更級日記(全文)


  1. あつま路の道のはてよりも、なお奥つ方に生い出でたる人、 いかばかりかはあやしかりけむを、いかに思ひ始めけることにか、 世の中に物語といふ物のあんなるを、いかで見ばやとおもひつつ、 つれづれなる昼間、宵居などに、姉・継母などやうの人々の、 その物語、かの物語、光源氏のあるやうなど、 ところどころ語るを聞くに、いとどゆかしさまされど、 わが思ふままに、そらにいかでかおぼえ語らむ。

    いみじく心もとなきままに、等身に薬師仏をつくりて、 手洗ひなどして、人まにみそかに入りつつ、

    「京にとくあげ給て、物語の多く候ふなる、あるかぎり見せ給へ」
    と、身を捨てて額をつき、祈り申すほどに、十三になる年、 のぼらむとて、九月三日門出して、いまたちといふ所に移る。

  2. 年ごろ遊びなれつる所を、あらはにこぼち散らして、たちさはぎて、 日の入りぎはの、いとすごくきりわたりたるに、車に乗るとて、 うち見やりたれば、人まには参りつつ、額をつきし薬師仏の立ち給へるを、 見捨て奉る悲しくて、人知れずうち泣かれぬ。

  3. 門出したる所は、めぐりなどもなくて、 かりそめの茅屋の、しとみなどもなし。

    簾かけ、幕などひきたり。

    南ははるかに野の方見やらる。

    ひむがし西は海近くて、いとおもしろし。

    夕霧たちわたりて、いみじうをかしければ、 朝寝などもせず、かたがた見つつ、 ここをたちなむこともあはれに悲しきに、 同じ月の十五日、雨かきくらし降るに、境を出でて、 しもつさの国のいかたといふ所に泊りぬ。

    庵なども浮きぬばかりに雨降りなどすれば、恐ろしくていもねられず。

    野中に岡だちたる所に、ただ木ぞ三つたてる。

    その日は雨にぬれたる物どもほし、国にたちおくれたる人々待つとて、 そこに日を暮らしつ。

  4. 十七日のつとめて、たつ。

    昔、しもつさの国に、まののてうといふ人住みけり。

    ひきぬのを千むら、万むら織らせ、さらせけるが家の跡とて、深き河を舟にて渡る。

    昔の門の柱のまだ残りたるとて、大きなる柱、川の中に四つ立てり。

    人々歌よむを聞きて、心のうちに、

    朽ちもせぬこの河柱残らずは
    昔の跡をいかで知らまし

  5. その夜は、くろとのはまといふ所にとまる。

    かたつかたはひろ山なる所の、すなごはるばるとしろきに、松原しげりて、 月いみじうあかきに、風のをともいみ じう心ぼそし。

    人々おかしがりてうたよみなどするに、

     まどろまじこよひならではいつか見む  くろとのはまの秋のよの月

  6. そのつとめて、そこをたちて、しもつさ のくにと、むさしとのさかひにてある ふとゐがはといふがかみのせ、まつさとの わたりのつにとまりて、夜ひとよ、舟 にてかつがつ物などわたす。

    めのとなる 人は、おとこなどもなくなして、さか ひにてこうみたりしかば、はなれて べちにのぼる。

    いとこひしければ、いかま ほしく思に、せうとなる人いだきて ゐていきたり。

    みな人は、かりそめのかり やなどいへど、風すくまじくひきわた しなどしたるに、これはおとこなどもそはねば、 いとてはなちに、あらあらしげにて、とまと いふ物をひとへうちふきたれば、月 のこりなくさしいりたるに、紅のきぬ うへにきて、うちなやみてふしたる、月 かげさやうの人にはこよなくすきて、 いとしろくきよげにて、めづらしと おもひてかきなでつつうちなくをいと あはれに見すてがたくおもへど、いそぎ ゐていかるる心地、いとあかずわりなし。

    おもかげにおぼえてかなしければ、月のけうも おぼえず、くんじふしぬ。

  7. つとめて、舟 に車かきすへてわたして、あなたの きしにくるまひきたてて、をくりに きつる人々これよりみなかへりぬ。

    のぼ るはとまりなどして、いきわかるるほど、 ゆくもとまるも、みななきなどす。

    おさ な心地にもあはれに見ゆ。

  8. 今はむさ しのくにになりぬ。

    ことにおかしき所 も見えず。

    はまもすなごしろくなども なく、こひぢのやうにて、むらさきおふと きく野も、あしおぎのみたかくおいて、 むまにのりてゆみもたるすゑ見えぬま で、たかくおいしげりて、中をわけゆく に、たけしばといふ寺あり。

    はるかに、 ははさうなどいふ所の、らうのあとの いしずゑなどあり。

  9. いかなる所ぞととへば、 「これは、いにしへたけしばといふさか也。

    くにの人のありけるを、火たきやの 火たく衞じにさしたてまつりたり けるに、御前の庭をはくとて、「などや くるしきめを見るらむ、わがくにに 七三つくりすへたるさかつぼに、さ しわたしたるひたえのひさごの みなみ風ふけばきたになびき、 北風ふけば南になびき、にしふけ ば東になびき、東ふけば西になび くを見て、かくてあるよ」と、ひとりごち、つ ぶやきけるを、その時、みかどの御むすめ いみじうかしづかれ給、たゞひとりみ すのきはにたちいで給て、はしらによ りかかりて御覧ずるに、このをのこの かくひとりごつを、いとあはれに、いか なるひさごの、いかになびくならむと、 いみじうゆかしくおぼされければ、 みすををしあげて、「あのをのこ、こち よれ」とめしければ、かしこまりてか うらんのつらにまいりたりければ、 「いひつること、いまひとかへりわれにいひて きかせよ」とおほせられければ、さかつぼ のことを、いまひとかへり申ければ、「我 ゐていきて見せよ。

    さいふやうあり」と おほせられければ、かしこくおそろ しと思けれど、さるべきにやありけむ、 おいたてまつりてくだるに、ろんなく 人をひてくらむと思て、その夜、勢 多のはしのもとに、この宮をすへたて まつりて、せたのはしをひとまばかり こぼちて、それをとびこえて、この宮 をかきおいたてまつりて、七日七夜と いふに、むさしのくににいきつきにけり。

  10. みかど、きさき、みこうせ給ひぬとおぼし まどひ、もとめ給に、武蔵のくにの衞 じのをのこなむ、いとかうばしき物 をくびにひきかけてとぶやうににげ けると申いでて、このをのこたづぬるに なかりけり。

    ろんなくもとのくにに こそゆくらめと、おほやけよりつかひ くだりてをふに、勢たのはしこぼれて、 えゆきやらず、三月といふにむさし のくににいきつきて、このをのこたづぬるに、 このみこおほやけづかひをめして、「我 さるべきにやありけむ、このをのこの 家ゆかしくて、ゐてゆけといひしかば ゐてきたり。

    いみじくここありよく おぼゆ。

    このをのこつみしれうぜら れば、我はいかであれと。

    これもさきの 世にこのくににあとをたるべきすくせ こそありけめ。

    はやかへりておほやけに このよしをそうせよ」とおほせられけ れば、いはむ方なくて、のぼりて、みかど にかくなむありつるとそうしければ、 「いふかひなし。

    そのをのこをつみし ても、いまはこの宮をとりかへし、みや こにかへしたてまつるべきにもあらず。

    たけしばのをのこにいけらむ世の かぎり、武蔵のくにをあづけとら せて、おほやけごともなさせじ、たゞ 宮にそのくにをあづけたてまつらせ 給」よしの宣旨くだりにければ、この家 を内裏のごとくつくりてすませたてまつりける 家を、宮などうせ給にければ、寺に なしたるを、たけしばでらといふ也。

    その宮のうみ給へるこどもは、やがて むさしといふ姓をえてなむありける。

    それよりのち、火たきやに女はゐる 也」と語る。

  11. 野山、あしおぎのなかを わくるよりほかのことなくて、むさしと さがみとの中にゐてあすだ河と いふ。

    在五中将の「いざこととはむ」とよみ けるわたりなり。

    中将のしふには すみだ河とあり。

    舟にてわたりぬれば、 さがみのくにになりぬ。

  12. にしとみといふ 所の山、ゑよくかきたらむ屏風をた てならべたらむやう也。

    かたつかたは 海、はまのさまも、よせかへる浪のけ しきも、いみじうおもしろし。

    もろこ しがはらといふ所も、すなごのいみじ うしろきを二三日ゆく。

    「夏はやま となでしこのこくうすくにしきを ひけるやうになむさきたる。

    これは 秋のすゑなればみえぬ」といふに、猶 ところどころはうちこぼれつつ、あはれげ にさきわたれり。

    もろこしがはらに、 山となでしこもさきけむこそ など、人々おかしがる。

  13. あしがら山と いふは、四五日かねて、おそろしげに くらがりわたれり。

    やうやういりたつ ふもとのほどだに、そらのけしき、はかばか しくも見えず。

    えもいはずしげり わたりて、いとおそろしげなり。

    ふもとにやどりたるに、月もなく くらき夜の、やみにまどふやうなるに あそび三人、いづくよりともなくいで きたり。

    五十許なるひとり、二十許 なる、十四五なるとあり。

    いほのまへに からかさをささせてすへたり。

    をのこ ども、火をともして見れば、むかし、こ はたといひけむがまごといふ。

    かみいと ながく、ひたひいとよくかかりて、いろし ろくきたなげなくて、さてもありぬべき しもづかへなどにてもありぬべし など、人々あはれがるに、こゑすべて にるものなく、そらにすみのぼり てめでたくうたをうたふ。

    人々 いみじうあはれがりて、けぢかくて 人々もてけうずるに、「にしくにのあ そびはえかからじ」などいふをききて、 「なにはわたりにくらぶれば」とめでた くうたひたり。

