「矢の原清水」
・・・やのはらしみず・・・



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 08年7月19日早朝のことです。

 国道400号線、小中津川に「矢の原清水」という立て札があります。
この清水は、参道を通(とお)っていって、気多神社の本殿に登る階段右 脇にあります。手水(ちょうず)の石は昔からのものかもしれません。この石の器(うつわ) の上には樋があり、水路が作られています。

 ところが、水が流れていない。

 渇水期なのかと思うと、樋の少し奥に蛇口がついていました。
蛇口は管理されているわけではないらしく、公園などで見かける水道のように、 蛇口のコックなどが外されているわけではありません。コックをひねってみま した。水が出ました。
乾いた石の器がみるみる濡れていきます。
水のちょろちょろ流れる風情(ふぜい)というのはいいものである。
器一杯までたまるのを一人でみていられたら、それはなんと楽しい時間でしょう。

 でも、コックが付いているということは何らかの調整をしているはずである。
 勝手に水を流しておいて良いものかどうか、判断がつかないので、元に戻し ておきました。

 新潟県J越市(T田市)から、からむし織の里フェアにおいでいただいた団 体客(男女5名)がいらっしゃいました。この方々は、今度NHKテレビで放 映される「天地人」の上杉にあやかった町おこしの勝手連のような方々でした。 「からむし織」を探していたら、昭和村にたどり着いて、昨年は1名でからむ し織の里フェアにいらっしゃったそうです。そこで、J越市でも昭和村と同じ ような「からむし織」を再現する為に、フェアでの体験実習やからむし畑見学 などを分担して勉強しようと、今年は5名で参加されたというとても積極的な 方々でした。
  これ以上の情報は、昭和館が業務で知りえた情報となりますので、ムコ殿でも 発表するわけにはいきません。
  検索で引っかかって、この方から連絡などがいただけたら、ここまでの文 章で、わたしは金メダルであります(笑)

 さて、その夜にそのお客様の一人が、観光案内パンフレットか何かで、徒歩 で行ける場所ということで、気多神社を散歩(既に夕食後でお酒も飲んでまし たから)されたそうです。
 お帰りになられると、この「矢の原清水」の蛇口のことに言及されました。

     「あれは、清水ではないのではないか?」

     「いいえ、矢の原を水源とする清水で、この近所ではその水源から水道を引 いて生活飲料水として使用しております。」

     「それでは、水道ではないか。」

     「はい、水道といえば水道ですが、水そのものは清水でありまして、その活 用設備としては水道になっております。」

     「『矢の原清水』という立て札があるのであるから、普通の人は、その場所 で湧き出しているというイメージになるではないか。」

     「はい、ごもっともでございますが、生活飲料水と同じものですから、節水 ということも兼ねまして、樋の少しだけ奥に蛇口をつけさせていただいており ます。」

     「清水と名乗るのであれば、それはいかん!仮に百歩譲って、蛇口をつけて もよいが、蛇口をひねると、生ぬるい水が出てくるではないか。清水とはい えない。」

     「なにせ、昭和村も昼は暑うございます。水源からの途中で、気多神社用に 管が分かれているわけですが、その分かれ目から樋のところまでの管が日に暖 められまして、蛇口をひねって少しの間は、水はぬるうございます。」

     ・・・このあたりからは、騙(かた)りが入ります。

     「しばらく待てば、冷たい清水が本当に出てくるのか。」

     「はい、そのうえ、都会の皆様は少々せっかちでございますので、なかなか ご堪能出来るまで待つ、ということが出来難うございます。
     こほん、そもそも本村においては古(いにしえ)より、郷にいらば郷に従え、という言葉が、 あっ、、
     ボカリ!  お客様、下駄は履物でございます。

     ・・・というようなことには、なりませんが、
 同じ水源と水質なので、ほぼ水源と同じ冷たさで飲んでいただくのであれば、 昭和館の洗面所の蛇口から出る水で鑑賞していただければ同じことなのですが、 観光として立て札を立てて宣伝している限りは、そのような説明では御納得し ていただくことができませんね。

