自然保護,環境教育のウソ・ホント

もしも,あなたが「自然のために」と思ってやっていることが,
自然を守ることになっていなかったら,どうしますか?
生態学研究の進展につれ,いままで常識だったことが,
実はちょっと問題アリだった,と言うことになる場合もあります。
ここでは,自然保護の新しい常識を求め,
自然保護と環境教育について,ちょっとまじめに考えてみます。


1.野鳥や野生動物に餌をやっても自然保護にはならない?
2.巣箱かけは自然保護活動?
3.自然観察会や探鳥会が,「自然保護活動」にならないことがある?
4.昆虫の長距離輸送はこれだけ危険
5.草や木を植えても自然保護にはならないこともある
6.巣立ちビナを保護する人が増えると,野鳥が減る?
7.せっけんを使えば水環境は救える?

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1.野鳥や野生動物に餌をやっても自然保護にはならない?

 よく,ハクチョウに餌付けする人達などの活動が,「美談」としてマスコミに登場します。ところが,野鳥への餌付けは,野鳥のためには良くない場合のほうが多いのです。
 理由は3つあります。

1)特定の生き物に餌を与えて個体数を増やせば,生態系のバランスが崩れる。
 極端に個体数が減って,人間が積極的に管理しなければ絶滅してしまいそうな動物種は,餌付けの必要がありますが,そうでない場合,鳥や動物の数は餌や繁殖場所などの要因で,コントロールされています。もし,餌の量によって個体数を抑えられていた種に餌付けしたら,その種は一気に増えることでしょう。そうすると,その種と直接的,間接的に関わっている,すべての生き物に影響が出ます。
 いま,奥日光や北海道などで,鹿の食害が深刻になっています。日光の場合,そのきっかけは,大雪の年の餌付けでした。実は大雪で餌が減って餓死する鹿がいることで,鹿の数がコントロールされていたのです。それを無視して餌付けをし,その後の暖冬が個体数増加に追い打ちをかけました。現在,農業被害だけでなく,奥日光の希少植物の壊滅的な食害,さらには尾瀬への鹿の侵入も始まったようです。行政が鹿の防除にかけている費用は,財政をも圧迫しかねない状況です。「鹿が餓死するのは可哀想だ」と最初に餌付けを訴えた動物愛護論者は,この事態をどう見ているのでしょう?

2)必ずしも野鳥や野生動物の身体によい餌が与えられているとは限らない。
 人の食べているものと野生鳥獣の食べているものを比べてみてください。水鳥の飛来地では,スナック菓子やパンの耳などを鳥に与えているのをよく見かけますが,人の食べているスナック菓子は,鳥にとっては,やたらと味が濃い,繊維が少ない,カロリーが高い食べ物です。また,野生鳥獣に満腹するまで餌を与えてしまうのも,あまり好ましいと言えません。

3)餌付けで増えすぎた野鳥や人慣れした野鳥が,人に危害を及ぼした例がある。
 ニホンザルの餌付けなどでは,しばしば問題になります。人と動物の住み分けができなくなってしまうのです。最近では,キャンパーやハイカーの捨てたゴミを食べて,人の食べ物の味を覚えた熊が人里に降りてくるような事件も多くなっています。
 東京都心のカラスやユリカモメ。彼らも,人の捨てたゴミで数を増やしました。人にとってはゴミでも,彼らにとっては,餌付けと同じ効果を持っています。

 以上のように,餌付けはかなりのリスクを持った行為であることを,知っておかなくてはいけません。

 でも,餌付けって,楽しいですよね。なぜ,どうして,餌付けが楽しいのでしょう?
 これはどうも,人間の側の気持ちの問題ではないか,と思われます。「動物愛護精神」って言うやつです。
 小さな命あるものを慈しむ心。そして,与えた餌を喜んで食べてくれるのを見ると,ものすごく充足感があります。これは,ペットに餌をやる感覚に似ています。「自分が頼られている」と言う満足感を感じるのです。悪く言えば自己満足なのですが,それがどこかで,「野鳥(野生動物)のためにやっているんだ」と言う感覚にすり替わっているんですね。動物愛護と自然保護の区別が,ごちゃごちゃになっている。たぶん,そういう人のほうが,多数派なのでしょうけど。
 もっとも,自然保護活動をした気にさせる,と言うのは,案外,重要なことかも知れません。餌をやったことが,自然に目を向けるきっかけとなり,自然を好ましく感じ,さらに,自然保護にも興味を持ってくれるのであれば,「環境教育効果がある」と考えられます。
 生き物に触れると心が癒されるのは確かです。最近では,アニマルセラピーというジャンルの,心のリハビリが注目されていますが,餌付けにはアニマルセラピー効果も期待できるようです。
 餌付けには,「餌をやる側の都合」が大きくものを言います。こうした人間側の都合が,残念ながら,野鳥や自然環境の側の都合と,噛み合ってくれないのです。

