夢見るアウトドア

顧問 熊野谿 寛

 

 この十年、毎年の学園祭では、「部誌」を発行して部員全員に「お題」を与えて書かせよう、としてきた。とは言え、そうたくさんのテーマもなく、似たような題になるのだが、「表現すること」が自分たちの世界を作るためには欠かせない、と続けてきた。かくて、今年のテーマは「私の夢見るアウトドア」である。このネタは何年か前にも使ったな、確か。

 この3月、約20年ぶりに八ヶ岳・横岳石尊稜を登った。ケンさんと赤岳鉱泉にベースを張ったのが11時前。あまりの晴天に、いそいそと石尊稜取付に行けば午後1時前だった。抜けるような青空の下で岩場に取り付いた。ところが天気が良すぎて凍っている草付は融け、雪稜も雪が足下から崩れる有様だ。草付にアックスを打ち込んでも、まったくあてにならない。用心して雪稜をザイルで確保してスタカット登攀していったが、案の定、途中で日没を迎えた。

 日が沈む空と水平線があかね色になんと美しい事だろう。でも、その時には日没を前にして焦り、心に余裕がなかった。写真の一枚、二枚も撮れば、どんなによかったかと、今にして心の底から思う。空は暗闇に変わったが、雪のナイフリッジは残照を集めたかのように明るく、ヘッドランプを点けない方が周囲がよく見える。雪も堅くしまって、登攀はずっと楽になった。

やがて本当に暗くなり、ヘッデンを点けると目の前に上部岩壁取付点のハーケンがあった。しっかりとした岩を夢中で登り、3ピッチほどで石尊峰に出た。佐久側に街の灯が見え、星が輝いている。相棒と完登の握手をしてザイルをしまい、夜の八ヶ岳稜線を足早に歩いた。うっかり日の出稜にあがって回り道をしたが、地蔵尾根から行者小屋をへて、赤岳鉱泉のテントに戻ったら夜の11時になろうとしていた。まだ帰らない泊まり客を待っていた小屋でビールを手に入れて、私達は静かに祝杯をあげた。

5月連休には、長年の念願だった雪の剣岳に登った。「雪と岩の殿堂」と言われる剣岳だから、「初めての剣岳山頂」は積雪期にこそ行きたかった。イソさんと剣沢にベースを張り、前剣の雪壁、そして直下の岩場をへてたどりついた剣の山頂は、GWなのに静かだった。ベースに戻ったら前剣の下りで滑落事故があったらしく、ヘリが飛んできた。私達は、その後、雷鳥平でたくさんの仲間と合流してから、最後は一の越から雄山谷を山スキーで滑った。

夏から秋にかけても、これまた長年の憧れだった奥只見・恋乃岐、そして南アルプス・黄蓮谷へとたくさんの仲間と出かけた。恋乃岐は、焚き火でビバーク&岩魚と遊べるすばらしい世界だ。もっとも、三日も沢の中をのんびりと遊んだら平ケ岳山頂には行き損なった。でも、黄蓮谷からは山頂直下にツメて、「行くのはバリエーションから」と決めていた甲斐駒ヶ岳の山頂に初めて立った。

「念願を果たす」ようなルートの登攀は、終わった後に静かに喜びが広がるのをかみしめられる。夏の終わりに目標とした北岳バットレスは、雨が続いて来シーズンに延びた。でも、三つ峠に通ったことを活かして、この冬はアイスクライミングで裏同心ルンゼを登り、春の中山尾根を登ってみたい。そんな先の彼方に、静かにあこがれる山がある。NZの主峰、マウント・クック・・・厳しい気候の中でのミックスクライミングで、年に数十人しか登頂していない。今はまだとても技量が届かない。60歳代末を迎えるまでのあと20年位の間に、果たすことができるだろうか。そんな思いを持ちつつ、一方で「このまま温暖化が進んだら、氷河もなくなって登れないじゃないか」と心配でならない最近である。