自然観察で我孫子を歩く

〜その4:我孫子最後の里山で早春を探す


 人と自然が共存し,何百年もの長い間,日本の風景として親しまれていた「里山(さとやま)」。山の多い日本で,谷沿いに田んぼや畑を開き,周囲の山から木材や落ち葉などを得て生活していた,谷戸(やと)の風景は,里山の代表的な風景であり,日本の暮らしの原風景でもありました。しかし今,この風景は消えかかっています。谷沿いの田んぼは大型の農業機械が入りにくくて敬遠され,周囲の雑木林も,薪や堆肥作りの需要がなくなった今では,利用価値が無くなって荒れています。北総台地の隅っこに位置する我孫子にも,いくつかの谷戸があり,自然と共存する人々の暮らしがありましたが,宅地造成や離農などにより,里山の風景は失われつつあります。そんな中,街のすぐ裏手に残っている里山が,我孫子にはあります。我孫子最後の里山とも言われる谷戸を訪れ,早春の風景をデジカメでスケッチしてみました。

ここをクリックすると地図が出ます。




 出発点は成田線の東我孫子駅。この駅,街の中のごく普通の駅に見えますが,駅舎がありません。……無人駅なのです。この駅,1時間に2往復ほど,成田と我孫子(一部は上野まで)を結ぶ通勤電車が走っていますが,路線は単線。通勤路線のような,ローカル線のような,地元市民の足です。東我孫子駅は常磐線の天王台駅から歩いても,10分ほどで着きますから,電車の接続が悪かったら,天王台からスタートしてもOKです。


 ちょっと寄り道。
 駅のすぐ近くに,一里塚があります。
 これは成田街道のもので,我孫子宿から1里の場所にあたるようです。成田街道は,水戸街道の我孫子宿から少し下ったところで分岐し,今の成田線沿いに成田方面へ続く道です。
 この成田街道の旧道を少し歩き,我孫子ゴルフ倶楽部の東側に沿って進むと,谷戸の最上流に出て,視界が開けます。


 東我孫子駅から歩いて数分の場所です。ここが岡発戸(おかほっと)の谷戸。近年は自然保護団体の協力もあって,ここの自然環境を維持してゆく努力がなされています。

 ところで,我孫子には読みにくい地名がたくさんあります。「久寺家(くじけ)」「高野山(こうのやま)」「都部(いちぶ)」「中峠(なかびょう)」「日秀(ひびり)」など。この手の名前は,かなり古い時代から集落があったことを想像させます。岡発戸も,そんな,昔から人の暮らしのあった里山なんでしょう。一方,新しい地名は「つくし野」「天王台」など,どこにでもありそうで無難な名前だったりします。


 さっそく発見。コナラの枝に,ハラビロカマキリの卵。


 冬枯れのクズの茎。葉のついていた跡(葉痕)が顔みたい……宇宙人?


 田んぼの畦に,タネツケバナが咲いていました。この花は,湿った土地を好みます。


 谷戸の真ん中辺りから,上流を望みます。
 左右の小高い林は,標高20mぐらいしかありません。北総地域は,多摩丘陵などの里山と違って,低い台地を川が緩やかに刻んだ,幅の広い谷戸を持つのが特徴です。谷戸の下のほうは,標高5mを切ります。左側の林の上はゴルフ場,右側の林に登って,ちょっと歩くと,成田線や国道が通っています。


 林に近い田んぼで,こんなものを見つけました。


 これはアカガエルの卵塊です。立春を過ぎた頃,谷戸の水たまりで卵を産みます。
 これが見つかると,春も近いですね。

 
 卵塊のアップ。
 アカガエルやアマガエルの卵塊を見てると,な〜んとなく,バジルシードのデザートを思い出します(笑)。


 水辺にはセリも生えてます。


 下流のほうを見ると,すぐ近くまで宅地開発が進んでいます。



 道沿いで見つけた,イラガの繭。もう,中身は羽化して出て行った後。

 畦を彩る,早春の花。オオイヌノフグリの群生です。


 こちらはホトケノザのお花畑。
 日当たりの良い畦では,ひと足早く,春が始まっています。


 見上げれば,シメ。彼らは3月下旬ぐらいまで,ここで越冬しています。


 草ぼうぼうになった休耕田では,モズがなわばりを主張しています。


 小さな畑で餌を探すキジバト。里山では生き物と人の生活圏が重なっている部分が大きいことが想像されます。もちろん,人が自然から得るものも多く,自然界の生き物も人を利用していると言う共生関係もあれば,お互いにマイナスになる面もあるわけですが,それをすべてひっくるめて,上手く調和して安定した環境を作っているのが,里山なのではないかと思います。。


 駅の近くなのに幸運にも残った岡発戸の里山。里山は人の生活があってこそ成り立つ自然環境です。人々は雑木林の木を取り尽くさないように上手く利用し,耕作地で作物を作ります。そして,その環境に適応した,さまざまな生き物たちが,人と共に,暮らしています。ですから,人が手をつけなくなった谷戸の自然は,それまで人と共存していた生き物たちのすみかも奪う結果になることも少なくありません。



 岡発戸には,雑木林を保存しているエリアが他にもあります。
 しかし,雑木林は,人が管理しないと成り立たない環境です。そして,人と上手く共存していた生き物は,人が雑木林の手入れをやめると,あっという間に消えてゆきます。たとえば,カブトムシ。彼らは雑木林の木であるクヌギ,コナラなどの樹液を好み,人が落ち葉を集めて作った腐葉土で幼虫が育ちます。もし,我孫子で雑木林をほったらかしにしたら……タケやササの類が地面を覆い,クヌギやコナラも次第に枯れてゆきます。カブトムシにとっては,幼虫のすみかも成虫の餌も奪われてしまうわけです。こうしてみると,カブトムシって,人の作った「半人工」の自然環境に,とても適応していたんでしょうね。カブトムシが少なくなったと嘆く前に,なぜ少なくなったのか,どうすればかつての環境が取り戻せるのか,里山の自然を眺めながら,考えてみてはいかがでしょう?

 「自然環境の保全」が,必ずしも「人が手をつけてはいけない」こととイコールではないのです。人と生き物との良い共生関係について,里山の自然から学ぶべきことは,まだまだたくさんありそうです。


(2002年2月13日記)

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