NO.0074 dictionary 麻のように正しく生きなさい

桑原茂一 × 丸井英弘 対談

吸うなら死ぬ気で戦え!
SMOKE OR DIE OR FIGHT !

丸井(以下M)私がずっと裁判をやってきたのは、大麻自身は法律で規制されるようなものではなく、覚醒作用もあるし、嗜好品としてもいいし、ハーブとしてもいいと思ったからです。しかも覚醒する成分以外でも、茎と種がある。種は食料として無限の可能性を持っています。そして茎の7割を占めるセルロースから紙、いわゆるパルプもできるし、バイオプラスチックもできる。それから葉と茎がバイオマス燃料としてもつかえます。かつ半年で成育しますから循環ができるんですよ。すると今の過疎の問題もゴミ問題も解決できる。そういう可能性を大麻はもっているんです。それがうまく結合されれば、一つの産業として成り立つんじゃないかと。今まで自分は25年間弁護してきましたけど、大きな波がいよいよ来たな、来るべき時がブレイクする時が来つつあるなという実感を持っています。
 ところで栃木県は麻の産地ですが県立博物館の制作したパンフレットの中で、小学校の校歌を紹介していますがその中で”麻のように正しく生きなさい”と唱っているんです。正直に生きるというのは麻のような生き方なんだと。また、麻は覚醒作用があると書いてあるんですよ。今まで公的な資料の中では大麻取締法があるためにそのような言い方はしてこなかったんですね、これも大きな変化ではないかと思います。
 それから、大嘗祭で大麻が使われているということだが、古い文献から新たにわかってきたんです。また幣立神宮という神宮が九州の熊本にあって、その石板の古代文字を解読している人がいるんですが文章の内容は”麻を栽培しなさい”ということらしいですね。
 さらに広島で原爆を受けた時に、麻の服を着てる人が助かったという話もあります。蚊帳は麻でできていて、雷の時は蚊帳に入ると安全といわれる。要するに電磁波を中和する働きがあるようです。
 それから、神道の儀式では必ず麻の服を着るんですよ、天皇も。そこに麻の持ってる力があるんじゃないかと思うんですね。山伏の護摩(ごま)焚きも大麻をつかっていたようですが、罪汚れを祓(はら)って、清らかな気持になるためだったようです。
 今の若い人達には、そういう着眼点、使い方というか美意識が伝わっていない。それが一番の問題です。香の道、香道と同じと考えればいいんです。お茶も一緒で、茶道のような哲学のことですよ。
 だから、私はまず麻の縄文時代からの正しい伝統をよく理解してもらって、日本人の”わたしはなにものなのか””人はどこから来てどこへ行くのか?”という問いかけをする中で大麻と向かいあってもらいたいんです。

桑原(以下K)”まず教育が先にあるべきだ”ということをふまえて、大麻の自由をおっしゃっているわけですね。

M:ええ。わたしは情報公開するべきだと思います。
 ただダメだっていうんじゃなく、まずは全部正確な情報を提供して選択は本人に任せる。今は選択の自由がないのが一番問題だと思います。憲法13条の幸福の追及権の根幹は、自分の行動は自分で決定できるということですが、それが抑えられているんですよ、頭からダメですよとなってる。
 だいたい、今の大麻取締法は軍事占領下での戦後立法ですから、わたしは無効だと思うんです。みんなが納得して、禁止しましょうというならわかりますよ。でも今は『なぜだかわからないけどとにかくダメですよ』ってことですよね。
 よく調べてみると、麻は酒・煙草より害がない。実際に体験する人は『自分は酒はあわないけど大麻はあう』と自分で選んでるわけです。これがなぜいけないんでしょうか?酒で酔っぱらっちゃって、気分悪くなる、二日酔いをするけど、大麻だったらそういうことなはい。クリアになるし、よく寝られるし、何も悪いことはないと思うんですよ。

K:今のお話しは120%同感なんですが、大麻の問題を扱われるきっかけからお話して頂けますでしょうか。25年前?

M:1975年でした。国立で住民運動があったんですよ。当時、天然ガスを5、000キロカロリーを11、000キロカロリーに切り替えたんですが、切り替えは非常に危険だということで住民の反対運動があった。その反対運動を私が支援してたんです。

K:その時はすでに弁護士だったんですか?