 庭に餌台を置くような場合も,あまり多量の餌を撒くのは良いとは言えません。個人の楽しみの範疇で楽しんでもらえれば,と思います。外国での話ですが,餌台が普及している地域で,餌付けされやすい鳥が増えすぎて,生態系のバランスが崩れ,結果的に他の鳥を減らしてしまったと言う事例もあります。

 結論としては,一般的な,管理されていない野生鳥獣への餌付けは,「動物愛護的行為」であって,「自然保護」ではない,と言うことが言えます。しかし,「環境教育的効果」を考えた場合,餌付けのもたらす教育効果は,じゅうぶんに価値のあるものだと思います。問題は,それをどうやって,自然保護と結び付けてゆくか,でしょう。

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2.巣箱かけは自然保護活動?

 これはホントでもあり,ウソでもあります。
 よく,学校や地域団体などで,みんなで巣箱かけをしていることがあります。
 いちばん良く作られるのはシジュウカラ用の巣箱。シジュウカラは見た目も愛らしく,虫をよく食べてくれて,巣箱をよく利用してくれます。シジュウカラは本来,木の「うろ」などを利用して巣を作りますから,もともと巣箱と似た環境で巣作りしているんですね。
 ところが,この巣箱かけも,鳥の生態や自然環境のことを知らなければ,あんまり役に立たないこともあるのです。

 巣箱が「自然保護」的に役に立つ場面は,対象となる野鳥が,営巣場所が不足していると言う理由で個体数が減っている(増えない)ときです。大型のフクロウ類,大型のキツツキ類などは,特に大きな木を要求しますから,大木が伐採されたり枯死した森では,巣箱が活躍してくれます。

 では,街の中,御近所の緑地では,どうなのか。
 シジュウカラのために巣箱を用意すること自体は,そんなに悪いことではありません。巣箱を利用する必要がなければ,巣箱に入ってくれないだけのことです。最近では,隙間の多い瓦屋根が減ったので,そこを利用していたスズメのほうが住宅難で,スズメが巣箱を利用する場合も多いようです。
 シジュウカラの場合,かなりはっきりとしたテリトリーを持つので,1本の木に何個も巣箱をかけても,結局は無駄が多くなります。相手にしている鳥の生態を良く知って,無理や無駄のないようにするのも,ひとつの「環境教育」だと思います。

 それから,巣箱をかけっぱなしにすることも良くありません。繁殖期が終わったら,巣箱の中を掃除して,補修する必要があります。あまり無責任に巣箱をかけるのも問題があるのです。
 巣箱をかける時期は,繁殖期直前ではいけません。シジュウカラの場合,越冬中に営巣場所をリサーチしています。ですから,11〜12月頃に作業をするのが正解。このときに,前の年にかけた巣箱を整備してやれば,巣箱のメンテナンスは年1回で済みます。

 巣箱かけも,きちんとやらないと,餌付けと同様,「自己満足」の部分が大きくなってしまいます。でも,それが,自然目を向けるきっかけになる,と言う効果も,餌付けと同様です。問題は,それを「自己満足」で終わらせてしまうか,自然保護的な考えへと発展させることができるか。それは,指導者の思想と力量に依存しているのが現状でしょう。
 「愛鳥運動」と言われているものが,本当に鳥のため,自然環境のためになっているのか,特に指導的立場におられる方は,もういちどしっかり確認して欲しいと思います。

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3.自然観察会や探鳥会が,
  「自然保護活動」にならないことがある?

