻弄される日系女性科学者が主人公の傑作。太平洋戦争の勃発により強制収容所に送られたシアトル生まれの物理学修士タカコは、アメリカのスパイとして日本へ送還される。彼女は両親の故郷だった沖縄である実験をさせられるのだが、その実験とは……。日本人とアメリカ人、本土と沖縄、そして男と女という何重にも入り組んだ差別の構造が戦争という極限状態の中でむき出しとなる。そしてこの作品では物理学と霊の世界も融合する。死者の霊からマクスウェルの悪魔を作り出し、熱力学第2法則を回避しようというのだ。これぞSF! しかし深読みすればここにも象徴的に同様なテーマを読み取ることができる。すなわち、混沌としたランダムな多様性の中からわずかな違いを判別して分離することにより、それを求める者には有用なエネルギーを取り出すことができる。だが、そのフィルターこそが悪魔の技なのだ。
 「ブックセイヴァ」は、小説は作者のものか読者のものかという問題を近未来の(というかほぼ現在だが)ネットの世界で展開した、短くて軽く書かれているがまさに現代的な問題意識をもった物語である。オンライン小説を読むとき、読者にとって良くない記述を勝手に修正してくれるプラグイン「ブックセイヴァ」が提供され、それを巡ってそれは検閲であり著作権と表現の自由の侵害だとする作家と、小説は読者のものなのだから、読者に不快な表現は修正されてしかるべきとする読者側のやりとりが、いかにもありそうな内容で描かれている。とりわけそれがエンターテインメント中心のオンライン小説という媒体で描かれることから、ポリティカルコレクトネスな方向だけではなく、逆により面白ければいいとする二次創作的なプラグインの存在もあって、どうも作者側の分が悪い。まあ大文字の文学作品については留保されるのだろうが、じゃあその違いは何なのかとなる。「ブックセイヴァ」を使う使わないは読者の自由なのだから。このようなプラグインは完成度を問わなければ今でも作れそうな気がする。
 「思いと祈り」もまた、現代のほんの少し先を描きながら、まさに今現在あるネット上の悪意についての悲痛な物語である。銃乱射事件で殺された娘が被害者支援団体のシンボルとしてマスコミに祭り上げられたがために、その遺族にネットのアノニマスな悪意が襲いかかる。娘の画像をコラージュし、フェイク動画を作り上げ、嘲笑し、ポルノとして消費する。さらには自宅を調べ上げ、中傷し、さらし者にする。母親はそれに敢然と立ち向かおうとし、身を潜めようとする家族の反対にもめげず、技術者である義理の妹の協力を得て、AIの鎧をまとってネット上で闘おうとする。だがそれには反作用もある。エスカレートしていくAIツール同士の闘いに人間はついていけない。それは母親の心をもむしばんでいくのだ。そして結末は悲しく、痛ましい。
 「切り取り」は作者が得意な本や書物をテーマとした小品で、タイポグラフィを駆使したしゃれた作品。大僧正が言うには、寺院に伝わる聖なる書物に書かれた言葉には執筆者による過誤が含まれており、真理を得るためには不要な言葉を切り取っていかねばならない。かくて聖なる書物は今や穴だらけのレースのようになって……。
 「充実した時間」は近未来の家庭用ロボット開発を描いた楽しい(でも少し苦い)作品。シリコンバレーの開発現場の雰囲気を活写したようなこういう話は好きだ。主人公は大学で民間伝承と神話を学んだが、「不可能なことを考えろ!」がモットーのハイテク産業に就職した女性。彼女はアイデアを物語という形で生みだし、理系オタクのエンジニアたちを統括して家庭用のロボット――様々な雑事を片づけてくれ、家庭生活に「充実した時間」をもたらす――を開発するプロマネとなって頭角を現す。排水菅を掃除しゴミを始末するネズミ型ロボット、産まれたばかりの赤ん坊に密着して乳母のように世話をしてくれる非人間型のロボット。だがそこには落とし穴があった……。いつも彼女に寄り添ってくれ、楽しそうにネガティブな発言をして、皮肉屋だが適切な助言をする同僚の女性がすごくいい。彼女の存在が、この話をよくある発明発見のアイデアストーリーを越えたものにしている。