    見るめのいときたな げなきに、こゑさへにるものなく うたひて、さばかりおそろしげなる 山中にたちてゆくを、人々あかず思 てみななくを、おさなき心地には、ま してこのやどりをたたむことさへあ かずおぼゆ。

  14. まだあかつきよりあし がらをこゆ。

    まいて山のなかのおそろ しげなる事いはむ方なし。

    雲は あしのしたにふまる。

    山のなから許 の、木のしたのわづかなるに、あふひ のたゞみすぢばかりあるを、世はなれて かかる山中にしもおいけむよと、人々 あはれがる。

    水はその山に三所ぞ ながれたる。

  15. からうじて、こえいでて、せき 山にとゞまりぬ。

    これよりは駿河也。

    よこはしりの関のかたはらに、いは つぼといふ所あり。

    えもいはずおほ きなるいしのよほうなる中に、あなの あきたる中よりいづる水の、きよくつ めたきことかぎりなし。

  16. ふじ の山はこのくに也。

    わがおいいでし くににてはにしをもてに見えし山也。

    その山のさま、いと世に見えぬさま なり。

    さまことなる山のすがたの、こむ じゃうをぬりたるやうなるに、ゆき のきゆる世もなくつもりたれば、 いろこききぬに、しろきあこめきた らむやうにも見えて、山のいたゞきの すこしたひらぎたるより、けぶりは たちのぼる。

    ゆふぐれは火のもえ立 も見ゆ。

  17. きよみがせきは、かたつかたは 海なるに、関屋どもあまたありて、 うみまでくぎぬきしたり。

    けぶり あふにやあらむ、きよみがせきの浪も たかくなりぬべし。

    おもしろきこと かぎりなし。

    たごの浦は浪たかくて、 舟にてこぎめぐる。

    おほゐがはと いふわたりあり。

    水の、世のつねならず、 すりこなどを、こくてながしたらむ やうに、しろき水、はやくながれたり。

  18. ふじ河といふはふじの山より おちたる水也。

    そのくにの人のいでて かたるやう、「ひととせごろ物にまかり たりしに、いとあつかりしかば、この 水のつらにやすみつつ見れば、河上 の方よりきなる物ながれきて、物に つきてとゞまりたるを見れば、ほぐ なり。

    とりあげて見れば、きなるかみ に、にして、こくうるわしくかかれたり。

    あやしくて見れば、らいねんなるべき くにどもを、ぢもくのごとみなかきて、 このくにらいねんあくべきにも、かみ なして、又そへて二人をなしたり。

    あやし、あさましと思て、とりあげて、 ほして、おさめたりしを、かへる年の つかさめしに、このふみにかかれ たりし、ひとつたがはず、このくにのかみ とありしままなるを、三月のうちに なくなりて、又なりかはりたるも、こ のかたはらにかきつけたれたりし 人なり。

    かかる事なむありし。

    らいねんのつかさめしなどは、ことし この山に、そこばくの神々あつまりて、 ない給なりけりと見給へし。

    めづらかな る事にさぶらふ」とかたる。

  19. ぬまじりと いふ所もすがすがとすぎて、いみじく わづらひいでて、とうたうみにかかる。

    さやのなか山などこえけむほども おぼえず。

    いみじくくるしければ、天 ちうといふ河のつらに、かりやつくり まうけたりければ、そこにて日ごろ すぐるほどにぞ、やうやうをこたる。

    冬ふかくなりたれば、河風けはし くふきあげつつ、たえがたくおぼ えけり。

    そのわたりしてはまなの はしについたり。

    はまなのはし くだりし時はくろ木をわたし たりし、このたびは、あとだに見えね ば、舟にてわたる。

    いり江にわたりし はし也。

    とのうみはいといみじくあしく 浪たかくて、いり江のいたづらなるす どもにこと物もなく、松原のしげれる なかより、浪のよせかへるも、いろいろの たまのやうに見え、まことに松のす ゑよりなみはこゆるやうに見えて、 いみじくおもしろし。

  20. それよりかみ は、ゐのはなといふさかの、えもいはず わびしきをのぼりぬれば、みかはのく にのたかしのはまといふ。

    やつはし は名のみして、はしの方もなく、なにの 見所もなし。

    ふたむらの山の中にとま りたる夜、おほきなるかきの木の したにいほをつくりたれば、夜ひ とよ、いほのうへにかきのおちかかりたる を、人々ひろひなどす。

    宮ぢの山とい ふ所こゆるほど、十月つごもりなるに、 紅葉ちらでさかりなり。

     あらしこそふきこざりけれみやぢ山  まだもみぢばのちらでのこれる 参河と尾張となるしかすがのわたり、 げに思わづらひぬべくおかし。

  21. おはり のくに、なるみのうらをすぐるに、ゆふ しほたゞみちにみちて、こよひやど らむも、ちうげんにしほみちきなば、 ここをもすぎじと、あるかぎりはしり まどひすぎぬ。

  22. みののくにになるさかひ に、すのまたといふわたりしてのがみ といふ所につきぬ。

    そこにあそびど もいできて、夜ひとよ、うたうたふにも、 あしがらなりし思いでられて、あはれに こひしきことかぎりなし。

    雪ふり あれまどふに、もののけうもなくて、 ふわのせき、あつみの山などこえて、 近江国、おきながといふ人の家にや どりて、四五日あり。

  23. みつさかの山の ふもとに、よるひる、しぐれ、あられ ふりみだれて、日のひかりもさやか ならず、いみじう物むつかし。

    そこを たちて、いぬがみ、かむざき、やす、くるもと などいふ所々、なにとなくすぎぬ。

    水うみのおもてはるばるとして、なで しま、ちくぶしまなどいふ所の見え たる、いとおもしろし。

    勢多のはし みなくづれて、わたりわづらふ。

  24. あはづ にとゞまりて、しはすの二日京にいる。

    くらくいきつくべくと、さるの時許 にたちてゆけば、関ちかくなりて、 山づらにかりそめなるきりかけと いふ物したるかみより丈六の仏の いまだあらづくりにおはするが、 かほばかり見やられたり。

    あはれに、人 はなれて、いづこともなくておはする ほとけかなと、うち見やりてすぎぬ。

    ここらの国々をすぎぬるに、するが のきよみが関と、相坂の関とばかりは なかりけり。

    いとくらくなりて、三条 の宮[一品宮脩子内親王]のにしなる所につきぬ。

  25. ひろびろ とあれたる所の、すぎきつる山々にも おとらず、おほきにおそろしげ なるみやま木どものやうにて、 みやこの内とも見えぬ所のさまなり。

    ありもつかず、いみじうものさはが しけれども、いつしかと思し事なれば、 「ものがたりもとめて見せよ、見せよ」とはは をせむれば、三条の宮に、しぞくなる人の衛門の命婦とてさぶらひ けるたづねて、ふみやりたれば、めづ らしがりて、よろこびて、御前のをお ろしたるとて、わざとめでたきさう しども、すゞりのはこのふたにいれて をこせたり。

    うれしくいみじくて、よる ひるこれを見るよりうちはじめ、 又々も見まほしきに、ありもつかぬ みやこのほとりに、たれかは物がたり もとめ見する人のあらむ。

  26. ままははなりし人は、宮づかへせしがくだり しなれば、思しにあらぬことどもなど ありて、世中うらめしげにて、ほかに わたるとて、いつつばかりなるちご どもなどして、「あはれなりつる心のほど なむ、わすれむ世あるまじき」など いひて、梅の木の、つまちかくて、いと おほきなるを、「これが花のさかむおり はこむよ」といひをきてわたりぬるを、 心の内にこひしくあはれ也と思つつ、 しのびねをのみなきて、その年もかへりぬ。

    いつしか梅さかなむ、こむとあ りしを、さやあると、めをかけてまち わたるに、花もみなさきぬれど、をとも せず、思わびて、花をおりてやる。

     たのめしを猶やまつべき霜  がれし梅をも春はわすれざりけり といひやりたれば、あはれなることども かきて、  猶たのめ梅のたちえはちぎりをかぬ  おもひのほかの人もとふなり

  27. その春、世中いみじうさはがしう て、まつさとのわたりの月かげあはれに見し めのとも、三月ついたちになくなり ぬ。

    せむ方なく思なげくに、物がたりの ゆかしさもおぼえずなりぬ。

    いみ じくなきくらして見いだしたれば、 ゆふ日のいとはなやかにさしたるに、 さくらの花のこりなくちりみだる。

     ちる花も又こむ春も見もやせむ  やがてわかれし人ぞこひしき

  28. 又きけば、侍従の大納言のみむすめ なくなり給ひぬなり。

    殿の中将のおぼ しなげくなるさま、わがもののかなしき おりなれば、いみじくあはれなりと きく。

    のぼりつきたりし時、「これ手 本にせよ」とて、このひめぎみの御てを とらせたりしを、「さ夜ふけてねざ めざりせば」などかきて、「とりべ山 たににけぶりのもえたたばはか なく見えしわれとしらなむ」と、 いひしらずおかしげに、めでたく かき給へるを見て、いとゞなみだをそへ まさる。

  29. かくのみ思くんじたるを、心も なぐさめむと、心ぐるしがりて、はは、物 がたりなどもとめて見せ給に、げに をのづからなぐさみゆく。

    むらさき のゆかりを見て、つゞきの見まほ しくおぼゆれど、人かたらひなども えせず。

    たれもいまだみやこなれぬ ほどにて、え見つけず。

    いみじく心も となく、ゆかしくおぼゆるままに、「この 源氏の物がたり、一のまきよりして みな見せ給へ」と心の内にいのる。

    おやの うづまさにこもり給へるにも、こと事 なく、この事を申て、いでむままに この物がたり見はてむとおもへど、見え ず。

    いとくちおしく思なげかるるに、 をばなる人のゐ中よりのぼりたる 所にわたいたれば、「いとうつくしう、 おいなりにけり」など、あはれがり、 めづらしがりて、かへるに、「なにをかたて まつらむ、まめまめしき物は、まさなか りなむ、ゆかしくし給なるものをた てまつらむ」とて、源氏の五十餘巻、ひつ にいりながら、ざい中将、とをぎみ、 せり河、しらら、あさうづなどいふ物 がたりども、ひとふくろとりいれて、えて かへる心地のうれしさぞいみじきや。

