「麻の家」の活動と縄文村

            

「麻の家」は、自然循環型・環境調和型・自給自足型の地域共同体をめざすものです。
縄文村開村宣言をインターネットで発見しました。杉江さんのホーム頁
http://www.asahi-net.or.jp/~AZ7N-SGE/ からの情報です。
「麻の家」の考えと共通すると思います。参考にしていただければ幸いです。

                       1997年7月31日 丸井英弘

縄文村開村宣言

要旨

* 重厚長大な工業技術はやめる
* 原子力、電波の反乱はやめる
* 生活における化学薬品はやめる
* 自然な農業
* 自然は生きるために大いに活用する
* 安全と効率化のために科学を利用する

縄文村、といっても縄文時代そのままの村ではありません。文明で自然が破壊される
以前の状態を象徴して縄文という言葉を使わせて貰っています。

縄文村は、いわゆる循環可能な社会をめざします。簡単なのは原始時代にもどること
ですが、それはしません。あくまで現代科学の良い所は取り入れていきます。しか
し、たとえばガソリン自動車が悪いから電気自動車にしよう、であるとか、、二酸化
炭素を出すから、火力発電から、原子力発電をというような、科学信仰的な方針はと
りません。自然破壊の上塗りはもう沢山です。

あまり崇高な思想で始めると実用性のない、場合によっては危険な結果を招くことが
あります。しかし、依然として理想的な視点をもちつつものごとにあたるのは大切で
す。縄文村では現実と理想、両方を考えていきます。

安易な妥協はしません。大変だからと言っていては縄文村の存在価値がなくなってし
まいます。現代社会でこれほど環境問題が話題になっているにもかかわらず、あまり
にも多くのタブーに囲まれています。どんなに環境に熱心な人も本質的に触れられた
くない所は多くあると思います。ここでは、まあ、とりあえずタブーを排し、言いた
いことは全て出し切ってしまいましょう。

この現代社会に於いては環境だけが問題でないのは衆知の通りです。政治腐敗、戦後
処理、福祉対策、食料安保、飢餓、貧困、不平等、教育、言論の自由など、どの分野
を見ても改善が必要な事は明白です。しかし、縄文村では、これらの中でも、精神文
化の充実を重視しながら、環境問題を主要課題として取り組んでいきます。

さて、生まれたばかりの縄文村が、森の奥に見えてきました。これが現代社会が直面
する環境問題を抜本的に見直す糸口となる事を祈りつつ、ここに、縄文村の開村を宣
言します。 97年1月。

(Rev 1.0 1/13/97, 1.1 3/24/97)
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縄文村の原風景

要旨

* 単純にいえば、百年前にもどり再出発する。
* なぜなら科学文明は多くの弊害をもたらした。
* 長い間につちかわれた技術を蘇らせ、使う。

縄文村は、現代における環境問題のタブーなき打開を目指しています。しかし、そこ
には原風景というべきお手本があります。それは、広い意味での祖先の知恵です。

よくいわれることですが、戦後、現代科学文明の浸透にしたがって昔ながらの知恵が
どんどん失われていきました。おおくのものは一般市民の手から離れ、極一部の人や
企業にのみ残存しています。しなの木の布、魚毒の使い方、トチの実の食べかた、和
紙、藁細工、下駄、白炭、各種保存食料、狩猟方法などなど。

なぜ失われたか。それらより高効率で、便利で、快適なものが出来たからです。単純
に文明の勝利と言えましょう。たとえば、プラスチックの出現は生活を一変させまし
た。誰もがゴム草履、ゴム長靴を履きました。調理、食器に腐らず、水漏れしないプ
ラスチックが多用されました。そして、このプラスチックは、ゴミ問題、ダイオキシ
ン、カビによる健康被害などの問題を発生させました。それでも、プラスチックの恩
恵はあまりにも大きく、止めてしまうのはほとんど不可能です。

便利さ、快適さに対し、われわれはその代償を払い始めました。水俣、イタイイタイ
病に始まる第一次公害、そして公害は形を次々と変え、より危険で目にみえないもの
となってきました。原子力、遺伝子組み替え食品、電磁波、グリーンハウスなどで
す。疫学的に問題が指摘されている以上、慎重な回避をする事が世界の主流である現
在、日本はいまだに安全性の証明に躍起です。

かなり不便になってしまうものの、「危険な便利」さは、この際やめてしまってはい
かがでしょうか。人類文明の敗退と呼ばれるかもしれません。しかし、今までの科学
の成果を上手に使う事により、単なる時代逆行ではない、一味違った自然な文明を築
く事が出来ると信じます。決して惨めでつらい労働だけの日々にもどらなければなら
ないとはおもいません。

話を表題に戻します。原風景としては、やはり、人がまだ「自然」だった社会がお手
本になります。日本でいえば、アイヌの生活が身近でしょうか。またはアメリカンイ
ンデアン、エスキモー、北欧のラップ人もそうです。しかし、これら民族の生活はほ
とんど現代生活に飲み込まれてしまっています。長老級の人が昔を覚えている程度で
しょうか。しかしそこには、人が自然を自然のまま利用して生きる知恵が満載されて
います。逆にかなり人工的な手法で現代文明と一線を画している人たちもいます。ア
ーミッシュなどです。ここからも学ぶものがあります。

