研究テーマ->ジャンル研究->不思議な音楽->ハウアーのコード自動生成メカニズム
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乱数を使用した自動作曲では、モーツアルトのダイス・ミュージックがもっとも古いものだと思われます。しかし、これはあらかじめ用意されたパターン(小節)をサイコロの目によって組み替えるというもので、それ以外の、音楽を構成するためのメカニズムは存在していません。20世紀前半に活躍したオーストリア人のハウアーは、乱数と、あるルールを用いてコードの自動生成を行うためのメカニズムを考案しました。
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はじめに |
最初にお断りしておきますが、ここでの話は、私が知人から聞いたことをもとに書いていますので、正確かどうかは、わかりません。音楽辞典のグローブにハウアーの名前は出てきますが、コード自動生成のメカニズムについての記述はありませんでした。また、ネット上にもハウアーを扱ったサイトがあるのですが、ドイツ語なので読めませんでした。
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コードを自動生成するのに、なぜメカニズムが必要か? |
コードには、3つの音の和音や、4つの音の和音など、色々あります。例えば、3つの音の和音ですと、C・E・Gの音から構成させるものは、Cメジャーのコードと呼ばれています。ここで、乱数を用いてその構成音を選んだ場合、例えば、C・C#・Dの音が選ばれてしまうと、とんでもない不協和音になって、コードとは呼べないわけです。そんなわけで、コードを作るときは、なんでも良いから音を3つ並べれば良いというわけではなく、何がしかのルールが必要になるわけです。
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ハウアーのメカニズム |
まず、C〜Bの12の音に番号を割り振ります。Cには1、C#には2、Dには3、D#には4・・・Bには12の数字がおのおの割り振られます。 |
これを次のような4つのグループに分けます。
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12面体のサイコロを振ります。もし5が出たら、Eの音を鳴らします。 |
続けて、サイコロを振ります。もし1が出たら、Cの音を鳴らします。これで、先のEの音とあわさって、C・Eの和音がなります。しかし、もし仮にここで、同じグループに属する音が選ばれた場合、先のEの音を止めて新しい音を鳴らします。例えば、4の目が出るとD#の音を鳴らしますから、その場合はEの音を止めます。 |
例えば、サイコロを振って1・5・8・7と出たとすると、次のような譜面になります。
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続けてサイコロを振り、2・10・10・12と出たとすると、譜面は次のようになります。
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あとは、4つの音で構成される和音が形を変えながらつづくわけです。 |
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評価
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依然として、短2度の不協和音が含まれる可能性がありますが、コードを作るメカニズムとしては、なかなか示唆に富んだものだと思います。
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追加情報 |
ホームページを見た中西さんが、追加の情報を送ってくださいました。
ハウアーは20世紀前半の作曲家です。 ハウアーは、後期(1940年から)に“12音遊戯(Zwolfton
Spiel)”という作品を数千曲書いたと言われて、そこで、彼独自(シェーンベルクの物とは全く異なる)12音技法を作り出しました。
それは、一つの12音列から、12個の4和音の列を作り出し、そこから作品を作り出す作曲システムです。(前期、中期はこの作曲システムが不完全な形で用いられたと思われます。)その際に、彼の理想としては、作曲家の意思はすべて排除し、偶然性(=神の意志)によって音が選ばれる、ということがありました。
そこで、最初の12音列を作る際に12の音を2つの6音グループ(テトラコルド)に分けた「トローペ」(または「音の星座」とも言っている)を易経によって1つ選び出し、そこから5つの「トローペ」を派生させ、その6つの「トローペ」から12音列を自動的に導き出せる、というシステムになっています。 なお、「トローペ」は、12音を2つの6音グループに分ける全ての可能を網羅しており、44種類あります。
12音列ができると、あとは上記で紹介しているシステムに従って、4つに分けられた声部にそれぞれ12音列の音がきた時点で音が移り変わるといったようにしていくと12個の4和音が出来上がります。
「12音列」と言ってきましたが、正確には「12音環」であり、ぐるぐる回りつづけるものです。
この12個の4和音の環ができたら、これをそっくりそのまま転回させ、3つの変形と、この12個の和音の逆行形、その3つの変形を作り、それをもとに、規則(音の選び方、リズム)に基づき各事実上の楽器の声部に振り分けていき、1つの作品が出来上がります。
なお、1作品につき、原則的に12音列(12音環)は一つしか用いられません。 このように、最初に易経によって一つのこと(トローぺ)を決めてしまうと、後は自動的に作品が出来上がってしまうシステムになっています。 しかし、実際には、少なからず、作曲者の意思が介在してしまう個所もあります。
これらは、絶対的他者と自己を音楽において結び付けようとする宗教的作品の一つの究極の姿かもしれません(ハウアーは特定の宗教のことについて語ってはいないようですが)。参考文献はほとんど無く、ハウアーに関するものはドイツ語な上にほとんど廃刊になっているか、論文の類なので、入手も困難になっています。
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