 自然観察会や探鳥会を行なう意義って何でしょう?
 いちばんの目的は,自然の面白さ,素晴らしさを多くの人に知ってもらい,自然を好ましく思う人を増やし,ひいては自然保護に前向きな人を増やすことだと思います。
 ひとことで言えば,自然保護思想の普及啓蒙です。
 多くの場合,自然観察会/探鳥会は,その主催団体の中心的な活動として位置づけられています。また,こうした公開イベントは,人の目に触れやすく,活動を社会にアピールする力も強いでしょう。
 また,観察会/探鳥会が開催される場所では,その場所に観察会を催せるだけの自然があることを,無言のうちにアピールしていることにもなるでしょう。さらに,観察会/探鳥会が盛況であれば,アピールする力は,さらに強くなると考えられます。

 ところが逆に,観察会/探鳥会が否定的に受け止められる場合もあります。
 バードウォッチャーの集団が,マニアックな集団として煙たがられることもあります。また,野鳥観察を楽しむ人の中にも,「集団で鳥を見に行くと鳥を追い払いながら歩くようで嫌だ」とか,「大人数での自然観察は,自然環境へのインパクトが大き過ぎる」と言った批判があり,同好者の中でも意見が分かれています。
 実際,私もとある探鳥会で,探鳥会の集団が去ったあとに,スミレなどが掘り取られたり踏みつぶされたりした跡を見つけ,とても悲しい思いをしたことがあります。自然を愛する人達が自然を壊しているという悲しい現実……と言ってしまえば,それまでなのですが,私の観察案内した経験から言わせてもらうと,彼らは,どこまで自然にダメージを与えたら,取り返しのつかない,まずいことになるのか,分からないようなのです。いや,分からないから,観察会/探鳥会に参加しているのであり,案内役の人は,それをきちんと教えて理解させなければいけないのです。
 しかし一方では,このような「フィールドマナー指導」は観察会/探鳥会の楽しさをスポイルする面もあり,特に参加者が「マナー指導」を歓迎しない傾向が,最近のアンケート調査結果にも表れています。それでいて,「じゃあ,あなたは自分が楽しめれば,それでいいのですか?」と聞けば,ちゃんとフィールドマナーの「模範解答」が返ってきたりします。
 言うは易し,行うは難し,ですね。

 私なりの結論としては,フィールドマナーは知っているけど,なぜ,そうする必要があるのか,マナーの意味を知らないのではないかと思います。ある程度自然を傷めつけて,「これはちょっとまずいぞ」と言う実体験でもしてもらわないと,理解しにくいのかも知れません。
 私が子供の頃は,カエルを捕まえて遊んでいるうちに,強く握りすぎてぐったりしてしまって,「あ,しまった!」と青ざめた経験などは,けっこうありました。そんな経験の中から,「これ以上はまずいんじゃないかな」と言うラインが,自然と形成されてきたのだと思います。いまの観察会/探鳥会の参加者は,経験豊富な中高年,……だと思っていたのですが,アンケート調査してみたところ,年を取ってから観察を始めた人がほとんどで,驚くほど「自然体験」に乏しい人が,かなりの数,含まれています。今さら,自然観察会参加者1人1人にカエルを握ってもらうわけにもゆきません。がしかし,何らかの形で,「これ以上はちょっとまずいぞ」と言う体験を,「観察会」と言う管理された枠内で実行してもらうのも,悪い試みではないと考えています。もちろん,その場合,大人数の参加者を受け入れることは不可能になりますが。

 観察会/探鳥会は,単に花や鳥を見せて名前を教えるだけでは,それを愛好する人にとっては良くても,自然保護活動が社会的な信用を得ることや,自然保護の担い手を増やすという目的を,失ってしまうのではないかと思います。
 少なくとも,自然愛好家が自然を破壊するのでは,観察会/探鳥会の社会的信用にも関わりますから,何とかしたいと思っている問題なのですが……。

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4.昆虫の長距離輸送はこれだけ危険

 最近では,かなり見直されてきましたが,観光目的で「ホタルの夕べ」等のイベントを催し,捕獲したホタルを放してお客を楽しませることが,今でもかなり行われています。ホタルを捕獲,流通させる業者も存在します。
 このような,昆虫の大量捕獲,放虫には,2つの面で問題があります。