 妄想が湧いてきた。 こんこんと、矢の原清水のように、、、
 そもそも「矢の原清水」という固有名詞は、あったのだろうか
水道の水源としての「矢の原の水」はあったでしょう。また、地質調査などで、 気多神社付近の水も、矢の原湿原の伏流水であろうとの判断もあったかも知れ ない。
 そこから、気多神社の世話人などがいつしか「矢の原清水」と呼ぶようにな ったのか。

 矢の原には特に 「代官清水」や「源兵衛清水」という有名な清水 がある。ただし、その場所まで歩いていって鑑賞するにはちょっとした ハイキング程度の装備は必要である。 少なくとも、都会モノのお客様が、風呂上りに宿屋の下駄では、たどり着けないのである。
そこで、お客様に「矢の原の『代官清水』」の事を尋ねられた 昭和館の先代があそこの水は矢の原清水なので代官清水と殆ど 一緒である」 など という説明で、観光客の利便も考えて、 立て札を作った。 とか。。。
(妄想モードここまで)

 どうやら、以下のような結論になりそうであるが、
 矢の原清水は、清水の湧き出す地名のことではなく、矢の原水系を利活用し ている装置(水道など)を流れる水のことである。つまりその水系の及ぶ地域 の水は「矢の原清水」と呼ぶ。



 その後の調査。
 (以下の、URL(HTTP://・・・・)付きの文章の引用は、一部お断り無しで引用させて いただきました。)

■「矢の原清水」は固有名詞である。

 1998(平成10)年に『昭和村銘水10選』として選定され、整備され ている。
その10選とは、以下の10の清水である。寺の下清水、高姫清水、二階の清 水、白森清水、天狗の冷泉、ブナ清水、代官清水、冷湖の霊泉、源兵衛清水、 矢の原清水。

■「矢の原清水」の蛇口はいつ設置されたか。

 ふるさと創生の時期でもあったらしい事をここでは書いておかなければならないで あろう。
 「1998平成10年選定整備」とあるので、このときに整備したかもしれない。

 《美味しい水情報》(水木明氏)というページがある。
 その中の《美味しい水情報/福島県会津南部》
(http://www.geocities.jp/akira71248/fukusima2.htm)
によると、2001年10月には既に設置されていたことが分かる。
 「蛇口に開閉弁が有り。」との記述がある。
 その蛇口に少し違和感をもたれたからなのか、それとも他の美味しい水愛好 家の為に「水は出ますよという」親切心で記されたのかは不明である。
 《美味しい水情報》として掲載され、詳しいロケーションの説明と、水量豊 富との説明もあるので、決して貶(けな)しているわけではなく同好者に知らせたいの だと理解しました。

■『昭和村銘水10選』は、途中で9選になっているのか。

 2003年に来村した落語家の方は、
昭和の銘水九選(なぜか十選ではないそうです)。」と明記している。
(http://800ya−raizo.com/diary/2003diary/205/0408.html)
 ただ、その九選のリストはないので、どれを外したうえでの九選かは分からない。
 それとも、説明した村民がからかったのか、

 新協地水(株)は、『土と水』という季刊誌をWeb公開している。
(http://www.media−yoshida.co.jp/tisui/e_and_w/index.html)
その、2002年7月号
(http://www.media−yoshida.co.jp/tisui/e_and_w/no36/03.html)
では、福島県の湧水シリーズ(その15)という連載があり、“昭和村の湧水― 源兵衛清水”の調査が発表されている。
この中では、昭和村銘水10選として一覧があり、勿論、矢の原清水も10選と して入っている。
「10選」だったり「十選」だったりして統一が取れていませんが、それは元 表記を尊重した為です。

■説明板があったらしい。

 先日の訪問時には、気づきませんでしたが、説明板の写真を見つけました。 そこには、

   矢ノ原 清水
   矢ノ原高原の伏流水で、約3キロ奥地
  の岩の割れ目から大量の清水が吹き出し
  田ノ口沢の源流となっている。集落の貴
  重な飲料水として、古来から愛飲されて
  いる。