文明考の例をあげます。日本では幸い、まだ食器洗い機なるものの普及率は低いと思
います。しかし、アメリカ、オーストラリアでは高く、ないと生活できないという人
もいます。しかし、日本でもともと食器洗い機を使用していないひとから見れば、こ
れは苦渋に満ちた文明の逆行ではなく、手洗いは単に「あたりまえ」です。多くのも
のはこれと同じだと思います。「旅行というものは大変で時間がかかるものだ」とい
う認識があれば、馬車で旅行するのも良いでしょう。「便利で簡単」な手法を選択し
たとき、なんら代償がないのなら良いのですが、残念ながらほとんどの場合、なんら
かの問題を起こします。一日たった十分間の車の運転だってみんなでやれば大問題を
引き起こすのです。大気汚染、交通事故、車体製造の環境コスト、廃車時の廃棄物、
騒音、道路建設による他生物の住環境破壊、動物の轢死などなど、きりがありませ
ん。この点に対し見て見ぬふりをしてしまうと、あとは取り繕いの連続のような環境
保護論となってしまいます。

現代の科学をより発展させ、科学が生み出した問題をひとつずつ解決していこうとい
うのもひとつの方法です。それはそれで研究を続ける必要もあるでしょう。しかし、
縄文村ではある程度過去の知恵に立ち戻り、しかし、快適な生活を目指すという方向
をとります。

(Rev.1.1 3.24.97)

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日本のどこかに縄文村を

日本のどこかに縄文村を造れたらいいなとおもいます。ただ大規模開発になってしま
うと困るので、どこかの廃村を改造する事になりましょうか。まず、水系が閉じてい
て上流になにもないこと、植林、雑木林が豊富なこと、牧草地があることなどなど、
といったらそんな理想郷はどこにも見つからないでしょう。いずれにしても完全に自
給自足は無理です。文明の恩恵を随所に受けながらそれでも縄文村的にやっていくこ
とになります。ただし、具体的に現金収入を考えたらやっていられないかもしれませ
ん。

石油、原子力エネルギー、石油製品、化学合成物を極力使わずに、ゆえに廃棄物もほ
とんど自然に返せる実験的な村が誕生します。つくばの農林関係の研究所でも、昔な
がらの津田を無農薬でという試みをしているようです。村人は重厚長大な活動はでき
ないため、単純に考えれば単調でつまらない日々になるかもしれません。が、抜本的
に科学技術による重厚長大な文明から方向転換した満足感はあるでしょう。昔から農
を営んできたお年寄りから見れば、なにもこの便利な時代に逆行しなくても、と言い
たいでしょう。しかし、もう、科学で科学の問題にふたを繰り返すのは限界でしょ
う。

はじめは、田舎暮らしにあこがれる贅沢な都会人の自己満足村になるかもしれませ
ん。しかし、年月が経つうちに、だんだんといたについてくるでしょう。そこで、自
然農法、自然な食品保存技術、身の回りのものの作り方など、つい50年前までは日
本のいたるところでふつうに受け継がれてきた技術を集大成し、保存できる事になり
ます。そうしないと、すでに多くの技術が消滅するか、町の民族資料館行きとなって
しまっています。縄文村には出来れば全国からこれらの技術をもったお年寄りを集
め、日々、若い世代が技術を受け継ぎそれを使って生活していけたら良いと思いま
す。

縄文村が単なる時代の逆行で、ふたたび苦労の日々を人々に強いる事になるのか、文
明の誤りを賢明にただし、心身に自然な爽快さをとりもどしてくれるのか。やってみ
なければわからないでしょう。

(Rev 1.0 3/21/97)
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縄文村の問題と将来

縄文村は、実現すればそれはそれは楽園のようでしょう、と思いきや、やはり多くの
問題を抱えています。まず第一に広大な土地を必要とします。江戸時代でも人口は3
000万人いたと言われていますが、本気で縄文村を実現しようとすると日本全体で
1000万人くらいが限界でしょうか。考えてみるとクマや鷹がそうですが、狭い面
積に人ほど高密度には住めません。一山何匹という程度です。本当に自然の恵みだけ
で生きていくなら人も同程度になるでしょう。

縄文村に「競争社会」は似合いません。競争で、より便利に、より速く、より楽し
く、より快適にを追求したら、もとの木阿弥です。しかし、最初は居住者たちの意志
が強くても、時間がたつにつれ、単調な縄文村の生活に飽き飽きするかもしれませ
ん。また、次の世代がアホらしくて村の決まりをどんどん変えて行くかもしれませ
ん。戦後日本は絶対に武装しないぞ、と、誓ったにもかかわらず、今では国防予算は
世界の五指に入るくらいです。したがって、日本全体が縄文村になるのではなく、自
由に出入りできる変わりに初期の精神を貫徹する、という風にするしかないでしょ
う。当面、縄文村も実験施設という事になりますか。

犯罪の対処はぜんぜん考えていません。しかし、夜道が暗いから街灯を、といってい
ると結局はネオンきらめく不夜城になってしまう危険があります。ではなぜ夜出歩く
か。会社の帰りが遅いからでしょうか。塾の帰りが遅いからでしょうか。全ては能率
を追求する所から始まり、それを実現させるように社会と生活が変わってきているの
ですね。

細かい点ですが、海外旅行はどうなるのでしょう。飛行機がだめでは困ってしまいま
す。そうですねえ、とりあえず船でお願いします。

(Rev 1.0 1/14/97)


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