映画ホタル

日時:2002.08.02(sun) 21:30 - TV朝日放送(2000年 日本作品)
キーワード:特攻知覧天皇崩御、韓国、漁船

Story:
 鹿児島の漁師・山岡(高倉健)は特攻帰り。そんな昔のことをあえて語ろうとはしない寡黙な男。妻・とも子(田中裕子)の名前を付けた漁船”とも丸”は進水式(昭和51年)から14年目を迎えていた。その妻は体調が悪く、定期的に人工透析を受けなければいけない。
 そんな1989年の新年、昭和天皇が崩御された。これがきっかけで長年、平凡な漁師生活を送って来た夫婦に変化が訪れる。新聞記者が特攻帰りの山岡に昭和という時代の終りについて取材に来る。が、山岡は特に語ることはないと言って追い返す。
 藤枝は山岡と同様、かつて終戦まじかの知覧の特攻基地で出陣を待っていた一人であった。しかし一度は出撃するも機体の不調で止む無く基地へ引き返し、そのまま終戦を迎え、生き残った。天皇崩御を機に孫娘と二人で知覧の特攻平和会館を訪れた。山岡とも会うつもりだったが、たまたま山岡が留守で会えずに青森に帰ってしまった。
 その藤枝が冬山に一人で入り、遭難死したと山岡に連絡が入ると、彼はとも子を伴い、桜咲く青森へ向かう。彼は先に藤枝が鹿児島に来たときに、会って話しを聞いてやれたらと悔やむ。彼には藤枝は死ぬために山に入ったとしか思えなかった。
 知覧ではかつて特攻隊員の安らぎの場であった富屋食堂が、山本富子とともに営業を続けていた。彼女は隊員らの母親代わりであり慕われていた。足が悪くなり、自ら老人ホームに行きたいと言う富子。その富子を囲む会には、藤枝の孫娘が山岡夫妻とが顔を見せる。富子は思わず皆の前で、それまでずっと胸に押し込めていた思いを吐き出す。
「(隊員らが)本当に自分の子供だったら絶対に出陣などさせなかっただろう。自分が彼らを見殺しにした」と自らを責める。
 富子は山岡に、韓国人で特攻出撃した金山の遺品を韓国の遺族に届けて欲しいと頼まれる。実は金山はかつては妻とも子と結婚を約束していた男。それを承知で戦後、彼女と結婚。出撃の前には彼の口から遺言まで聞かされている。複雑な思いの山岡だったが、無念の死を遂げねばならなかった金山の気持ちを遺族に伝えなければ、との思いからとも子を伴い韓国に向かう。
 遺族らは最初は特攻の事実すら認めようとしなかったが、二人が誠意を伝えると理解を得る。とも子は金山の許嫁であったことを隠さずに語る。
 その後、金山の両親の墓参りに行くと、そこには時期はずれのホタルが。
 時が過ぎ、20世紀最後の年末の鹿児島の浜では”とも丸”の引退式。火に包まれた漁船のそばには、すっかり白髪頭となった山岡が。とも子の姿はなかった。

Memo:
 お盆が近づくと放送される傾向のある戦争映画。といっても、かつての”国威発揚”的なドンパチといったものではない。戦争の悲惨さや不条理さ、理不尽さを伝えるものが多いようである。戦争の記憶は時の流れとともに薄れていく。まして戦後生まれの私には記憶すらないのだから。
 綺麗な円錐形の開聞岳がバックに映る漁師町。
 知覧は鹿児島市からも近く、昨年末に開聞岳登山に訪れたときには、ついでに特攻平和会館を訪ねようかとも思ったが結局、行けなかったな。
 題名のホタルは金山が出陣の前に富子にホタルになって戻って来るからと語ったその夜、富屋食堂にホタルが入ってきた故事から。このホタルの話は以前、TVで見たことがあったが、涙なくしては見られない実話であるらしい。
 また、妻に内緒で妻への腎臓移植ドナーの可能性を調べる検査を受けていた山岡が、可能性ありとの結果を聞いて戻り、一人海辺でハーモニカを吹く場面も泣ける。
 その海辺でかつて金山が出陣前に、死ぬかもしれない同じ特攻隊員の山岡、藤枝に遺言を託した。その言葉を初めて山岡が、妻にそのまま伝える。どんな気持ちで彼が出撃していったかを。そしてとも子への想い。ここで名セリフ「二人で一つの命じゃろうが」
 苦い過去をもつ者は過去を語らないものだが、「語る」ことの大切さを知った山岡が、妻に、金山の遺族に語り、ついには新聞記者にも語る。口数の少ない男(というか健さん)だけに一言が重い。なんとしても伝えたいことがあったのだ。
 その大切さを知るきっかけは藤枝の遺書のような言葉を綴ったノートを孫娘がわざわざ、山岡に見せに来たことであった。藤枝も過去に苦しんだ一人であった。特攻で生き残ってしまったことを。本当は死にたくないはずだろうに、当時の精神状態では死に急ぐように先立っていった同僚隊員の後を追いたい、追わなければ申し訳ないという複雑な思い。

更新日: 02/08/10