ジョン・ヴァーリイ/浅倉久志・他訳
 『逆光の夏』 解説

 大野万紀

 ハヤカワ文庫
 2015年7月25日発行
 (株)早川書房
 RETROGRADE SUMMER AND OTHER STORIES by John Varley(2015)
ISBN978-4-15-012019-1 C0197


 本書はこれまで訳されたジョン・ヴァーリイの中短篇の中から、新訳・改訳を含めて編集部が独自に選んだ六編を収録した、傑作選である。
 ヴァーリイの中短篇の多くが属する<八世界(エイトワールド)〉シリーズからは「逆行の夏」と「さようなら、ロビンソン・クルーソー」の二編、アンナ=ルイーゼ・バッハの登場するシリーズから「バービーはなぜ殺される」と「ブルー・シャンペン」の二編、シリーズに属さない独立した作品が「残像」と「Press Enter■」の二編である。様々なタイプのヴァーリイ作品が読める、ちょっとお得な傑作選となっています。

 ジョン・ヴァーリイは、一九四七年生まれのアメリカのSF作家。一九七四年に「ピクニック・オン・ニアサイド」でデビューすると、たちまちSFファンの注目を浴び、その後十年あまり、彼の書くユニークでポップで少しグロテスクな未来世界は、ほとんど毎年のようにヒューゴー賞、ネビュラ賞、ローカス賞といったSF賞にノミネートされるようになる。さらに七八年の「残像」からは受賞の常連となった。まさしく七〇年代後半から八〇年代のアメリカSFを代表する作家の一人である。
 ヴァーリイの作品は、日本でも多くのSFファンの心をつかみ、「PRESS ENTER■」は八七年の、「タンゴ・チャーリーとフォックスロット・ロミオ」(本書収録の「ブルー・シャンペン」の続編)は九二年の星雲賞を受賞している。
 しかし、九〇年代以後のヴァーリイは、九二年の長編『スチール・ビーチ』が九四年に訳されたのを最後として(九八年一月号の〈SFマガジン〉に短篇「きょうもまた満ちたりた日を」(89)が収録されているが)、ほとんどわれわれの目に触れない存在となってしまった。
 本当のところはわからないが、その主な原因は、ハリウッドにあるという。長い間ハリウッドで、たくさんの脚本を書いて過ごしたものの、実際に映画になったのは『ミレニアム』(88)だけで、その他にはテレビドラマに翻案されたものが数編あるだけである。
 現在の彼は再びSF小説に復帰し、最新作は二〇一四年に出た宇宙SF、DARK LIGHTNING である。これは二〇〇三年の RED THUNDER から続く〈サンダー・アンド・ライトニング〉四部作の最終刊で、このシリーズは最初に火星を開拓した一族の、恒星間飛行へとつながる年代記となっている。重要な登場人物の名前が、ポドケインやジュバルといったハインラインの小説からとられたもので(『スチール・ビーチ』でもそうだったが)、彼のハインラインへの傾倒ぶりがうかがわれる。

 ジョン・ヴァーリイを本書で初めて読むという方のために、シリーズ作品の背景についてざっと説明しておこう。
 まず代表作である〈八世界(エイトワールド)〉シリーズについて。これは長編『へびつかい座ホットライン(77)』、『スチール・ビーチ』と、中短篇十三編から成るシリーズである。
 二〇五〇年、地球は異星人に侵略された。人類は地球を追われ、月や水星、金星、火星、外惑星の衛星や冥王星といった過酷な環境(これを〈八世界〉という)の中で生きねばならなくなった。人類は〈八世界〉に新しい社会を築き、冥王星の彼方に発見された〈へびつかい座ホットライン〉という異星のネットワークから情報を仕入れて、独自の文明を作り上げたのだ。社会や人間性も変化した。クローン技術により同じ人間が何度も死んでは生き返り、男女の性がころころと変わり、部品を取り替えるように身体を改変し、コンピュータに意識をアップロードしたり、バックアップをとったり……。
 そして、〈八世界〉とよく似ているが、別系統の作品として、アンナ=ルイーゼ・バッハの登場するシリーズがある。〈八世界〉よりは現代に近い感覚があるので、異星人侵略前の、同じ時間線の世界を舞台にした姉妹シリーズではないかという見方もあるが、作者本人がこれは〈八世界〉とは別のものだと述べている。彼がいうには、〈八世界〉は半ばユートピアとして描いたものだが、そこにふさわしくないもっと暗い話が書きたくなったとき、アンナ=ルイーゼ・バッハにおまかせするのだ、と。

 本書には、昔からヴァーリイを読んでいて、懐かしさから手にとっていただいた方にも、きっと新たな発見があるはずだ。そういう観点から、本書の収録作について少しコメントしていこう。

「逆行の夏」 "Retrograde Summer"(1975)
 『残像』(ハヤカワ文庫SF)/『20世紀SF4 1970年代』(河出文庫)収録
 七六年度ネビュラ賞ノミネート。ローカス賞ノミネート
 〈八世界〉シリーズは太陽系名所案内の一面を持っている。冥王星まで探査機が飛び交う現在ではもはや当たり前になってしまったが、七〇年代の惑星探査による新たな太陽系像の発見は、本当にセンス・オブ・ワンダーにあふれるものだったのである。ヴァーリイはその当時のわくわく感をSFに描いた。ここでは水星の、自転と公転の関係により太陽が天頂で逆行する夏の盛りの、ボーイ・ミーツ・ガールを描いている。だがその真のテーマは、家族という関係性の見直しであり、それもまた別の意味でセンス・オブ・ワンダーに満ちたものなのである。