  30. はしるはしる、わづかに見つつ、心もえず 心もとなく思源氏を、一の巻よりして、 人もまじらず、木ちゃうの内にう ちふしてひきいでつつ見る心地、き さきのくらひもなににかはせむ。

    ひるは ひぐらし、よるはめのさめたるかぎ り、火をちかくともして、これを見る よりほかの事なければ、をのづから などは、そらにおぼえうかぶを、いみ じきことに思に、夢にいときよげ なるそうの、きなる地のけさきたるが きて、「法華経五巻をとくならへ」と いふと見れど、人にもかたらず、なら はむとも思かけず、物がたりの事をのみ 心にしめて、われはこのごろわろき ぞかし、さかりにならば、かたちもかぎり なくよく、かみもいみじくながくな りなむ。

    ひかるの源氏のゆふがほ、 宇治の大将のうき舟の女ぎみのや うにこそあらめと思ける心、まづいと はかなくあさまし。

  31. 五月ついたちごろ、 つまちかき花たちばなの、いとしろく ちりたるをながめて、  時ならずふる雪かとぞながめまし  花橘のかほらざりせば あしがらといひし山のふもとに、 くらがりわたりたりし木のやうに、 しげれる所なれば、十月許の紅葉、 よもの山辺よりもけに、いみじく おもしろく、にしきをひけるやう なるに、ほかよりきたる人の、「今、まいり つるみちにもみぢのいとおもしろき 所のありつる」といふに、ふと、  いづこにもおとらじ物をわがやどの  世を秋はつるけしき許は

  32. 物がたりの事を、ひるはひぐらし思 つゞけ、よるはめのさめたるかぎりは、 これをのみ心にかけたるに、夢に見ゆ るやう、「このごろ皇太后宮の一品の宮の 御れうに、六角堂にやり水をなむ つくるといふ人あるを、「そはいかに」と とへば、「あまてる御神をねむじませ」と いふ」と見て、人にもかたらず、なに ともおもはでやみぬる、いといふかひ なし。

    春ごとに、この一品宮をなが めやりつつ、  さくとまちちりぬとなげく春はたゞ  わがやどがほに花を見るかな

  33. 三月つごもりがた、つちいみに人の もとにわたりたるに、さくらさかりに おもしろく、いままでちらぬもあり。

    かへりて又の日、  あかざりしやどの桜を春くれて  ちりがたにしもひとめ見し哉 といひにやる。

  34. 花のさきちるおりごとに、 めのとなくなりしおりぞかしと のみあはれなるに、おなじおりな くなり給し侍従大納言の御むすめ の手を見つつ、すゞろにあはれなるに、 五月許、夜ふくるまで、物がたりをよ みておきゐたれば、きつらむ方も見 えぬに、ねこのいとなごうないたるを、 おどろきて見れば、いみじうおかし げなるねこあり。

    いづくよりきつる ねこぞと見るに、あねなる人、「あな かま、人にきかすな。

    いとおかしげなる ねこなり。

    かはむ」とあるに、いみじう ひとなれつつ、かたはらにうちふした り。

    たづぬる人やあると、これをかく してかふに、すべて下すのあたりにも よらず、つとまへにのみありて、物もき たなげなるは、ほかざまにかほを むけてくはず。

  35. あねおととの中につと まとはれて、おかしがりらうたがる ほどに、あねのなやむことあるに、もの さはがしくて、このねこをきたおもて にのみあらせてよばねば、かしがまし くなきののしれども、なをさるものにて こそはと思てあるに、わづらふあね おどろきて、「いづら、ねこは。

    こちいてこ」と あるを、「など」ととへば、「夢にこのねこ のかたはらにきて、「をのれは、じしうの 大納言殿の御むすめのかくなりたる なり。

    さるべきえんのいささかありて、 この中のきみのすずろにあはれと 思いで給へば、ただしばしここにある を、このごろ下すのなかにありて、いみ じうわびしきこと」といひて、いみじう なくさまは、あてにおかしげなる ひとと見えて、うちおどろきたれば、 このねこのこゑにてありつるが、いみじく あはれなる也」とかたり給をきくに、 いみじくあはれ也。

    そののちは、このねこ を北をもてにもいださず、思かしづく。

    たゞひとりゐたる所に、このねこがむか ひゐたれば、かいなでつつ、「侍従大納言の ひめぎみのおはするな。

    大納言殿にし らせたてまつらばや」といひかくれば、かほ をうちまもりつつ、なごうなくも、心の なし、めのうちつけに、れいのねこ にはあらず、ききしりがほにあはれ也。

  36. 世中に長恨歌といふふみを、物がたり にかきてある所あんなりときくに、 いみじくゆかしけれど、えいひよらぬに、 さるべきたよりをたづねて、七月七日 いひやる。

     ちぎりけむ昔のけふのゆかしさに  あまの河なみうちいでつるかな 返し、  たちいづるあまの河邊のゆかしさに  つねはゆゆしきこともわすれぬ

  37. その十三日の夜、月いみじくくまなく あかきに、みな人もねたる夜中許に、 えんにいでゐて、あねなる人、そらを つくづくとながめて、「たゞいまゆくゑな くとびうせなばいかゞ思べき」ととふに、 なまおそろしとおもへるけしきを 見て、こと事にいひなしてわらひなど してきけば、かたはらなる所に、さき をふくるまとまりて、「おぎのはおぎのは」と よばすれど、こたへざなり。

    よびわづら ひて、ふえをいとおかしくふきすま して、すぎぬなり。

     ふえのねのたゞ秋風ときこゆるに  などおぎのはのそよとこたへぬ といひたれば、げにとて、  おぎのはのこたふるまでのふきよらで  たゞにすぎにるふえのねぞうき かやうにあくるまでながめあかいて、 夜あけてぞみな人ねぬる。

  38. そのかへる年、四月の夜中ばかりに火のことありて、 大納言殿のひめぎみと思かしづきし ねこもやけぬ。

    「大納言殿のひめぎみ」と よびしかば、ききしりがほになきて あゆみきなどせしかば、ててなりし 人も、「めづらかにあはれなる事也。

    大納言に申さむ」などありしほどに、 いみじうあはれに、くちおしくおぼゆ。

  39. ひろびろとものふかきみ山のやうには ありながら、花紅葉のおりは、よもの 山辺もなにならぬを見ならひた るに、たとしへなくせばき所の、庭の ほどもなく、木などもなきに、いと心 うきに、むかひなる所に、むめ、こうばい などさきみだれて、風につけて、かかえ 萬壽元年歟 くるにつけても、すみなれしふるさと かぎりなく思いでらる。

     にほひくるとなりの風を身にしめて  ありしのきばのむめぞこひしき

  40. その五月のついたちに、あねなる人、こ うみてなくなりぬ。

    よそのことだに、おさ なくよりいみじくあはれと思わたるに、 ましていはむ方なく、あはれかなしと おもひなげかる。

    ははなどはみななく なりたる方にあるに、かたみにとまりた るおさなき人々を左右にふせたる に、あれたるいたやのひまより月のも りきて、ちごのかほにあたりたるが、 いとゆゆしくおぼゆれば、そでをうち おほひて、いまひとりをもかきよせて、 思ぞいみじきや。

  41. そのほどすぎて、し ぞくなる人の許より、「むかしの人の かならずもとめてをこせよとありしかば、 もとめしに、そのおりはえ見いで ずなりにしを、いましも人のをこせたる が、あはれにかなしきこと」とて、かばね たづぬる宮といふ物がたりおこせたり。

    まことにぞあはれなるや。

    返ごとに、  うづもれぬかばねをなににたづねけむ  こけのしたには身こそなりけれ

  42. めのとなりし人、「いまはなににつけ てか」など、なくなくもとありける所にかへり わたるに、  「ふるさとにかくこそ人はかへりけれ  あはれいかなるわかれなりけむ むかしのかたみには、いかでとなむ思」 などかきて、「すずりの水こほれば、み なとぢられてとゞめつ」といひたるに、  かきながすあとはつららにとぢてけり  なにをわすれぬかたみとか見む といひやりたる返ごとに、  なぐさむる方もなぎさのはまちどり  なにかうき世にあともとゞめむ このめのと、はか所見て、なくなくかへりたりし、  のぼりけむのべは煙もなかりけむ  いづこをはかとたづねてか見し これをききてままははなりし人、  そこはかとしりてゆかねどさきにたつ  なみだぞみちのしるべなりける かばねたづぬる宮をこせたりし人、  すみなれぬのべのささはらあとはかも  なくなくいかにたづねわびけむ ?? これを見て、せうとは、その夜をくり にいきたりしかば、  見しままにもえし煙はつきにしを  いかがたづねし野べのささはら 雪の日をへてふるころ、よしの山に すむあまぎみを思やる。

     ゆきふれてまれの人めもたえぬらむ  よしのの山のみねのかけみち 萬壽元年?二年歟 かへるとし、む月のつかさめしに、おやの よろこびすべきことありしに、かひなき つとめて、おなじ心におもふべき人の もとより、「さりともと思つつ、あくるをま ちつる心もとなさ」といひて、  あくるまつかねのこゑにもゆめさめて  秋のもも夜の心地せしかな といひたる返ごとに、  あか月をなににまちけむ思事  なるともきかぬかねのをとゆへ 四月つごもりがた、さるべきゆへありて、 東山なるところへうつろふ。

