人くい木(食人木)

加藤 綾子

 「ゆきささや遠き想いで今あらた」
 人は出逢い・・・そして別れが訪れる之は必然的なものかも知れませんが、然し植物のように葉が落ちそれが栄養になって次の世代に変る絆となって受継がれるのかも知れません。
 私が伊藤浩司先生にお眼にかゝったのは昭和四十七・八年でした。無論本部からの御許可あっての事です。先生が雑布で黒板を拭くとはおどろきでした。私の時代の生活ではとても考へられません。いつも北大正門を入り池のほとりを廻る農学部の正面玄関の真上にある大時計を見上げ遅刻かあと何分かと胸はずませ黒板に今日の教室の場所を見て急ぎ上ったものです。然し前の扉は玄関に机や椅子がうづ高く積り内へは入れません。止むなく又元来た道を帰ります。そんな時正門前を額に鉢巻きをし手にネギや大根などの入った紙袋を三々五々学生らしい男性達が来ます。このような姿を送金する親御さんが見たら何と思うだらうと考へさせられました。
 先生が黒板にスペルを書かれ、それを写してゐる間に講義が終り、講義を先に書き写すとスペルは消されてしまいます。兎に角忙しい毎日でした。そこで得たものは新種をみつけたのは医学者の多い事でした。又植物のもつ色素は生れ乍らにして持ってゐる事でどんな小さなケシ粒のような莟でももうすでに色素が含まれてゐる事を顕微鏡を覗く事で知りました。その色彩が目の前にバッと大きく拡がった時の驚きそうして悦び嬉しさ、それは学び得た者のみの知るところかも知れません。
 最初の句も伊藤先生が教へて下さった植物の名です。私の家の庭には植えないのにいつの間にか種々な花をつけた植物が出て来ます。コンロンソウ、キクサキイチゲ、アマドコロ、オオトガリアミガサタケ(食用、フランス料理で重用)この茸はNHKテレビでも撮りに来ました。手入れをしないので帰化植物なども。御隣はなめるように美しいお庭ですが家はそのまゝでこの茸も牡丹や花桃などの根元に出てゐました。
 然し今のマンション生活に入った途端、突然の大手術を受け不自由な明け暮れの生活となり今は、テレビや新聞で景色を眺める以外は何の慰めも望めません。それでも植物園へは何度か車椅子で出かけました。それは何故かと申しますと植物の緑の空気を吸へるからです。その頃、新聞やテレビは森林浴が身体の健康のために絶対必要と盛んに書きたてられ私は身体の自由がきいたら明日にでもと思った位です。然しそんな毎日の中只一つ心の慰めは時折のテレビで見る自然の中の風景です。私は富士山にも尾瀬にも行けませんでしたが、十勝岳、大雪山、空沼岳は行きました。お花畠、うぐいすの声は一日中高原温泉や湧駒別温泉でもききました。そんな或る日の思い出が先日もテレビに写し出されると一変に気持ちが浮き浮きし楽しくなります。心の慰めと申しませうか、そんな或る日ヒトクイボクと言ふ一寸今迄きいた事もない珍しい名の熱帯植物林の説明が画面一ぱいに入りました。その時の感動は何ものにもたとへられない身内の中をかけ巡り楽しい一刻の感激で一杯でした。根もとよりたがいにより集りそれがねじれ、もつれ乍ら一本の木のように高くのび葉は一枚もなくよじれながら天に向って真すぐに延びやっと頂上に出て太陽の光を浴びたところで一斉に葉を繁らせるわけです。勿論根元には下草は一本もありません。皆様も御らんになった事と存じますが昔、オードリヘップバーンの演じた「緑の館」の中のシーンに出て来る大自然の光景が写し出されたわけです。
 今原始の動植物は地球上でガラパゴス諸島にのみ存在すると言はれ今日に至ってゐますが最近のニュースに山火事が発生しこの島にのみしか見られぬゾウガメ其の他の動植物に被害が及ぼさなければよいがと火災の実写と共にアナウンサーの声が入って来ました。
 画面の実況の場所は赤道直下火山が海から出て出来た無数の島々です。
 昨年、植物園にユリの木の花を見に行きました。丁度本州より一ヶ月おくれて咲き花は木の根元にちらばってゐました。早速家へ帰り水盤に浮かせました処、翌日駄目かと思ってゐたお花が水面一杯に花びらを浮べ丁度水蓮のように開いてその薄みどり色の姿をみせて呉れました。植物園には明治の頃、日本へ二本英国より贈られたその一本だそうで花は見上げる高木の上に咲くのでその姿がチューリップの根元に似てゐるのでチューリップリリーと言うそうで原産はアメリカとか。其の葉の形が日本の半てんに似てゐるのでハンテンの木とも言はれてゐます。
 何ですかとりとめもなくまとまりもないまゝ今日は之にてこの稿を終わらせて頂きます。失礼の点御許るし下さいませ。

ボタニカ11号

北海道植物友の会