「灰色の兎、深紅の牝馬、漆黒の豹」はいわゆるサイエンス・ファンタジー(SFっぽさのあるファンタジー)というやつ。三国志演義の桃園の誓いが出てくるけど、まあ三国志演義とは別の話だなあ。話はすごく面白い。大災害後のアメリカ東部、過去の遺物を発掘し、利用できるものは利用できるようにして売るゴミ掘りのエイヴァは、山賊に捕まった弟を助けようと一人で山賊のアジトへ向かう。彼女はその途上で太守の機械蜘蛛に追われる深紅の牝馬ピニオンを助け、巨大な黒豹のフェイと三人で山賊との戦いに挑む。三人は顕現ワインという薬物の力により動物の姿に変身できる能力をもつ顕現者だったのだ。「よい狩りを」といい、ケン・リュウは変身能力のある女性の物語に魅せられているようだ。その後のアクションもスピード感と迫力にあふれ、スチームパンクの雰囲気もあって(未来だけど)、最後にあの桃園の誓いだから、いかにも痛快な連続ドラマの開幕編といった感じに仕上がっている。
 「メッセージ」はありがちな伝統的で泣かせの宇宙SFだが、メインアイデアは現代の重要な問題に通じている。太古に滅んだ異星人の遺跡を一人で調査している中年男、遺跡はテラフォーミングのため破壊されてしまうので、調査にはタイムリミットがある。彼には別れた妻と一度も会ったことのない娘がいる。妻が亡くなり、十三歳になった反発心旺盛な娘が彼のところに来て、今同じ調査船に乗っているのだ。二人に会話はほとんどなく、宇宙船のAIが仲を取り持とうと苦労している。その二人が遺跡の謎に心を惹かれ、次第に親子として打ち解けていく様子が描かれるのだが、遺跡の謎が解けると同時に、悲劇が訪れる。この世界には決して発掘していはいけないものがあるのだ。それはこの地球にもあるものだ……。
 「古生代で老後を過ごしましょう」は軽いショートショート。リタイア後の人生を送るのに古生代石炭紀がいかに最適かとセールストークをする不動産屋さん。汚染はないし、恐竜以前ののんびりした両生類や爬虫類は友好的、空気には新鮮な酸素がいっぱい。なるほどいかにも過ごしよさそうだが、でも石炭紀といえば、アレでしょ。とまあそういうオチです。
 「歴史を終わらせた男――ドキュメンタリー」は本書の圧巻といえる中編。ドキュメンタリーのようにインタビューや記事の引用や公聴会の証言やネットでのコメントなどで構成されている。政治的なテーマ(ここでは国家の犯した過去の罪に対して現在の国家や国民は、そして歴史家は、どう対峙すべきかという歴史認識問題)が、日本の731部隊の犯したこととその後の日本、アメリカ、中国の対応を中心に描かれているが、ぼくは作者の決して一方的ではない、とはいえ通すべき筋はきっちりと通して変な相対化はしない真摯な描き方に深い感銘を受けた。もう一つはSFとしての側面である。量子もつれに似た効果によって、すでに光速で去っていった過去の情報を今得ることができる、そしてそのノイズも含む大量の情報を人間の脳が処理することによって、まるでタイムトラベルする幽霊となって過去を目の当たりにすることができるというアイデアである。さらにその情報を観測することによって情報を保持していた効果は破壊され、再現できなくなる。このアイデアは大きい。それは遺跡を発掘することによって遺跡を破壊してしまうようなパラドックスだ。情報は脳内に再現することしかできないため、目撃者の談という形になり、第三者から見れば信ぴょう性に疑いを持つことも可能なのだ。過去を覗く装置というアイデアは古くからあって名作も多いが、その列に加わるべき傑作である。

『この地獄の片隅に パワードスーツSF傑作選』 J・J・アダムズ編 創元SF文庫
