読書メモ

・「阪神・淡路大震災10年 〜現場からの警告
(神谷 秀之:著、神戸新聞総合出版センター \1,400) : 2011.05.15

内容と感想:
 
震災から10年後に出た本だ。 本書は「阪神・淡路大震災の教訓は生かされているのだろうか」という問いかけで始まる。 国も災害情報を官邸に素早く収集する仕組みなどを整備してきた。 しかし、今回の東日本大震災でも聞かれた「想定外」という言葉が、実は以前から繰り返されてきた。
 第一部では阪神・淡路大震災直後の神戸市の幹部職員の対応を描き、 第二部では震災で浮かび上がった、日本の中央集権システムの問題点について述べている。 それを受けて、現場の自治体が自己決定し、責任と権限を持てる「分権型社会への転換」を訴えている。 その実現のためにも、市民には「お上」への依存意識を一掃し、自治意識をもつことを求めている。
 大阪市浪速区には安政大津波記念碑があるそうだ。 その記念碑は過去の教訓を生かせなかった悔しさを訴えているらしい。 人間は忘れっぽい。あえて忘れようとしているのかも知れない。しかしそれでは同じことの繰り返しだ。
 著者は阪神・淡路大震災における国の対策が既存の制度の枠内にとどまってしまったこと、 また、「被災自治体も国の姿勢を変えさせようという強い意欲・意思が希薄だった」ことを指摘している。 そこには震災によって露呈した問題があった。 それは「従来の枠を超えた新しい政策を創るチャンス」だったが、残念ながらチャンスは生かされなかった。 今回の震災の復興策では、前例や常識にとらわれない創造的な施策が期待される。 そして我々も再び芽生えた防災意識を風化させないようにし、来たる次の災害に備えねばならない。

  ○印象的な言葉
・技術力はあっても、それを使いこなす災害マネジメントが不十分
・昭和30年代初めの建物は4階までは鉄骨、5階からは鉄筋。縦揺れの地震では4階と5階の間で潰れる
・日本海側でも津波は起きる。1983年の地震では津波で犠牲者が出た。1896年の明治三陸津波地震は震度3でも大津波が起きた
・屋根瓦は接着剤でくっつける
・市から声が出れば、市が動いていることが市民に伝わる。安心感
・地元ラジオ局の赤裸々な放送で震災の惨状を実感
・震災情報を流し、被災地の実情を伝えることが被災者を安心させる
・超法規的な決断も必要。役所の論理や行動から少しはみ出すようなことでも被災者のためなら実施する
・震災は市民から信頼を得るチャンス
・最初は天災でも、その後で事故が起きれば人災
・啓開道路:災害など非常時に消防・救急活動などを実施するための道路。救援物資輸送道路の確保
・9.11テロではNY市は現場周辺の道路で、緊急車両以外の車をシャットアウトした。市長は毎日記者会見し、職員を励ました
・阪神・淡路大震災では救援のためのマイカーやトラックが神戸に殺到し大渋滞した。交通整理のための強権発動も必要。有料道路も開放
・神戸市役所本庁舎ばかりに物資が集まった。物資を避難者に届けるまでが一大事
・神戸市とコープこうべは、緊急時に生活物資を供給する協定を結んでいた
・市職員に現場で即応させた。自分が全責任者だと思って動く
・学生や企業が地域と一緒に自主的に救援活動
・復旧・復興のための中央への陳情は認められるのが遅く、効果的でない。非常時なのに形式に固執しすぎる
・自分の家が潰れないように、足元を固めるのが危機管理の第一歩
・日常使っていないものは緊急時に使えない
・トップが被災し、死亡していたらどうするのか
・大災害だと判断する想像力
・文句ばかり言い、足ばかり引っ張る官僚、政治家、マスコミ、学者。きれい事をいう
・国や県は現場に実態把握や調査を催促するばかり。国や県との調整に手間取る。被災者にとっては対応が遅いのは現場の市町村のせいだと映る
・自治体が国の了解を得ずに施策を実施すると財政援助を得られない
・災害救助法は法律には最低限のことしか書かれず、具体的にできることは厚生省からの通知という構造
・災害の後に我々の真の弱点を見せてくれる「窓」が短い間だけ開く
・阪神・淡路大震災の復興計画では市民参加の視点が希薄だった。ハード中心のプロジェクトが立ち並んだ
・中央による地域づくり政策は限界。全国画一的で地域のニーズに沿わない。責任の所在が不明確。法令が国民でなく業界や組織を守るようになっている
・自治体は上(国)を見ているから、下(住民、市町村)が見えない
・マニュアルどおりの災害はない。前例がないことが起きる
・他人の金、懐が痛まない国がくれる金では無駄遣いを助長する
・米国の現地災害対策本部:連邦政府が調整官を派遣。大統領の代理人として全権を委任される。あらゆる窓口がそろう災害申請センターを開設し、たらい回しを防ぐ。 危機管理庁(FEMA)が関係政府機関のすべての権限をにぎる
・米国では被災者に現金支給する。被災したこと自体が特別扱いに値する。現物支給では保管・整理・搬送作業に労力を費やす。現場のニーズとのミスマッチも生じる
・鎌倉の大仏は15世紀末の大津波で大仏殿が流された
・米国では住民の意思によって法人格をもつ市町村が設立される。州政府が承認。憲章を定め、法人化の手続きをする。市町村が存在しない地域もある
・日本の危機管理体制は優秀な選手はいるが、コーチもいない、戦略がないスポーツチームのよう
・阪神・淡路大震災後の復興対策本部も復興委員会も各省庁に対する統制権限をもたなかった。基本方針を提示するぐらい
・いかに被害を軽減するかがポイント
・目的指向型
・軍隊も司令部の指示を待っていては戦場での対応が遅れる
・阪神・淡路大震災ではほとんどの人は自力か被災者同士の助け合いにより救助された。地域の人がお互いのことをよく知っていた
・コミュニティーごとの防災計画。防災用資機材の自主管理
・官製コミュニティーでは、行政の下請け化が起きる
・大都市には自己中心的で非常識な人が増えている。緊急時に共助が機能するか?
・トリアージは全ての患者を公平には扱わない。ときには冷酷非情にならないと人命を救えないケースが出てくる。地域ごとに復旧スピードに差が出るのもやむを得ない
・危機管理能力がリーダーの必須条件
・首都直下地震では中央省庁が崩壊する。国家機能が麻痺する。一極集中の危険性。東京は空き地が少なく、延焼を防ぎにくい。避難場所も限られる
・横浜・山下公園は関東大震災の復興事業。がれきを埋め立てた
・災害が起きると「天罰が下った」「運命には逆らえない」とあきらめ、達観する日本人

<その他>
・なぜ大地震の後、掛け時計の針は止まるのか
・中央省庁では現場から遠すぎて実感がわかない。我が身のことと思えない
・国のリーダーが国民の意思によって選ばれていないのでは、信頼関係が生まれるわけがない。首相公選制
・自然災害が日本を守る?外国人が住みたがらない

-目次-
第1部 その時どう行動したか ―再現1995年1月17日
第2部 日本の危機管理は大丈夫か
 実現できない現場の意思 ―迅速対応妨げる日本的仕組み
 国の現地対策本部は機能したか ―幻想の「即断即決」
 神戸市長が非難された理由 ―NY市長は称賛を浴びたのに
 危機管理に不可欠な「自治」 ―「現場」からスタートしよう
 迫り来る危機に備える ―「国依存」から脱却しよう