『黒き死の仮面』


『デルス・ウザーラ』の公開後、製作元のモス・フィルムから脚本をもう一本書いてほしいと依頼を受けた黒澤は、『赤ひげ』でも組んだことのある井手雅人と共に、『黒き死の仮面』の脚本を77年に執筆する。(井手とは後に『影武者』『乱』の脚本も共に執筆する。)

 舞台は黒死病の蔓延する中世ロシア。物語の前半3分の1は、ドブロフスキイ侯爵の親衛隊長ノヴィコフの悲劇である。侯爵の命令を受けたノヴィコフは、病に侵された領内の村々を焼き払い、死者を葬ってきた。だが侯爵は、危険な任務で病に侵されるであろうノヴィコフをはじめから見捨てるつもりだった。その真意を知り、城に戻ったノヴィコフとその35人の部下たちに対して、城の扉は固く閉じられたまま開かない。無理に城に入ろうとした部下は射殺される。ノヴィコフとその一隊は、死に侵された村々の地獄のような中を彷徨しながら、一人また一人と黒死病に倒れていく。とうとう最後に一人だけになったノヴィコフは城の扉の前に戻り、自らを銃殺するよう大声で懇願する。城から発射された銃弾でノヴィコフは死ぬ。

 続いて舞台は城の中に移る。地獄のような外の光景とはがらりと変わり、城の中では華やかな舞踏会が開かれている。だが人々は心底から楽しんではおらず、死を忘れようと必死になっているのだった。城の中には様々な上流階層や職業の人々がいる――商人、地主、工場主、医者、詩人、修道院長、尼僧院長、修道士、修道女、貴族たち、司教、司法官、銀行家、大商人、大地主、侯爵の側近などだ。その中で侯爵は強大な権力を持ち、皆を恐怖で統率している。夜10時。ノヴィコフを射殺した親衛隊長マヴリッキイは、侯爵への反感を見抜かれ、禁じられている「ペスト」という言葉を口にした罪で、絞首刑を命じられる。人々は侯爵の影で不平や不安を口にするが、積極的に現状を変えようとできる者はいない。そんな中で侯爵夫人が病気になり、城中で黒死病が発生したのではないかと人々は恐怖におののく。夜11時。侯爵の弟パーベルは、この上は城から脱出して、侯爵と敵対する大公に降伏するしかないと一同に説くが、逆に侯爵に逮捕される。だがパーベルは地下牢に護送される途中で食料が残り少ないことを暴き、恐れおののく人々を煽動。更には侯爵夫人の病がペストだとの誤った情報で群衆はパニック状態になり、パーベルの指示で侯爵は捕らえられる。止めようとした男は殺される。

 新しい指導者を祝う宴が行われる中、侯爵は道化と共に地下牢に閉じ込められる。一方、侯爵夫人の病気がペストではないと知ったパーベルは、人々が再び侯爵に従うのを恐れて真相を隠す。そして秘密を知っている侍女を殺し、更には殺しの場を見られた修道士や修道女をも殺戮する。夜12時になり、舞踏会のクライマックスとなるバレエが役者たちによって始められる。侯爵の指示で準備されていたバレエは、奇怪な化け物のグロテスクな踊りのオンパレードで、一同は言葉を失う。平行して、兵士たちが侯爵夫人の館に火を放ち、夫人は死ぬ。しかし侯爵夫人はペストでなかったとする将校の証言で兵士たちは正気を取り戻し、パーベルの手足となっていた煽動者を縛り首にする。夫人の死に責任を感じた親衛隊長は侯爵を釈放して自殺する。一方、バレエはますますエスカレートし、悪魔的な狂乱の態をなし始める。その時、黒き死の仮面の装束の人物が広間に現れる。怒ったパーベルは剣を手に黒き死の仮面を追う。仮装の人物は、黄色の部屋、青の部屋、赤の部屋、緑の部屋、紫の部屋を次々と横切り、最後に黒の部屋の大時計の前に立つ。その足元に転がるパーベルに殺された侍女や修道士らの死体を人々はペストによるものと勘違いし、恐慌を起こして我先にと城外へと逃げ始める。群衆に押されて圧死したり、城から墜落死するものも出る。そのパニックの中、パーベルは侯爵の手によって倒される。城は火に包まれ、最後の時が迫る。侯爵は黒き死の仮面と最後の言葉を交わす。その正体は道化だった。燃えさかる炎の中で大時計が1時を打ち、やがて止まる。