「さようなら、ロビンソン・クルーソー」 "Good-bye, Robinson Crusoe"(1977)
 『海外SF傑作選1 さようならロビンソン・クルーソー』(集英社文庫)/『バービーはなぜ殺される』(創元SF文庫)収録
 七八年度ローカス賞短篇部門ノミネート
 ディズニーランドの崩壊とモラトリアムの終わりを扱った、しかし美しくさわやかな物語である。なおディズニーランドというのは固有名詞ではなく、地球環境を惑星や衛星の地下に再現した人工世界のこと。〈八世界〉の中でも、傑作として名高い(でも賞には恵まれなかった)作品である。楽園崩壊の静かな、力あふれる描写が美しい。惑星間の距離による時間差を利用した太陽系経済という話題もある。ただそれは逆もあり得るんじゃないかと思うのだが。

「バービーはなぜ殺される」 "The Barbie Murders"(1978)
 『バービーはなぜ殺される』(創元SF文庫)/『わたし Little Selections あなたのための小さな物語』(ポプラ社)収録
 七九年度ローカス賞ノベレット部門受賞。ヒューゴー賞ノミネート
 すべての個性が失われて同一化した共同体への嫌悪が、その集団の中での個性の現れをフェティッシュとしてとらえ、フリークとして見る見方に集約されている。「残像」とは逆の方向性ではあるまいか。今の読者は、バービーたちはクローンではないのだから、DNA鑑定すればいいのではないかと思うだろうけれど、書かれたのは七八年。DNAが個人の判別に使えるという論文が出たのは八五年で、実用化されて広く使われるようになったのは九〇年代だそうだ。とはいえ〈八世界〉にはすでに遺伝子型で人を識別する話もある。

「残像」 "The Persistence of Vision"(1978)
 『残像』(ハヤカワ文庫SF)収録時は冬川亘訳
 七八年度ネビュラ賞ノベラ部門受賞。ヒューゴー賞ノベラ部門受賞。ローカス賞ノベラ部門受賞
 H・G・ウエルズ「盲人の国」へのオマージュのような話だが、ヴァーリイは風疹の流行により数千人の盲聾の赤ん坊が産まれたという記事から天啓のようにこの物語を書き始め、書き終わったときは知らず涙が流れていたと語っている。ある種のユートピア、人々の心の溶け合った、いわばオーバーマインドへのあこがれがここにはある。だが背景にある荒涼とした世界観は、今読むとどきりとさせられるものだ。冒頭に描かれる光景。何十年も続く不況、原子炉の事故で広がった放射能汚染地帯。今では安全と見なされているのに、そこに住んでいた人々は周囲から不浄な者として扱われている。何ともはや、言葉がない。

「ブルー・シャンペン」 "Blue Champagne"(1981)
 『ブルー・シャンペン』(ハヤカワ文庫SF)/『宇宙SFコレクション2 スターシップ』(新潮文庫)収録
 八二年度ローカス賞ノベラ部門受賞。ヒューゴー賞ノベラ部門ノミネート
 ここでのアンナ=ルイーゼ・バッハは脇役で、まだ警官になる前の話。主人公の男性はなかなかのダメさ加減で、やはり本当の主役は、肢体不自由な女優のギャロウェイと、彼女の補綴具であるボディーガードだろう。ティプトリーの「接続された女」とも重なり合うテーマだが、観点はかなり異なる。山岸真氏によれば、本編は「さようなら、ロビンソン・クルーソー」を設定から、展開、テーマまですべてひっくり返した作品であるという。ギャロウェイとボディーガードは、ここではまだ障害者と補綴具の関係だが、これが〈八世界〉では発展して〈共生者(シンブ)〉となるのかも知れない。

「PRESS ENTER■」 "Press Enter■"(1984)
 『ブルー・シャンペン』(ハヤカワ文庫SF)収録時は風見潤訳
 八五年度ヒューゴー賞ノベラ部門、ネビュラ賞ノベラ部門、ローカス賞ノベラ部門、八七年度星雲賞海外短篇部門受賞
 これはSFというよりテクノ・ホラーといった雰囲気が強く、八〇年代前半のアメリカを舞台にした、コンピューター・サスペンスである。ヴァーリイはもちろんコンピューターの原理やその社会的な側面は深く理解しているが、長いことタイプライターで執筆しており、ワープロには抵抗を感じていたという。「わたしは言葉(ワード)を処理(プロセス)なんかしたくない。わたしは書きたいんだ」と語っている。八〇年代前半のコンピューターは、とても洗練された機械――例えばトースターのような――とはいえなかった。ヴァーリイはこの作品を書いた時、まだコンピューターは持っておらず、『ハッカーズ大辞典』からそれらしい用語を抜き出したのだという。それはともかく、これは現代社会に遍在する狂気と、不適応の物語である。そこから〈魔〉が立ち現れるのだ。

 最後に、他社の話になって恐縮ですが、この秋より〈八世界〉シリーズに属する全短編十三編を独自に編集して収録した短篇集を、創元SF文庫から二巻本で刊行することになりました。こちらも本書ともども、どうぞよろしくお願いします。

2015年7月


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