 J・J・アダムズといえば『スタートボタンを押してください ゲームSF傑作選』など、書き下しに再録を加えた分厚いテーマアンソロジーを何冊も編集している(現代のロジャー・エルウッドにならなければいいが)。本書は『宇宙の戦士』でおなじみの(というか日本のロボットアニメでは主流といっていいだろうが)パワードスーツ、パワードアーマー、あるいは人間搭乗型ロボットをテーマにした2012年のテーマアンソロジーである。原書では23編が収録されているが、邦訳は訳者がその中からセレクトした12編が収められている。それぞれに加藤直之の扉絵がついており、また日本版編集部による簡単な紹介が記されている。
 編者による短めのイントロダクションの後、ハヤカワのミリタリーSFシリーズでも有名なジャック・キャンベルの表題作「この地獄の片隅に」が始まる。どこかで聞いたようなタイトルだが、原題は"Hel's Half-Acre"なので、まあそんなもんだろう。異星人と戦い続けている最前線。有毒な大気のある惑星上での地上戦であり、兵士はアーマーを脱ぐことができない。地獄の片隅と名乗るこの小隊は先任のベテラン、ヘル軍曹が事実上仕切っている。上官としてやってくる中尉は偉そうにしているが、すぐに敵に殺されてしまう。そんな時、将軍が視察に訪れ、無謀な攻撃を命令する。悲惨な戦闘が始まるが、やがて真実が明らかとなる。戦場の描写は迫力あるが、地上戦なので過去の戦争映画などとあまり変わらない。しかし、最後まで読むと、これがまさにパワードスーツSFだったとわかるのだ。表題柞に相応しい作品である。
 ジェヌヴィエーヴ・ヴァレンタイン「深海採集船コッペリア号」は異星の海で古びたパワードスーツを装着し、藻類を採集する訳ありの労働者たちの物語。パワードスーツにはやはりAIが搭載されているが、「はい」か「いいえ」くらいしか話せないのがちょっと可愛い。物語は流れ流れてそんな仕事に従事しているジャコバが海底で謎の物体を見つけ、惑星間の謀略に巻き込まれるというものだ。ここでもジャコバとメカの相棒関係がしっかりと描かれている。
 カリン・ロワチー「ノマド」もメカと人間の愛の物語だ。とはいえギャング団の話なので血生臭いが。対立するギャング団との抗争で、ずっと搭乗していた人間のトミーを失い、融合体から単体となったパワードスーツ(ラジカルと呼ばれ、人間と同様な意識がある)、オレはシマを抜け、一匹狼のノマドとなって生きることにした。しかしオレが嫌っていた新入りの人間が、オレとの融合を望んで後をつけてくる。彼が言うには、トミーの死の真の理由を知っているのだそうだ。そして……。面白かったが、ここまでくると人間臭くてあまりメカっぽくない気がする。
 デヴィッド・バー・カートリー「アーマーの恋の物語」。楽しいお話。何か日本のマンガにありそうな感じの。大発明家のブレアは絶対安全なアーマーに身をつつみ、決してアーマーを脱ごうとはしない。彼は刺客に狙われているのだという。パーティで出会った美女ミラ。彼女がその刺客であり、互いにそれを知りつつ二人は恋人のようにふるまう。彼は常にアーマーに身を包んでいるので肉体的接触はできないが、楽しく話をし、旅行に行き、ホテルを共にし……。ミラはアーマーの死角を突こうとし、ブレアはそれに先回りしようとする。そんな頭脳戦を続ける楽しい日々。そしてついに彼女はそれを発見する。まあ結果はそうなるでしょうね。読者を裏切ることのない結末だ。
 デイヴィッド・D・レヴァイン「ケリー盗賊団の最期」は、スチームパンクなパワードアーマーが出てくる。19世紀末のオーストラリア、世捨て人のように暮らしている老人はかつてイギリスで活躍したが、自信作の蒸気船が爆発し、逃げるようにこの植民地へやってきた大技術者だ。そこへこの地を荒らしまわっているケリー盗賊団が訪れ、彼らに甲冑を作ってくれという。警察隊と戦える甲冑だ。老人は技術者魂を刺激され、巨大な蒸気機関で動くパワードアーマーを作り上げる。蒸気を吹きながら線路を破壊し、警官と戦う甲冑! いいですねえ。大時代で、野田昌弘大元帥が読んだなら大喜びしそうなイメージだ。単純だが、面白かった。