M:はい。その時に反対運動をしていた関係者の友達であるアメリカ人の青年が、大麻で捕まったんですよ。それが一番最初でした。その時は、私は大麻がどういう作用があるか知りませんでしたから、酒・煙草と同じようなものだろうと認識していました。
 本来、嗜好品を禁止するのはおかしいと思っていたので、選択の自由があるんじゃないかと主張したんです。犯罪というものは被害があって成立するわけですから、被害がなきところは犯罪なしといわれています。
 つまり法益の侵害、法律上守るべき利益の侵害があるから犯罪といわれる。ところが大麻に関しては、法律上守るべき利益がないんですよ。
 たとえばモノを盗ればモノというのは利益ですし、身体を傷つけられれば身体の健康が利益ですけれど、大麻の場合は誰も被害者がいないんですよね。
 それに、今の法律では自殺未遂で処罰されるわけじゃないですから、自分で自分の身体を傷つける行為は禁止されていない。だけど大麻取締法は人権尊重を柱にした近代的法体系から見た場合極めて異例だと思いますね。

K:それは弁護士という立場で?

M:はい、法律家の立場で常識としておかしいと思いました。

K:丸井さんの考えは常識なんでしょうか?

M:友人の弁護士も考えは同じです。
 要するに国家の規制はなるべく少ないほうがいいという考え方ですよね。
 我々はこの国の主人公ですよ、主権者。法律は主権者の幸福のためにあるもの、それが大前提ですよね。その考えに立てば、規制する際にはちゃんとした理由がいるわけ。それが不明瞭な場合は規制してはいけない、これが基本的な法律家としての本筋です。

K:弁護士になられる前からそういう考えをお持ちだったんでしょうか?

M:やっぱり私も自由と平等というものが最も守るべき価値だと思ってますし、それが自然法だと思うんですよ。何のために法律を勉強したいかというと、それが基本ですよね。
 われわれ市民の幸せのために法律を使う、それが法治国家だと思うんです。でも今はそうじゃないです。法律を使って官僚が市民をコントロールしようとしている。主人公を召使いがコントロールしているわけ。

K:この25年間大麻の法律が改正されない理由は何だと思われますか?

M:結局、日本には法治主義ができていないってことでしょう。裁判官も官僚ですから国家の方に向きます。つまりサラリーマン化してるんですよ。最高裁が裁判官の人事権を握っていて、最高裁の意向で裁判官の採用から全部決めるんです。それが内閣の意向を反映しているわけですよ。

K:この国のヒエラルキーの支配する側と支配される側という立場で見ると、法律を扱っていらっしゃる方も、支配する側にいる安心感をお持ち何ですね。

M:本来、本当に自由な人間じゃないと裁判官になっちゃいけないと私は思うんです。だから、自分の本当の良心に従って裁判できる人しか裁判官になるべきじゃないとおもうんだけど、実際はサラリーマン化しています。

K:結局、お金なんですか?

M:そうですね。私が弁護士になった動機は、個別企業の私的営利のために働く気はおこらないし、少しでも人を助ける仕事でなにができるかといえば、弁護士ぐらいしかないと思ったんです。そこから出発しているんですよ。
 でも、弁護士をやっている意味がないんじゃないかと思ったこともあります。
 本来、裁判所は理性が通る場であるべきだし、きちっとした根拠に基づいて裁判が行われて行く場だと思っているわけですが、いくらこちらが理を尽くして訴えても、大麻には害があるという。じゃあどういう害があるかというと、非常に抽象論でしかない。それで人を実刑にしたりするんですね。
 最高裁まで争ったことがありましたが、結論に納得が行かないですね。裁判所が人権を守るために充分に機能していないので、政治家になって政治を変えていこうかと思う弁護士もいます。それで、実際に国会議員になっている弁護士もいます。
 自分が理想として描いた裁判のシステムが、現実はそうじゃないんですから。そうなると、どうしたらいいかなって、大きな壁にぶつかるんです。
 僕は、学生時代にストライキなんかがあったんで、そういう問題はみんな真剣に考えたものですが、こういう中で、2つの方向が出た。
 ひとつは「こうなったら武力しかない、われわれは武装するしかないんだ」と、赤軍みたいな方向。もうひとつは「いや、平和的方法で変えるんだ」といって、ひとつのカウンターカルチャーというか、ライフスタイル自体を変えていくという方向。音楽や芸術で変えていくんだという流れがあったと思うんですよ。
 私の時代はどちらかというと硬派な政治運動の時代の流れでしたから、学生時代には大麻に遭遇しなかったんですが。その終わりのころから、もう一つの方向が出てきたんですね。

K:この国にも非常に正義感を持って弁護活動されてる方がたくさんいるけども、結果として変えていく力にはなっていないんですね?