    みちのほど、 田の、なはしろ水まかせたるも、うへたるも、 なにとなくあおみ、おかしう見えわた りたる。

    山のかげくらう、まへちかう見 えて、心ぼそくあはれなるゆふぐれ、 くひないみじくなく。

     たたくともたれかくひなのくれぬるに  山ぢをふかくたづねてはこむ 霊山ちかき所なれば、まうでておがみ たてまつるに、いとくるしければ、山で らなるいし井によりて、手にむすびつつ のみて、「この水のあかずおぼゆるかな」と いふ人のあるに、  おく山のいしまの水をむすびあげて  あかぬものとはいまのみやしる といひたれば、水のむ人、  山の井のしづくににごる水よりも  こは猶あかぬ心地こそすれ かへりて、ゆふ日けざやかにさしたるに、 宮この方ものこりなく見やらるるに、 このしづくににごる人は、京にかへる とて、心くるしげに思て、またつとめて、  山のはにいり日のかげはいりはてて  心ぼそくぞながめやられし 念佛するそうのあか月にぬかづく をとのたうとくきこゆれば、とををし あけたれば、ほのぼのとあけゆく山ぎわ、 こぐらきこずゑどもきりわたりて、花 もみぢのさかりよりも、なにとなく、しげり わたれるそらのけしき、くもらはし くおかしきに、ほととぎすさへ、いとち かきこずゑにあまたたびないたり。

     たれにみせたれにきかせむ山ざとの  このあかつきもおちかへるねも このつごもりの日、たにの方なる木のう へに、ほととぎす、かしがましくないたり。

     みやこにはまつらむ物を郭公  けふ日ねもすになきくらすかな などのみ、ながめつつ、もろともにある人、 「たゞいま京にもききたらむ人あら むや。

    かくてながむらむと思をこする 人あらむや」などいひて、  山ふかくたれか思はをこすべき  月見る人はおほからめども といへば、  ふかき夜に月見るおりはしらねども  まづ山ざとぞ思やらるる あか月になりやしぬらむと思ほどに、 山の方より人あまたくるをとす。

    おどろきて 見やりたれば、しかのえんのもとまで きて、うちないたる、ちかうてはなつか しからぬもののこゑなり。

     秋の夜のつまこひかぬるしかのねは  とを山にこそきくべかりけれ しりたる人のちかきほどにきてかへりぬ ときくに、  まだひとめしらぬ山辺の松風も  をとしてかへるものとこそきけ 八月になりて、廿よ日のあかつきがたの月、 いみじくあはれに山の方はこぐらく、 たきのをともにる物なくのみながめ られて、  思しる人に見せばや山ざとの  秋のよふかきありあけの月 亰にかへりいづるに、わたりし時は 水ばかり見えし田どもも、みなかり はててけり。

     なはしろの水かげ許見えし田の  かりはつるまでながゐしにけり 十月つごもりがたに、あからさまにきて 見れば、こぐらうしげれりしこのはど ものこりなくちりみだれて、いみじく あはれげに見えわたりて、心ちよげに ささらぎながれし水もこのはにうづ もれて、あとばかり見ゆ。

     水さへぞすみたえにけるこのはちる  あらしの山の心ぼそさに そこなる尼に、「春までいのちあらば かならずこむ。

    花ざかりはまづつげよ」 などいひてかへりにしを、年かへりて 三月十餘日になるまでをともせねば、  ちぎりをきし花のさかりをつげぬ哉  春やまだこぬ花やにほはぬ たびなる所にきて、月のころ、竹の もとちかくて、風のをとにめのみさめ て、うちとけてねられぬころ、  竹の葉のそよぐ夜ごとにねざめして  なにともなきに物ぞかなしき 秋ごろ、そこをたちて、ほかへうつろひ て、そのあるじに、  いづことも露のあはれはわはれじを  あさぢがはらの秋ぞこひしき ままははなりし人、くだりしくにの 名を宮にもいはるるに、こと人かよは してのちも、猶その名をいはるときき て、おやのいまはあいなきよし、いひ やらむとあるに、  あさくらやいまは雲井にきく物を  猶木のまろがなのりをやする かやうに、そこはかなきことを思つゞく くるをやくにて、物まうでをわづかにし ても、はかばかしく、人のやうならむとも ねむぜられず、このころの世の人は 十七八よりこそ経よみ、をこなひも すれ、さること思かけられず。

    からうじ て思よることは、いみじくやむごとなく、 かたちありさま、物がたりにあるひかる 源氏などのやうにおはせむ人を、 年にひとたびにてもかよはしたて まつりて、うき舟の女君のやうに、山ざとに かくしすへられて、花、紅葉、月、雪を ながめて、いと心ぼそげにて、めでたか らむ御ふみなどを、時々まち見など こそせめとばかり思つゞけ、あらまし 事にもおぼえけり。

    おや  なり なば、いみじうやむごとなくわが身も なりなむなど、たゞゆくゑなき事を うち思すぐすに、おや、からうじて、はる かにとをきあづまになりて、「年ごろは、 ?? いつしか思やうにちかき所になりたらば、 まづむねあく許かしづきたてて、ゐて くだりて、海山のけしきも見せ、それ をばさる物にて、わが身よりもたかう もてなしかしづきて見むとこそ おもひつれ、我も人もすくせのつた なかりければ、ありありてかくはるかな るくにになりにたり。

    おさなかりし 時、あづまのくににゐてくだりてだに、 心地もいささかあしければ、これをや、 このくにに見すてて、まどはむとすらむと 思ふ。

    人のくにのおそろしきにつけ ても、わが身ひとつならば、やすらかな らましを、ところせうひきぐして、 いはまほしきこともえいはず、せまほ しきこともえせずなどあるが、わび しうもあるかなと心をくだきしに、 いまはまいておとなになりにたるを、 ゐてくだりて、わがいのちもしらず、亰 のうちにてさすらへむはれいのこと、 あづまのくに、ゐなかびとになりて まどはむ、いみじかるべし。

    亰とても、 たのもしうむかへとりてむと思ふるい、 しぞくもなし。

    さりとて、わづかになり たるくにをじじ申すべきにもあら ねば、亰にとゞめて、ながきわかれにて やみぬべき也。

    京にも、さるべきさまに もてなしてとゞめむとは思よる事にも あらず」と、よるひるなげかるるをきく 心地、花もみぢのおもひもみなわす れてかなしく、いみじく思なげかるれど、 いかゞはせむ。

    七月十三日にくだる。

    五日かねては見むも中々なべければ、 内にもいらず。

    まいてその日はたち さはぎて、時なりぬれば、いまはとて すだれをひきあげて、うち見あはせ てなみだをほろほろとおとして、や がていでぬるを見をくる心地、めもくれ まどひて、やがてふされぬるに、とま るをのこのをくりしてかへるに、ふと ころがみに、  おもふ事心にかなふ身なりせば  秋のわかれをふかくしらまし とばかりかかれたるをも、え見やられず、 事よろしき時こそこしおれかゝり たる事も思つゞけけれ、ともかくも いふべき方もおぼえぬまゝに、  かけてこそおもはざりしかこの世にて  しばしもきみにわかるべしとは とやかかれにけむ。

    いとゞ人めも見えず、 さびしく心ぼそくうちながめつゝ、いづこばかりと、 あけくれ思やる。

    道のほどもしりに しかば、はるかにこひしく心ぼそき ことかぎりなし。

    あくるよりくるゝまで、 東の山ぎはをながめてすぐす。

    八月許にうづまさにこもるに、一条 よりまうづる道に、おとこぐるまふた つばかりひきたてて、物へゆくに、もろ ともにくべき人まつなるべし。

    すぎ てゆくに、ずいじんだつものをゝこせて、  花見にゆくときみを見るかな といはせたれば、かゝるほどの事はいら へぬもびんなしなどあれば、  千ぐさなる心ならひに秋のゝの とばかりいはせていきすぎぬ。

    七日さ ぶらふほども、たゞあづまぢのみ思ひ やられてよしなし。

    「こと、からうじては なれて、たひらかにあひ見せ給へ」と 申すは、仏もあはれとききいれさせ 給けむかし。

    冬になりて、ひぐらし あめふりくらいたる夜、くもかへる風 はげしううちふきて、そらはれて 月いみじうあかうなりて、のきちか きおぎのいみじく風にふかれて、 くだけまどふが、いとあはれにて、  秋をいかに思いづらむ冬ふかみ  あらしにまどふおぎのかれはは あづまより人きたり。

    「神拜といふ わざしてくにの内ありきしに、水 おかしくながれたる野の、はるばるとある に、木むらのある、おかしき所かな、 見せでと、まづ思いでて、こゝはいづことか いふとゝへば、こしのびのもりとなむ申 すとこたへたりしが、身によそへら れて、いみじくかなしかりしかば、むま よりおりて、そこにふた時なむな がめられし。

     とゞめをきてわがごと物や思ひけむ  見るにかなしきこしのびのもり となむおぼえし」とあるを、見る心地、 いへばさらなり。

    返ごとに、  こしのびをきくにつけてもとゞめをきし  ちゝぶの山のつらきあづまぢ かうて、つれづれとながむるに、などか物ま うでもせざりけむ。

    はゝいみじかり しこだいの人にて、はつせには、あな おそろし、ならざかにて人にとら れなばいかゞせむ。

    いし山、せき山こ えていとおそろし。

    くらまはさる 山、ゐていでむ、いとおそろしや。

    おや のぼりて、ともかくもと、さしはなち たる人のやうに、わづらはしがりて、 わづかに清水にゐてこもりたり。

    そ れにも、れいのくせは、まことしかべい事 も思ひ申されず。

    ひがんのほどにて、 いみじうさはがしうおそろしき までおぼえて、うちまどろみいりたるに、 み帳の方のいぬふせぎの内に、あおき をりものの衣をきて、にしきをかし らにもかづき、あしにもはいたるそう の、別当とおぼしきがよりきて、「ゆく さきのあはれならむもしらず、 さもよしなし事をのみ」と、うちむづ かりて、み帳の内にいりぬと見ても、うち おどろきても、かくなむ見えつるとも かたらず、心にも思とゞめでまかでぬ。

