百姓天国第2集

 

私の農業日記 その二

 

◎ 三月三日 晴れ

 朝からトウモロコシの種を蒔く。

まず、一月初旬に鶏糞と堆肥を入れ、ロータリーで撹拌して準備していた畑に、マルチを敷き、その穴の中に種を落とし土をかけていく。その後、その上にビニールハウスを被せる。六月の第二週目ぐらいから生協に出荷する予定。

ここ数日暖かい日が続き、その上先日雨が降ったので、回りの田もいよいよ青さを増している。

  青き田になりつつあるよ春の雨

夕方、仕事を終えてから、自給用に作っているハスを少し掘り、家で料理して食べる。美味。

夕食後、先日東京から買ってきた中古盤の民謡レコードを何枚か聞きながら、民謡の衰退について妻と話し合う。

 「結局、日本人の生活様式が、ここ数十年でガラリと変わってしまったってことよね。」「それに、戦後の教育そのものが西洋音楽一辺倒で、民謡に対して一種の軽蔑感を抱いていることも事実よね。西洋に対する劣等感の裏返しだわよ。」

 「『公序良俗』とやらで、詩そのものに色気がなく、味も素っけもなくなっているしなあ。」

 

 北海道から沖縄・八重山諸島までのものを幾つも聞き込んでいくと、中央(都市文明)から一番遠くに隔たっている地方の謡が、特に聞きごたえがあるのに気付く。変に媚びたりせず、生きるということに誠実な、しかも張りのある旋律を持つ。土着の民の生活が、謡を通して回りの自然背景に浸透し、同質化しているように感じられる。

 このように、土着の生活と一体となって生まれてきた謡(生命の発露・叫び)が、土着性から切り離されて、中央に吸収され洗練されてしまうと、全然面白くなくなってしまう。

 感覚的にいくら洗練されたものを作ろうとも、それだけではけっして魂を激しく揺すぶることはできない。やがて行き詰まりの状態になるだけだろう。

 然し、音楽の世界においても、日本人の総白痴化は進行しており、快い洗練された感覚が前面に置かれ、商品としての音楽が至上権を握っている。そして、直接的な生命の発露としての謡は、“ダサイ”ものとして一顧だにされなくなっている。

 いったい、虚しくはないのか。己の根源を求める旅に出る時は、はたして来るのだろうか。

 昔の謡をそのまま保存しようとしても無駄だろう。私達自身の新しい生活様式に根差した謡、生命の発露を打ち出してゆかねば・・・。私はその新しい生活様式を、農を基盤としながらも、「我即全宇宙」という生命観に支えられた、より精神的な活動の中に求めようとしている。

 

◎ 三月十一日 雨

午後2時45分、妻が無事に男児を出産。体重2950グラム、身長50センチ。 予定日より一日遅れてのこと。

夜中の午前3時頃から陣痛があり、そのことを4時過ぎに知らされる。5時に、自家製パンとコーヒーを簡単に取って、6時過ぎに病院に向かう。この間、陣痛の間隔約5〜6分。そして午前7時半以降ずっと、陣痛室で妻のお産に立ち会う。

出産が終わってから一時荷物を取りに家に帰ると、庭に紅白の梅の花が満開であった。

  白梅に鴬鳴きて法句経

  紅梅に初児の泣き声木霊して

後に赤子を真弘(マサヒロ)と命名する。

 

 ところで、この度の出産は、前もってある程度は予想されていた。二人ともしばしば霊夢を見るので、出産に関するものも幾つか見ることができたからである。例えば、妻は次の様な夢を見ている。

 一九八九年九月。「黒いふさふさとした毛に被われた象に出会い、その象に突進される。二回とも驚異的な跳躍で難を逃れるが、三度目に巨人が現れて妻を捕まえ、遥か空中の彼方に投げ飛ばしてしまう。」(実際、以前に二回ほど機会があったのに、それを生かすことができないでいた。今度が三度目の正直であった。)

 一九九○年六月頃。「白衣を付けた毛深い怪人が、玄関に立ち、部屋の中に上がり込んでくる。そして寝ている妻の上に乗りかかってきた。妻は苦しくて唸っている。」(これは懐胎の知らせだったのだろう。)

 私にも以下のような夢が訪れている。

 一九九○年の夏。「自転車から降りて、産婦人科医院の中に入ると、女の人が横たわっている。その隣で医者が処置をしている。どうやら子宮が狭くて難産のようだ。しばらくすると、女は水槽の中で出血をする。すると場面が変わって女の股になり(波紋を打ったようになる)、その中心から赤ちゃんが、直立不動の姿勢で万歳をしながら飛び出してきた。そして回りの人達に迎えられた。」(驚くべきことに、私自身は担当医に出産の時まで一面識もなかったのだが、この夢で見た先生の姿と印象が、実際出産時に立ち会った先生のそれと、全くと言ってよい程一致したのである。)