 とありました。
 ここでは、「3キロ奥地」と明示している。
 つまり、説明板をよく読めば、「矢の原清水という銘水を賞味できる場所で す。」と理解できるわけです。説明責任は果たしている(笑)。
 がんばれ、矢の原清水。


■残念!蛇口があることに気づかれなかった皆様。08/08/24追記

 ところが(やはり)「水が涸れている!?」と思われたお客様もいらっしゃったようです。
 一部抄録させていただきました。

 YUKO_T'Sさん。
(http://yukofromtsukuba.fc2web.com/yanoharashimizu.htm)
    矢の原清水(2004.8.6)
    気多神社の入り口に引水されているはずの清水.
    残念ながら渇水していて飲むことが出来ませんでした.

    約3km奥地の岩の割れ目から大量の清水が吹き出し田ノ口沢の源流となって いると案内にはあったが,残念ながら私が訪れたときは枯れてしまっていて飲 めずじまい.
    ホントはここにお水が溜まっていたんだろうなあと思いつつこの場を後にしました.
 「イワナの散歩」さんの、39.昭和村見聞記(21)2005年版
  (http://www.geocities.jp/mla12916/zakki−39.htm)
    205.矢ノ原清水
    気多神社にある矢ノ原清水。
    ここから3キロ奥の矢ノ原高原の岩の割れ目からこんこんと湧き出ている清水 を,集落まで引いたものらしいのですが,行ったときは水が涸れていました
    立派な案内板もあるのですが,どうしたことでしょう。

    「イワナの散歩」さんは、中島旅館を定宿、昭和村の渓流釣りを楽しまれていらっしゃる方です。
    ホームページには、昭和村紀行のページを沢山掲載、紹介されています。
    ありがとうございます、
    08/08/24にリンクページに紹介させていただきました。

 これらについては、ほかに、
昭和村 あんじゃ こんじゃ -015/057page
(http://www.db.fks.ed.jp/txt/10068.102.showa/html/00015.html)
というページを見つけて、参照しました。お礼を述べます。ありがとうございました。



ことよせ 矢の原清水

 「やのはらしみず」と書いて、「み」と「ず」を交換すると、
 「やのはらしずみ」となる。
 じーっと、眺めるか声に出してみると、
 「矢の原沈み」というフレーズが、顕(あらわ)れてくる。
 こういうふうに、文字の位置をかえて新語句らしきものを造る言葉の遊びを アナグラム(anagram)という。語句転綴(ごくてんてつ)ともいいます。

 「矢の原沈み」をじっーと眺めていると、言霊(ことだま)が立ち顕れるの である。
 これは、矢の原清水をじゃーじゃーと使い過ぎたり、
水源である矢の原を掘り起したり粗末にすると、「矢の原は沈んでしまうぞ」 という過去からの警告にも読めたりするのである。大事にしよう!矢の原清水!。

 そんな!?と思うでしょう。
 それでは「カンケ」さんで、試してみますか。敬称略でごめんなさいまし。
 「カンケ」からは「花研」が見えます。これは、昭和花き研究会のことと 違いますか。
 「カンケ」からは「喧嘩」も見えます。これは、博士山リゾート、クマタ カ保護、ブナの伐採問題などの、自然保護活動で理不尽なものとの闘い(喧嘩) のことだと思います。すみません、すみません。


 では、矢の原清水にまつわる似非由緒にて、
ことよせたまう

みやはらの しず (宮原の滴)

 集落(宮原)を守る命の水、滴(しずく)である。

みはらしの ずや (見晴らしの図や)

 気多神社のたたずまい。を見て、感嘆した言葉であったかもしれない。

はやらず のみし (流行らず飲みし)

 流行りすたりなく昔から変わらす飲まれつづけた。

やはらの しみず (柔らの清水)

 甘露で飲み口の柔らかさを説明している。

はやらしの みず (流行らしの水)

