『シャイニング』脚本共作者が語るキューブリック
 <ダイアン・ジョンソン・インタビュー>
『シャイニング』関係者が語る幻のエンディング
『シャイニング』カットされたラストシーン(シナリオ)

【解説】
 以下は『シャイニング』の脚本共作者である作家ダイアン・ジョンソンのインタビューからキューブリックに関する部分の抜粋である。キューブリックとの出会いやその横顔、そして脚本づくりの手法や映画製作への姿勢などが興味深い。特に脚本づくりについて、まず映画に出てくる場面を決め(約120シーン)、1つの場面を1ページにまとめた後、その順番をじっくり練って決め、それからセリフを加えるというやり方はかなりユニークだ。

 キューブリックとの関係はどのように始まったのですか?
 彼は私の小説『影は知っている』の映画化を検討していたようです。あの本は一種のサイコ・スリラーで、ホラー・ストーリーと呼んでもいいでしょう。キューブリックは同じ頃にその本と『シャイニング』を秤にかけて、最終的に『シャイニング』を作ることに決めたんです。
 『影は知っている』は一人称小説で、映画化はより困難だったでしょう。だから最終的に私でなくキングの小説を選んだのだと思います。けれど、それを決める過程で、私がカリフォルニア大学デイヴィス校でゴシック小説について教えていることを知ったのでしょう。当時私はディヴィス校の教授でした。彼はゴシック小説や恐怖というもの、ホラーのジャンル全般について知っている人を探していました。それで私に電話してきたのです。