 もちろん私自身、出産以外のものに関しても色々と霊夢を見ている。特に個人的に興味深いものとして、“結婚の知らせ”と思われるものが幾つかある。

 一九八八年度夏期愛農短期大学講座(八月末)の初日の夜。「前日参拝した橿原神宮の社の上に、今の妻と一緒に、神主と巫女とになって立っている。」(妻とはこの講座で初めて知り合ったばかりであった。)

 次に、一九八九年一月頃。「南十字星が遥か彼方に表れる。徐々に私を中心にして回り始め、段々衛星のように近づいてきて、私の中に入り込もうとする。」(この年の四月から、妻と本格的な交際が始まり、十月に正式に結婚式を挙げる。因みにその夏、一緒に沖縄・八重山諸島に遊び、特に豊年祭の期間中小浜島に訪れる。そしてそこが“はいむるぶし”(南十字星)で有名なことを知る。浜伝いに歩いて、海に関係した神社に参拝する。)・・・等々である。

 この他、妻と共に全世界の激動を予知したものもある。

 妻が一九九○年の一月一日エルサレムで見た夢。「日本ではない何処かの島で、大きな噴火が起きる。難を逃れようとして階段を上るが、上り切った社の前に、ハーケンクロイツの幕が垂れていた。」(世界情勢の激動の中から、統一ドイツが誕生したことか・・・。)

 私も一九九○年の夏、「富士山が噴火した」夢を見、更に同年の秋口に、次の様な夢を見ている。「地下街から駅前の大通りに出て数人で歩いていると、イカヅチが水平に走ってきて、何かに衝突する。私達は“危ない”と思って、咄嗟に塹壕の中に身を隠すと、間もなく爆発の音と共に激しい振動が伝わってきた。」(やがて世界の激動が日本にも及びだし、湾岸危機は実際の戦争になるだろう、と思った。)

 最近のものでは、一九九一年二月十三日のものがある。「TBSとテレビ朝日のスタジオに多数の人が出演している。すると、遥か彼方のペルシャ湾方面から、核爆発したような真っ黒いきのこ雲が発生する。急いで地面を堀下げてシェルターを作ろうとしている。」(地上戦の開始と巨大兵器の使用か、と思ったが、油田火災のことだったのかもしれない。)

 ところで、以上のような霊夢がどうして表されてくるのだろうか。詳しくは次回に譲るとして、今回は暗示に止めておく。

 

その一

 “存在”として表されるもの

 それは“感覚的幻影”

 “存在”を表すもの

 それは統一主体としての“個我”

 個我を統一し働かせるもの

 それは一切万有を操る内制者としての“大我”

 

 人は外の幻影のみを見て、内なる我を見ず

 その幻影の世界でのみ喜び・怒り・哀しみ・楽しむ

 彼、己の内に一切の幻影を描き出す個我あるを知らず

 況んや最内奥にて一切万有を生ぜしめる大我をや

 

 幻影を相手に“真理”を暴こうとする哀れな現象学

 “わたし”と“あなた”とを区別する

 “因果関係”“部分と全体”等も幻影(マーヤー)の成せる業

 内なる大我を見失った孤独な個我

 遂には己を純客観的な“観察者”に仕立て上げる

 

その二

 我即全宇宙

 なんぞ個我に執着せん

 実にこの全宇宙は、大我即ち超越的一者の息、生命の風也

 万有とは海の表面に立つ波のごときもの

 大地に根を張った木の一枚一枚の葉のごときもの

 森羅万象、この内奥の生命の海で一体となる

 生と死とは単なる波の戯れ、生命の海は常にそこに有る

 

 もはや純粋なる“観察者”ではあり得ない

 客観は主観の中へ、主観は客観の中へと融合する

 音なき音を聞き、形なき形を見る

 

その三

 この生命の海に常に偏在する一者の想念

 鳴り鳴りて一切万有を造化しつつあり

 彼の想念を正しく感受し道を仰ぐ者、惟神の道を歩む

 気紛れ想念、原理化され普遍化されて“宇宙の理法”成る

 幻影の世界が全てであるとし

 本当の世界を全くの無と見做す現象学

 惟神の道を隠し途絶えさす

 その世界で“物質”のみを追い求めている者

 及び己の個我のみに執着している者に

 一者の想念は届き得ず

 遂には人は、道に迷い邪道について生命を貶め貪る

 

 諸人の人と成る日はいつの時

 音なき音に耳を貸し、形なき形に見入る時

 己の役を楽しんで、この無限海で自由に遊ぶ時

 それこそが人となる道、惟神の道

 

 

(「百姓天国」第2集 1991.8.10 掲載)

 

 

つづく

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