 水源から水を引くために、一時期は流行(はやり)にした、わざと流行らせたときの言い伝え。
昔々知恵者(もの)が自分の家を作るときに、地鎮祭の為にイベントをして人 を集めた(地固め)という、昔話(伝説)の趣もあるではないか。この系譜であろう。

はやしの みずら (林の水等)

 一帯に湧き出る水への呼びかけ言葉。

   な、潜れる
   林の水等
   民暮らす

 下(地下)に沈んでいてはいけないよ、林の水たちよ、ここには民人が暮らしているのだから。
 575なのは意味(時代設定)がわからない。

のはらや しみず (野原や清水)

 気多神社勧請の地の一帯の昔の原風景

   宮原の
   野原や清水
   この里を

  体言で止めているのは、この里を「守ってください!」との祈りの言葉に奥ゆかしさを含めている。

みずの はしらや (水の柱や)

 水源のあることが、その地方の生活のよりどころ(主柱)であり、中心なの である。

みやのは しらず (宮のは知らず)

 「矢の原清水」は、ここですか?と問われて答えたか。はあ、「気多神社」の清水は、違んでねーかな。
越(こし)の国から、勧請されたときに、自分の持分の水ではない(宮の持分 である)ので、視察官にこのように答えたのかも知れない。
トカイモンが偉そうに来たときには「知らぬ」と答えていた。
「かんむくり」という役人が嗅ぎ付けてきて、清水までを租税対象にされても困るのである。 こういうときには、知らぬ存ぜぬで通すのである。

やのしらは みず (矢野氏等は見ず)

 村外秘伝の清水だったので、調査に来た矢野氏等は気づかなかった。場所を教えなかった、 との言い伝え。
平成の時代に、町おこし調査の名目で来た役人の名前(矢野某)のことかもしれない。

やのは みしらず (矢野は身知らず)

 県庁の人事異動か。身の程知らずで、適当な調査をして、接待強要して、人事異動で転籍さ れた矢野某のことかもしれない。(矢野某とはここだけの架空人物です。本当にいらっしゃっ たらすみません。念のため(笑))
県長(あがたのぬし)も、前福島県知事のような人だけではない。 と信じるものである。

しみず やのはら (清水『矢の原』)

 昔、門前通りに茶屋があった。繁盛したものである。

のみや はしらず (飲み屋走らず)

 潤沢な清冽な水があるのである。走って買いに行く必要はない。
 飲み屋とは、前項の、清水『矢の原』の茶屋のことらしい。

はやのみ しらず (早飲み知らず)

 冷たいのと美味しいので、早飲みが出来なかった。

はや みのずらし (はや、蓑ずらし)

 野良仕事から立寄った農民が、さっさと蓑をずらして清水をのむ風景。

しらずは みのや (知らずは蓑屋)

 蓑屋の行商は、人家だけを廻って、気多神社を廻らなかったのでここの銘水 の清水の存在を知らなかった。

やみの しずはら (闇の滴原)

 昔々は、どうして清水が湧いてくるのかわからなかった。
気多神社の神々が夜の(暗い)うちに水滴を垂らしておいたのだろうと想像した。
それ以来、奥会津(特に昭和)は、夏の朝方は神々の作る水滴で、雲海と霧状になる。 その霧の間(早朝の時間帯)に、田んぼの水の配布と草刈とカスミソウの採取 をするのが自然の生活となった。
これを出来ない村外人はもちろん昭和村での田舎生活など出来ようもないのである。

やみのはし ずら (闇の橋ずら)

 気多渕(淵)のことか、
 気多神社を勧請したときに来た官吏が、勧請書を気多淵に流してしまったという 地名の因縁による。見えない(闇)橋を渡ろうとして、落ちたのである。
その時の嘆きの歌のフレーズ。
どうやら越の人ではなく、中部地方から来たらしい。「ずら」という発声は、 蒲郡(がまごおり)あたりかも知れない。越の国には蒲原郡(かんばらぐん)があること で、同じ文字を使用している事でいきさつは知れよう。

ずしの はらやみ (寿司の腹病み)