 ひとつ目の問題は,捕獲地の環境破壊。これは比較的理解しやすいと思います。
 もうひとつの問題は,「遺伝子攪乱」の問題です。

 昆虫,特に長距離移動をしない昆虫では,1つの「種」が,地域ごとにさまざまな進化をし,「地域個体群」を作り,さらに特徴が分かれてゆくと,「亜種」や「別種」になったりします。ゲンジボタルの場合,東日本と西日本で,オスがメスに送る光のサインが違っています。東日本のゲンジボタルは4秒おきに発光しますが,西日本のゲンジボタルは2秒おきです。もし,西日本のホタルを東日本に持ち込むと,どうなるでしょう?ちゃんとオスとメスが出会えるでしょうか? もっとこまかいことを言えば,ゲンジボタルは川の上流にすむので,水系が違っただけで,持っている遺伝子の内容が少しずつ違っています。これを捕獲して別の場所で放すことは,遺伝子の攪乱の原因となり,種の存続にも関わるかも知れない,危険なことなのです。

 また,いままでその地域にいなかった種を持ち込むのも,非常に危険なことです。いわゆる「帰化昆虫」の問題もそうです。いま,農業用に輸入されたセイヨウオオマルハナバチが野生化して,日本のマルハナバチの生態系を破壊し始めました。この被害は単にハチだけのことでは済まされません。日本産のハチに受粉を頼っていた野草がすべて,絶滅の危機にさらされているのです。

 何年か前,「東京の子供達にもセミ取りの楽しさを教えたい」と,大阪から毎週,飛行機でクマゼミを運んで,都心に放している人がいました。これも全く無謀なことです。東京では,クマゼミは「外来昆虫」にあたります。もし,このために東京のセミの生態系が変わったとしたら,どんな影響が出るか,私には分かりません。第一,東京の子供達は,アブラゼミやミンミンゼミを取って遊んでいます。

 いちど生き物の失われた場所に生き物を移入して自然復元を図る作業や,新たな昆虫などを導入する作業は,思ったよりも難しく,リスクが大きいことが,おわかりいただけるでしょうか。

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5.草や木を植えても自然保護にはならないこともある

 草や木を植える場合,どうしても「美観」が優先されるようです。
 街路樹やビルの中庭などに植える木では,管理の容易さも考慮されます。
 草や木を植えると,ほっと心が安らいで,いいものです。
 しかし,「美観」「管理の容易さ」の影で,意外なしわ寄せが……。

 最近では,観光誘致なども目的にして,河川敷や土手に花を植えるところが増えています。キャンプ場などでも,きれいに整地して花を植えたりします。これは,本来あった野草の生態系をまるまる潰して,花壇を作るようなものです。見た目には美しいかも知れませんが,多くの命が犠牲になっています。
 本来,河川敷には河川敷の生態系があったのです。そこには希少な植物を含んだ,多様な植物が育ち,それが多様な昆虫や小動物を養っていました。それが数種類の観賞用の植物に置き換わってしまうと言うことは,生態系の極端な単純化をもたらします。特定の植物を食草にしていた昆虫は,生き残りようがありません。また,河川敷などの「花壇化」は,マルハナバチ類にも影響が出ました。本来,河川敷の花は,いろいろな種類の花が少しずつ時間差をつけて咲き,蜜や花粉が途絶えることがなかったのです。ところが,河川敷を花壇のようにして,花を咲かせ,それが終わると刈り取って,また別の花の苗を植え……と言う管理方法にすると,花のない時期ができます。食料を花粉と蜜に頼っているマルハナバチ類にとって,これは死活問題です。「花壇」の端境期に餓死してしまうのです。
 マルハナバチの飛ばない「沈黙の春」が,現実に広がり始めています。
 そして,マルハナバチに受粉を頼っていた野草が,姿を消してゆきます。

 伐採地などに樹木を植え込む場合,前項目の昆虫の例と同様,遺伝子攪乱の問題も考慮する必要があるかも知れません。本当に自然を復元する目的で樹木を植え込むなら,生態系の状態を考慮する必要もあります。

 最近,都心ではクスノキの植樹が目立ちます。見た目の良さ,冬でも葉が落ちないこと,植栽管理の容易さなどがあるようですが,このためなのか,クスノキを食べて育つアオスジアゲハが,都心にはたくさん飛んでいます。これもある意味では,植栽による生態系の変化,なのでしょうね。

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6.巣立ちビナを保護する人が増えると,野鳥が減る?

