| 回数 | 日付 | 内容 |
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| 第2回 | 2000.7.6 | <水> ・ このところの関心事は、”水”である。きっかけは本HPのメインテーマ(=富士山)だったのだが、元々簡単なようでいて奥が深いテーマであるため、例によって凝り始めた。 湧水→ミネラルウォーター→水道と見たり読んだり調べたりして、今まで知らなかったことが色々と分かって来た。ここではある著書で印象深かった箇所だけを書いておこうかと思う。 ・ 以下は、宝塚市民の訴えに対する1991年の大阪高裁の判決である。 『フッ素の水質基準に違反している水でも、それを給水しないと公共の利益に反するため仕方がない・・・』、更に『被害者はフッ素入り水道水で斑状歯ができることを知っており、蛇口に除去装置をつければよいことも知っていたのだから、対策を取らなかった水道局の非を問うことはできない』。 (『あぶない水道水』(三一新書1151),有田一彦著,三一書房,1996.9.15発行,800円,P.59より) ・ 去年末から警察の不祥事が発覚し続け、警察への不信感はぬぐえないまでになっていると思う。公的機関への信用低下は今に始まったことではないため”またか・・・”というより、 この次は・・・という気になってくるのは私だけではあるまい。それが、”水道局”や”裁判所”でなければ良いのだが。 |
| 第1回 | 2000.5.13 | <行動原理> ・ このところ、仕事の進め方といった内容が、自分にとってとても大きな問題となっている。どんな時にでも通用するポリシーといったものが見出せなくて悩んでいるのだ。行動の取り方、決め方といったことを、他人(ひと)は どう決めているのか? ということが、気になっている。もとより、こんなことは 様々な場合があり、一般化できる法則などがあるはずもない。一方、犯してはいけないことは厳然と存在し、また結果悪かったと分かる行動・決断もある。ただ、最近気付いて来ていることは、 このようなことには性格が多分に関係している、ということだ。行動の取り方、決断である以上、その人にとって譲れないこと、守るべきことが、大いに関係しているはずだからである。必ずしも謙譲=美徳とはならず、時には害悪以外の何物でもないという場合が有り得るという事実が最近分かって来た。しかし、これは何だろう? ”性格”という一語だけでもあるまい。価値観だろうか、個人的能力だろうか、人生観か、単なる条件反射か・・・? ・ 飛躍すると、最近頻発している十代の事件も、個人が引き起こした事件で精神病という病以外のものに関しては、関係があるのではないか、という気もしているのだが・・・(関係ないか?!)。 |