 アレステア・レナルズ「外傷ポッド」は戦場で負傷した人間を一時的に収容し、遠隔治療を加える装置。、野戦医療ユニットと呼ばれるパワードアーマーの腹部にはめ込まれている。主人公は市街戦での偵察中に負傷し、ポッドに収容された。遠い基地にいる女医から遠隔手術を受け、救援部隊の到着を待っている。足は切断されたうえ、脳手術も受けて無事に生き延びている。しかし戦局は良くなく、味方はなかなか来ない。野戦医療ユニットの知覚と連携し、周囲の情報を調べながら、彼はある決断をする。これまた人間とメカの関係性を描き、あるところでそれを逆転させる。未来の戦場で、人間の兵士は貴重だが、戦場を支配しているのはメカだ。これは面白かった。
 ウェンディ・N・ワグナー&ジャック・ワグナー「密猟者」。未来の地球は人類遺産保護区となっており、自然が残され、自然保護管が野生動物の密猟者を摘発している。月から来た主人公はパワードアーマーを身に着け、地球生まれのベテランの先輩たちと行動を共にしている。地球にはシルク類という異星人が住み着き、人類とは共存しているが、彼らは何をやるかわからないところがある。森をパトロールしていた主人公たちは突然シルク類の船に襲われる。主人公は反撃するが、そこには意外な事実が。短い作品で、月生まれの主人公がアーマーを自在に操るところなど面白く読めるが、設定がちょっと、ぼくにはよくわからないところがある。
 キャリー・ヴォーン「ドン・キホーテ」はスペイン内戦の末期に、敗北濃厚な共和国軍に新兵器の一人乗り戦車が出現したという設定の物語である。一人のスペイン人が発明し、もう一人が組み立てて、ドン・キホーテと名付けられたその戦車は、腕に巨大な大砲を備えたキャタピラをもつ巨人だ。アメリカ人の従軍記者が、フランコ軍の大隊を壊滅させたそれを見つけ、取材する。しかしこの強力な兵器が、はたして内戦の、そしてその後に来るだろう第二次世界大戦の運命を変えることになるのだろうか。ちょっと後味の悪い結末である。
 サイモン・R・グリーン「天国と地獄の星」は事故で肉体に損傷を負った主人公がパワードスーツの中に接続され、地獄の星に送り込まれる。建設中の施設を周囲の凶暴な植物から守るためだ。武器は節約しないといけないので、スーツで肉弾戦をすることになる。戦いに敗れた仲間は植物の触手でジャングルに引きずり込まれていく。だがこの星には秘密があった。面白かったが、そんなことがいつまでも秘密にできるのだろうか。この設定にはちょっと無理があるのでは。
 クリスティ・ヤント「所有権の移転」。知性あるパワードスーツがその専用の着用者を殺され、殺した悪党に着用される。悪党は手動でスーツを動かし、さらなる悪事を働くが、スーツにはなすすべもない。そして……というごく短い作品。設定がよくわからないが、軍事用のスーツだったようだ。所有、自由、意志といった問題を扱っているが、短いので題目だけに終わっている。まあその雰囲気が伝わればいいのだろう。そういう意味では成功している。
 ショーン・ウィリアムズ「N体問題」は面白かったが、これはパワードスーツSFというより、普通に宇宙SFだった。太古の種族が作ったループと呼ばれる一方通行のワープゲート。逆方向には戻れず、次のジャンクションへとつながるのみ。しかし、その163番目のジャンクションは行き止まりになっていて、その星系ハーベスターはループを渡ってきた人々(人類もいれば異星人もいる)の終着地となっている。魅力的な設定だ。ここに流れ着いた主人公の男は、全身を輝くスーツに包んだ謎の女性執行官と出会う。場末のボーイ・ミーツ・ガールであり、物語は二人とゲートの謎を巡って進むのだが……。ハーベスター星系は魅力的だし、行き止まりとなったジャンクションの謎解きも面白いのだが、こういう状態が百万年も続いていて、真実の情報は拡散しなかったのか、そこのところがちょっと微妙だ。