 気多神社の勧請の頃に、越の国の人がバッテラ寿司などを持ち込んで、腐れ寿 司を食って病気になったときのエピソード。
越の国は、そのころは都会(先進文化)であったのと、海の国でもあったので慢心して、 保存(防腐)としては塩くらいしか思いついていなかったのである。
笹を使うとか、大葉(紫蘇っ葉)とか、梅、味噌、梅から出る梅酢、米酢、を使うとかして、 予防しなかったことを、笑ったらしい。そういう知恵がなかったのである。
海辺なのでミガキニシンとか、干しアワビとか、そういう加工技術もない。 生青みの魚には、姜(しょうが)を使う!こういうことを知らない、ほんとに しょうがない人が来たものである。

 その、病気が快癒したということで、また、言葉が作られていった。(次項↓の言葉)
盆踊りの囃子言葉(歌)が、年年歳歳作られていった経緯と同じことでもある。

はらやみの しず (腹病みの 静)

 腹病みを静めた。

のらやみ はずし (野良病み外し)

 野良仕事で熱中症などにも薬効があった。

やみらの はずし (病み等の外し)

 こうなると、もう、なんにでも効く!
 こうして、万病を外す霊泉になってきた。

みずらの はやし (水等の林)

 元は、水を蓄えた豊かなブナ林だったのかもしれない。
 読み歌知らずの歌があったというが、上の句は発見されていない。

やしらの はずみ (未詳)

 未詳なるも、曰く因縁(いわくいんねん)を感ずる言葉。何らかのまじない言葉だったか。

しらやの はずみ (白矢の 弾み)

 同じく、曰く因縁(いわくいんねん)を伝えた言葉。
 気多神社の御由緒にもある通り、祭神であらせらるところの大己貴命(おお なむちのみこと)こと大国主命(おおくにぬしのみこと)が、大沼郡の第一霊 峰博士山に向かって「この地鎮めたまえ」と白羽の矢を放ったのである。
 このことは、「蟇目の神事(ひきめのしんじ)」といいます。これ は本当です辞書で調べました。しんじてください。現在でも、各地の神社で行 われる鏑矢(かぶらや)を射て邪を除く神事のことです。または、「蟇目の法(ひきめのほう)」といい、妖魔を降伏させるために、弓に 蟇目の矢をつがえて射る作法のことです。これも本当です、辞書に載っている 言葉です。ほう。蟇目とは射たときに高い音のでる鏑矢(かぶらや)の一種です。

 ところが、その蟇目を少し息(いき)み過ぎて博士山までは届かずに、放っ た白矢は石取山にぶつかりそこで弾んで小中津川の地に突き刺さった。
 されば、この地を「宮原」と名づくべしと宣(のたま)わり気多神社が現在 地に勧請建立され、そして白矢の当たって出来た穴からはこんこんと清水が湧 き出たというのである。
 これらの曰く因縁については説明できる痕跡が、平成の現在でも残っている のである。
 気多神社は伝説によると古社はもっと山中にあったが野火で全焼して現在地 に建立されたという。このことは、由緒写しに明記されている(らしい)ので ある。とすると、この矢の原清水は火除けの清水だったのかも知れない。
 また、石取山の麓ともなる田の口沢の山には、岩が剥き出しになって樹木の 生えていない場所(壁)がある。小中津川の人はこの傾斜の山を岩山ハゲ山と呼んで います。これは、国道400号線からも見える。矢が当たった跡なのだそうだ。 その岩山ハゲ山の奥(田の沢口田の口沢の奥)を、「『矢』の原」というのも、不思議なこと ではありませんか!。

 ところで、「由緒写しに明記されている(らしい)」と書いたが、わたしは 08年7月19日にその御由緒の板(昭和五十四年四月吉日に古文書より写し た旨の断り書きもあり)を実際に見て写真をとってきたのである。全部は読め ないが、それらの個所は読めるのである。つまり、古社と野火(「入山牧場番 人火ヲ失シ」と読めた)のことは、由緒写しに明記されている!のである。