ダイアン・ジョンソン『影は知っている』斉藤英治訳 白水社(1991年)
 キューブリックが電話してきたとのことですが、どのようだったのですか? あなたが電話に出ると、「もしもし、スタンリーだけど」とか言ったのでしょうか。
 はじめにワーナーの人間が電話してきて、キューブリックが電話しようとしているが、いつが都合がよいか聞かれました。でも最初の電話の後、彼は1週間もの間、毎晩11時に電話してきたんです。当時私はたまたまロンドンにいたので、1週間過ぎて彼が会いたいと言ってきた時、そうするのは難しくありませんでした。
 キューブリックとはどれぐらい話をしたのでしょうか。また何を話したのですか?
 話はだいたい30分ほどでした。すごく長く感じましたが、それはおそらく私が電話で話すタイプではないからでしょう。私たちは本について話をしました。彼はとても文学に詳しく、多くの本を読んでいて、そのアプローチが作家のようだったので驚いた覚えがあります。作家のように物事を語り、映画作家はあまり使わないような用語を用いたりしました。そんな感じで本についてあれこれ楽しく話をしたんです。とても楽しかったですね。彼は素晴らしく話上手でした。
 キューブリックと仕事をする前、彼について何を知っていましたか?
 正直に言って、ほとんど何も。名前以外はね。
 キングの小説について、どう思いましたか?
 私はスティーヴン・キングの大ファンではありません。ホラー小説が大好きという訳ではないのです。でも読んでいる時は、仰々しさや陳腐さといった欠点にも関わらず、意外に怖い小説だと思いました。その意味では感心しました。
 どれぐらいの期間、『シャイニング』の仕事をしたのですか?
 11週間です。9週間ほど仕事をした後、また戻って2週間ほど仕事をしました。
 『シャイニング』の脚本は見たことがありません。一つのページに一つのシーンが書かれているトリートメントのようなものだけです。シーンが一つの文章だけという部分もありましたが、一つのページがまるまるそのシーンにあてられているのです。
 その形式はキューブリック独特のものでした。彼はその形式に大変こだわっていました。一番最初の段階ではそのように、一つのシーンを一つのページにします。そして二人でとても長いこと話し合い、シーンの順番や数を彼の気に入るように決めたのです。
 それから、私達はセリフを加えました。しかし、それは決して「室内・昼」とか長い描写などの書かれた、普通考えるところの現代的な脚本ではありませんでした。ですから、本当のところ脚本というのはないのです。
 自分以外の小説家の作品を脚色することをどう思いましたか? もし他の人間が自分に同じことをしたら、とか考えましたか?
 いいえ。キューブリックに認められたと思いました。キングが映画をあまり気に入らなかったのは知っています。そして、その気持はよく分かるのです。というのも私とキューブリックはまったく違うものを生み出しましたから。キングの小説はとてもバロック風で、そのままでは映画にできません。ラジカルに単純化しなければなりませんでした。
 仕事が終わった後、キューブリックについてどう思いましたか?
 大いに好感を持ちました。彼をとても好きでしたし、とても尊敬しました。真のアーティストでした。自分では脚本を書きませんでしたが、真の作家でした。
 キューブリックについて書かれたマイケル・ハー(「キューブリック」)やフレデリック・ラファエル(「アイズ・ワイド・オープン」)の本について、どう思いましたか?
 マイケル・ハーの評価については完全に同意見です。キューブリックの家に行った時にマイケルがいて、後日マイケルとキューブリックの話をすることがありました。私にとってのキューブリックはマイケルの書いた通りです。フレデリック・ラファエルは危ないパラノイアね。彼の本は意味が分かりませんでした。
 完成した映画について、どう思いましたか?
 傑作だと思いました。全部完成するまで映画は観ていなかったんです。だから観た時には、作品がはじめはあまり高い評価を受けていないことは知っていました。私は映画をキューブリックの家で観ました。そして彼らとディナーを共にし、映画について語り合いました。分かるだろうけど、そういう状況では映画を好きになるし、誇りに思うものです。だから映画が今でも残る作品となって、うれしいです。
 最初のエンディングはなぜカットされたのですか?
 時間上の制限があったことは知っています。何分かカットしなければならない契約上の義務みたいなものが。それが理由ではないでしょうか。
 キューブリックは私がもっとも重要だと思うシーンをカットしました。小説を読めば分かりますが、それはジャックがボイラー室でスクラップブックを見つける場面です。彼がホテルに支配される瞬間を知らしめる上で、その部分はとても重要だと思います。おとぎ話で主人公が毒入り林檎を食べる場面みたいなものです。主人公は自分たちに悪の支配をもたらす過ちを犯すのです。ジャックにとっては、その場面が彼の過ちでした。
 その前までは、どちらに行くこともありえたでしょう。すぐれた作家になりたいという虚栄心と希望によって、彼はこのスクラップブックをテーマの金鉱と考えてしまったのです。その場面は脚本に書かれ、撮影されました。キューブリックがそこをカットしてしまったのは残念です。カットするなら別の場面にするよう議論したことでしょう。
 あなたは数多くの旅行をしています。オーヴァールック・ホテルのモデルとなったホテルに行ったことがありますか? オレゴンのティンバーライン・ロッジとか、ヨセミテのアワニー・ホテルとか。
 ええ、私はオレゴン人で、学生時代はティンバーラインで働いていました。アワニーに泊まったこともあります。セットにいた時、ロンドンの中心でアワニーや半分の大きさのティンバーライン・ロッジを見るのはとても奇妙で薄気味悪い感じがしました。

ティンバーライン・ロッジ (ホテル外観に使用された。但し俳優の出てくる場面はセット。)

アワニー・ホテル (ホテル内部のモデルになった。但し撮影は全てセット。)
 あなたはフランシス・フォード・コッポラやマイク・ニコルズ、フォルカー・シュレンドルフといった他の多くの監督のために脚本を書いたことがあります。・・・(中略)・・・キューブリックは他の監督とどう違いますか?
 大きな違いの一つは、彼は一度に一つのことしか進めないことです。それに集中するのです。彼は先行きの分からない企画には関わっていませんでした。脚本の執筆と同時にセットを建てていました。キャスティングもすでに決まっていました。この映画を作ることを決めていたのです。私の印象では、多くの監督は「様子を見ながら進める」やり方をとっているようです。「ここまでは進めるが、そこから先は行かない。その時点でどれぐらいの資金があるか検討しよう」とね。
 小説を脚本化する時のアドバイスを教えて下さい。
 キューブリックの教えてくれた進め方で、その後私もずっと従っているやり方は、場面の正しい順番を決めることです。120の必須となる場面を決め、テーマや性格描写といった考慮すべきこと全てを頭に置きながら、正しい順番が得られるまで構成を練るのです。
An Interview with Diane Johnson

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2015年4月25日作成