Kakapo Update

 54羽のカカポ、20羽のメスと34羽のオスの生存を確認している。島で孵化した6羽の他は全部、1975年以来、外来の哺乳類捕食者から守るために沖合の島々に引っ越させたものたちである。


 コドフィッシュ島では今年、5年振りに繁殖が起こった。先の(不成功に終わった)繁殖を受けて工夫された密集隊形式管理戦略技術、--- これには、補助食物を与えて繁殖中のメスを支援することや、ネズミから巣を効果的に守ることや、巣をそれぞれ集中的に監視することが含まれているのであるが --- が実際的なだけでなく、生殖を成功させるのに重要であることが分かった。3羽の雛が孵った。これは、1981年以来生存してきたうちで最大の数字である。このことは、ほぼ4年間成鳥が死んだことがあるとは知られていないという事実と考え併せると、管理が始まって以来、初めて、わずかだがカカポの生存数が増えたということを意味するのである! 1997年冬季中、5羽を別の島に引っ越しさせ、『新しい』メスが1羽発見された。


リトル・バリア島: リトル・バリア島(LBI)には、12羽(オス9羽、メス3羽)がいる。1991年にこの島で育ったメス2羽を除くと、すべて、1982年にスチュアート島から移籍して以来放し飼い状態にある。メスのうちの2羽とオスのうちの4羽は、補助給餌を受けている。補助食物の消費量は夏季の開始とともに減少している。ここ数年と同様に、残りのメス(『ジーン[Jean]』)に補助食物を受け入れるよう訓練しようとしているが、不成功に終わっている。

 何らかの窪地[bowl(=court)]行動がここ数週間見られており、6つの窪地系が目下活発になっている。しかしながら、ブーミングは未だ起こっていない。LBIでは、繁殖は1995年に起こったものが最後である(未受精の2腹)。



モード島: モード島では、現在、7羽(オス4羽とメス3羽)が放し飼い状態にある。すべて補助給餌を受けている。LBIと同様、補助食物の消費レベルは、現在、夏季の開始とともに減少している。

 9月以来何らかの窪地行動が見られていたが、ついに1羽のオスが11月19日以来ブーミングを行っている。現在までのところ、モード島で繁殖が起こったことがあるとは、知られていない。



ウェニュア・ハウ/コドフィッシュ島: コドフィッシュ島では、31羽(1997年の繁殖期生まれの3羽の若鳥を含むオス17羽と、メス14羽)がいる。

 今季育った3羽の若鳥はうまくいっている。『マニュ[Manu]』と『ティワイ[Tiwai]』は現在8ヶ月、体重はそれぞれ、約2.4kgと2.2kgである。これは、母カカポより1キログラムぐらい重い数字である。2羽ともに、まだ出生時の行動圏内にあり、母カカポと行動をともにしている。部分的に人工飼養された若鳥『シロッコ[Sirocco]』は最近1.7kgから1.8kgの体重を維持している。雛鳥としての彼の呼吸状態には、わずかに疲労の痕跡が見られる。

 送信機装着による怪我から回復中のメス成鳥1羽(『ケン[ken]』を除いて、コドフィッシュのカカポはすべて放し飼い状態にある。14羽のメスのうちの11羽と、17羽のオスのうちの9羽は、補助給餌を受けている。

 ここ2・3週間、6つの窪地系に活発化の兆候があるが、ブーミングは未だ聞かれていない。



ホールディング島: 不妊、あるいは、生殖能力の低いと思われるオス4羽をスチュアート島南部沖の島に収容している。



移動:  リトル・バリア島の年齢不明のメスカカポ2羽(『マギー[Maggie]』と『ベッラ[Bella]』)を6月にコドフィッシュ島に移動させた。2羽は1982年以来リトル・バリア島で放し飼いになり、1989/90年以来補助給餌を受けていたものである。ベッラはこの15年間繁殖の兆しがあったとは認められていない。マギーの方は、補助給餌開始直後から2シーズン連続で、レックを訪問することはせずに、1つ無精卵を2度産んでいる。繁殖を自然と刺激するような豊富で実のなる植物がリトル・バリア島には存在しないように思われる。一方、コドフィッシュ島では、めったに実を付けない優占樹種のリムノキ[rimu]が実を付けたのに符合して、カカポは2度繁殖している。そういうわけで、もしこの2羽が繁殖能力が未だあるとすれば、コドフィッシュ島への再配置によって、2羽の繁殖が促進されるかも知れない。コドフィッシュにはさらに有利な点がある。リトル・バリア島に比較して、レックが殆どのメスの行動圏に近く、近づきやすいという点である。

