報告書


インドのマナリ地方における大麻の栽培・使用状況とその社会的評価
及び大麻の作用に関する研究報告などの紹介

平成15年(2003年)6月30日
弁護士 丸井 英弘

 私は、インドからの大麻樹脂輸入事件に関して、2003年(平成15年)6月1日から同月11日までインドのデリーとその大麻樹脂を入手先であるマナリ地方に行き、インドにおける大麻使用の実態とその社会的規制状況について調査をした。
 その内容は以下のようなものであり、インド社会において大麻使用を原因とする保健衛生上等の弊害は全く見られなかった。
 また、大麻に刑事罰を課する程の有害性が無いことは、以下の資料及び研究報告からも裏付けられるものである。

第1。インドのマナリ地方における大麻の栽培および使用状況とその社会的評価
1。私の具体的な行動日程等は次ぎのとおりです。
1.本年6月1日午前12時発のエアーインディア301便にてバンコク経由でデリーへ、同日午後9時(日本時間翌日の午前1時30分)ごろデリー着、デリーのグランド・インターコンチネンタルホテルで宿泊
2.6月2日の昼間はデリーの市内観光をしてから、午後7時デリー発の夜行バスでマナリへ向う。6月3日午前9時ころマナリ着。マナリは、高度約2000メートルのクル渓谷に位置しており、遠くには4000〜5000メートル級のヒマラヤの山々が見える大変景色と空気のよい場所である。(添付資料写真6参照
 宿舎はオールドマナリ村のリシ(リシとは神仙という意味である。)コテッジ。宿舎の近くにマヌ寺院がある。またその隣に「ライジングムーンカフェ」という食堂と機織り工房およびそこで作っている織物を販売する店がある。6月3日と4日はそこの経営者であるシンゴラム氏の話を聞く。シンゴラム氏は、元オールドマナリ村の村長であり、またマヌ寺院の神様用の着物を7代に渡って作ってきた家系の人である。(添付資料写真参照)
3.6月4日の午後、宿舎であるリシ(リシとは神仙という意味である。)コテッジの近くにある日本人の佐藤タカシ氏の経営する「ラスタカフェ」を訪問して、インドのマナリ地方における大麻の栽培および使用状況などを聞いた。
4.6月5日の午後、谷の向う側にあるヴァシスト村に行く。(添付資料写真5参照
  6月5日の夕方、マヌ寺院で翌日行われる予定の世界平和のための儀式(シャンティ・プジャ)の準備のための儀式があったので見学をした。(添付資料写真7参照
5.6月6日午前は、マヌ寺院で行わたシャンティ・プジャを見学
 マヌ寺院から隣村のドゥングリ村にあるハディンバ寺院(地母神が祭ってある)に向けて神輿が出発する予定であったが、その神輿の出発が遅れた。その理由は、神様からの啓示が降りたことによる。その啓示とは世界平和のためにはまず、足下の平和が大切であるが、最近オールドマナリ村とドゥングリ村の村民との間で諍いがあるようでまずそれを解決せよということとマヌ寺院の正面に観光客用の店があり神様の権威をけがしているということでその店の撤去を以前から神様の啓示で指摘されているのに、まだ完全に撤去されていないということで神様が怒っているとであった。
  6月6日午後は、麻が群生しているグラムラングという谷を目指して片道2時間位のハイキングをする。登山の途中で、村の若者達が約50キログラムもある材木を肩に担いで下山しているのに遭遇した(添付資料写真8参照)。私達現代の日本人にはとてもできない行動力で、自然と共に共生しているマナリの人たちの生命力に驚いた。また、下山の途中で山に散歩にきている牛の群れに遭遇したが、村の若い女性が編み物をしながら牛達の世話をしていた。
6.6月7日は、高度約4000メートルのところにあるロタンパスという峠に行く。ロタンパスは、クル渓谷の行き止まりで、この峠の北側が5000〜6000メートル級の山々がつらなるインナーヒマラヤンレンジとよばれている地域である。高山病に罹ったのか頭痛と吐き気がして辛かった。
7.6月8日はリシ(リシとは神仙という意味である。)コテッジと「ライジングムーンカフェ」周辺で一日過ごす。村の中で牛の糞を使って家屋の壁を補修したり、羊達が散歩をしている風景を見て、動物達と共生している村人の生活の一端を垣間見ることができた。
8.6月9日の昼間は、オールドマナリの隣村であるドゥングリ村に行きそこにあるハディンバ寺院(地母神が祭ってある)を参拝する。6月9日の夕方マナリ発の夜行バスに乗ってデリーへ向う。
9.6月10日の午前9時ころデリー着、デリー市内で食事をしてからグランド・インターコンチネンタルホテルに滞在する。デリーは40度を越える暑さであり、旅の疲れもあって体調を崩したのでホテルで翌日の夕方まで休憩をとる。
10.6月11日午後6時30分発のエアーインディア304便にてバンコク経由で帰国する。6月12日午前6時15分成田国際空港着

