円城塔『エピローグ』『シャッフル航法』書評

 大野万紀

 「図書新聞」2016年1月23日号掲載


 芥川賞作家でSF作家である円城塔の、どちらかといえばSF寄りの作品である。長編『エピローグ』はSFマガジンに連載され、短篇集『シャッフル航法』も、主にSFのアンソロジーに収録された作品が中心となっている。
 もっとも作者の場合、SF寄りといっても比較的に読者層を意識しているという程度のことであり、純文学的作品とSF的作品との間に、テーマ的にも手法の面でも決定的な違いはないといっていい。その中心的なテーマとは、今や現代SFの先端的なテーマとなった、情報化されたヒト、意識とソフトウェア、数字や記号にコード化され、実装された思考、すなわち言葉と、それが活性化され、活動する舞台となる処理系、世界、あるいは宇宙との関わりというものである。

 サイバーパンク以来、人間の意識とはソフトウェアであって、ネットワークにアップロードしたり、コピーしたり、仮想世界を体験したりできるものだという認識が、SF小説やアニメ、ゲームの世界では当たり前のものとなった。科学の世界でも、情報が物質やエネルギーと同様に、この宇宙を構成する基本的な要素だということが明らかになり、物質宇宙と仮想宇宙の境界はかなり曖昧なものとなっている。意識がコード化され得るということは、極端な話、小説に書かれた文章そのものも、それが読者という処理系を通じて実行される時に、現実の意識と本質的な差はないということになる。こういう点をおさえておけば、一見難解に見える彼の作品世界も(それは数理系の専門用語が説明なしに多用されているせいでもあるが)、それなりに納得しやすくなるだろう。

 『エピローグ』は、超知性によってこの宇宙から追放され、無数に分岐した多宇宙をまたにかけて戦う人類を扱った複雑で壮大なスペース・オペラであり、また奇怪な連続殺人事件を探偵が追うミステリでもある。さらにどことなく切なくロマンティックなラブストーリーでもあり、また人間には味わえないような味覚を描くグルメ小説でもある(そういえば、視覚や聴覚と違い、味覚というのはデジタル化しにくい感覚だ)。はっとするような美しい描写や、思わず笑ってしまうようなユーモア感覚もあり、楽しく読めるエンターテインメントではあるのだが、ストーリーを追っていくと次第に迷宮に落ち込んで、わけがわからなくなるだろう。兵士は何と戦っているのか、探偵はどんな事件を追っているのか。それらは〈ストーリーライン〉という言葉で表され、おそらくはこの宇宙(仮想宇宙)を創り出している創作システムが紡ぎ出したものなのだろう。ひょっとしたらバグも含まれているかも知れない。自己言及をくり返すところにはカオスが生じる。混沌としているのは当たり前なのである。
 本書にはSFの意匠がたっぷりと詰め込まれ、さらに、田舎の家に暮らす一見平凡な、実はスーパーおばあちゃんとか、主人公と共に戦う、クモ型の、ロボットのようだったり美少女のようだったりする、万能でおしゃべりなパートナーとか、シェパードに姿を変えた天才科学者が「わん」といったりとか、楽しくわくわくする要素がいっぱいある。義経の幼い頃の頭蓋骨、ではないが、同一人物を時間軸の未来方向から殺していけば、年齢の違う死体がたくさん得られるというアイデアには驚いた(安心してください、ネタバレじゃありませんから)。しかしその本質は、かなり硬質な物語世界〈テキスト・ワールド〉の知的探求にあるのだと思われる。

 『シャッフル航法』にも、同じテーマが通底している。十編が収録されているが、いずれも奇想や不条理な世界を、数理的なロジックを駆使して描いた作品だといえる。どの作品が『エピローグ』の中に含まれていたとしてもおかしくはない。
 その中でとりわけ印象的なのは「φ(ファイ)」と「シャッフル航法」だろう。ストーリーらしいストーリーもない実験的な小説だが、きわめて形式的でロジカルに構成され、まさに創作システムが計算してアウトプットしたような作品である。にもかかわらず読んで面白いのだ。「φ(ファイ)」では文字どおり〈テキスト・ワールド〉である作品宇宙が、一文字ずつ縮小していき、ついにはゼロとなる。筒井康隆の「残像に口紅を」を思い浮かべる読者も多いだろう。ここでは文字=記号によって表現される宇宙についての、自己言及的な物語が語られ、この語り手とはいったい何であるのか、それが問題となる。一方「シャッフル航法」は、先頭と最後の単語を固定したひと連なりのフレーズが主役で、それらがランダムにシャッフルされ、さらにまたシャッフルされ、と、くり返されていく。詩的ではあるがほとんど意味をなさない文章が、独特のリズムをもって反復し、そのカオス的な組み合わせの中から、不意に意味や秩序が立ち現れる瞬間がある。「ハートの国で、わたしとあなたが、ボコボコガンガン、支離滅裂に」という調子で、いつまでも心に反響を残すのである。
 本書で評者が最も好きなのは「内在天文学」だ。物理学が示すとおり、宇宙は観測者の認知によって確定し、変化する。この短篇では、人類ではなく、イカだか南極オキアミだか土ボタルだかの認識によって変貌してしまった、遠い未来の世界が描かれる。これは物理法則まで変わってしまった宇宙を、古典的・科学的な考え方でふたたび認識しなおそうとする老人と子供たちを描いた作品だが、美しい描写と叙情性に満ち、さらにほんのりとロマンティックなラブストーリーの要素もある。文句なしの傑作だ。
 不条理性という面では「つじつま」がすごい。生まれないまま大きくなった息子が母の胎内で暮らすようになり、無線LANで外部と通信したり、ついにはガールフレンドをそこに連れ込む始末。狭い範囲でつじつまがあっていれば、大きな矛盾や無理は気にしないでもいい、ということか。
 「リスを実装する」は少しタッチが違う。普通の日常的で小説的な文章で、プログラマーの男がコンピューターの仮想空間に、生きたリスをシミュレーションしようとするさまがリアルに描かれる。ITの現場にいる読者には、心に迫るものがあるだろう。だがここでも、記述するものとされるものとが、どこかで交差し、宇宙の複数の階梯(レイヤー)がふとあらわになる瞬間がある。それこそ、空想と現実が、ヴァーチャルとリアルが重なり合い、溶け合うところなのだ。

 2015年12月


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