ワ ンゲル部1991年度の記録と計画
行動経過
5/3 0833集合 0845発大倉行き乗車 0900大倉0920〜1045登山訓練所〜1257鍋割山1400〜1715ユーシン・ロッジ
5/4 0400起床 0615出発〜0730大石〜0800大石山〜1200檜洞丸1240〜1455ゴーラ沢出合1515〜1550西丹沢自然教室1614バス〜1830新松田
今回の山行の特徴
・参加者11名のうち、荷物を背負っての山行が初めての者
が大多数であった。
・登りもさることながら、下りにコースタイムの倍近い時間
がかかった。
・この結果、当初の予定からみると大幅に時間を超過し、中
川温泉をカットする事になった。
7/13 1400学
校-駅1415−渋沢1555−大倉1630−1740大倉高原山の家(幕営)
7/14
0400起床 0615出発−0720堀山の家0730−0830花立山荘0850−0930塔ノ岳1200 −行者岳−1340烏尾山1350−1420三ノ塔1430−二ノ塔−1520富士見山荘
・塔ノ岳まではボッカ(1人20キロ以上)で行
動した。その後は、身軽になって行動した。しかし、タイムで見るとあまり差がない。特に、下りと岩場の通過に時間がかかる。この点をどのように克服するか
が、(特に下り)夏山山行への大きな課題となるだろう。体力的には、20キロを背負っても十分歩ける事がわかった。
・装備及び行動では、装備の点検ミスなどが目
だった。夏山では致命的な問題となるので、装備確認の日を設けて、確認と分配をきちんと行なう様にしたい。また、食事などの当番を決めること、全員が仕事
を公平に行なう様にする事が必要である。
・パッキング、小休止からの出発などがまだ迅速
にできない。各自、練習する事が必要である。
1991.8/12
8月4日 晴れのち曇り 横窪沢小屋0530−0630水呑み場0700−0800茶臼小屋0830−0900茶臼岳山頂0917−1140上河内岳1200−1330聖平(幕営)
8月5日 曇り 聖平0430−0750聖岳0810−0900鞍部−1010兎岳1020−1120小兎のコル1130−1220中盛丸山1230−1310大沢岳1320−1420百間洞(幕営)
8月6日 曇り時々雨 百間洞0630−0730百間平−0930赤石避難小屋0950−1000赤石山頂−1200荒川小屋(幕営)
8月7日 雨後曇り時々晴れ 荒川小屋0830−1000荒川前岳−1120悪沢岳1140−1230千枚岳1300−1320千枚小屋1330−1430蕨段−1500清水平(幕営)
8月8日 晴れ後曇り 清水平0430−0530小石下−0620林道登山口−0650椹島0715−1130畑薙第1ダム
1310−バス−白樺荘1520−バス −1845静岡1934 帰宅
8月3日 天気予報では天候の悪化が懸念され
るが、とにかくダムに降り立った総勢11名は、暑い太陽に迎えられた。林道でインターハイ選手団の下山とすれ違い、釣橋で小休止する。長い長い釣橋は風
で搖れ、「釣橋酔い」するようであった。 ここからひたすらヤレヤレ峠に登り、いったん沢に下って、ウソッコ沢小屋へ登り返す。沢に出てからは涼しくな
り、歩きやすい。ウソッコ沢小屋ではジュースが150円であったので、「これは安い」と飛びつく者が多数。予定
よりは早く横窪沢小屋に到着した。小屋の前に幕営したが、ここはあまり下が良くなかった。もっとも水場は近いのが良かったが・・・。
本日の夕食は牛肉とピーマンの炒めものとサラ
ダであったが、ピーマンが少なかった様であるが、味はまあまあであった。また、サラダのレタスが余り、これが後で恐ろしい代物に化けてしまった。0630頃に就寝した。
8月4日 起床はゆっくりで0300であった。しかし、準備に手間取り出発は0530となる。サラダや中華スープなどに手間取り、また、お茶
がなかったため水分があまり補給できなかった。
出発してずっと、樹林帯のきつい登りが続い
た。ナナゴン・ムラサキ男がバテ気味である。水呑場まで、とおもって登るが水場になかなかつかず、結局、その数分下で休む。ナナゴンは合宿講習の疲れでヘ
バリ戻
したいがなかなかでない。ムラサキ男はなんだかよく分からないがここでずいぶん戻す。もっともその後はピンピンになったから、あるいは朝早く(?)食べた
の