2。オールドマナリ村にあるマヌ寺院の隣に「ライジングムーンカフェ」という食堂と機織り工房およびそこで作っている織物を販売する店があり、弁護人は、2003年6月3日と4日はそこの経営者であるシンゴラム氏の話を聞いた。シンゴラム氏は、元オールドマナリ村の村長であり、またマヌ寺院の神様用の着物を7代に渡って作ってきた家系の人である。(添付資料写真12参照
 以下は、シンゴラム氏の話をまとめたものである。
 マナリとは、ヒンズー教のこの世の創造神話に出てくるマヌという神様がいる場所という意味で、マヌ寺院はその神様を祭っている寺院であり、ヒンズー教徒の聖地であってインド各地からヒンズー教徒が礼拝にくるということである。そして、大麻はヒンズー教の神様であるシバ神の愛好物として神聖なものと考えられている。大麻は、人間の心をシャンティー(静謐とか幽玄の意味)にさせる神の贈り物であり、ヒンズー教の修行僧は、昔から大麻を日常的に使用している。
 大麻に対する規制については、マナリの村人の間では、1キログラム以上は刑事的に問題になるが、それ以下は問題にならないということである。
 私は、実際に、「ライジングムーンカフェ」にきたヒンズー教の修行僧が村人とともにチラムという大麻の吸引器具で大麻を回しのみをする儀式の現場を目撃しました。なお、その儀式には「ライジングムーンカフェ」の店員も参加をしていた。
 そして、現実にマヌ寺院の周辺はじめマナリ村一体に大麻が自生しており、その大麻から大麻樹脂を生産し、村人が自己使用したり、第3者に販売しているようである。(添付資料写真4
3。弁護人は、2003年6月4日の午後、宿舎であるリシ(リシとは神仙という意味である。)コテッジの近くにある日本人の佐藤タカシ氏の経営する「ラスタカフェ」を訪問して、同氏からインドのマナリ地方における大麻の栽培および使用状況などを聞いた。
 佐藤タカシ氏は、1989年始めてマナリにきたとのことである。マナリが気にいり1991年に再度マナリにきたが、1996年から現地で「ラスタカフェ」という音楽と飲食を提供する店を経営している。
 以下は、ラスタカフェ」の経営者の佐藤タカシ氏の話である。
 マナリにおける大麻の使用者の間では(マナリ周辺では住民の1ないし2割が大麻の使用者である)、一日5〜10グラム位の大麻樹脂を消費するのが普通である。200ないし300グラム位の大麻樹脂なら村人が親しくなった旅行者に対してお土産として渡す例もある。
 また、昨年約700グラムの大麻樹脂を持ってマナリからデリーに向う車に載っていた日本人が警察官の検問にひっかかり逮捕されるという事件があったが、2週間程の身柄拘束の後釈放された。一応起訴されているが裁判はゆっくりと進行しており、今年中に無罪になる予定である。警察官の3割位は大麻の愛好者であり、大麻を犯罪視していないし、逆に留置場内で警察官が身柄拘束をうけている被疑者に対して大麻樹脂を販売しているほどである。
 
4。インドは準禁酒国であり、酒を販売したり飲んでいる人は見かけなかった。しかし、大麻はインドの至るところで生えている状況で、弁護人は2003年6月11日の帰国の際デリー市内から国際空港に向う道路の脇でも大麻が自生しているのを見かけた。
 弁護人の調査によれば、マナリ村では、何百年何千年の昔から大麻の栽培を使用をしているようであるが、非常に平和な村であり、大麻を原因として暴力的な犯罪行為は全く起こっていないと思われた。 このことは、以下の資料及び研究報告からも裏付けられるものである。