 ジャック・マクデヴィット「猫のパジャマ」。パワードスーツSFということとタイトルから、あの有名なSFを想像したが、そうではなく、楽しい(そして緊迫感のある)猫SFだった。この作品でパワードスーツは重要な小道具だが、テーマじゃない。テーマは猫だ。パルサーを巡る研究ステーションに、若い訓練生と共に向かったベテランのジェイク。しかしステーションでは問題が発生していた。彼はここに何度か訪れたことがあるが、科学者夫婦と二人の物理学者、それにパイロットと子猫のトーニーがいたはず。しかし何の応答もない。救助に向かった主人公と船に残った訓練生の会話が生き生きとしていてとても良い。そしてもちろんハッピーな結末も。パワードスーツSFとはいえないが、アンソロジーのトリに相応しい、いい話だ。

『統計外事態』 芝村裕吏 ハヤカワ文庫JA
 何やら色々あったらしい後の2041年の日本。人口減少は世界的な問題となり、日本は衰退しつつある。主人公の数宝数成は数学、特に統計と、猫が大好きな40歳の在宅統計分析官。彼女にふられたばかり。
 統計分析官というのは統計データの分析から犯罪を見つけるエキスパートなのだが、副業として肉弾派で口の悪い政府のエージェントと組み、テロリストと戦ったりしている。外で戦うのはもっぱらエージェントの方で、彼はデータ分析でその支援をするだけなのだが。
 そんな数宝は、静岡県の廃村の水道消費量のデータに異常を見つける。統計的におかしい「統計外事態」だ。色々調べても原因がわからず、一人で現地調査に行った彼は、そこで全裸の不気味な少女たちに襲撃される。あわてて逃げ帰った彼を今度はとんでもない事態が襲う。彼の記録が改ざんされ、国家を揺るがすサイバーテロの犯人とされてしまったのだ。おまけに謎の集団から命まで狙われることになる。彼は政府のエージェントの協力を受け、事件の真相を探ろうと、再び静岡の廃村へ向かう。
 主人公とエージェントのデコボココンビがコミカルでいい味を出している。スーパーなエージェントが特にいい。そしてもちろん猫。表紙にもちゃんと描かれているのだが、残念なことに帯で隠れている。この猫、名前はない。でも数宝にとっては恋人より遥かに大事な存在なのである。
 派手なアクションやエージェントとのボケとツッコミ、統計や確率についての蘊蓄、「現実がSFになってしまった」というようなSFへの言及(数宝自身が大学SF研の出身だ)、中国を中心とする国際情勢など、様々な要素が散りばめられてカオスのようになっているが、最大の謎は静岡の廃村にいた裸の少女たちである。その一人、那覇と主人公たちコンビは同行することになるが、この少女たち、見たところは痩せ衰えているが普通の人間の少女なのに、その目はどこも見ておらず、話すことばも断片的で文法もおかしい。いったい何者なのか。そして国際的なサイバーテロ集団との関係は。また彼らを襲ってくる殺人集団とは関係あるのか。
 SF読みからすれば、この少女たちは人間ではなく、異星人か何かによって作られた人間もどきに違いないと思う。結論から言えばそうではなかったのだが、初めは意志のないロボットのようだった彼女らが、数宝たちや猫と関わることで次第に変わっていくのが面白い。
 ただ、この結論は他の部分とリアリティレベルに違いがあるように思えた。でもここは昔なつかしい超人類SFに寄っているので、これはこれでいいのだ。面白かった。


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