 横道ついでなので、記しておくと、また、その由緒には、気多淵(渕)の地 名についても説明している。「其ノ沢ヲ越エシ時」に神幣を落としたので、そ の地を気多淵と名付けたと同じ御由緒の板にあるのです。

 はい、申し訳ありません。岩山ハゲ山があるという事実と、御由緒の記述以外は、 ご賢察とおり、まったくの作り話でございます。

残りの言葉はあと一つしかありません。
もう少しですので、この勢いで辛抱して読んでください(笑)。


のは しみやらず (野は凍みやらず)

 矢の原清水は、年中同じ水温を保っているので、清水の及ぼす結界の内の野 原は凍みることがなかった。

 こうして、氷結することなく食物を保存できれば、食物は糖度を増すことを経験智として、 蓄積し、雪室のような設備技術が発展してきた。これらの知恵(技術)は、日 本国中各地に広まる。

 奥会津の人々は、こうした知恵を自分だけで囲いみこみをしないのである。その事例は、 染め色カスミ草の技術の伝播経緯でも知られよう。

 そして、平成の現代でも、昭和村ではカスミ草の出荷前の加冷処理に応用した。 流通一時倉庫(テンポラリセンタ)としてもさることながら、これにより鮮度保障装置 としての機能まで持たせるような雪室を利活用し、08年現在の世界状況で説明すれば、 エコであり、自然を感じて共存する(Feel Nature Commune together)ことともなる克雪施設 を作って運営しているのである。

 洞爺湖サミットでは、たった一週間も使わない、消雪冷房施設であった。設 備と送風菅はダンボールで製作したと威張っていたが、その後はどうしたので しょうね。肉饅頭ならぬコロッケの具材とかにだったらなるのかしらん。

 この際だ、どんどん誉めるぞ!

 同じサミットでも、カスミ草サミットを開催した日本国奥会津昭和村では、 雪室も単なる見世物やプレゼンテーションではなく、普段の生活技術としての 文化として継続活用しているのである。

 こうして、日本列島の背骨のような山々に囲まれていても、われわれは日本 列島の分水嶺で暮らしているという誇りと、下流に流れ流れていく水と空気と そしてココロを、大事に大事に下流にも、そして次世代にもつなごうと、ささ やかにしかも毅然として、生活を営んでいるものである。

 ・ ・ ・ ・ ・

 おりしも、08年8月21日、福島県では、「福島県過疎・中山間地域振興 有識者懇談会」という会合が開かれたという。福島民報社と福島民友社に記事 が載っている。
 そこでは、『過疎・中山間地域の首長は「産業振興」を最重視』という福島 民友社のタイトル記事と、『都市住民の参加促進を』という福島民報社のタイ トル記事がある。福島民友社は首長の事前アンケート結果記事。福島民報社は そこから懇談会の議事内容に踏み込んでいる。記事を引用させていただくと、
    過疎・中山間地域が食料や水、エネルギーの供給、森林による災害や地球温暖 化の防止など、都市部の生活を支える機能を有していることを明示し、過疎・ 中山間地域の衰退は地元に限らず都市住民にも深くかかわる問題である
 と、日本全国の問題であることの懇談会が示した論調(コミュニケ)を強調 している。
 このことは、3段以前に、書いたことと表裏一体の事ではないか!

 こうして、日本列島の背骨のような山々に囲まれていても、われわれは日本 列島の分水嶺で暮らしているという誇りと、下流に流れ流れていく水と空気と そしてココロを、大事に大事に下流にも、そして次世代にもつなごうと、ささ やかにしかも毅然として、生活を営んでいるものである。

 野は凍みやらず、、、 野は凍みやらず、、野は凍みやらず

福島県大沼郡昭和村大字小中津川字宮原

奥会津
「矢の原清水」

から

平成20年の現代日本が見えてくる










・・・やのはらしみず・・・




    CM
    奥会津・昭和村
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08/08/22:初版
08/08/23:構成の再構成
08/08/24:蛇口未発見の条を追加
08/10/18:「岩山」呼称訂正。
09/06/09:地名誤記訂正。
(Copyright : Japan Intelligence Network)