5。参考資料
 「マリファナの科学」著者 レスリー・L ・アイヴァーセン、訳者 伊藤肇、菊池書翰株式会社、2003年5月20日発行(著者略歴 オックスフォード大学薬学部およびロンドン・ハマースミス病院にあるインベリアル・カレッジ医科大学臨床薬理学の客員教授。)の262〜265頁では、次のように述べている。
「9 世界の大麻使用
 大麻は娯楽用や医療用として、また宗教儀式に欠かせない道具として、世界の数々の国々や文化で何百年にもわたって利用されてきた(諭評は、Rubin.1975; Robinson.1996)」。
 この事実を踏まえておくことは、昨今西洋で見られる大麻の流行を理解し、これをより広い文脈でとらえる助けになることだろう。現代の多くの大麻使用者は、陶酔状態になったときに得られる霊性や神との一体感について語っている。大麻はヒンズー教やゾロアスター教、ラスタ主義、仏教、道教、スーフィズムだけでなく、アフリカのダッガ信仰(ダッガは大麻のこと)やエチオピアのコプト教など、多くの宗教で聖体として使われている。アルコールと違い、大麻はコーランでもとくに禁忌となっていないため、多くのイスラム国でアルコール代わりに使われる傾向がある。

インドとパキスタン
 インド大麻委員会の報告(1895)は100年前のインド亜大陸での大麻の利用状況についてくわしい記述を行っており(7章参照)、『チョプラ・チョプラ』(1957)は、半世紀近くたってもこの地域でほとんど変化が見られない状況を描き出している。
大麻を消費する方法は、大きく分けて2つある。
乾燥大麻はバングと呼ばれ、噛むか食べるか、またこれより広く利用されるスタイルとして、しばしばタンダイと呼ばれる飲料を作るのに使われる。この飲料には多くのヴァリエーションがあり、バングは牛乳やアーモンド、メロン、ケシの実、アニスの実、カルダモン、爵香、ローズ・エッセンスといったさまざまな材料と混ぜ合わせて使われる。バングを入れたケーキや、粉末状にした大麻の葉を入れたアイスクリームもある。
 ヒンズー社会ではアルコールは禁忌となっているため一般に見下される傾向があるが、大麻の使用は社会的に是認されている。バングはヒンズー教でとくにドゥルガー・プージャ祭の最終日を祝うために使われ、各寺院ではシヴァ神への捧げ物となる。バングはまた各地を巡歴するヒンズー教の苦行者によっても使われているーー
 精神的な機能をはたしながら(中略)苦行者たち(サドゥーと呼ばれる)は国内各地を歩き回って精神的なエネルギーを放ち、インドと全地球の意識を呼び覚まし、バングを使うことで精神的パワーが授けられ、悟りに近づくことができると信じ、シヴァ神を崇めている。シヴァ神こそは、大麻によってたえず陶酔状態にあったと言われている。サドゥーは自ら家を捨てて森や洞窟のなかに住まい、始終歩き回り、慈善の施しを受けて生活している。その髪はもつれた長い房となって垂れ下がり、その肌は粉塵や灰にまみれ、身につけているものは何枚かのぼろ布だけで、まったく何も身につけていないこともある。サドゥーは独身を貫き、食べ物も水も摂らずに長い問断食を行い、物理的な禁欲生活を実践している。バングはそんな彼らが思考を聖なるものに集中させ、苦難に耐え抜くのを助けると言われている。(Robinson,1996)
 バングはヒンズー教のこのほかの祭礼や、結婚式などの家庭行事でも使われることがある。ーーー中略ーーーーーーー
 吸引はふつう社会活動として2ー5人が寄り集まって行われる。かつては労働者、漁師、農夫など長時問働く必要のある人たちが1日の終わりなどに大麻を吸うことで疲れを癒し、肉体的ストレスを和らげる光景が見られた。スポーツ選手は大麻を摂ることで体力や持久力を増進させていた。

