読書メモ

・「情報病 - なぜ若者は欲望を喪失したのか?
(三浦展、原田曜平 :著、角川oneテーマ21 \705) : 2009.11.03

内容と感想:
 
世代でいうと、三浦氏は戦後の第二世代「新人類」、原田氏は第三世代「ロスジェネ」。その二人が第四世代である「今の若者の解明」に迫った本。 世代を持ち出すのは彼らのような商売の人たちだけだろう。とかく分類したがる。 彼ら大人から見れば「若者は欲望を喪失した」ように見えるそうだ。
 本書は著者二人が、東京の現役大学生男女二人にインタビューし、今の若者の消費性向を探っている。 世代論を語るにはあまりにサンプルが少なすぎて、本来なら本にするのも憚られるのではないかと思うが、 本になってしまっているのは、ベストセラーを出した驕りか? 若者の生の声を聞くのはそれはそれで面白い。
 第四世代はケータイ、ネットの普及で情報化が進んだ結果、かえって人間関係に縛られてしまっているという。 社会に出たら苦労しそうだ、と素直に感じた。受け入れる職場も苦労しそうだが。
 彼らは年金ははなから期待していないし、消費文化の衰退、格差論も受け入れ済みだという。 そもそもカネのない学生を消費させようとしてもパイは小さい。 「KY消費」などというキーワードが出てくるが、彼らは友達(と言えるか疑問)との関係を大事にするあまり、 周りの空気を読み、それに合わせるための消費にカネを使っているそうだ。 学生に限らず、若者の消費が減退しているのは、「自動車離れ」などが象徴しているように、 給与が上がりにくい世の中に適応しようとしている結果だろう。
 「欲望を喪失した」というが、欲求とは違うのか? 人間の生きる原動力は欲求だというが、5段階説があるように、生活が豊かになって、欲求の次元が異なって(上がって)きたのではないか? ある側面(消費や性的なもの)だけを見ていると見誤る。それでも若者も大人になる。自分で生きていかねばならなくなる。

○印象的な言葉
・情報に依存し、振り回される面が多い
・モノが単なる情報に過ぎなくなっている。必要最低限のインフラとなる「モノ消費」と、 社交やコミュニケーションのための「情報消費」。
・階層が固定化され、消費文化が一部の者の特権になる江戸時代に戻った
・良好な人間関係を保つのが幸せ。友達「村」社会。友達に監視してもらう。孤独になれない
・モノに対する薀蓄も不要
・全てがブランドになりストレスが生まれた。社交辞令みたいな定型的消費。
・共通の話題を作りたがる。同調志向が強い。人並み意識
・リア充:リアル(現実生活)が充実している
・腐女子:オタク系女子全般
・末人化:盲目的、惰性的、受動的
・みんな自由、という教育をしているのに、、大人になると動けない
・もうちょっと肩の力を抜いて楽しい人生もあるのかな?
・森のざわめきのような音は130KHz。その音でも癒される。CDは20KHz以上は出ない。
・モノの進化の過程を知っていて、そこで選べるのが豊かさ
・製品がブラックボックス化され、男のロマン的な部分がなくなった。こだわれなくなった
・環境がデジタル化され、人間の感性と合わなくなっている。人間の記憶は薄れていくのに、機械の中にはくっきり保存されているのが気持ち悪い。
・情報が多すぎて、大事なことを考える時間がない
・同質化しようとしている。流れ・文脈に沿わせるのを考えないでやっている。それが小泉や民主党を勝たせている。
・KY消費にカネがかかる。みんなと合わせるために。自助精神、自立心が不足?一方で、KYが消費全体を縮小させている。
・日本人の悪い部分がネットで助長されている。誰かが突出するのを嫌う。仲良しのふりをして足を引っ張る。群れる。
・格差が固定された社会には希望がない。希望を持たないから希望格差もない。
・学校で「上昇するように」教育していない
・常にコミュニケーションをとることに時間もエネルギーも割かれている。周囲が気になって、オフにできない。牽制しあって金縛り。
・コミュニケーション力の弱い、あるいは関心を持てない人が疎外された状況に陥りやすい。求められるコミュニケーションスキルの基準が上がっている。 コミュニケーションスキルは下がっていない。
・昔は都会の大学に地方出身者が多かったが、今は地元志向が強く、同じ大学の学生はみな似通っている。(→うまく地方主権志向が高まらないか?)
・空気を読みすぎて「空気」を消費(→空回り)

-目次-
第一章 性欲が薄れて見えるのは情報化のせい
第二章 空気を読むから物欲が縮小してしまう
第三章 論じたり語ったりするのはオカルト