が原因であったかもしれない。このため30分ほどの長い休みとなった。
ここからの登りは予定時間を大幅に短縮して、
茶臼小屋に至る。小屋では冷たい水でレモネードをつくり飲む。茶臼岳には分岐点に荷物をデポして往復、あいにく雲が上がってきたが、今回の山行で最高の
展望となった。分岐点に戻り、上河内岳へ向かう。途中は暑く、風を求めての山行となる。
上河内岳〜今日の最高到達点なので、荷物を置
いて往復する。南アルプスではさして見栄えのする山ではないが、なかなか立派な山である。これが北アルプスならばさぞ有名になるだろう。山頂ではあいにく
ガスっていたが、「O先生結婚記念」に万歳三唱と祝砲(?)の打ち上げを行う。その後はひたすら下り、ムラサキ男・ワンワンあたりがどうも遅れる。聖平に
到着す
る頃にはすっかりガスが出ていた。それでも洗濯したり、水浴びした者もいたとか。
本日の夕食はソーセージの野菜煮込みである。
明日のポテトと称するメニューも一緒にいれてしまう。なかなかの美味であった。
8月5日 起床2時。昨日のメニューでこりた
ので、今日は雑炊の朝食。04時から行動できるまで明るくなるのを待ち、0430前に行動する。0500にはすっかり明るくなり、聖平からの登山道は花が美しい。
もっともなにやら「ナントカモッコリ」などと勝手な命名をされて、花が気の毒である。待望の聖岳山頂はガスと風の中であった。仕方がないので、奥聖の往復
はやめる。兎との鞍部への下りではガレの所で少々道をはずれたりしてキモを冷やしたが、ともあれ通過して、兎岳へ。今回もガスの中であり、山頂よりもこち
らの縦走路の方が高い所の様なので、ここを勝手に山頂にする。小兎から中盛丸山への登りでも、標識がトラバースルートに向いていたので、これを進んだとこ
ろが、ガレを登るはめになり、冷汗をかかされた。大沢岳も壮絶なガレが足元にスッパリと切れており、なかなか高度感があった。しかし、ガスの中で、展望も
きかず、ひたすらヒーヒーと歩く一日であった。ナナゴンに加えて山本もきつそうであった。
しかし、ともかく南アルプスは、キスリング
のワンゲル、山岳部が多い。信州大学の女子、福岡大学、仏教大学、その他大勢のキスリング部隊とすれ違ったり、同道した。そのたびに「あれ、重そうだ」
「何キロだろう」などという話題になる。百間洞へ到着後も、数十人の工業高校山岳部がやや遅れて押し寄せてきた。なんとも怖そうな部活で、上級生はいば
り、一年生がヒーヒーと働いていた。
百間洞の小屋は3年後に再建されるとかで、露
営地の便所も倒壊していた。本日の夕食は和風パスタの予定であった。しかし、キノコが腐ったので、予備食のジフィーズと各自の缶詰を出す事になった。
8月6日 朝、ゆっくりと起床し、とろろそば
を作る。蕎麦湯がうまく、なかなかいける。しかし、そばを洗うのは冷たかった様である。気が付いて見れば、あたりのテントは皆撤収され、のんびりと出発す
る。天候はガスから次第に雨となり、赤石への登りでは寒いほどである。「神様」の遊佐も赤石避難小屋で雨具をつける。山頂は写真をとっただけ、なんとも味
気が無い。下るに従って、暖かくはなったが、雨はやまなかった。途中で、ナナエが膝をぶつけ、ハラハラさせられるが、ともあれ荒川小屋へ到着する。
幕営地はガラガラ。面白いことに、水場に
は、5本の管それぞれに「愛の水」「勝利の水」「健康の水」「知恵の水」「仲間の水」と名前がつけてある。幕営してから、小屋へ行く。親子丼1000円なりをムラサキ男が食べる。「いつかプロレタリア革命
が・・・」などとぶっそうな事を釣りのオジサンが言い、他の者はカップヌードルを食べる。小屋番のおじさんは、お菓子をくれたりして、よい人である。
しかし、誰彼なく「魔法の水」をすすめるのには、閉口した。(当然、部員は飲んでいないが・・・)すっかりここでくつろいでから、テントに戻る。テントで
干し物(サウナ)をやったりするが、女子用のゴア・テントが浸水したとか、「ホヨホヨ教」なるあやしげな宗教が流行るとか、奇妙な一日であった。
本日の夕食は炊き込みご飯。ホエブス725の
調子がどうもおかしく、準備に手間取る。天気図は、明日も明後日も望みがなさそうであり、がっくりしながら眠る。
8月7日 2時に一応起きて、テント内の者を
起こしたが、「たいして降っていない」と言ったとたんにドドド・・・と降って、いったん停滞を決意する。しかし、5時ころには雨が止み、晴れ間も広がった