    はゝ一尺の鏡をいさせて、えゐて まいらぬかはりにとて、そうをいだ したててはつせにまうでさすめり。

    「三日さぶらひて、この人のあべからむ さま、夢に見せ給へ」などいひて、ま うでさするなめり。

    そのほどは精 進せさす。

    このそうかへりて、「夢をだ に見でまかでなむがほいなきこと、いかゞ かへりても申すべきと、いみじうぬかづき をこなひてねたりしかば、御帳の方 より、いみじうけだかうきよげに おはする女の、うるわしくさうぞき 給へるが、たてまつりしかゞみをひき さげて、「このかゞみには、ふみやそひ たりし」ととひ給へば、かしこまりて、「ふ みもさぶらはざりき。

    このかゞみをなむ たつまつれと侍し」とこたへたてまつれば、 「あやしかりける事かな、ふみそふべ きものを」とて、「このかゞみを、こなたに うつれるかげを見よ、これ見ればあは れにかなしきぞ」とて、さめざめとなき 給を見れば、ふしまろびなき なげきたるかげうつれり。

    「このかげを 見れば、いみじうかなしな。

    これ見よ」と て、いまかたつかたにうつれるかげを見 せたまへば、みすどもあおやかに、木長 をしいでたるしたより、いろいろのきぬ こぼれいで、梅さくらさきたるにうぐ ひすこづたひなきたるを見せて、「こ れを見るはうれしな」と、の給となむ 見えし」とかたるなり。

    いかに見えけるぞ とだに、みゝもとゞめず。

    物はかなき 心にも、「つねにあまてる御神をねむ じ申せ」といふ人あり、いづこにおは します、神仏にかはなど、さはいへど、 やうやう思ひわかれて、人にとへば、「神に おはします。

    伊勢におはします。

    紀 伊のくにに、きのこくざうと申すは、この 御神也。

    さては内侍所に、すべら神 となむおはします」といふ。

    「伊勢の くにまでは思かくべきにもあらざ なり。

    内侍所にも、いかでかはまいり おがみたてまつらむ。

    空のひかりを ねむじ申すべきにこそは」など、うき ておぼゆ。

    しぞくなる人、あまにな りて、すがく院にいりぬるに、冬ごろ、  なみださへふりはへつゝぞ思やる  あらしふくらむ冬の山ざと 返し、  わけてとふ心のほどの見ゆるかな  こかげをぐらき夏のしげりを あづまにくだりしおや、からうじて のぼりて、西山なる所におちつきたれ ば、そこにみな渡て見るに、いみじ うゝれしきに、月のあかき夜ひと よものがたりなどして、  かゝる世もありける物をかぎりとて  きみにわかれし秋はいかにぞ といひたれば、いみじくなきて、  思事かなはずなぞといとひこし  いのちのほどもいまぞうれしき これぞわかれのかどでといひしらせ しほどのかなしさよりは、たいらか にまちつけたるうれしさもかぎり なけれど、「人のうへにても見しに、 おいおとろへて世にいでまじらひしは、 おこがましく見えしかば、我はかくて とぢこもりぬべきぞ」とのみ、のこりな げに世を思ひいふめるに、心ぼそさた えず。

    東は野のはるばるとあるに、ひむ がしの山ぎはは、ひえの山よりして、い なりなどいふ山まであらはに見え わたり、南はならびのをかの松風、 いとみゝちかう心ぼそくきこえて、 内にはいたゞきのもとまで、田とい ふものの、ひたひきならすをとなど、ゐ中の心ちして、 いとおかしきに、月のあかき夜などは、 いとおもしろきを、ながめあかし くらすに、しりたりし人、さととをく なりてをともせず。

    たよりにつけて、 「なにごとかあらむ」とつたふる人に おどろきて、  思いでて人こそとはね山ざとの  まがきのおぎに秋風はふく といひにやる。

    十月になりて亰にう つろふ。

    はゝ、あまになりて、おなじ 家の内なれど、かたことにすみなれて あり。

    てゝはたゞ我をおとなにしすへ て、我は世にもいでまじらはず、かげ にかくれたらむやうにてゐたるを見 るも、たのもしげなく心ぼそくお ぼゆるに、きこしめすゆかりある ?? 所に、「なにとなくつれづれに心ぼそく てあらむよりは」とめすを、こだいのおや は、宮づかへ人はいとうき事也と思て、 すぐさするを、「今の世の人は、さのみ こそはいでたて。

    さてもをのづから よきためしもあり。

    さても心見よ」と いふ人々ありて、しぶしぶにいだし たてらる。

    まづ一夜まいる。

    きくの こくうすき八ばかりに、こきかいねり をうへにきたり。

    さこそ物がたりに のみ心をいれて、それを見るよりほか にゆきかよふるい、しぞくなどだに ことになく、こだいのおやどものかげ ばかりにて、月をも花をも見るより ほかの事はなきならひに、たちいづる ほどの心地、あれかにもあらず、うつゝとも おぼえで、あかつきにはまかでぬ。

    さと びたる心地には、中々、さだまりたらむ さとずみよりは、おかしき事をも見 きゝて、心もなぐさみやせむと思おりおり ありしを、いとはしたなくかなし かるべきことにこそあべかめれとおも へど、いかゞせむ。

    しはすになりて 又まいる。

    つぼねしてこのたびは日 ごろさぶらふ。

    うへには時々、よるよる ものぼりて、しらぬ人の中にうち ふして、つゆまどろまれず。

    はづかしう ものゝつゝましきまゝに、しのびて うちなかれつゝ、あかつきには夜ふ かくおりて、ひぐらし、てゝのおいおと ろへて、我をことしもたのもしからむ かげのやうに思たのみ、むかひゐたる に、こひしくおぼつかなくのみおぼゆ。

    はゝなくなりにしめひどもも、むまれ しよりひとつにて、よるはひだりみぎに ふしおきするも、あはれに思いでられ などして、心もそらにながめくらさる。

    たちぎき、かいまむ人のけはひし て、いといみじくものつゝまし。

    十日 ばかりありてまかでたれば、てゝはゝ、 すびつに火などをこしてまちゐたり けり。

    くるまよりおりたるをうち 見て、「おはする時こそ人めも見え、さぶらひなども ありけれ、この日ごろは人ごゑもせず、 まへに人かげも見えず、いと心ぼそく わびしかりつる。

    かうてのみも、まろが身 をば、いかゞせむとかする」とうちなくを 見るもいとかなし。

    つとめても、「けふ はかくておはすれば、うちと人お ほく、こよなくにぎわゝしくもなり たるかな」とうちいひてむかひたるも、 いとあはれに、なにのにほひある にかとなみだぐましうきこゆ。

    ひじりなどすら、さきの世のことゆめ に見るは、いとかたかなるを、いとかう、 あとはかないやうに、はかばかしからぬ心地 に、ゆめに見るやう、きよ水のらい 堂にゐたれば、別当とおぼしき人 いできて、「そこはさきの生に、このみ てらのそうにてなむありし。

    仏師に て、ほとけをいとおほくつくりたて まつりしくどくによりて、ありしす ざうまさりて、人とむまれたるなり。

    このみだうの東におはする丈六の 仏は、そこのつくりたりし也。

    はくを をしさしてなくなりにしぞ」と。

    「あ ないみじ。

    さは、あれにはくおした てまつらむ」といへば、「なくなりにしかば、 こと人はくをしたてまつりて、こと人 くやうもしてし」と見てのち、きよ水に ねむごろにまいりつかうまつらまし かば、さきの世にそのみてらに仏ねむ じ申けむちからに、をのづからようも やあらまし。

    いといふかひなく、まうで つかうまつることもなくてやみにき。

    十二月廿五日、宮の御仏名にめしあれば、 その夜ばかりと思てまいりぬ。

    しろき きぬどもに、こきかいねりをみなきて、 四十余人ばかりいでゐたり。

    しるべし いでし人のかげにかくれて、あるが中 にうちほのめいて、あか月にはまかづ。

    ゆきうちちりつゝ、いみじくはげしく さえこほるあかつきがたの月の、 ほのかにこきかいねりのそでにうつれ るも、げにぬるゝかほなり。

    みちすがら、  年はくれ夜はあけがたの月かげの  そでにうつれるほどぞはかなき かうたちいでぬとならば、さても、宮づかへ の方にもたちなれ、世にまぎれたる も、ねぢけがましきおぼえもなき ほどは、をのづから人のやうにもお ぼしもてなさせ給やうもあらまし。

    おやたちもいと心えず。

    ほどもなく こめすへつ。

    さりとてそのありさまの、 たちまちにきらきらしきいきほひ などあんべいやうもなく、いとよし なかりけるすゞろ心にても、ことの ほかにたがひぬるありさまなり かし。

     いくちたび水の田ぜりをつみしかば  思しことのつゆもかなはぬ とばかりひとりごたれてやみぬ。

    そのゝ ちはなにとなくまぎらはしきに、ものがたりのことも、 うちたえわすられて、物まめやかなる さまに、心もなりはててぞ、などて、 おほくの年月を、いたづらにてふし をきしに、をこなひをも物まうで をもせざりけむ。

    このあらましごと とても、思しことどもは、この世にあん べかりけることどもなりや。

    ひかる源氏 ばかりの人は、この世におはしけり やは。

    かほる大将の宇治にかくし すへ給べきもなき世なり。

    あな物 くるをし、いかによしなかりける心也 と思しみはてて、まめまめしくすぐすと ならば、さてもありはてず、まいり そめし所にも、かくかきこもりぬる を、まことともおぼしめしたらぬ さまに人々もつげ、たえずめし などする、中にも、わざとめして、わかい ひとまいらせよとおほせらるれば、 えさらずいだしたつるにひかされて、 又時々いでたてど、すぎにし方の やうなるあいなだのみの心をごりを だに、すべきやうもなくて、さすがに わかい人にひかれて、おりおりさしいづる にも、なれたる人は、こよなく、なにご とにつけてもありつきがほに、我は いとわかうどにあるべきにもあらず、 又おとなにせらるべきおぼえも なく、時々のまらうどにさしはなた れて、すゞろなるやうなれど、ひとへに そなたひとつをたのむべきならねば、 我よりまさる人あるも、うらやましく もあらず、中々心やすくおぼえて、 さんべきおりふしまいりて、つれづれな る、さんべき人と物がたりして、 めでたきことも、おかしくおもしろ きおりおりも、わが身はかやうにたち まじり、いたく人にも見しられむに も、はゞかりあんべければ、たゞおほ かたの事にのみききつゝすぐすに、 ?? ?? 内の御ともにまいりたるおり、あり あけの月いとあかきに、わがねむじ 申すあまてる御神は内にぞおは しますなるかし。