 これらの理由で、モード島で飼育下にあったメス『ホキ[Hoki]』も、1997年7月にコドフィッシュ島で放し飼いすることになった。マギーとホキの2羽は、放鳥にさきだって2週間、それぞれの放鳥場所に設置した檻に収容された。放鳥後も2羽は、近くに留まり、それぞれに割り当てた給餌所から採餌し続けた。しかし、ベッラは、放鳥前の1週間収容しただけである。というのも、ベッラはもともと行動範囲が広く、補助給餌を受けるのを止めていたからである。

 グラント・ハーパー[Grant Harper]によって組織指導された遠征隊によって、それまで知られていないかったメス1羽が6月にスチュアート島南部で発見され、コドフィッシュ島に移された。スチュアート島南部の広大な薮地に生き残っている個体が未だいる可能性を軽視することはできないので、そこでの更なる調査を優先させることにする。

 コドフィッシュ島のオス2羽(『ボス[Boss]』と『ベン[Ben]』は、今年初めに無精卵を産んだメスと交尾していたと考えられ、その繁殖能力が問題となっていた。そこで、2羽を9月にホールディング島に移動させた。



繁殖: コドフィッシュ島の10羽のメスカカポのうちの9羽が、1997年2月中にレックを訪問しており、交尾したと考えられている。交尾後18日以内に、これらのメスのうちの6羽が巣作りをした。他のものは明白に巣作りしていない。この6羽のメスは、全部で12個の卵を産んだが、うち7個は無精卵であった。すべての卵はメスのもとに残された(オスカカポは抱卵や雛育てに何の役割もしない)。5つの卵が孵化し(うち1つは、孵化直後に死亡)、また、前・中期の死亡胚も2つあった。

 4羽残った雛のうちの2羽は、それぞれの(補助給餌を受けている)母カカポのもとに残された。他の2羽は、病気が発見されたので獣医の介護を受け人工飼養するために、育雛の段階中引き離すことになった。これら4羽は巣立ち段階(11週)まで生存したが、部分的に人工飼養されていた雛のうちの1羽(『グロメット[Gromette]』)はこの段階で死亡した。マッセイ大学の獣医師の検死報告では、抗生物質(特にバトリル[Batryl])の長期使用によるものと結論していた。しかしながら、こうした治療がなかったとしても、死は訪れていただろう。グロメットは、生まれてからの2週間の餌不足だけでなく、卵の段階ないし早期雛の段階での寒さのために、深刻な発育不良にあったからである。

 1992年と同様、1997年のリムノキの実は不作だった。実が熟さないまま落ちてしまった。しかも、1992年同様に、非補助給餌状態のメスは食物不足のストレスから、事実上抱卵不能であるか、育雛不能であった。非補助給餌のメスは、補助給餌のメスよりも、毎夜巣外での餌探しに倍の時間を費やしていた。こうして、グロメットが深刻な体重不足に陥り、その12日目に母(非補助給餌)カカポから彼女を引き離さねばならなくなったのである。しかしながら、彼女は発育不全のために巣立ち段階(11週)で死亡した。

 『シロッコ』は、23日目に、長引く風邪で呼吸器に問題を起こし、体重が減り始めた。彼は治療に応じ、バーウッド・ブッシュ[Burwood Bush]で人工飼養され、うまくいった。シロッコは7月初めにコドフィッシュ島に戻り、11月末に当地で放し飼い状態に放鳥された。1997年に育った3羽の若鳥たちはすべてオスだった。死んだ2羽の雛たちはメスだったのに!