ので、急遽、行動と変える。雑炊を食べ撤収するが、どうもまだ、「停滞したいよー」との声もあり、動きがにぶい。結局、出発は8時半になる。荒川小屋から
カールを登ると、楽しみにしていた花畑が広がっていた。前岳へは荷物を置いて往復し、悪沢岳で今回の山行での最高到達点に立った。千枚岳は最後のピークだ
が、この周辺が最も花が豊富で、きれいであった。残念ながら、大展望は結局、見られなかった。千枚からどうするか、時間から見て、清水平に下る。千枚小屋
に寄ると、ほとんどホテルの様に綺麗になっており、スイカ4分の1が1000円。しかし、部員の多くは山行中に歌われた(?)オロナミ
ンCに群がり、小屋では幾つ売ったか分からなくなったほどであった。下りは緩やかであり、すたすたとコースタイムの半分で下る。蕨段まで1時間、ここから
清水平まで20分。しかし、道が以前とは変わっており、幕営地を探すのに
時間がかかる。ここで、最後の幕営をすませる。
夕食は牛丼。さすがにうまい。(レトルトです
から)重いレトルトをここまで顧問にかつがせるとは、なんとありがたい部活だろう。しかし、ヤマモッチャンがお腹をこわして食べられない。パンにあたった
かもしれな
い、と言うが、疲れたのだろう。夕食後、朝のうどんをゆでるが、水を取りに行ったもののなかなか戻って来ず、やや、ねばねばしたうどんになる。ヤマモッ
チャンにはう
どんを少々煮込んで食べさせる。「明日は文明だ」と、興奮した中で就寝する。久しぶりに標高が2000mを切ったので、どうにもテントの中が暑苦しい夜であっ
た。
8月8日 朝は2時に起床。朝食はうどんであ
る。少しこげ、また、ラーメンの具を入れたのでどうも味が煮詰まっている。明るくなるまで待ち、4時40分に出発する。樹林帯の中はまだ暗く、歩きにくい。明るく
なるにつれて順調になり、小石下まで1時間、林道の登山口までさらに1時間で下山した。椹島まで下り、ここでジュースの自動販売機や水洗トイレに久しぶり
で出会う。みやげ物を見て、7時過ぎに長い長い林道歩きを始める。MTBなどで林道を飛ばす人もいたが、ともあれ、歩いても歩いても、林道は続く。20キ
ロ以上あるのだから、長いはずである。途中、散水車には水をかけられ、日陰を求めてヒーヒー言いながら、畑薙大釣橋まで戻った時には、ほっとした。そし
て、ダムへの最後の歩き〜最後は売店で一人平均2本のジュースを飲む事になった。赤石温泉・白樺荘での入浴(無料)後は最後のバスで静岡へ。やっと「文
明」の中に戻り、帰路についた。
総括
しかし、やはりいくつかの面で、問題も残し
た。行動の面では、下りに案外弱い部員が多かった。特にガレ場や岩のごろごろした下りなどでは、安定感がない者が多かった。登りについては、ほぼ予定時間
内で行動し、余裕のある者も多かったが、下りの技術は、今後、鍛える必要がある。また、岩場はほとんどなかったものの、あったところでは通過に時間がか
かった。
生活技術の面では、時間とのかねあいで何をど
のようにするか、まだなかなか身についていない。朝起きたら何をすぐにするか、小物は袋に入れてパッキングする、シュラフは袋をさらにビニール袋に入れ
る、などの基本がなかなか定着していない。また、食事当番が朝、人よりもゆっくり起きたり(当然、パッキングができずに遅れる)、自分の物の区別ができな
い、などが目立った。当番の意味がよく分からなかったのだろうか。
食糧計画の上では、行動計画との関係でどのよ
うにメニューを考えるか、人数が多い中でどのようにするか、いかに腐らない様にするか、という問題が大きく見て残った。牛肉のピーマン炒め、ソーセージ
の野菜煮込み、などは概ね好評であっ。しかし、朝、乾麺を使う場合には、前日にゆでておく、等の工夫が必要である。あるいは食当が他のメンバーよりも1時
間以上早く起きるか、であろう。腐らせないという点では、キノコは缶詰を使う、ザックの外にダンボールでつける、などの工夫が必要であった。また、嗜好品
やお茶などが不足したり、あっても十分に活用されなかった。
付録 山行メモ
「くらやみ教」・・・神様 ユッチ 会長 ムラサキ男
信者・・・部員外にも広
がる。
特徴 暗闇にす
る事を望む。
「ほよほよ教」・・・教祖 ノブリン
信者 少数、女子テント
に巣くう
特徴 ホヨホヨホヨと奇
声を発して、全てをごまかす?
