身近な自然にひそむ危険 〜実例編〜

ダニ1匹でてんやわんや

 身近な危険について,ある程度知っていれば対策も楽だけど,中途半端な知識だと,かえって不安がエスカレートしてしまう場合もあります。しかし,それはまだマシなほう。もし,危険についてまったく知らない場合,どうして被害を受けたのか解らなかったり,他人に危害を及ぼしてしまっても解らないでしょう……そんなことを考えさせられた事件です。


 東京近郊の,まだ自然の残る町。そこには,開発の波をくぐりぬけながら,身近な自然を守り,育ててゆく,素敵な人達がいます。そんな人達の観察会に,親子で参加したときの話です。

 その観察会は,単に鳥や草花を愛でるだけでなく,ある人は帰化植物の調査をしながら歩き,またある人は,観察コース沿いの環境のエコアップ作業に関わったりするような,自発的でアクティブな観察会でした。もちろん,子供も大喜びで,エコアップ作業をする人の後ろにくっついて行って,環境調査の体験や,エコアップ作業の手伝い(と言うよりは,邪魔しに行ったようなもんですけどね)などをして,楽しく過ごしました。

 さて,家に帰って,ゆっくりお風呂に入り,湯上りに,ふと子供の首筋に,2〜3mmほどの,大きなホクロを発見。……あれ?こんな場所にホクロなんて,あったっけ??……と,じ〜っと近づいて眺めてみると,なにやら短い足が見える。……吸血性のダニです。しっかり口器が皮膚に刺さっています。そ〜っと引っ張ってみると,ちょっと表皮の組織がくっついてきたけど,取れました。さいわい,吸血はしていない様子。ダニのお腹はぺちゃんこです。
 いったいどこでダニに……と思い返してみると,どう考えても,エコアップ作業のために谷戸の水路脇の草地におりたときぐらいしか,考えられません。水辺,草,吸血ダニ……とすると,新型ツツガムシ病の危険を思いつく人もいるでしょう。まさにその条件が揃っています。

 ……普通の家庭なら,ここで大パニックになるかも知れません。でも,我が家では,さらに冷静な分析が続きます。
 この大きさのダニなら,マダニ類であることがわかります。ツツガムシ病を媒介するダニはもっと小さいのです。でも,それだけの同定では危険がゼロではない。もし,リケッチア群の感染による熱が出たとしても,今日中に症状が出るものではないし,事情がわかっていれば,テトラサイクリン系抗生物質を処方してもらって,完全に治療できるので,とりあえず発熱に関しては様子見とします。
 次に必要なのはダニの同定です。ダニの種類がわかれば,ダニが運んでいる病原体にも見当がつきます。ダニをフィルムケースに入れ,消毒用エタノールを満たし,保存します。ダニの同定は,正直言って,普通の人には困難です(大きな医療機関や保健所などに依頼できると思います。ダニにかまれた人が発病してからでも遅くはありませんので,とりあえずダニを取っておきましょう)。我が家の場合は,こっち方面には明るいので,自分で検索しました。野外での吸血性のマダニは,まず間違いなく,動物に寄生しているものが,たまたま人間にくっついたものだと考えられます。職場にダニを持ってゆき,家畜の寄生虫病学の本を引っ張り出し,実体顕微鏡で丹念に検索します。この手のダニは,脚のトゲや口器の形の違いで種を同定するので,この作業には実体顕微鏡が必要です。

 その結果,このダニはイヌヒナチマダニであることがわかりました。
 犬に寄生するダニだったのです。
 とりあえず,リケッチア等の面倒な感染症の危険はなさそうです。ダニの噛み痕も,腫れることもなく,順調に回復しているので,ひと安心。

捕獲したイヌヒナチマダニ。腹面からの撮影です。
アルコール漬けにしていたので,ちょっと色が薄くなっています。
このようなダニの種類を同定するのは,専門家でないと無理。


 ……とすると,あの場所では,エコアップ作業している場所に,犬を放して走らせている飼い主がいるんだろうな,と想像ができます(少なくともあの場所で野犬は見たことがありません)。山あいの,草丈の高い,けっこう足場の悪い場所ですが,犬の散歩に利用する人がいるんでしょうね。犬を入れている人がいると言うことは,あの場所をエコアップしている人達にとっても,大変迷惑な話です。また,環境中にダニが落っこちていると言うことは,あの場所を利用する別の犬がいた場合,ダニがうつる可能性も,十分にあります。これは,犬の飼い主の,散歩のさせ方のモラルの問題と,犬の衛生管理面の問題が関わってきそうです。実際,飼い犬のダニ感染例は,決して少なくはないのです。ダニ感染に,なかなか気づかない飼い主もいますので,実態は良く掴めていませんが……。

 人里近くに住むタヌキには,飼い犬から疥癬症(ヒゼンダニの感染)をもらい,皮膚炎で全身の毛が抜けて死亡する例もあります。人やペット動物,野生動物の接点となるようなフィールドでは,ペットについた寄生虫や病原体の持ち込みによる影響は,無視できないのです。もちろん逆のことも言えるわけで,野生動物についている病気を,人やペット動物がもらってくる可能性もあります。

 もし,あなたの家の近所の空き地や原っぱなどで,犬を放して遊ばせているのをよく見かけるようなら,そこにはダニが落ちていて,人にも食いつく可能性があることを,頭の隅っこにでも入れておいてください。そして,犬を飼っている方は,河川敷とか原っぱに犬を放すと,何か虫や病気を拾ってくる可能性があることを,覚えておきましょう。
 パニックを起こさないだけの予備知識も,有効な危険回避術の1つだと思います。


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