 原作は『モルグ街の殺人』『アッシャー家の崩壊』『黒猫』などの幻想的な推理小説や恐怖小説で知られる米国の作家で詩人のエドガー・アラン・ポーによる短編『赤き死の仮面』である。黒澤は話の舞台を中世のロシアに移し、原作では架空の病気であった赤き死を、実際に中世のヨーロッパに蔓延した黒死病(ペスト)に置き換えた。(色の変更は"赤"がソ連のシンボルだったため、気を使ってのことだいう。)そして疫病から隔絶された城の中という原作の設定を使い、死の病の仮装をした人物が城内を駆け抜ける原作の印象的な場面を映画のクライマックスに持ってきて、権力争いとエゴイズムで自滅する人間たちの悲劇へと物語を大きく膨らませた。

 この脚本は外国小説が原作で舞台が日本ではないとはいえ、従来の黒澤作品との大きな違いには驚かされる。それまでの黒澤作品を特徴づけていたヒューマニズムや肯定的な人間像は影をひそめ、ひたすら破滅へ向かって内部抗争を続ける人間の愚かさが全般に渡って描かれている。その人間像は、舞台がロシアであることもあり、さながらドストエフスキーが脚色したかのような重厚で悲劇的なものである。映像的にも黒死病に襲われた村々の惨状(ベルイマンの『第七の封印』を思わせる)や、城の中の陰鬱な雰囲気、不気味な舞踏会、次々と人が殺されていく惨劇など、目をおおうべく地獄絵図が繰り広げられる。『トラ・トラ・トラ!』の監督降板騒動や自殺事件などが黒澤の心に落とした影を反映してか、続く『影武者』、『乱』(脚本が書かれた順番は逆だが)、『夢』の一部エピソードと並んで、黒澤の暗黒期ともいうべき作品群を形成している。(そして晩年の『まあだだよ』『雨あがる』といったやや理想主義的な人間肯定期への作品群への助走となる。)

 他の黒澤作品で最もこれに似ている作品をあげるなら、『乱』だろう。前半、信じていた味方から裏切られて部下と共に死の村々をさまよう親衛隊長ノヴィコフの哀れな姿は、息子から裏切られて領内をさまよう秀虎の姿にも重なる。ただノヴィコフは黒死病で死ぬのを良しとせず、最後は城に戻って味方の銃弾に倒れることを選ぶ。主人から見捨てられても恨むことを疑いを知らずに己の生き方を貫くノヴィコフの人間像は、秀虎というよりは同じ『乱』の平山丹後(油井昌由樹が演じた侍大将)に似ているかもしれない。黒澤は『デルス・ウザーラ』で主役を演じ、自らも高く評価していたユーリー・サローミンをノヴィコフに想定していたという。なお黒澤作品では、主人公の侍が死ぬ場合は鉄砲の弾で死ぬことが多い。『七人の侍』の平八、五郎兵衛、久蔵、菊千代はみな野武士の種子島に当たって死ぬのであって、刀で切り殺される者は一人もいない。『影武者』の武田信玄やその影武者、『乱』の三郎、秀虎も鉄砲で殺される。『用心棒』の三十郎も、卯之助の鉄砲の前に手足が出ずに捕らえられる。並外れた腕前や精神の持ち主である侍を殺すためには、圧倒的な武器であり、かつ皮肉にも雑兵にも扱えて、刀のような鍛練や精神力を必要としない飛び道具が必要なのだ。そう考えると、鉄砲による死を選ぶノヴィコフも、黒澤作品で侍として描かれてきたキャラクターと同列であり、前半におけるその死は作品の中での侍精神の死を暗示するといえる。