「搾取教」・・・・・教祖 自称 ノブリン
信者 多数。部内に蔓延
する。
特徴 休憩時間と共に広
がり、人の行動食などを「搾取い者も信者にはいる。あまり熱心に信仰すると、友達をなくす。
今回の参加者
釣りのオジサン・・・釣りのおじさんベストを常
に身につける。雨具を着るときも、必ずその上にベストを着る。行動は迅速で、今回の山行を計画した。
ナナゴン・・・今回は合宿講習・世界史でしぼら
れて、終始バテ気味であった。うーわーぎゃー、とうめくこともある。遊牧民にあこがれる温泉好きな京女。
バンダナ・・・バンダナを常に身につける。筋肉
質の体格はたくましいが、ややそそっかしく、葛葉川では肩をはずした事もある。
トミー・・・一見、大変な紳士である。写真部の
主
将でもある。今回はあやしげな気象と天気図に悪戦苦闘した。
ナナエ・・・いつも元気なナナエさん。今回も元
気の
ひけつは軽いザックにあり。雑炊と棒ラーメンが好きという、山向きの人物。
ムラサキ男・・・身につけるものは全て紫色。
パッキングには7時間かかり、落ちているものがあれば、彼のもの?。山小屋販売品愛好家。今回、一番、しめられた人。
ユッチ・・・もくもくと歩く、くらやみ教の神
様。寒い中でもTシャツ一枚であるが、正統派ボットン便所愛好家であるために、苦しんだ。
ワンワン・・ガソリン男とか、ネコ(舌)とか、
ワンワン(食器)とか、いろいろ言われたが、正統派山男の道を歩みそうである。
ヤマモッチャン・・・まわりがうるさい連中ばか
りなのに、一人、無駄口がすくない。しかし、つらくてもしっかりとついてくる根性と時々口にする言葉は、重みがある。
1991年10月2日
顧問 熊野谿 寛
1.山行目的 秋の上越の自然に親しむ
生活技術、特に調理技術の向上
2.目的とする山域 上越・谷川岳〜平標周辺
3.山行日時 1991年10月14日(月)夜発〜16日(水)帰着 予備日なし
4.行動計画
10月14日(月)
10月15日(火)
10月16日(水)
5.荒天対策・エスケープルート
・荒天が予想される場合は、予定を変更して、マ
チガ沢出合
のキャンプ地に幕営。天候を見ながら、谷川本峰を往復する。これもできない場合は、旧道を蓬峠までか幽ノ沢出合まで散策する。
・16日に荒天の場合は、谷川本峰から西黒尾根
か天神尾根
より下山か、万太郎山から吾作新道を下山する。
・天気予報によっては、直前に第2計画書(八ケ
岳)に変更
する
6.装備
共同装備
テント 3張り ホエブス 3つ 白ガソリン
1.5リットル+注ぎ口
ゴミ袋
医薬品 ろうそく
シュラフ、食器、ヘッデン、地図、コンパス、
雨具、着替
え、防寒具、巻紙
*秋は冷え込み、最低気温は氷点下の場合が
多いので、
防寒具を用意の事。
14日 夕 各自 準備
15日 朝 各自準備 昼 各自 行動食
夜 秋の味覚鍋+くりごはん
16日 朝 餅入り雑炊 昼 各自 行動食
非常食 各自1食分準備
1991.10/14
顧問 熊野谿 寛
1.山行目的 (1)幕営による縦走を行い、生活技術・登山技術を身につける
(2)秋の八ケ岳を縦走し、自然に親しむ
2.山行期間 1991年10月14日夜発〜16日帰着 夜行1泊 予備日なし
3.目的とする山域 南八ケ岳一帯
集合 14日 23:50JR八王子駅改札(内側)
*各自、学割を取得し、茅野迄の乗車
券を購入のこ
と。(町田より2300円)
15日 0043発上諏訪行き乗車−0550茅野0605−0645美濃戸口0655−0755美濃戸山荘0805−1005行者小屋1030−1200赤岳山頂−1300横岳
16日 0430起床0600出発−0700夏沢峠−0740根石岳−0900天狗岳−1030ニュウ−1230稲子湯
稲子湯よりタクシー 松原湖1429発−1608小淵沢1623−1710甲府1728−
*各自、学割を取
得のこと。(松原湖〜町田2550円)
5.エスケープコース
11日 行者小屋にて幕営・停滞、赤岳ピ
ストンまた
は空身で縦走
12日 本沢温泉から下山
11日 朝 各自
行動食 各自
夜 くりご
はん・秋の味覚鍋
12日 朝 餅入り雑炊
昼食 各自行動食
行動食 各自
非常食 各自1食分用意
**各自 米1合を洗い、水を切って持
参の事
7.装備
共同装備