ネパールとチベット
中略
 チベットでは、大麻は一部の仏教行事で重大な役割を担っている。インドの伝説や書物によれば、シッダールタ(釈迦の別名)は紀元前5世紀に審理を告げ、釈迦となる直前の6年間、もっぱら大麻草とその種だけをつかい、食べていたという。
東南アジア
 カンボジア、タイ、ラオス、ベトナムでは、大麻は広く行き渡っている。1960年代から70年代にかけて、ベトナム戦争の間に多くのアメリカ人が現地の大麻を知ることになった。大麻は家庭で栽培される傾向があり、何株かが家の周囲に植えられていることが多い。乾燥大麻は市場で自由に手に入れることができ、タバコといっしょに吸引される。乾燥大麻は郷土料理に利用されることも多く・食品に心地よい香りを加え、軽い多幸化効果をもたらすために使われる。医療用途では大麻は鎮痛剤として認められ、コレラやマラリア・赤痢・嚇息、痙撃の治療に使われる。大麻は社会的幸福の源として友人と共有すべきものと考えられ、仕事の辛さを軽減するためにも使われる(Martin;Rubin,1975)。

アフリカ
 娯楽や宗教のための大麻の利用はアフリカのほとんどの地域に普及しており、その歴史はヨーロッパ人の到来以前にまでさかのぼる。ダッガとして広く知られる大麻はピグミー族やズールー族、ホッテントット族にとっては聖体であり、医薬でもある。エチオピァの宗教儀式での利用の歴史は古く、初期コプト教の教会でも利用され、聖体として用いられている。モロッコでは大麻はキーフとして知られ、リフ山脈に住む部族の間で興奮剤として、また日常生活の重圧を和らげる手段として伝統的に使用されてきた。最近ではリフ山脈などモロッコ北部の大麻の栽培が、かつて農業的にもっとも貧しかったこの地域の重要な輸出産業となっている。モロッコをはじめ北アフリカの国々ではキーフ吸引専用の部屋をもつ人が多く、そこで伝説が語られたり、ダンスや歌が披露されたりして若い世代に受け継がれている。

カリブ海諸国とラテン・アメリカ
 ジャマイカは今日、大麻栽培の重要な中心地となっている。ガンジャと呼ばれる大麻は19世紀中頃にインドから労働移民によって伝えられ、黒人労働者階級に広がり、その後の広範な普及につながっている。ガンジャ吸引は労働者階級の男性の間ではごくふつうの行為で・吸わないと非常識な人間とみなされる。ガンジャを初めて吸うことは成人式としての文化的意味をもち、そのさいガンジャによって幻を与えられるのが理想とされている。」

なお、カンボジアでの大麻の取扱いはまったく自由であることが、1992年12月3日付けの朝日新聞の次の様な報道からも明らかである。 
「カンボジアの大麻(青鉛筆)
▽カンボジアでは、大麻を育てるのも、販売するのも自由。たばこ売りの露店や市場で簡単に手に入る。乾燥させた葉一キロで役五〇〇〇リエル(約三〇〇円)。 
▽PKO活動でタケオに宿営する自衛隊施設大隊では、日本国内で禁止の大麻も当然禁止。それでも、隊員の監視役のある幹部は「幸いタケオでは売っていなかった」と胸を撫で下ろす。
▽もっともカンボジアでも、吸引するのは外国人か自転車タクシーの運転手ら一部の人。実は「味が良くなり、食欲も増す」と、家庭でも料理屋でもスープの隠し味にこれを使う。隊員たちが知らずにゴクリなんてこともありそうだ。 (プノンペン=加藤修)」

6。大麻の作用に関する研究報告
 以下に紹介する大麻の作用に関する権威のある研究報告によっても、大麻に刑事罰をもって規制しなければならない程度の作用が無いことが明らかである。

1・ラ・ガーディア報告 
 一九三八年九月一三日ニューヨーク市における大麻問題について、当時の市長フィヨレロ・ラ・ガー ディアが、ニューヨーク医学アカデミーに対して、ニューヨーク市における大麻問題について科学的、 ならびに社会学的な研究を置くように、要請した。そこで、薬理学・心理学・社会学・生理学などの権 威者たち二〇人が参加して『ラ・ガーディア委員会』が作られ、さらに警官六人が常勤者としてこれを 助けて、系統的な大麻研究がおこなわれた。そして、一九四〇年四月から四一年にかけての研究の結果 が一九四四年に発表された。そこでは、次のような結論が出されている。
 1.大麻常用者は、親しみやすくて、社交的な性格であり、攻撃的とか、好戦的には見えないのが普通である。 2.犯罪と大麻使用との間には、直接の相関関係がない。
 3.性欲を特別に高めるような興奮作用はない。
 4.大麻喫煙を突然中止しても、禁断症状を起こさない。
 5.嗜癖を起こす薬ではない。
 6.数年に渡って大麻を常用しても、精神的・肉体的に機能が落ちることはない。
(小林司著『心に働く 薬たち』一七二〜一七三頁参照)

