004 地上最強のロマンを求めた極真空手
プロレスの話題が続いたので、話題を空手界に転じてみよう。日本における総合格闘技のルーツが猪木の『格闘技世界一決定戦』なら、K−1をはじめとする日本の打撃系格闘技の原点となったのは大山倍達が創設した極真会だろう。
正道会館の石井館長は極真の出身であるし、ピーター・アーツや、ブロンコ・シカティックを輩出したドージョー・チャクリキ(その名の由来は、大山倍達の原点である借力という拳法から来ているのは有名)、アーネスト・ホーストのヨハン・ボスジム、ロブ・カーマンのオランダメジロジムなどは極真のジョン・ブルミンの流れを汲んでいる。つまり、K−1のルーツは極真にあると言っても過言ではないだろう。
そして、この極真ブームの火付け役となったのが、昭和46年から52年にかけて少年マガジンに連載された漫画『空手バガ一代』(原作 梶原一騎、画 つのだじろう 影丸譲也)である。
この漫画は、極真会総帥大山倍達の生涯と、その弟子たちを描いている。ご存知でない方の為に簡単なストーリーを説明しよう。
昭和の武蔵を目指す大山倍達は、日本の寸止め空手に飽き足らずに直接相手に攻撃を与える実戦空手を考案。日本の空手界に敵なしを悟ってからは、牛、熊と闘い、更に海外へと闘いのロマンを求め、プロレスラー、ボクサー、ムエタイ、サファーデ、カポエラと、世界の強豪と闘う――というものだ。
だが、この漫画は梶原氏によってかなり脚色が施されている。漫画では、プロレスの試合で八百長を強要された大山倍達が約束を無視して相手を倒してしまうが、大山倍達の自伝によると、実際には八百長試合をやらされて遠藤幸吉と二人で「こんなはずじゃなかった……」と、泣いていたという。
それでも、『空手バカ一代』を読んで空手をはじめた人は沢山いた。その中にはプロの挌闘家になった人も数多く、その意味でもこの漫画が格闘技界に与えた影響は大きい。ちなみに私もこの漫画に夢中になった少年の一人で、少年マガジンに載っていた極真空手の通信講座に思わず申し込んでしまったりした。
また、その頃の極真空手は、『地上最強の空手』を標榜しており、極真空手こそ最強の格闘技であると信じていた格闘技ファンは多かった。
そうなると『プロレスこそ最強の格闘技』と、豪語し、『格闘技世界一決定戦』を突き進んでいた新日本プロレスと確執が生まれるのは当然の成り行きだったと言えよう。両団体間には何度か衝突があり、一時は全面対抗戦のような話も持ち上がったりもした。
その結果、実現したのが『熊殺し』ウィリー・ウィリアムスとアントニオ猪木との『格闘技世界一決定戦』である。
当時は新日にも極真にも血の気の多い選手が多く、また、自分の信ずる格闘技こそ最強というプライドを強く持っていたようだ。
今は両団体とも大人になり、そういった子供じみた衝突は起こっていない。極真は『最強』よりもスポーツとして一般化する道を選んだし、新日本プロレスもよりエンターテイメント化する方向へと路線変更を行った。
だが、アメリカで開催されたアルティメット大会においてホイス・グレイシーが優勝し、更にヒクソン・グレイシーの登場によって、『グレイシー柔術こそ最強』と、いうムードが格闘技会を席捲していた時に両団体が、我関せずで大人の態度を貫いていたのはちょっとさびしい気がしたものだ。
特に総合格闘技では打撃系の格闘技は不利である。と、いうのが定説となってしまったことに、空手界が沈黙を決め込んでいたのは解せない気がした。
空手がスポーツ化したことを否定する気はない。
だが、本来の空手とは、一撃必殺の武術であったはずである。組んでくる相手には役立たない空手とは、武術として何の意味があるのだろうか?と、いう疑問は残った。
その意味で、K−1が総合格闘技界に参入したことは歓迎したいし、ミルコ・クロコップが次々にプロレスラーを撃破したことは、打撃系格闘技の復権という意味で高く評価したい。
2003/4/28 |