 カカポに繁殖を誘発するものが同定できて、しかもそれを模倣できないならば、次のリムノキ結実の時まで再び当地で繁殖が起こることはありそうにない。結実は普通は5年以内の周期で起こるが、1998年には再びリムノキ結実が起こる兆候があるのだ! グリーム・エリオット[Graeme Elliott]とロス・コール[Ros Cole]は最近コドフィッシュでリムノキの実の成長を調査しているのであるが、彼らによると、実の状態は去年のこの時期のそれと同様であるということだ。



餌と給餌状況: カカポの自然食餌の調査が続行している。ホルモン分析の予備的な結論としては、発情活性レベルが意外と高い重要食品がいくつかあるということである。

 1993年以来同じ場所で周年無制限給餌を行ってきたが、1997年その方法を中止した。秋から早冬までは無制限給餌、冬から早春までは食物の範囲と量を減らし(体内の貯蔵脂肪をもっと可動化させて自然食物を探すことを促進させ)、晩春からは豊富に食物を与えるという、自然なサイクルをもっと綿密に模倣しようとする方法に代えたのである。

 マッセイ大学とプロファイル・フーズ[Profile Foods](オークランド[Auckland])の動物栄養学者との討論に基づいて、来年は補助給餌の存在範囲を徐々に削減し、カカポ専用に処方したペレット餌を代わりに設置しようともくろんでいる。ペレット餌のおかげで、有機燐殺虫剤レベルをさらに減らす一方で、栄養素、ビタミン、ミネラル、ホルモン摂取量を操作できるようになる。



総論: コドフィッシュ島のオス『ケン』は、1995年に、翼の付け根に深刻な傷をうけた。装着した送信機が引っかかったためとはっきり分かるものであった。彼の経過は目下良好である。1997年1月以来、彼はコドフィッシュで飼養されて獣医の治療を受けている。治療には、何度にも亘ったインバーカーギル[Invercargill](訳注:ニュージーランド南島南岸の都市)での手術、傷の定期的な包帯掛け、包帯による片翼の拘束、および、継続的な投薬が含まれている。ケンの飼育は、新局面を開いた。というのも、成熟した野生のカカポが飼養に適応できること、それに、鳥たちは繰り返し麻酔に耐え、継続的な投薬や頻繁な手での取り扱いにも耐えることができるということを示したからである。コドフィッシュ島のスタッフ、特にロス・コールの10ヶ月に及ぶ忍耐と献身の結果、ケンの傷は今や事実上癒えている。しかしながら、最近の血液検査の結果によると、まだ感染症を抑制できていない。

 リトル・バリア島とコドフィッシュ島の宿泊設備の改良工事が完了した。

 バード・オーストラリア[Birds Australia](正式には王立オーストラリア鳥学会[Royal AustralasianOrnithologist's Union])の要請で、ドン・マートン[Don Merton]は、最近、オーストラリア、ニュージーランド、南極の鳥[Handbook of Australian, NewZealand and Antarctic Birds]の最新巻のためにカカポの経過を編集した。これは、カカポ生物学の最も分かりやすくて最新の説明となるものである。



スタッフ: グラント・ハーパー(カカポ計画職員、コドフィッシュ島)が8月に辞職した。マイク・アンダーソン[Mike Anderson]が彼の後任となった。ただし、正式にはスチュワート島のDOC(自然保護省)の所属である。

 ネイディーン・パーカー[Nadine Parker]が2年契約で10月に国立カカポ・チームに加わり、糞のクチクラ(訳注:植物の表皮層)を分析してカカポの食餌面を調査することになった。

 ダリル・イーソン[Daryl Eason]がモーリシャス[Mauritius]でのモーリシャスホンセイインコ[Echo parakeet](訳注:普通はMauritius Parakeetと呼ばれる鳥。学名は Psittacula Echo)回復計画へ2ヶ月間派遣された。



生存が確認されているカカポ: 1997年12月

メス オス
亜成鳥 成鳥 亜成鳥 成鳥 合計
フィヨルドランド 1987年以来絶滅と考えられる
スチュアート島 1980-97年 個体群を移転
コドフィッシュ島 1 13 3 14 31
モード島 0 3 0 4 7
リトル・バリア島 0 3 0 9 12
ホールディング島 0 0 0 4 4
Totals 1 19 3 31 54


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Zealand Department Of Conservation - Te Papa AtawhaiThis update provided by:
Don Merton
National Kakapo Team.