2.インド大麻薬物委員会報告
 1893年から1895年にかけて行なわれたイギリス政府のインド大麻薬物委員会の報告は、全巻、3,698ページからなっており、現在までに行われた大麻の研究の中でも群を抜いて完全で組織的なものである、といわれている。
 アメリカ政府の国立精神衛生研究所の主任研究員で臨床医でもあるトッド・ミクリヤ 医学博士は次のように指摘されている(同氏が編集して発行した「MARIJUANA :MEDICAL PAPERS」という題名で1973年ハにOakland,California,USAのMedi-Comp Pressで発行された書物から弁護人の責任で翻訳したものである)。
 
 すなわち、「その内容の稀少性、そして多分その恐るべき膨大な規模のため、同報告の貴重な情報は、この問題に関する現代の文献の中に取入れられていない。これは実に不幸なことだ。というのも、今日アメリカで議論されている大麻に関する論争の多くは、このインド大麻薬物委員会の報告にすでに 記述されているからだ。イギリス人植民地官僚による文書の、時の流れにも色あせない明晰性に驚嘆するとともに、その努力を評価したい。もし現代において、この報告の中で実現されているような厳密さと全般的な客観性の基準に達する諸研究グループが出来るなら、どんなに幸いなことだろう。」

 そして、この委員会の報告は、結論として次のように述べている。以下は、ミクリヤ医学博士がまとめられた論文の訳である。
『委員会は、大麻に帰せられる影響に関して、全ての証拠を調べた。その根拠と結論を簡潔に要約するのがいいだろう。時々の適量の大麻使用は有益であるということがはっきりと確証された。しかしこの使用は薬用効果として考えられている。委員会が今、注意を限定しようとしているのは、むしろ大麻の通俗的で一般的な使用である。その効果を、身体的・精神的・または倫理的種類の影響に分けて考察すると便利である。

身体的影響
 身体的影響に関して言えば、委員会は、大麻の適量の使用は実際上有害な結果を全く伴わないという 結論に達した。中には特異体質が原因で、適量の使用ですら有害になる例外的なケースもあるかもしれない。恐らく例外的な過敏者の場合、いかなる物の使用も有害でないとはいえないのだ。また特別に厳しい風土や激しい労働と長時間太陽にさらされているような環境においては、人々が有益な効果を大麻の習慣的な適度の使用のためだと考えているケースも数多くあり、この一般の考えが事実に基づいたある根拠を持っていることを示す証拠がある。
 一般的に言って委員会の見解では、大麻の適度の使用はどんな種類の身体的な害の原因ともならない。しかし、過度に使用すれば害を生じさせる。他の陶酔物のケースについてと同様、過度の使用は体質を弱める傾向があり、また使用者をより病気にかかりやすくさせる。かなりの証人達によって、大麻が原因だとされている特定の病気についても、過度の使用に よってもぜんそくを生じさせないことがわかった。ただし、前述したように、体質を弱めることによって間接的に赤痢を生じさせるかもしれない。そしてまた、主に煙を吸込む行為によって気管支炎を生じさせうるということもあるかもしれない。

精神的影響 
 大麻の精神的影響と言われているものに関して、委員会は、大麻の適度の使用は精神に有害な影響を与えないという結論に達した。ただし、特に著しい神経過敏な特異体質のケースでは、適度な使用の場合でも精神的損傷がもたらされることはある。というのは、このようなケースでは、ごくわずかの精神 的刺激や興奮がそのような影響を及ぼすことがあるからだ。しかしこれらの極めて例外的なケースを別にして、大麻の適度な使用は精神的な損傷をもたらさない。これは過度の使用の場合とは異なっている。過度の使用は精神的な不安定の兆しを示し、それを強化する。

倫理的影響
 大麻の倫理的影響に関する委員会の見解によると、その適度の使用はいかなる倫理的損傷ももたらさない。使用者の人格に有害な影響を与えると信じるに足る妥当な根拠は存在しない。他方で過度の消費は、倫理的な弱さや堕落の兆しを示し、強める。

