らくたび わいず などの京都観光案内に参加
そぞろに、京都観光をして、気ままに報告をいたします。
まずは、京都の真言宗の代表的な寺院
真言宗は、弘法大師空海上人が開祖の宗派で、高野山の寺院が代表されています。
京都での代表的寺院は、「東寺」で、天皇より授かり運営を任された。
* 真言宗智山派 東寺の成り立ちや経緯は他の文献を参考にしてください。
ただ、東寺の五重の屋根の大きさが、ほぼ同じ大きさだ有る事は、ご記憶ください。
見た目は同じですが、、さらに古い塔は、建築の技術が行き届かず錐(すい)に成っています。
もう一つは、東京のスカイツリーを創る時に参考にした「心柱」と「振り子の原理」 昔の人は「偉いです」
コンピューターやスマホが無い時代にそろばんと永年の知識で創るんだから!
下層には壁画と仏像が有り、中国の高僧で真言八祖が描かれ空海が一角を占めています。
また、永年の荷重で心柱が地面に着いたので、一部をカットしたので、絵画がズレています。
* 塔頭の観智院 別格本山
五重塔、講堂、金堂には、観光客や案内が多いですが、見逃したら残念な”院”です。
江戸時代 宮本武蔵が吉岡一門と決闘をした後、
隠れた寺院で宮本武蔵直筆と言われる屏風絵や書画が残っています。
更には、特に珍しい「五大虚空蔵菩薩像」が安置され、
獅子、象、馬、ガチョウ、火の鳥に乗られています。
五大虚空蔵菩薩像は、大変珍しく京都で5体を揃って拝観できるのは、
この観智院とあと! 一つですが、名前を忘れてしまいました。
先生に尋ねて、のちほどに補完します。
次に、真言宗智山派 「総本山智積院」 (ちしゃくいん)
”ちせきいん”と、読まれる方がいますが、間違わないように。
お寺の成り行きは、どこかの説明文を読んでください。
安土桃山時代の狩野派に対抗するように長谷川等伯派の屏風絵の”本物”が、展示されています。
豊臣家の鶴松を弔うために建立されたお寺で、”立派な松を描き、その下にツル葵が描かれています”
いろいろと考えさせられる構図ですね。
立派なお庭は、作庭時は一休の構図が有ったと言われ、庭に向かって右端の低い山辺りが、残って居るとの事。
太閤さんの威光を思わせる七条通りの東に突き当たりに、建立されています。
八坂さんもやないかと思われますが、本来の正門は南側、現在の西門は、京の市電が通ったときに、
市民などから文句が出てきて、少し北側に移動させ正面にしたと聞いています。
世界遺産の伏見に在る、”総本山 醍醐寺 ”
情報は、他方で入手をしてください。
誰もが知っている桜の名所、太閤秀吉が茶会を開いたところです。
ですが、”太閤”の役職、名称を授かるには、それなりの系図と生まれが必要で誰それと成れるものではない。
まずは、摂政に関係する家が出ない! 農家、百姓の小作出身者では、とてもとても!
天下人の秀吉は、まず、近衛家に養子で入り名門家系に名を残し、次の摂政の者と交替をして着任。
大変だったでしょうね、何処ぞの、話題の人のよう。
お庭は、天下人の誰もが欲しがり所有をした石柱 「藤戸石」 を見てください。
足利、細川、信長、秀吉などが、継承をして今ここの中央に置かれている長方形の石です。