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朝日新聞 著者に会いたい

みやこうせいさん

朝日新聞 2000年3月19日朝刊
『マラムレシュ ルーマニア山村のフォークロア』

旅の達人が愛する桃源郷

 元祖バックパッカー。三十五年前、書評紙をやめてモスクワ留学中の友人宅にやっかいになった。一カ月の予定で来て、いざ帰ろうとしたら、その友達が、ヨーロッパを見なくてはと、ルーマニアヘの片道切符を買ってくれた。結局、日本に戻ったのは一年九カ月後。「旅の人生」の始客りだった。

 世界中で行ったことのない国は数えるほど。中でもルーマニアには年に数回、のべ百回以上通っている。「人のよさでは東欧の中ではルーマニア人が一番だけど、マラムレシュは別格」。マラムレシユ地方ウクライナとの国境に近い辺境の地で『ヨーロッパ農民文化のひな型で、フォークロアの一大宝庫、生きた民俗博物館」だ。

 本書は、そこに住む人々の生活を、文と写真できめ細かく紹介する。羊を飼い、干し草づくりに精を出し、清潔な衣装に身を包み、人をもてなすことが大好きで信心深く、ツイカ(プラムブランデー)を愛する陽気な働き者たち。「初めてあった人が泊まっていきなさいと言ってくれ、旅立つときは涙涙で、土産に鶏でも牛でも持っていけという勢い」。本書は十年前に書かれたものに加筆訂正した。物価上昇や出稼ぎの増加など、農牧の村も革命の影響を受けたが、人々の根っこは変わらない。

 初めて訪れた一九六五年当時、チャウシェスクは新しい指導者で希望の星と言われ、国中が活気に満ちていた。だが、独裁者は、都市も村も盗聴機で埋め尽くしてしまった。七八年、警察の弾圧を批判する投書をブカレストの新聞社に送った。数日後の早朝五時、滞在中のホテルに秘密書察が迎えに来た。その後はいわゆる「泳がす」という待遇。ストレスで胃痛に悩まされたこともある。しかし、マラムレシュ熱は冷めなかった。

 「熱中する」たちである。好きな言葉は「ひたむき」。みや式旅行の極意は、とにかく人と仲良くなること。「ぼくは、どこへ行っても、おなかをすかせたことはない」という。今も年に百日は旅暮らし。アイルランドのアラン島やギリシャの山裏や離れ小島で「私はあなたです、あなたがとても好きです」とつぶやきながら、シャッターを切っている。

未知谷・二、二〇〇円)

吉村千彰


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