    かゝるおりにまい りておがみたてまつらむと思て、四月 ばかりの月のあかきに、いとしのびて まいりたれば、はかせの命婦はしる たよりあれば、とうろの火のいとほ のかなるに、あさましくおい神さびて、 さすがにいとよう物などいひゐたる が、人ともおぼえず、神のあらはれ たまへるかとおぼゆ。

    又の夜も、月の いとあかきに、ふぢつぼのひむがしの とをゝしあけて、さべき人々物がた りしつゝ、月をながむるに、むめつぼ ?? の女御のゝぼらせ給なるをとなひ、 いみじく心にくゝ、いかなるにも故宮の ?? おはします世ならまし。

    こはかやう にのぼらせ給はまし、など人々い ひいづる、げにいとあはれなりかし。

     あまのとを雲井ながらもよそに見て  むかしのあとをこふる月かな 冬になりて、月なく、ゆきもふらず ながら、ほしのひかりに、そらさすがに くまなくさえわたりたる夜のかぎ り、殿の御方にさぶらふ人々と物 がたりしあかしつゝ、あくればたち わかれわかれしつゝ、まかでしを、思いでけ れば、  月もなく花も見ざりし冬のよの  心にしみてこひしきやなぞ 我もさ思ことなるを、おなじ心なる も、おかしうて  さえし夜の氷は袖にまだとけで  冬の夜ながらねをこそはなけ 御前にふしてきけば、池の鳥ども のよもすがら、こゑごゑはぶきさはぐ をとのするに、めもさめて、  わがごとぞ水のうきねにあかしつゝ  うはげのしもをはらひわぶなる とひとりごちたるを、かたわらに ふし給へる人ききつけて、  ましておもへ水のかりねのほどだにぞ  うわげのしもをはらひわびける かたらふ人どち、つぼねのへだてなる やりどをあけあはせて物がたりなど しくらす日、又、かたらふ人の、うへに ものしたまふをたびたびよびおろすに、 「せちにことあらばいかむ」とあるに、かれ たるすゝきのあるにつけて、  冬がれのしのゝすゝき袖たゆみ  まねきもよせじ風にまかせむ 上達部、殿上人などにたいめんする 人は、さだまりたるやうなれば、うゐうゐ しきさと人は、ありなしをだに しらるべきにもあらぬに、十月ついた ちごろの、いとくらき夜、ふだん経に、 こゑよき人々よむほどなりとて、 ?? そなたちかきとぐちにふたりばかり たちいでで、ききつゝ物がたりして、より ふしてあるに、まいりたる人のあるを、 「にげいりて、つぼねなるひとびとよび あげなどせむも見ぐるし、さはれ、 たゞおりからこそ、かくてたゞ」と いふいまひとりあれば、かたわらに てきゝゐたるに、おとなしくしづやか なるけはいにて、物などいふ。

    くちおしから ざなり。

    「いまひとりは」などとひて、世の つねの、うちつけの、けさうびてなども いひなさず、世中のあはれなることゞ もなど、こまやかにいひいでて、さすがに、 きびしうひきいりがたいふしぶし ありて、我も人もこたえなどする を、まだしらぬ人のありけるなど めづらしがりて、とみにたつべくも あらぬほど、ほしのひかりだに見えず くらきに、うちしぐれつゝ、このはに かゝるをとのおかしきを、「中々に えむにおかしき夜かな。

    月のく まなくあかゝらむも、はしたなく、 まばゆかりぬべかりけり」春秋の 事などいひて、「時にしたがひ見る ことには、春がすみおもしろく、 そらものどかにかすみ、月のおもて もいとあかうもあらず、とをうながるゝ やうに見えたるに、琵琶のふかう てうゆるゝかにひきならしたる、 いといみじくきこゆるに、又秋にな りて、月いみじうあかきに、そらは きりわたりたれど、手にとるばかり、 さやかにすみわたりたるに、かぜの をと、むしのこゑ、とりあつめたる 心地するに、箏のことかきならされ たる、ゐやう定のふきすまされたる は、なぞの春とおぼゆかし。

    又、さか とおもへば、冬の夜の、そらさへさえ わたりいみじきに、ゆきのふり つもり{ひかりあひ}たるに、ひちりきのわなゝき いでたるは春秋もみなわすれぬ かし」といひつゞけて、「いづれにか御心 とゞまる」ととふに、秋の夜に心を よせてこたへ給を、さのみおなじ さまにはいはじとて、  あさ緑花もひとつにかすみつゝお  ぼろに見ゆる春の夜の月 とこたへたれば、返すがえすうちずんじて、 「さは秋のよはおぼしすてつるななりな、  こよひより後のいのちのもしもあらば  さは春の夜をかたみとおもはむ といふに、秋に心よせたる人、  人はみな春に心をよせつめり  我のみや見む秋のよの月 とあるに、いみじうけうじ、思わづら ひたるけしきにて、「もろこしな どにも、昔より春秋のさだめは、 えし侍らざなるを、このかうおぼし わかせ給けむ御心ども、おもふにゆへ 侍らむかし。

    わが心のなびき、そのお りのあはれとも、おかしとも思事 のある時、やがてそのおりのそら のけしきも、月も花も心にそめ らるゝにこそあべかめれ。

    春秋を しらせ給けむことのふしなむ、いみ じううけたまはらまほしき。

    冬の夜の月は、むかしよりすさま じきもののためしにひかれて侍 けるに、又いとさむくなどしてことに 見られざりしを、斎宮の御もぎの 敕使にてくだりしに、あかつきの のぼらむとて、日ごろふりつみた る雪に月のいとあかきに、たびの そらとさへおもへば心ぼそくおぼ ゆるに、まかり申にまいりたれば、よの 所にもにず、思なしさへけおそろ しきに、さべきところにめして、 円融院の御世よりまいりたりける 人の、いといみじく神さび、ふるめ いたるけはいの、いとよしふかく、むか しのふるごとどもいひいで、うちな きなどして、ようしらべたるびわの 御ことをさしいでられたりしは、こ の世のことともおぼえず、夜の ?? あけなむもおしう、京のことも 思たえぬばかりおぼえ侍しよりなむ、 冬の夜の雪ふれる夜は、思しら れて、火をけなどをいだきても、かな らずいでゐてなむ見られ侍。

    おまへ たちも、かならずさおぼすゆへ侍ら むかし。

    さらばこよひよりは、くらき やみの夜の、しぐれうちせむは、又 心にしみ侍なむかし。

    斎宮の雪の 夜におとるべき心ちもせずなむ」などいひて ?? わかれにしのちは、たれとしられ じと思しを、又のとしの八月に、 内へいらせ給に、よもすがら殿上にて ?? 御あそびありけるに、この人のさぶ らひけるもしらず、そのよはしもに あかして、ほそどののやりとをゝし あけて見いだしたれば、あか月方 の月の、あるかなきかにおかしきを 見るに、くつのこゑきこえて、ど経 などする人もあり。

    ど経の人はこの やりどぐちにたちとまりて、物などい ふにこたへたれば、ふと思いでて、「時雨 の夜こそ、かた時わすれずこひしく 侍れ」といふに、ことながうこたふべき ほどならねば、  なにさまで思いでけむなをざりの  このはにかけししぐればかりを ともいひやらぬを、人々又きあへ ば、やがてすべりいりて、そのよさり、 まかでにしかば、もろともなりし 人たづねて、返ししたりしなども、 のちにぞきく。

    「ありししぐれの ?? やうならむに、いかでびわのねの おぼゆるかぎりひきてきかせむと なむある」ときくに、ゆかしくて、我 もさるべきおりをまつに、さらに なし。

    はるごろ、のどやかなるゆふ つかた、まいりたなりとききて、その夜 もろともなりし人とゐさりいづ るに、とに人々まいり、うちにもれい のひとびとあれば、いでさいていりぬ。

    あの人もさや思けむ。

    しめやかなる ゆふぐれををしはかりて、まいりてり けるに、さはがしかりければまかづ めり。

     かしまみてなるとのうらにこがれいづる  心はえきやいそのあま人 ?? とばかりにてやみにけり。

    あの人がら も、いとすくよかに、世のつねならぬ 人にて、その人はかの人はなども、 たづねとはですぎぬ。

    いまは、むかし のよしなし心もくやしかりけりと のみ、思しりはて、おやのものへゐて まいりなどせでやみにしも、もどかし く思いでらるれば、いまはひとへに、 ゆたかなるいきおひになりて、 ふたばの人をも、おもふさまにか しづきおほしたて、わが身も、みくら の山につみあまるばかりにて、のちの 世までのことをもおもはむと思は げみて、しも月の廿よ日、いし山に まいる。

    ゆきうちふりつゝ、みちのほどさ へおかしきに、あふさかのせきを見る にも、むかしこえしも冬ぞかし と思いでらるゝに、そのほどしもいと あらうふいたり。

     あふさかの関のせき風ふくこゑは  むかしききしにかはらざりけり せきでらのいかめしうつくられたる を見るにも、そのおりあらづくり の御かほばかり見られしおり思 いでられて、年月のすぎにけるも いとあはれ也。