 城の中の物語で黒澤の分身とも言えるのが、恐るべき独裁者でもあるドブロフスキイ侯爵である。彼の姿は秀虎に近い。城の中を恐怖で支配し、反抗の影を見せた親衛隊長マヴリッキイに迷うことなく絞首刑を言い渡すといった非情な冷酷さを見せる一方、疫病は神の裁きだとする司教に対し、民衆を苦しめてきた貴族が無事に城に逃げ、疫病で苦しんでいるのはまたもや民衆だ、これがどうして神の裁きなのか、と司教の矛盾をつき、生き延びるためには悪魔の力であっても借りるとする合理的な現実主義者である。同じ独裁的な権力者でも『蜘蛛巣城』の鷲津武時のような迷いは見られない。(おびえた部下たちが自らの保身のために敵に寝返ろうとするのは『蜘蛛巣城』と共通するが。)だが侯爵は城の中に閉じこもって外に出ようとしない。黒澤作品の登場人物に共通するダイナミズムがないのだ。唯一の積極的な行動は、後でも紹介する奇怪なバレエを演出して、人々に人間の醜さを見せつけることである。『暴走機関車』『トラ・トラ・トラ!』といった海外との合作もうまくいかず、日本国内では映画産業は斜陽化し、テレビにじりじり押されて八方塞がりだった当時の黒澤の精神を反映した人物といえるだろう。

 その侯爵に対抗するのは弟のパーベルである。兄弟の対立のモチーフは後に『乱』でも出てくる。ルカやイーゴリといった小悪党の取り巻きを連れているのも、『乱』の次郎と同じである。パーベルのキャラクターは最初はっきりしない。侯爵を理想主義的に非難して、城外への脱出と大公のもとへの避難がみんなを救う唯一の方法だと叫ぶあたりまでは、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』に出てくる理想主義者でやさしい心の持ち主である末の弟アリョーシャを思わせたりもする。(『カラマーゾフの兄弟』でいうなら侯爵は、現実主義で冷笑的なところもあるものの、完全に良心のかけらもないとはいいきれないイワンあたりか。)だが侯爵に逮捕され、人々を煽動して逆に侯爵への反旗を翻させるあたりから、パーベルは恐るべき本性を明らかにする。自らに反対した詩人のコルサコフをその手で刺殺し、侯爵を逮捕して権力を握ると、王座に座って頽廃的な宴を続けさせる。(貴族たちも宴を続けることを望む。現状に不満があっても、リーダーをすげかえるだけで、現状を変えたり、自ら行動を起こそうとはしない現代社会の大衆に対する痛烈な批判である。)しかも侯爵夫人の病が黒死病でなかったと知ると、人々の心が自分から離れるのを恐れ、秘密を知る侍女をルカに惨殺させる。(技術的には、侍女とそれを追いかけるルカがカーテンの向こうに消え、悲鳴の後に血刀をさげたルカが出てくるところは、『用心棒』の最後で志村喬演じる造酒屋の徳右衛門が、藤原鎌足演じる名主の多左衛門に屋敷の中で切り殺される場面を思い出させる。)そして、その様子を見られた修道士らをも殺害し、侯爵夫人を館ごと焼き殺す手配をする。その後、何食わぬ顔で人々の前に現れ、舞踏会を指揮するのである。最後には燃えさかる城を背景にした侯爵との対決で殺される。侯爵が悪魔的な悪だとすれば、弟のパーベルは人間的な悪といえるかもしれない。だが2人の戦いには正義と悪、人間愛と悪といった、黒澤作品の魅力でもある強烈な対立軸がなく、あえて言うなら『用心棒』のやくざの2大勢力が争っているだけという印象も受ける。2人の一方への観客の感情移入を排したあたりに、人間の争いの愚かさを浮き彫りにしようとする黒澤の主張があるのかもしれない。

 対立する2人のどちらにも肩入れせず、その争いの愚かさを諧謔的に茶化す第3の人物が道化である。この人物は脚本では名前も与えられず、道化としか書かれていない。造型的には『乱』の狂阿彌の原型となっている人物である。はじめ彼は他の死刑囚と共に地下牢に幽閉され、「気違いは時々本当のことを言う。いや、本当のことを言うと気違いにされる」などと気の効いたことを言っている。捕らえられた理由ははっきりしないが、滑稽さをまといながら真実を帯びた言葉が侯爵の逆鱗にふれたのだろうと想像させる。死刑囚たちは侯爵の逮捕と共に釈放されるが、道化だけは地下牢に侯爵と共に残り、その話し相手になる。そして「近頃の殿様は首をつるすか、つるされるかだ」「城の連中は笑うどころの騒ぎじゃない。だから却って笑いたがる」などと皮肉な言動を続ける。道化は城の外に妻子を残していることが明らかになり、滑稽な言動の底には深い悲しみが横たわっていることが暗示される。そしてパーベルの真の姿を知った親衛隊長マヴリッキイが侯爵を釈放すると、小躍りして「やっつけろ! 今度はこっちが笑う番だ!」と喝采する。道化には最後に大きな見せ場がある。黒い死の仮面の仮装をして人々を翻弄し、パーベル一味が殺した修道士の死体を人々に発見させ、城内をパニック状態に陥れるのだ。原作では超自然の存在として描かれる黒い死の仮面は、黒澤の合理的な脚色においては人間が化けていたというオチがつく。(一方で黒澤は『蜘蛛巣城』では物の怪の老婆や武将を登場させているが。)そしてエンディングでは燃えさかる城の中で静かに腰掛け、最後の時を待っている。パーベルを倒した侯爵が部屋に入り、なぜ逃げないかと聞かれると、「もう沢山でさあ!」と答える。狂阿彌が三郎と秀虎の死に涙して「神や仏はいないのか!」と叫んだのと同様に、道化に残されたのは絶望だけであり、悲劇の目撃者としての役割なのである。

