おがらほうが
・・・手技の伝承・・・

2008年秋
(9月2日〜10月29日)
秋の企画展
「昭和村の遊び―ゆとりある暮らし―」
からむし工芸博物館

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長寿(たっしゃ)村の手技の伝承
こうやって、こうすると、こうなる。


写真は奥会津昭和村HP及び「記憶の森をあるく」より切取転載


 

    おがらほうが

     「ほうが」が分からない。
     8月26日の工芸博物館たよりに写真が載っているが、「ほうが」はさらり と流している。
     9月5日の一言メッセージでも、「おがらほうが」という遊びの写真です。 だけですませている。

     なんだろうかと考えてみた。
     HPで説明していないということは、「おいでいただいてのお楽しみ!」と いうことであろうか。だとしたら、むやみに平田さんに問い合わせて解説を吹 聴するわけにはいかない(^^;。

     おがらが無いので、竹串で作ってみた。(後述)

     9月10日のカンケさんのブログに、展示写真が掲載されていた。隣に説明 板も写っている。しめしめ、と説明文部分の画像を拡大して読んでみた。
    「作ること自体が遊びです。」とあるが、「ほうが」の由来は説明されていな い。門外不出の口伝なので、工芸博物館では文字では説明しないのだろうか? そんな、、、今となっては名前の由来が不明となってしまったのだろうと思っ たので、仮説を考えてみました。


     「奉加」もしくは「奉賀」であろうか。
    幣(ぬさ)か、御幣(ごへい)、幣串(へいぐし)などをイメージしてみれば、 奉加、奉賀に近づくのではなかろうか。

     おがらが無いので、竹串で作ってみた。

     竹串はしなりそうであるが、折り込みをすると、割れてしまう。
    また、使用した竹串は先端側が細くなっているのと表面は細い縦じまとなって いるので、バランスによっては、棒がはじけ飛んでしまう。あたりどころよっ ては、刺さるので危ない。

     おがらは、乾燥しきった状態では、表面は少し滑りにくくなるが、つるつる になったおがらもあったような記憶がおぼろげにある。
     ただ、折れやすいのである。3、4本まとめても子どもの力でも折れてしま うので、毛利元就の三本の矢の教訓などを気取るわけにもいかない。

     これらのことから、

      材料(棒の形状、曲がり具合)の選別眼が養われる。

      どの程度で折れるかを失敗から経験して、物の扱い方を知る。

      折れても、さほどの突起物は出ないので安全である。

      また、竹やマタタビや葡萄蔓などのように、直接製品化される素材では無 いので、いくら失敗してももったいなくはない。

      折れてしまわない長さを体験で知ることにより、日常生活での度量衡の基 準が出来る。

      これは、定規などを使用しないで、手の感覚だけでほとんど同じ大きさの 工作物(ザル)を作る訓練にもなり、また、物の大きさを表現する時の、 基準にもなる。「おがらほうがっくれいのでっかさだべ」などと言えば、 それで情報交換が出来てしまう。

      幣串(へいぐし)ごっこをすることにより、神々への行事と作法などを、 みようみまねで知らず知らずのうちに学習している。

     という、仮説であります。

     また、子供同士で器用さを競争する場合などは、どれだけ短い「ほうが」を つくれるか、とか、おがらを縦に割って、もっと小さい「ほうが」をつくった りして自慢する。ここまでくれば、ざる編みの技法習得まではすぐそこである。 こどもは得意満面に「おらがほうが、んめべ」などと、言葉遊びまでしてしま うのである。

     ザルやハケゴの底面部は「おがらほうが」の折り込み方(縦棒の挿し込み方) で強度を増している編み方もあったのではないだろうか。

     あと一つは、「おがらほうが」の×型の斜めの棒である。斜めの棒のどちら が手前かが問題となる。
     これが笊(ざる)などの制作物にまで敷衍(ふえん)していれば、「これは 大芦の橡下(くぬぎした)のじぃさまが作った」などということまで、織り込 まれているのではないだろうかと空想すると、昔の人のたくらみと奥会津の奥 深さについついのめりこんでしまいそうでございます。



 

    確かに、「ほうが」という言葉に関しては特に説明しておりませんでした。
    五十嵐様の仰るとおり、「奉賀」だろうか…と推測しましたが、、、、

    展示中の「おがらほうが」は少し大きいという指摘もありました。
    もっと小さく作ってずーっと繋げていった、という遊び方をしたことのある方 もいるようです。

    村の方に「おがらほうが」を作ってもらい、話を聞かせて貰ったとき、「これ は手の技の伝承システムだ」と思いました。
    子供は折れたり、友達の方がきれいにできたりするとくやしいと思うでしょう。 「形は決まっていなかった」ということからも「人とは違うものを作ってやろう」 という独自性と想像力を養う遊びだったのだ、と私は感じました。
    こういう遊びをしてきたから昭和村の人(特に70歳代以上)は手が器用なの だ、と納得しました。





     パチパチパチ、まさにわたしも、「手技の伝承システム」と思いました。
     わたしは、竹串で実際に試行してみて、実感しました。エッヘン(^^;





    竹串では痛そうですね…。





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