M:結局、システムの問題があると思うんですよ。
 基本的に、裁判官はキャリアシステムといって司法試験に合格して司法研修を出たら、すぐに裁判官や検事になりますね、検事もそうです。社会経験とか弁護士経験がないんです。そのまま純粋培養されていく、そういう世界です。
 そうじゃなくて、いろんな経験をつんだ人が裁判官や検事になるというシステムに変える必要があるし、また裁判官自身も民主的統制をする必要があります。つまり今の選挙制度を、もっと民意を反映できるシステムに変えていかなくてはいけないんです。
 裁判官の国民審査も非常に不十分ですし。例えば今の国民審査は、棄権すると支持したとみなされる。棄権は支持じゃないとすれば、結論はぜんぜん変わってくると思いますよ。
 今の政府も選挙で約半数が棄権していませんか?だとすると、そもそも今の政府の存在基盤がないと思うんです。やはり市民の総意に基づいた運営が行われてこそ民主主義じゃないですか。棄権が半分以上の事態で、たまたま議員になったのが法律を作ったからといって、はたしてそれが有効でしょうか?私は、それがこの国では一環して通ってきたと思うんですよ。
 いくら個人で行動を起こそうと思っても、それが反映できるシステムになってない。だから司法制度を変えるべきですよ、今。若い弁護士が国会議員になってるんで、これからじゃないかな思いますけどね。

K:この国のシステムを変える方法として、政治の世界に入っていく活動から始めるというわけですね。

M:インターネットの普及も含めて、様々な情報が伝達される手段が整いつつありますから、誰でも政治に出られる状況ができたと思うんですよ。
 今まで政治に出るには、お金の問題とか、いろんな意味の制約があったと思うんです。出ようにも出られない。だから未来の民主主義が根付かなかったと思うんですよ。そして棄権しちゃうと。
 でもこれからは、自分で出られる時代です。みんながインターネットや出版社、放送局などの媒体を持ちつつありますよね。自分たちの表現媒体を持つことによって、私たちが変わる可能性はあると思います。
 私は個人的には裁判官でも検事でも、本音のところで言えば自由と平和と幸福を求める考えは変わっていないと思います。そういう気持ちで接してますよ。つまり、本音は変わらないですよ、みんな。

K:守るべきものがあって建前で動いている。

M:そうです、人間としての本音からいえば美しいものを見れば美しいし、大自然を見て感じない人はいない。ただ、いろんなものに追われてるんですよね、お金や生活に。だから若い人がどんどん選挙に出たらいいんですよ。最近そういう傾向があるんじゃないんですか?若い人で選挙に出る人にがんばってもらいたいですね。

K:では実際の事件を例に具体的にお話頂ければと思います。

M:つい最近、2件の大麻取締法違反事件を受任してるんです。いずれも本格的に憲法違反であるという主張をしていく予定です。
 20年前に最高裁までやって結論は出ているんですが、そろそろ最高裁自身がもう一度見直すべきですからね。そのひとつの裁判を、ぜひ傍聴していただいたらと思います。
 裁判所がどういうもので、どういうふうに裁判してるかということを見て頂きたい。東京地方裁判所での大麻取締法違反事件の裁判です。
 被告は山梨で居酒屋さんをやってる33歳の男性です。最近、大麻の吸引具やペーパーを売っている店を警察がマークしていて、出てくると強引に職務質問をして身体をチェックして、持ってると逮捕するんです。そういう事件で、今でも毎日のように捕まってると思いますよ
 彼のケースも、たまたま店に入って、法律に違反するものじゃない何かを買ったのかな?それで、お店を出て歩いてるところを4人の警察官にガッと取り囲まれまして、強引に職務質問、それで大麻を少し、0.何グラム持っていたために逮捕されたんです。本当のちょっとですよ。
 この5〜6年前ぐらいは、1〜2グラムぐらいだと不起訴にしてるケースも何件もあったんです。大した量じゃないしね、害もないし。でも、今回は強引に起訴しちゃったんです。検事は薬物事犯が最近多いからだというんですね。それで、彼もどうしても納得いかないと。

K:見せしめだということですか?

