自然観察会ってどんなもの?



 「自然観察会」という言葉から,どんなものを想像しますか?
 自然保護活動,趣味の会,子供たちの野外活動教育……。
 私はもっと,気軽で身近なエンターテイメントとして,「自然観察会」を考え欲しいと思っています。

 たとえば,知らない土地に行ったときに,その土地の名所や良い景色の場所を案内してもらうように,自然観察会はその土地の自然環境や自然史を案内してもらう,小さなツアーのようなものとして利用できます。

 たとえば,その地域の人たちの交流や,子供たちの遊び場として,また,遊びながら,知らないうちに「自然とのつき合い方」を身につけてゆく,ほんとうの意味での,良質の「環境教育」が提供できるコミュニティ的な存在として,自然観察会を活用している人たちもいます。

 たとえば,地域の自然環境,ひいては地域の人々の住環境をよりよく保つための市民活動として,自然観察会を通じて広く市民にアピールしたり,観察して得たデータを持って,行政に発言したり,行政と市民の声を上手に結んでいる人たちもいます。

 そして,その誰もが,自然観察を,とても楽しんでいます。

 日本での自然観察会のはじまりは,公害問題が盛んな1960年代,地域の自然環境を見つめ直す市民の自発的な活動から,盛り上がったと言われています。もちろん,それ以前にも,趣味の集まりとして「探鳥会」「虫の音鑑賞会」「山野草趣味の会」のようなものはありましたが,自然環境全体を捉えて考えるという発想の出発点は,地域の環境問題から,と言うことになるようです。現在では公害や開発に関わる活動の割合は低く,エデュテイメントとしての「環境教育」と言った方向に発展しつつあります。

 「自然観察」と言うと,とかく,「探鳥会」や「野草を見る会」のように,ちょっとマニアックな集まり,と言う印象を与えがちです。ちょっとマニアックな自然愛好家集団が,自然環境を破壊しているという,残念なニュースも聞きます。
 「鳥」,「スミレ」,「コオロギ」と言うふうに,観察対象を絞り込んで観察するのは,悪いことではないと思います。テーマを絞ったほうが,観察しやすく,理解しやすいからです。問題は,観察対象以外のものに配慮が届くかどうかです。藪の向こうの鳥を見たいがために,希少な植物を踏み荒らしたり,同じフィールドを利用している他の人に「鳥の観察の邪魔だ」と罵声を浴びせるようでは,いけません。野草観察者の中には,花を折って持ち帰るだけでなく,自分の欲しい植物を根ごと掘り取ってゆく例もあります。一部の自然愛好家の心ない行為が,自然観察する人すべての印象を悪くしてしまいます。
 しかし,自然愛好家が自然を破壊するのは,自分で自分達の楽しみを奪っているようなものです。このような人たちは,本来なら「自然保護」の敵であり,「自然観察会」の敵です。

 私が個人的に理想としている「自然観察会」は,地域に根ざした,「環境教育」や「環境保全」の情報発信ステーションのようなものであり,誰もが気軽に参加できる,市民活動のコアのようなものです。しかも,それは地域の人の手によって運営されていて,誰もが気軽に参加して楽しめるものでなくてはいけません。
 私はこれまでに,「探鳥会」という枠組みの中で,「鳥」をコアにしながらも,自然環境全体に目が届くような観察会を作ることを目指したり,さまざまな切り口で,自然環境への興味を喚起するような観察メニューを工夫したり,さまざまな年齢層の興味に合った観察案内方法を考えたり……と,この10数年間,いろいろと取り組んできました。その経験から得た,自分なりの結論として,「もっと多くの市民に支持される観察会」を作ることを目標に考えている昨今です。遠い将来,人と自然の関係が,もっと良くなることを夢見て……。

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