討議
 この被験者を全体的に観察してみると、通常これらの薬物の使用は度を過ごすことはなく、極端な使用は比較的少ないということを付け加えておくべきだろう。実際上、適度な使用は有害な結果を生み出すことは全くない。最も例外的な場合を除けば、適度な使用を常習的に続けても悪影響が出るということは認められない。
 過度に使用した場合でも、はっきりした悪影響が認められない場合が多くあるが、そうした使用はかなり危険だということをやはり認識すべきだろう。しかし、過度の使用が引き起こす悪影響はほぼ例外なく使用者自身に限られており、社会に対する影響を認識することはほとんどできない。
 大麻の影響を観察することがほとんどできなかったということが、今回の調査の最はっきりした特色である。社会の各層から選ばれた人達の多くが大麻の影響を見たことが全くないと証言していること、そうした影響をきちんと説明できるほど記憶がはっきりしている者の数が非常に少ないこと、影響が認められるといわれたケースを調べてみると、直ちにそうでないことが判る場合が非常に多いこと、これらの事実を総合してみると大麻が社会に及ぼす影響はほとんどなかったということを最もはっきりと示している。」
 更に、大麻の管理政策のあり方について、次のような、貴重な提言をしている。 
『インド大麻薬物委員会は、薬物規制政策における政府の役割に関して、哲学的または倫理的観点からの考察をふまえて、正面から取り組んだ。そして、薬物取締り法は、贅沢取締り法として位置づけられ、その実施の可能性と個人及び社会への影響という観点から考察された。ある著名な歴史家(脚注 :J・A・フロウドの英国史、第二版、第一章五七ページ)は「いかなる法も、一般大衆の実用レベルの上にあっては何ら役にたたず、そうした法律が人間生活の中に入り込めば入り込むほど、違反の機会が増える」と述べている。こうした表現が封建制度下の英国で真実であるならば、今日の英領インドにおいては更に真実となる。この国の政府は内なる勢力からうまれたものではなく、上から与えられたも のであって、こうした父子主義に基づく政治制度は、世論が形成される過程や国民のニーズが年々はっきりと表されるようになってくると、全く観念的なものになってしまう。父子主義は一六世紀の英国や、インドのある地方における併合直後の初期の開発段階においてはふさわしいものであったといえるだろう。もちろんインドの立法府においても、幼児殺しやヒンズーの寡婦を火あぶりにする習慣に関する法律に見られるように、一般的には受入れられない倫理基準を時として予想することがあっただろう。しかし、こうした法案は、政府の影響力の及ぶ事情において倫理に関する一般の考え方をどうして も変えなければならないという感覚と、時間の経過とともにこうした法案が社会の知識人から同意を得られるという確信から議会を通過してしまった。
 ミルはその「政治経済学」の中の一章で不干渉の原則を論じているが、それによると政府の干渉には二つのタイプがあるという。
 即ち、権力による干渉と勧告または情報の公表による干渉である。前者のタイプの干渉については、次のような所見が述べられた。即わち、「権力による干渉は、もう一方のそれと比べて合法的行為の範囲が非常に限られていることは、一見して明らかだ。如何なる場合においても、権力による干渉はそれを正当化する必要性が権力によらない干渉に比べより強くあるし、また人間生活においてはそうした干渉を絶対的に排除しなければならないところが多くある。社会の団結に関していかなる理論を取ろうと、またどんな政治制度のもとで生活しようとも、いかなる政府も、それが超人間的存在のものであれ、選ばれた者のものであれ、一般人のものであれ、絶対に踏込んではならない部分が人間一人一人のまわりに存在する。思慮分別ができる年齢に達した人間の生活には、いかなる個人または集団からも支配されない部分がある。人間の自由や尊厳に全然敬意を払わない者が投げかける疑問などを相手にしない部分が人間の存在の中にはあり、またなければならない。要は、どこにそうした制限を置くかということだ。自由に確保されるべき領域は、人間生活のどれほど広い分野を占めるべきなのか。その領域は、個人の内面であれ外面であれ、その人の人生にかかわる全ての分野を含み、個人への影響は、規範や倫理的影響を通してのみにするべきだ、と私は理解している。特に内的意識の領域、つまり思考・感情・ものの善悪・望ましいものと軽蔑するものとに対する価値観に関しては、それを法的強制力か単に事実上の手段によるかは別にして、他者に押し付けない、という原則が大切だと私は思う。そして例外的に他者の内的意識や行動を規制する場合には、立証責任は常に規制を主張する側にある。また個人の自由に法律が介入することを正当化する事実は、単なる推定上のものであってはならない。
 自分がやりたいと考えていることが押えられたり、何が望ましいのかという自分の判断と逆の行動をとることを強いられたりすることは、面倒なことだけではなく、人間の肉体または精神の機能の発達を、感覚的あるいは実際的な部分にかかわらず、常に停止させる傾向がある。各個人の良心が法的規制から自由にならなければ、それは多かれすくなかれ奴隷制度への堕落に荷担することになる。絶対に必要なもの以外の規制は、それを正当化することはほとんどない」この言及を長々と引用した理由は、この見解が、政府が大麻薬物を強権をもって禁止すべきか否かを決定するための指導原則をはっきりと説明していると、本委員会が信ずるからである。』
 