M:ええ。ただし、裁判をやるにはお金の問題もありますし、裁判を続けること自体が社会的に非常に負担ですよね。犯罪者に見られるから。
 たとえば会社に籍を置いている人間やミュージシャンで事務所に所属してる人間に裁判はできません。不可能です。やりたくてもできない状況なんですよ。彼の場合は家族の理解があれば自分ひとりでできますけど。
 私としては、基本的に大麻取締法は憲法違反だと主張し、かつ量が非常に少ないのだから、この事犯にまで大麻取締法を適用するのは違憲だと主張します。もしくは、法律上は違憲かどうかはさておいても、量がすくないから可罰性がない、そんなちょっとした量で何も害はないのに、と主張するつもりです。
 そしてその重要な問題は、警察官の職権乱用行為だと思うんですよ。
 職務質問する場合は、犯罪が現に行われているというという時にやるわけであって、ただ道を歩いている人を強引に職務質問すること自体、許されないと思うんです。
 警察官職務執行法では、乱用してはいけないとはっきり書いてある。それを守ってないんですね、今の警察は。それは裁判所にも責任があるんです。多少強引にやってもいいや、強引にやったほうが勝ちみたいにしちゃってる。だから、その裁判では警察のあり方も問題にして、警察官も証人に呼んで、職務質問する根拠は何か、聞きたいと思ってるんですよ。

K:今までたくさんの弁護されてきて職権乱用のケースがほとんどなんでしょうか?

M:そうですね。普通の犯罪は、被害者がいて事件になります。事件が起こるというのは、誰かが物を取られたとか殺されたとか被害が発生して、それから逮捕になるんだけど、大麻の場合は被害がないんですよ。何も被害が起こってないのに、たとえば突然誰かの通報で捜索するわけです。そして大麻があると捕まる。それだけの話ですよ。

K:手柄をあげるということにつながってわけですか?

M:仕事で点数をあげるということでしょう。逮捕がひとつの点数になっているかどうかわかりませんが。

K:交通違反の取り締まりもノルマ達成のためとか言われますよね。

M:似てますよ、同じですよ。大麻の関係者は素直によくしゃべりますから、誰と吸ったなんて名前出せば、すぐに捕まっちゃうんです。
 私は政治運動も弁護してきたから、何でそんなにしゃべるのかな?と思いましたよ、正直な話(笑)。政治運動やる時は黙秘が基本ですから。権力にはしゃべらない。

K:大麻を吸うとピースになるので、口は軽いでしょうね(笑)。

M:悪いことをしてるという意識がないから、話しちゃう。実際に悪い効果はないから。

K:仮に大麻そのものに害がないとしても、組織暴力団が資金源として流通させるのは問題ではないんでしょうか?

M:法律で禁止してるからそうなるんですよ。

K:なるほど。

M:禁止しないでハーブとして自分が栽培すれば買う必要ないでしょう。
 私は物々交換的な社会が自給自足の根幹・基本だと思うんです。自分のものは自分でつくるということです。栽培の自由が認められれば買う必要はありませんよね。
 禁止してるから手に入らない、だから暴力団がそこに高く売りつける、だからヤミルートができる、そういう構造。本末転倒だと思いますね。
 私は法律が無効だと思うんです、大麻取締法自体が。だから、大前提の議論をとばしちゃってるんですね。なぜ大麻を禁止するんですかってことを。

K:しかし、ともすれば奨励することにもなるわけですよね。

M:ああ、そういう意味ね。うん。奨励というか、そういう方向もあるかもしれないけど「だから法律を廃止しよう、じゃあ自分が議員になってでもやろう」というふうな人が出てきたらいいなと思うんです。おかしい法律なんだから、まず法律を廃止する、もしくは法律を変えると、そういう方向にならないんですか?

K:それが一番理想ですが、「法律のほうが悪いんだから破って当然だ」というスタンスが疑問なんですね。丸井さんは容認できることなんですか?

M:私は法律を廃止するためにみんなで力をあわせたらどうかっていうことをまず言いたいんです。

K:丸井さんはたとえば栽培して捕まった人間は弁護するけども組織暴力団から買った場合は弁護しないとか、そういうことはないわけですか?