 物語のクライマックスは不気味な化け物の仮装が次々と現れるバレエである。この部分は原作では単に仮装舞踏会だったものを黒澤が翻案してふくらませたもので、視覚的にも映画のヤマ場である。グロテスクな魔物に扮した役者たちのバレエで、異常な雰囲気がかもしだされていく。ある化け物は、頭は鳥で下半身は馬。またあるものは頭は馬で下半身は鳥。奇怪で醜悪な巨大な魚の腹を引き裂いて青白い裸体の踊り手が出てくる。それらの仮面は見るものに人間性のグロテスクさをこれでもかと見せつけるのだ。人々は自分たちの醜悪な姿を見透かされたかのように激しく腹を立てて怒る。そして野次や怒号と共に城内は狂乱の様相を呈していき、最後の破滅に向かって最後の助走を突き進んでいく。ある意味でこの舞踏会は映画『黒き死の仮面』そのものといえるかもしれない。舞踏会を演出して、人間の世界のグロテスクさや不気味な世界を見せつけようとしたドブロフスキイ侯爵とは、黒澤自身なのだ。黒澤はこの作品で人間の醜さや愚かさを描こうとしており、その姿はバレエを演出する侯爵と重なる。黒澤自身も完成後の映画に対して、そのあまりのペシミズムとグロテスクさ故におそらく非難が巻き起こるだろうことは予期したに違いないが、それでもあえて脚本に書いた一徹さも侯爵の人物像と重なっている。

 脚本の完成後、黒澤は舞踏会の部分の演出をイタリアの巨匠フェデリコ・フェリーニ監督に頼んでいたという。フェリーニは初期には『青春群像』『道』『甘い生活』といった真摯な人間ドラマを造っていたが、徐々に『8 1/2』『魂のジュリエッタ』などで人間の深層心理をめぐる幻想的な世界を描くようになり、『サテリコン』『ローマ』といった作品ではその描写はグロテスクともいえる境地にも達していた。演出の件はフェリーニも乗り気だったが、結局実現しなかった。フェリーニも黒澤と同様に映画の前に絵コンテでイメージを伝えるなど、映画のビジュアル面で独自の世界を構築できる監督だったため、2大巨匠の合作が実現していれば、映画史に残る作品となっていただろう。

 ソ連側の依頼で執筆された脚本だったが、結局『デルス・ウザーラ』に続く黒澤のソ連映画とはならなかった。詳細は不明だが、あまりに暗くて、ペシミスティックな脚本にソ連側が二の足を踏んだのではないかと思われる。(政治的にも、侯爵の独裁的な支配体制が共産主義の恐怖政治を想像させ、城の崩壊が共産主義の崩壊を暗示させるのが嫌われた可能性はある。)野上照代氏の全集のあとがきによれば、『乱』のプロデューサーだったセルジュ・シルベルマン(ブニュエルの後期作品のプロデューサーとしても知られる)が一時興味を示したこともあったが、結局映画化には至らなかった。黒澤のペシミズムと人間不信はこの後の『乱』で結集するが、この脚本に書かれたグロテスクでペシミスティックな映像美は残念ながら撮影されることはなかった。もし映画化されていれば、黒澤の作品史の中で、いや世界の映画史において、他に類のない大きな異彩をはなった作品となったであろう。

(脚本収録 岩波書店「全集黒澤明 最終巻」)


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02年8月1日作成