 弁護人も、大麻規制のあり方としては、このインド大麻薬物委員会つまり、ミルの見解は、日本国憲法の基本精神と同じであり、それを具体的に表現したのが、第13条の幸福追求権であると考える。なお、インド大麻薬物委員会は、薬物(具体的には、大麻のことであるが)の使用を贅沢と位置付けてい るが、この贅沢という意味は、精神的幸福感という意味である。
 したがって、大麻規制のあり方としては、ミルのいう政府の干渉の二つのタイプのうち、強制的な権力による干渉ではなく、勧告または、情報の公開という方法が、日本国憲法の趣旨に合致するのであり、現行の懲役刑という大麻の規制方法は、国民の幸福追求権を否定し、更には、自由な精神のありかたすなわち、思想・良心の自由を否定するものである。

1.WHOのレポート(No.478、1971年)
 このレポートは、1970年12月8日から14日まで11人の世界的な専門家が討議のうえ作成したものである。そこでは、大麻の作用について、次のように報告されている。
 1.大麻を使っていると、それが飛び石になって、ヘロインその他の薬の中毒に移っていくという説(踏み石理論)は、確かでない。なお、この踏み石理論は、アメリカで、禁酒法時代に、アルコールを取り締まる根拠として、詰まり、アルコールが、ヘロインなどの薬物中毒の原因になるとして、主張された理論である。
 2.奇形の発生はない。
 3.凶暴な衝動的行動は、稀である。
 4.犯罪と大麻の因果関係は、立証されていない。
 5.耐性の上昇、すなわち、同じ効果を得るのに必要な使用量の上昇は、ほとんど見られない。
 6.身体的依存すなわち、その使用を止めると、汗が出るなどの禁断症状はない。
 7.多くの常用者には、精神的依存が見られる。しかし、この精神的依存いうことは、例えば、珈琲や煙 草、お酒、さらには、お菓子が好きな人が、また、飮みたいなとか、食べたいなと感じる気持ちのことであって、大麻だけの特徴ではないし、格別、刑事罰を持って規制しなければならない作用ではない。かりに、この精神的依存性が、刑罰を科する根拠にされることがあれば、例えは、ご飯が好きな人は、ご飯に精神的に依存しているということになり、ご飯禁止法を作らなければならないことになってしまうのであり、この考えが、極めて不合理なことは、明らかである。
(『心に働く薬たち』小林司著、筑摩書房発行、180〜181頁参照)

4.大麻と薬物の乱用に関する全米委員会報告
 ニクソン大統領は、1971年に前年に議会を通過した薬物規制法に基づき前ペンシルベニア州知事のロイヤルドシェイファを委員長とする大麻と薬物の乱用に関する委員会を設置した。この委員会は、保守派といわれる13人の委員によって、構成されており、1年に及ぶ調査の後、1972年3月に『マリファナ:誤解の兆し』と題するレポートを発表し、更に1973年には、最初のレポートと結論を同じくする最終報告を提出した。
 この報告の結論であるが、生田典久氏が、ジュリストのNo.654の42〜43頁で、次のように簡潔にまとめられている。
 
 1.大麻には、耽溺性がない。
 2.大麻使用と犯罪またはその他の反社会的行動との関連性はない。
 3.大麻使用は、ヘロインなど危険な薬物への足掛かりにもならない。
 4.長期間の大麻常用者には、ある程度の耐性が生じることがあり得るが、その程度は、煙草以上のものではない。
 5.大麻の使用者も大麻自体も公衆の安全に対して、危険な存在を成しているとはいいえない。

添付資料

写真1〜8


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