    うちいでのはまのほ どなど、見しにもかはらず。

    くれかゝる ほどにまうでつきて、ゆやにおりて みだうにのぼるに、人ごゑもせず、 山かぜおそろしうおぼえて、をこ なひさしてうちまどろみたる夢 に、中堂より御かう給はりぬ。

    とく かしこへつげよといふ人あるに、 うちおどろきたれば、ゆめなりけりと おもふに、よきことならむかしと思て、 をこなひあかす。

    又の日も、いみじく 雪ふりあれて、宮にかたらひきこ ゆる人のぐし給へると、ものがたり して心ぼそさをなぐさむ。

    三日 さぶらひてまかでぬ。

    そのかへる年 ?? の十月廿五日大嘗會の御禊とのゝ しるに、はつせの精進はじめて、その 日京をいづるに、さるべき人々、 「一代に一度の見ものにてゐ中せ かいの人だに見る物を、月日おほ かり、その日しも京をふりいでて いかむも、いとものぐるおしく、なが れてのものがたりともなりぬべき 事也」など、はらからなる人は、いひ はらだてど、ちごどものおやなる人 は、「いかにも、いかにも、心にこそあらめ」とて、 いふにしたがひて、いだしたつる心ばへ もあはれ也。

    ともにゆく人々も、いとい みじく物ゆかしげなるは、いとおし けれど、「もの見てなににかはせむ、かゝ るおりにまうでむ心ざしを、さり ともおぼしなむ。

    かならず仏の御しるしを 見む」と思たちて、そのあか月に京 をいづるに、二条のおほぢをしも、 わたりていくに、さきにみあかしもた せ、ともの人々上えすがたなるを、そ こら、さじきどもにうつるとて、いきちが ふむまもくるまの、かち人も、「あれ はなぞ、なぞ」と、やすからずいひおどろき、 あざみわらひ、あざける物どももあり。

    ?? よしよりの兵衛のかみと申し人の家 のまへをすぐれば、それさじきへ わたり給なるべし、かどひろうをし あけて、ひとびとたてるが、「あれは物まう で人なめりな、月日しもこそ世に おほかれ」とわらふなかに、いかなる心 ある人にか、「一時がめをこやしてなに にかはせむ。

    いみじくおぼしたちて、 仏の御とくかならず見給べき人に こそあめれ。

    よしなしかし。

    物見で、 かうこそ思たつべかりけれ」とまめや かにいふ人、ひとりぞある。

    みちけんぞう ならぬさきにと、夜ふかういでし かば、たちをくれたる人々もまち、いと おそろしうふかききりをもすこし はるけむとて、法性寺の大門にたち とまりたるに、ゐなかより物見にのぼる ものども、水のながるゝやうにぞ見ゆ るや。

    すべて道もさりあへず、物の心 しりげもなきあやしのわらはべま で、ひきよせてゆきすぐるを、くるま をおどろきあざみたることかぎり なし。

    これらを見るに、げにいかにい でたちしみちなりともおぼゆれど、 ひたぶるに仏をねむじたてまつりて、 宇治の渡にいきつきぬ。

    そこにも 猶しもこなたざまにわたりする物 ども立こみたれば、舟のかぢとりたる をのこども、ふねをまつ人のかずも しらぬに心おごりしたるけしき にて、袖をかいまくりて、かほにあてゝ、 さおにをしかかりて、とみに舟も よせず、うそぶいて見まわし、いと いみじうすみたるさま也。

    むごに えわたらで、つくづくと見るにむらさ きの物がたりに、宇治の宮のむすめ どもの事あるを、いかなる所なれば、 そこにしもすませたるならむと、 ゆかしく思し所ぞかし。

    げにおか しき所哉と思つゝ、からうじ て渡て、殿の御らう所のうぢ殿をいりて 見るにも、うきふねの女ぎみの、 かゝる所にやありけむなど、まづ思いで らる。

    夜ふかくいでしかば、人々こう じて、やひろうちといふ所にとゞまり て、ものくひなどするほどにしも、 ともなる物ども、「かうみゃうのくりこ ま山にはあらずや。

    日もくれがたに なりぬめり。

    ぬしたちてうどとりお はさうぜよや」といふを、いと物おそ ろしうきく。

    その山こえはてて、にへ のゝ池のほとりへいきつきたるほど、 日は山のはにかゝりにたり。

    「今はやど とれ」とて、人々あかれて、やどもとむる、 所はしたにて、「いとあやしげなる 下すのこいへなむある」といふに、「いかゞは せむ」とて、そこにやどりぬ。

    みな人々 京にまかりぬとて、あやしのをのこふ たりぞゐたる。

    その夜もいもねず、 このをのこいでいりしありくを、お くの方なる女ども、「など、かくしあり かるゝぞ」ととふなれば、「いなや、心も しらぬ人をやどしたてまつりて、かま ばしもひきぬかれなば、いかにすべ きぞと思て、えねでまはりありく ぞかし」と、ねたると思ていふ。

    きくに、 いとむくむくしくおかし。

    つとめて そこをたちて、東大寺によりてお がみたてまつる。

    いその神も、まこと にふりにける事、思やられて、むげ にあれはてにめり。

    その夜、山のべと いふ所のてらにやどりて、いとくるし けれど、経すこしよみたてまつりて、 うちやすみたるゆめに、いみじく やむごとなくきよらなるおんなのおは するにまいりたれば、風いみじう ふく。

    見つけて、うちゑみて、「なにしに おはしつるぞ」ととひたまへば、「いかで かはまいらざらむ」と申せば、「そこは 内にこそあらむとすれ。

    はかせの命 婦をこそよくかたらはめ」とのたまふ と思て、うれしくたのもしくて、いよいよ ねむじたてまつりて、はつせ河など うちすぎて、その夜みてらにまう でつきぬ。

    はらへなどしてのぼる。

    三日さぶらひて、あか月まかでむ とてうちねぶりたるよさり、みだう の方より、「すはみなりよりたまはる しるしのすぎよ」とて物をなげいづる やうにするに、うちおどろきたれば ゆめなりけり。

    あか月よふかくいでゝ、 えとまらねば、ならざかのこなたなる 家をたづねてやどりぬ。

    これも、いみ じげなるこいゑ也。

    「こゝはけしき ある所なめり。

    ゆめいぬな。

    れうがいの ことあらむに、あなかしこ、をびえさ はがせ給な。

    いきもせでふさせ給 へ」といふをきくにも、いといみじう わびしくおそろしうて、夜を あかすほど、ちとせをすぐす心地す。

    からうじてあけたつほどに、「これは ぬす人の家也、あるじの女、けしき ある事をしてなむありける」など いふ。

    いみじう風のふく日、宇治の 渡をするに、あじろいとちかう こぎよりたり。

     をとにのみききわたりこし宇治河の  あじろの浪もけふぞかぞふる 二三年、四五年へだてたることを、 しだいもなく、かきつゞくれば、やが てつゞきたちたるす行者めきた れど、さにはあらず、年月へだゝれる事也。

    春ごろくらまにこもりたり。

    山ぎは かすみわたり、のどやかなるに、やまの 方よりわづかに、ところなどほりも てくるもおかし。

    いづるみちは花も みなちりはてにければ、なにとも なきを、十月許にまうづるに、道の ほど、山のけしき、このごろは、いみじ うぞまさる物なりける、山のは、に しきをひろげたるやう也。

    たぎりて ながれゆく水、すいしゃうをちらす やうにわきかへるなど、いづれもすぐ れたり。

    まうでつきて、そうぼうに いきつきたるほど、かきしぐれたる 紅葉の、たぐひなくぞ見ゆるや。

     おく山の紅葉のにしきほかよりも  いかにしぐれてふかくそめけむ とぞみやらるゝ。

    二年ばかりありて、 又いし山にこもりたれば、よもすが ら、あめぞいみじくふる、たびゐは 雨いとむつかしき物とききて、しとみ をゝしあげて見れば、ありあけの 月の、たにのそこさへくもりなく すみわたり、雨ときこえつるは、木 のねより水のながるゝをと也。

     谷河の流は雨ときこゆれど  ほかよりけなる在明の月 又はつせにまうづれば、はじめに こよなくものたのもあし。

    所々にま うけなどして、いきもやらず、山 しろのくにはゝそのもりなどに、 もみぢいとおかしきほど也。

    はつせ 河わたるに、  はつせ河立帰つゝたづぬれば  すぎのしるしもこのたびや見む と思もいとたのもし。

    三日さぶらひて、 まかでぬれば、れいのならざかの こなたに、こ家などに、このたびは、 いとるいひろければ、えやどるまじ うて、野中にかりそめにいほつくりて すへたれば、人はたゞ野にゐて夜 をあかす。

    草のうへにむかばきなどを うちしきて、うへにむしろをしきて、 いとはかなくて夜をあかす。

    かしらも しとゞにつゆをく。

    あか月がたの月、 いといみじくすみわたりて、よにし らずおかし。

     ゆくゑなきたびのそらにもをくれぬは  宮こにて見しありあけの月 なにごとも心にかなはぬこともなき まゝに、かやうにたちはなれたる物 まうでをしても、道のほどを、おかし ともくるしとも見るに、をのづから心 もなぐさめ、さりともたのもしう、 さしあたりてなげかしなどおぼ ゆることなどもないまゝに、たゞおさ なき人々を、いつしか思さまにし たてゝ見むと思に、年月のすぎ行 を、心もとなく、たのむ人だに、人の やうなるよろこびしてばとのみ 思わたる心地、たのもしかし。

    いにし へ、いみじうかたらひ、よる・ひるうた などよみかはしし人の、ありありても、 いとむかしのやうにこそあらね、た えずいひわたるが、越前守のよめ にてくだりしが、かきたえをともせ ぬに、からうじてたよりたづねてこれ より、  たえざりし思も今はたえにけり  こしのわたりの雪のふかさに といひたる返ごとに、  しら山のゆきのしたなるさゞれいしの  中のおもひはきえむものかは やよひのついたちごろに、西山のお くなる所にいきたる、人めも見 えず、のどのどとかすみわたりたるに、 あはれに心ぼそく、花ばかりさき みだれたり。