 ……その可能性はあります。
 動物愛護の意識が高くなったことの表れでもあるのですが,残念ながら,それは自然保護にプラスになってくれない場合が多いのです。

 小鳥類のヒナは,まだ飛べないうちに,巣の外に出入りするようになる種類が多いのです。飛べないから,と言っても,巣から落ちたのではなく,また,親に見捨てられたわけでもありません。彼らはそれが,正常な巣立ちの過程なのです。
 ところが,これを拾って保護してしまう人が多い。はっきりした統計はありませんが,春から初夏にかけての「野鳥保護」の件数のうち,かなりの部分は,巣立ち中のヒナの持ち去りだと考えられています。ヒナを持ち去った場合,正常に巣立ちが完了できる確率は,そのままにしておくよりも,はるかに悪くなります。また,うまく放鳥できたとしても,それが長期間生存できる確率も,かなり下がります。

 もし,車道などの危険な場所にヒナが降りてしまった場合,あまり距離を移動させない範囲で,安全な場所に移してやるといいでしょう。そうすれば,じきに親鳥が帰ってきます。これが,私たちが巣立ちビナにしてやれる,最低限にして最大限のことです。

 ……でも,実際にはなかなか理解してもらえないんですよね。実物の巣立ちビナを見ると,あまりにも頼りないような気がしてしまうのです。でも,拾いたい気持ちはぐっと抑え,ちゃんと,親鳥に育ててもらいましょう。そのほうが,きっと,ヒナも幸せです。

 詳しいことは,こちらを御参照ください。


7.せっけんを使えば水環境は救える?

 2001年1月某日の新聞に,実は石鹸は,それほど環境への負荷が小さいわけじゃない,と言う趣旨の記事がありました。


 せっけんは実用濃度が合成洗剤よりも高いので,石鹸は洗浄力あたりの有機物排出量が非常に多い。
 手賀沼のように,富栄養化し,CODの減少に力を入れている場所では,合成洗剤以上にCOD上昇原因として,せっけんが効いているようです。最近では合成洗剤も研究が進んで,せっけんと変わらない生分解性を持つ成分や,急性毒性の低いものも開発されています。使用量は少なくて済むけど急性毒性がせっけんより劣る成分や,生分解性はそこそこでも,排出量が少なくて済む成分とか,さまざまな特徴のあるものが開発され,「汚れ落ち」と「排水のきれいさ」を考慮して,さまざまな配合をしています。有機物の総排出量と言う点からみれば,せっけんよりも優位な合成洗剤が,数多くなってきました。
 もちろん,生分解性の良さとか,原料に石油を使わないとか,石鹸にはまだまだ利点があります。また,せっけんの原料であるヤシ油を増産するためには,熱帯雨林の伐採と言うネックがあります。
 しかし一方,原料に石油資源を使っている洗剤には,せっけんとはまた違う問題点も残されています。

 つまり,一長一短なのです。
 「せっけん=善」「合成洗剤=悪」と言う単純な思想では,解決できない問題を含んでいるようです。

 現状では,洗剤/せっけんの使う量を減らす工夫のほうが大切です。
 洗濯するときは,風呂の残り湯を使う。温水なので,洗剤が少なくて済みます。また,汚れのひどいものは水で予洗いをする。それから,洗剤はきちんと計量し,適切な水量,洗剤量を常に守る。
 これだけで,洗剤/せっけんの使用量は確実に減らせます。

 せっけんと洗剤は,その地域の排水の処理システムによって,使い分けるのが賢明です。
 下水処理システムのある場所と,河川に直行の場所では,環境へのダメージの伝わり方が違いますからね。

 我孫子市では数年前から食用廃油の回収を始め,廃油石鹸のプラントも動き始めています。しかし,廃油せっけんの需要の伸びもあまり期待できず,少量ずつの回収のため,輸送費も馬鹿にならず(もちろん,輸送や製造には化石燃料も使います),コスト的にも厳しいはずです。
 それよりも,食用廃油を出さない,昔の食生活の知恵を使いましょう。てんぷら油の残りは,炒め物に使いましょう。そのほうが,環境にやさしいことだけは間違いありません。
 廃油を出してせっけんを作るよりも,廃油を出さない生活のほうがスマートだと思います。

 琵琶湖の浄化のために石鹸を推奨した滋賀県。手賀沼のCODを減らす努力を続ける我孫子市。どちらも最近は,声高にせっけんを推奨しなくなっています。


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