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みやこうせい写真集

羊の地平線

ルーマニア北北西部風物誌 書評

『マリクレール』より


みやこうせい氏の愛は、まことにけれんみなく正直で 画像のすみずみまでをじっと見ている静かなやさしさがある。 この北ルーマニアの光景の一つ一つには、みや氏のそんな想いがこめられている。 文句なしに美しい写真集である。

 やさしさ、そしあたたかさが、これほどまでに映像化された写真集を私は見たことがない。多くの写真家を友人とし、多くの写真集を評してきたが、この写真集を開いたとたん、私はこの一面識もない写真家の心にいいようもない感動を覚えた。照れずにそして素直にそう言える。

 愛情というものにもさまざまな形があるだろう。鋭くえぐりこむようなショットを好む人もいる。 突き放すような眼差しに愛を託す人もいる。あるいはユーモアとずれを持ち味とする人もいる。しかし、みやこうせい氏の愛はまことにけれんみなく、正直で、素直で画像のすみずみまでをじっと見ている静かなやさしさがある。ほんとうに、心の底から私は一葉一葉の写真に感動している。

 トランシルヴァニアは私も歩いた土地だ。写真を軸にした紀行文を刊行したこともある。けれども、このみや氏の写真集を前に私はため息をついている。これはもうカメラがどうとか光線がどうとかの問題ではないようだ。二十年前に北トランシルヴァニアの山村を訪れたみや氏には、ドラキュラが好き動物が好き子どもたちが好きということのほかに、なにかきっと何かを愛さねば生きられぬとでもいうべきことがあったに違いない。

これだけの鮮烈な愛のエネルギ−を持つ写真はただ単に技術によって生まれるとは思えないのだ。

 羊たちが美しい。こどもたちの笑顔がすごい。祭り、葬式での人人の表情が、明るくてあわれだ。

 表紙折り返しの少女の写真に私は全く意味なく突如涙が出てくるような気がした。親族の墓が雪で埋もれている上で泣く女の姿にはこちらにかえって泣いてはいけないと必死になるという具合だ。

 他人の写真集で、他人の土地の写真で、何の理由もないのに涙をこぼしてはいけない、別に悲しい場面ばかりではないのだから。そう思いはするものの、この感動が増すのは、きっとみやこうせい氏に生きている上での深い何かがあって、それがこの北ルーマニアの光景の一つ一つにこめられているからに違いない。文句なしに美しい写真集である。

国書刊行会刊・4800円

マリークレールより転載


『季刊民族学』1981より

不思議な魅力に満ちた写真群
みやこうせい写真集

 みや氏の写真には体温のぬくもりが感じられる。心ゆたかな清らかな人にめぐりあい、愛しくてそっと抱きしめたくなるような、そんなほのぼのとした暖かさが写真から伝わってくる。互いに意気投合して、思わずがっちり握手をかわしたときのような爽快感もある。
 写真という字は、真を写すと書く。しかしみずからが感じたままをそのまま画面に写し撮るのはけっして容易なことではない。たしかに技法の問題もあるだろう。思い切って空間を切断し、アップにしたほうが自分の感動がより伝わることもあるし、その逆にしたほうが印象が鮮明になるかも知れない。順光か逆光か、あるいは半逆光がよいのか。望遠か標準か広角か、焦点深度の深浅、前ピンとあとピン、立って撮るのか座って撮るのかなどなど、写真にかぎらず、すべての表現には技法がつきものだし、こうした技法を駆使してスゴイ写真をものにする技巧派のカメラマンもいる。
 ところが、この本は写真集とはいえ、そうした技法のすごさを感じさせる写真は一点たりとてみあたらない。むしろ、写真のもつ記録性が素直に利用されたというべきだろう。ここでとりあげられたルーマニアの北北西部マラムレシュの人びとの喜怒哀楽がじかに伝わってくる。写真に写った人々の話し声や息づかいまでが聞こえてきそうになり、話しかけたくなってくる。ともに喜んだり、悲しんだり、いっしょに酒を酌み交わしたくもなってくる。不思議な魅力に満ちている写真集なのである。
 みや氏がマラムレシュの人びととはじめて出会ったのは20年前。むかしながらの素朴な半農半牧の生活をおくる人びとのくらしと心情、風物は「ぼくをたちまち夢中にさせた」「マラムレシをライフワークと定めてから言葉の習得をやっと始めた。眼前にうつろう事象、現象がまぶしくて言葉を無視している年月が長かった。それで対象をフォトジェニックなどといっていたのだから呆れる。幾分でも意志や思うことの交換ができるようになってから対象のあり方がかわってきた。それまでは、対象に向かうと相手は息せき切って逃げて行った。ところが今度は、自然、風景、人が応えて向こうからなじんてきた」(亜・ト書き)
 技法云々を越えた不思議な魅力の秘密は、このあたりにあるのだろうか。山上の放牧、ヒツジの番をする女の子、セッセッセッをする村の子、牧羊祭、糸を紡ぎ、刺繍をする女たち、踊りに興ずる人たち、結婚式、定期市、とむらい、教会...収録された一点一点の写真がマラムレシュの人びとの一日、通過儀礼、ヒツジと生きる一年の季節のめぐりあいの一端と、人びとの心情を伝えてくる。と同時に撮影者の心情をも、とわずがたりに想像させるものがある。そうした意味で、この写真集は、まぎれもなく、みやこうせいという個性でなければ撮ることのできなかった、みや氏の感じたままのマラムレシュの記録なのである。
 みや氏のカメラは、異文化としてのマラムレシュよりも、この地に生きている個々人と共同体の物語を語ろうとしているように思える。写真の人びとの表情には、それぞれの物語をもっって生きているのが感じられる。この写真集には父がおり、母がおり、兄弟が姉妹が、一家のふれあいがある。家族や共同体という場を大切にし、そこを基盤に日々の生活と精神世界がつくられていっている。陰影の面は捨象されているとしても、「開かれた」コスモロジーの世界が、筆者の眼にもっとも強く映った事は確かなようだ。
 尊重すべき記録であるといえる。


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