     さととをみあまりおくなる山ぢには  花見にとても人こざりけり 世中むつかしうおぼゆるころ、 うづまさにこもりたるに、宮にかた らひきこゆる人の御もとよりふみ ある、返ごときこゆるほどに、かねの をとのきこゆれば、  しげかりしうき世の事もわすられず  いりあひのかねの心ぼそさに とかきてやりつ。

    うらうらとのどかなる 宮にて、おなじ心なる人、三人許、 ものがたりなどして、まかでて又の日、 つれづれなるまゝに、こひしう思いで らるれば、ふたりの中に、  袖ぬるゝあらいそ浪としりながら  ともにかづきをさせいぞこひしき ときこえたれば、  あらいそはあされどなにのかひなくて  うしほにぬるゝあまのそで哉 いま一人、  見るめおふる浦にあらずはあらいその  なみまかぞふるあまもあらじを おなじ心に、かやうにいひかはし、世 中のうきもつらきもおかしきも、 かたみにいひかたらふ人、ちくぜんに くだりてのち、月のいみじうあか きに、かやうなりし夜、宮にまいりて あひては、つゆまどろまず、ながめあか いしものを、こひしく思つゝねい りにけり。

    宮にまいりあひて、うつゝ にありしやうにてありと見て、うち おどろきたれば、ゆめなりけり。

    月も山もはちかうなりにけり。

    さめ ざらましをと、いとゞながめられて、  夢さめてねざめのとこのうく許  こひきとつげよにしへゆく月 さるべきやうありて、秋ごろいづみ にくだるに、よどといふよりして、みちの ほどのおかしうあはれなること、いひ つくすべうもあらず。

    たかはまと いふ所にとゞまりたるよ、いとくらき に、夜いたうふけて、舟のかぢの をときこゆ。

    とふなれば、あそびのき たるなりけり。

    ひとびとけうじて 舟にさしつけさせたり。

    とをき 火のひかりに、ひとへのそでながやか に、あふぎさしかくして、うたうた ひたる、いとあはれに見ゆ。

    又の日、山 のはに日のかゝるほど、すみよしの 浦をすぐ。

    そらもひとつにきりわ たれる、松のこずゑも、うみのおも てもなみのよせくるなぎさの ほども、ゑにかきてもをよぶべき 方なうおもしろし。

     いかにいひなににたとへてかたらまし  秋のゆふべのすみよしのうら と見つゝ、つなでおひきすぐるほど、 かへりみのみせられて、あかずおぼゆ。

    冬になりてのぼるに、おほつといふ うらに、舟にのりたるに、その夜 雨風みはもうごく許ふりふゞ きて、神さへなりてとゞろくに、 浪のたちくるをとなひ、風のふき まどひたるさま、おそろしげなる こと、いのちかぎりつと思まどはる。

    をかのうへに舟をひき上げて夜を あかす。

    雨はやみたれど、風猶ふきて 舟いださず。

    ゆくゑもなきをかの うへに、五六日とすぐす。

    からうじて 風いさゝかやみたるほど、舟のすだれ まきあげて見わたせば、ゆふしほ たゞみちにみちくるさま、とりも あへず、入江のたづの、こゑおしまぬ もおかしく見ゆ。

    くにのひとびとあつま りきて、「その夜この浦をいでさせ 給て、いしづにつかせたまへらまし かば、やがてこの御舟なごりなくな りなまし」などいふ。

    心ぼそうきこゆ。

     あるゝ海に風よりさきにふなでして  いしづの浪ときえなましかば 世中に、とにかく心のみつくすに、 宮づかへとても、もとはひとすぢに つかうまつりつがばや、いかゞあらむ、時々 たちいでばなになるべくもなかめり。

    としはやゝさだすぎゆくに、わかわか しきやうなるも、つきなうおぼえ ならるゝうちに、身のやまひいとを もくなりて、心にまかせて物まうで などせしこともえせずなりたれば、 わくらばのたちいでもたえて、なが らふべき心地もせぬまゝに、おさな きひとびとを、いかにもいかにもわがあらむ 世に見をくこともがなと、ふしお き思なげき、たのむ人のよろこび のほどを心もとなくまちなげかるゝに、 ?? 秋になりてまちいでたるやうなれ ど、思しにはあらず、いとほいなく くちおし。

    おやのおりより立帰つゝ 見しあづまぢよりはちかきやうに きこゆれば、いかゞはせむにて、ほども なく、ゝだるべきことどもいそぐに、 かどではむすめなる人のあたらし くわたりたる所に、八月十よ日にす。

    のちのことはしらず、そのほどのあ りさまは、物さはがしきまで人 おほくいきほいたり。

    廿七日にくだる に、おとこなるはそひてくだる。

    紅の ?? うちたるに、萩のあを、しをんのを りもののさしぬききて、たちはきて、 しりにたちてあゆみいづるを、それも をり物のあをにびいろのさしぬき、 かりぎぬきて、らうのほどにてむま にのりぬ。

    のゝしりみちてくだりぬる のち、こよなうつれづれなれど、いといたう とをきほどならずときけば、さきざきの やうに、心ぼそくなどはおぼえで あるに、をくりのひとびと、又の日かへり て、いみじうきらきらしうてくだり ぬなどいひて、このあか月に、いみじく おほきなる人だまのたちて、京ざま へなむきぬるとかたれど、ともの人 などのにこそはと思、ゆゝしきさまに 思だによらむやは。

    いまはいかでこ のわかきひとびとおとなびさせむと おもふよりほかの事なきに、かへる 年の四月にのぼりきて、夏秋も すぎぬ。

    九月廿五日よりわづらひいでて、 十月五日にゆめのやうに見ないて ?? おもふ心地、世中に又たぐひある事 ともおぼえず。

    はつせにかゞみたて まつりしに、ふしまろび、なきたる かげの見えけむは、これにこそは ありけれ。

    うれしげなりけむかげは、 きし方もなかりき。

    いまゆくすゑは、 あべいやうもなし。

    廿三日、はかなく くもけぶりになす夜、こぞの秋、 いみじくしたて、かしづかれて、うちそひ てくだりしを見やりしを、いとくろき きぬのうへに、ゆゝしげなるものを きて、くるまのともに、なくなくあゆみ いでゝゆくを、見いだして思いづる 心地、すべてたとへむ方なきまゝ に、やがて夢ぢにまどひてぞ思に、 その人やみにけむかし。

    昔より、 よしなき物がたり、うたのことを のみ心にしめで、よるひる思て、をこ なひをせましかば、いとかゝるゆめの 世をば見ずもやあらまし。

    はつせ にて、まへのたび、いなりよりたまふ しるしのすぎよとて、なげいでられし を、いでしまゝにいなりにまうで たらましかかば、かゝらずやあらまし。

    年ごろあまてる御神をねんじた てまつれと見ゆるゆめは、人の御 めのとして内わたりにあり、みかど きさきの御かげにかくるべきさま をのみゆめときもあはせしかども、 そのことはひとつかなはでやみぬ。

    たゞかなしげなりと見しかゞみの かげのみたがはぬ、あはれに心うし。

    かうのみ、心に物のかなふ方なうて やみぬる人なれば、くどくもつくら ずなどしてたゞよふ。

    さすがにいの ちはうきにもたえず、ながらふめれど、 のちの世も、思ふにかなはずぞあら むかしとぞ、うしろめたきに、たの むことひとつぞありける。

    天喜三年 十月十三日の夜の夢に、ゐたる所の やのつまの庭に、阿彌陀佛たち たまへり。

    さだかには見えたまはず、 きりひとへへだたれるやうに、すき て見え給を、せめてたえまに見たて まつれば、蓮華の座の、つちをあが りたるたかさ三四尺、仏の御たけ 六尺ばかりにて、金色にひかりかゞ やき給て、御手かたつかたをばひろ げたるやうに、いまかたつかたには、 いんをつくり給たるを、こと人の めには見つけたてまつらず、我一 人見たてまつるに、さすがにいみじ く、けおそろしければ、すだれの もとちかくよりても、え見たてまつ らねば、仏、「さは、このたびはかへりて、 のちにむかへにこむ」とのたまふこゑ、 わがみゝひとつにきこえて、人はえ きゝつけずと見るに、うちおどろ きたれば、十四日也。

    このゆめ許 ぞ、のちのたのみとしける。

    をいどもなど、ひと所にて、あさゆふ見 るに、かうあはれにかなしきことと のちは、所々になりなどして、たれも 見ゆることかたうあるに、いとくらい 夜、六らうにあたるをいのきたる に、めづらしうおぼえて、  月もいででやみにくれたるをばすてに  なにとてこよひたづねきつらむ とぞいはれにける。

    ねむごろにか たらふ人の、かうてのち、をとづれぬに、  いまは世にあらじ物とや思らむ  あはれなくなく猶こそはふれ 十月許、月のいみじうあかきを、 なくなくながめて、  ひまもなき涙にくもる心にも  あかしと見ゆる月のかげかな 年月はすぎかはりゆけど、ゆめの やうなりしほどを思いづれば、心ちも まどひ、めもかきくらすやうなれば、 そのほどの事は、まださだかにも おぼえず。

    人々はみなほかに すみあかれて、ふるさとにひとり、 いみじう心ぼそくかなしくて、 ながめあかしわびて、ひさしう をとづれぬ人に、  しげりゆくよもぎがつゆにそぼちつゝ  人にとはれぬねをのみぞなく あまなる人也。

     世のつねのやどのよもぎを思やれ  そむきはてたるにはのくさむら ひたちのかみすがはらのたかすゑ のむすめの日記也。

    母倫寧朝臣女。

    傅のとのゝはゝうへのめひ也。

    よはのねざめ、みつのはまゝつ、 みづからくゆる、あさくらなどは この日記の人のつくられたるとぞ。


『枕草子*砂の本』


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三島 久典