M:私は法律が間違ってると思ってるから、それはないです。

K:法律を変える人間に出てきてほしいと。

M:出てきてほしい。今、それが大前提です。堂々とやるためには、まず法律を変えることが大切じゃないですかね。だから、とにかく大麻の取り扱いの自由化をめざして政策を出して、、全国区地方区を問わず若い人がどんどん出てくればいいなと思います。

K:私も賛成です。

M:そろそろそういう時期にきつつあると思うんです。イギリスでは大臣クラスでもそういう人がいるらしいですからね。

K:傑作な話を聞きました。やはりイギリスのマルコム・マクラレンというパンクの仕掛け人がついに政治に出たらしいんですけど、公約がアメリカからきたスーパーマーケットの時間外営業の禁止、娼婦の公認、この二つの公約を掲げて立候補したらしいですね。パンクの頃からちっとも変わっていない。(笑)

M:焦点がわかりやすいですね。(笑)

K:イギリスだとそれが半分ジョークも含めて受け入れられる、非常に成熟した世界でうらやましいんですけど、日本の場合、そういうシャレも含めて立ち上がる人はいませんね、なにか具体的な方法を丸井さんに教えて頂ければ、励まされる人間がもっと出てくると思いますが。

M:今の日本の社会はソフトなファシズムですよね。自由があるようで、本当はないと思うんですよ。だから、やりたいけれども出来ないというのが現状ですよね。

K:丸井さんの考える自由とはどういうものなんでしょうか?

M:大麻取締法があることによって、逆に自由のありがたみがよくわかるんじゃないでしょうか。
 戦争があることによって、この平和の有り難さがわかるように。だから、今は試練の時かも知れないですよ。
 日本の場合は第二次大戦を国をあげてやったんですけど、国家は国民に対して、その責任を取っていますかね?アジアの人たちにものすごい被害を与えているけど、国内の人にも、ものすごい弾圧してきたんですよ、戦争に反対する人間を非国民として殺したりして。それを反省しないまま、戦前の人間がそのまま生き残った。アメリカがそれを利用したんだけれどね。
 その決着がすんでいないと思いますね。何千万人と死んでるし沖縄の問題だって今だに決着は出ていない。そこらへんが戦後日本の原点じゃないかな。
 つまり政治家が、自分のやったことに対してきちんと責任を取ってないと思うんです。それで、その状況を全体にみながら、自分はこれを反面教師として生かしきれるかということなんですよね。
 私の中にも同じような傾向はあるわけですから、自分自身を磨いていかないと、やはり同じような過ちを繰り返す。自分が権力をとった時に、気に入らない人間を弾圧するかもしれませんし、誰かが正しくて誰かが悪いと分れるんじゃなくて、自分の中に両方ありますので、やはり自分自身を変革していくという謙虚な気持を持ちながら、筋は通す。
 それと、どこに人生の目標、生きがいを持つかということです。今の時代、餓死はしないですよね。すると人間、何を求めますかね?本当に自分のこころの中を見て、それに従った行動をしたいなって僕は思うんです。それが自由だと思うんですよ。だから今は自由じゃないですよね。みんないろいろなものを背負っちゃってますから。
 だから、仏教的宗教的な生き方になるかも知れません。観自在菩薩、つまり自らのなかに仏様がいるという境地になりながら、みんなで協力していくという体制になれば、権力者は必要ない。

K:テレビで立花隆さんが「士農工商の時代の切り捨てごめん的な武家社会の風潮がそのまま今の官僚の中に根付いているこの国では」という言い回しをおっしゃってましたけれども、それを考えるとNHK大河歴史ドラマみんなが好きで見てるのも何かわかるような気がするというか、その時代から一度も自由を得ることは出来なかったのかなって感じますね。相も変わらずそういう家系に生まれてきた人間が官僚組織にいて身を守ろうとしている。

M:今の社会は、今までの問題が集中して矛盾が出てると思うんですよ。
 たとえばみんな、受験競争で出てきてる人間ですよ。それがはい上がって官僚になってきてる、裁判官とか弁護士も。官僚になったり一流会社に入っているのはみんな勝った人間がいくじゃないですか。だから、そうじゃないシステムにしないといけないわけですよね。
 従来のシステムが残ってていくらやろうとしても無理です。そこが限界にきていると思います。だから革命ですよ、これは。革命は命の改まりでしょ?そういう面でも私は革命の時期が来てると思いますね。
 自分の生き方の座標軸を根本的に考えなければいけないと思いますよ。ただ、それには勇気がいるんです。日本の社会っていうのは、みんなと同じにやってれば安全ですから、それを出るのは、リスクがあるでしょう。だからなかなかできないんですよ、結局は。でも、変われば必ず切り開けますよ、間違ってないから。でも、勇気をもって一人で戦うんだけど、まわりで支える人は必要というか、やっぱりひとりだけでは来り開けないですね。


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