テント 3張り ホエブス 3つ 白ガソリン
1.5リットル+注ぎ口
シュラフ、食器、ヘッデン、地図、コンパス、
雨具、着替
え、防寒具、巻紙
*秋は冷え込み、最低気温は氷点下の場合が多
いので、
防寒具を用意の事
食費 2000円
予備費 1000円 (入浴など)
合計
9.メンバー及び分担
略
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
承諾書
生徒氏名
保護者氏名
印
今年の秋山山行は、上越・谷川岳周辺にコースを設定しま
した。この時期の谷川岳は、紅葉が美しく、多くのハイカーで賑わいます。一の倉沢の壮絶な岸壁と紅葉のコントラストはしばしば写真にも使われます。それを
ながめてから、登り詰めて穏やかな山稜を歩くと、草紅葉や池糖が美しい姿を見せてくれます。下山駅である越後湯沢では、町営の温泉銭湯(200円くらい)
に入る事もできます。私自身は、この山域には、尾根歩き、沢登り、岩登り、雪山、山スキーと、四季を通じて親しんで来ました。
谷川岳については、しばしば「危険な山」とい
う誤解があ
ります。これは、谷川岳周辺の岩場、特に一の倉沢の岩登りと通常の登山道の登山とを区別しないで、「谷川岳」と一括して呼ぶために生まれた誤解です。かつ
て、1950年代には、岩登りの用具も悪く、安全確保技術も未熟であっ
た上に、「登山ブーム」で基本的なトレーニングもしていないまま、多くの登山者が一の倉沢におしよせました。このため、多くの遭難者がでました。しかし、
その後、用具や確保理論が発達すると共に遭難者は減少しました。普通の登山道では、地元の努力もあって遭難はほとんどなくなり、一の倉沢でも、厳冬期に
「雪崩の間をぬって登る」という様な登山を行なう人を除けば、事故はほとんどなくなりました。このところ、一の倉沢への入山者自体が減少していることもあ
り、めったに事故は起こらなくなっています。
もっとも、この上越国境付近は、日本海側に最
も近い山で
あり、太平洋側と日本海側の境を形成しているため、大変に天候が安定しないところでもあります。一年を通じて晴れることが少なく、たいてい午後には曇りま
す。特に冬は、世界有数の豪雪地帯となり、一晩に1メートル以上の積雪を見ることもしばしばです。こうした条件から、秋の10月頃にも、強い寒気団が大陸
から現れ、一時的でも冬型の気圧配置になると、吹雪となることもあります。このため、天候に十分に配慮し、寒気団をチェックする事が、この時期に安心して
上越に入山するためには、どうしても必要です。
その様な事で、計画書でも荒天予想時には「第
2計画」で
八ケ岳縦走に切り替えるとしました。出発直前まで、高層天気などを可能な限りチェックする様にしたいと考えております。
また、集合・出発時間が早くなっております
が、これはか
つては毎日運行されていた夜行列車が、JRダイヤの改正と共に臨時列車にされてしまったためです。特に新幹線開通後は、夜行や各駅停車は少なくなってしま
いました。このため、14日のうちに土合に到着するには、上野を5時には出ないといけない、という状況です。かつて、谷川岳は「近くて良い山」として社会
人に親しまれましたが、今では、新幹線や自動車でもないとなかなか近づけない山になってしまいました。それでも土合の無人となった駅舎は、登山者の泊まり
場として、開放されており、自動車で入山する者も含めて、多くの人で賑わってはおります。
以上の様な具合いで、いくつもの注意すべき点
はあると思
いますが、それを除けば、コース自体は決して困難なものではありません。趣旨をご理解の上、参加承諾書の提出をお願い致します。
1991年10月14日
秋山の計画について、第2計画をふくめて計画
してまいり
ましたが、以下の理由から第2計画書により実施する事になりました。
・台風21号が北の海上に去り、大陸から移動性
高気圧が
張り出してきており、一時的に強い冬型になることが予想されている。
・特に、この移動性高気圧は、上空3000mの
高層天気図
によれば、マイナス30度近い寒気をともなっており、日本海側は天気がぐずつき、上越の山々ではかなり本格的な吹雪が予想される。
・同様な条件で、過去5年間だけをとっても、上
越では3
件の気象遭難が起きている。たとえ吹雪にならなくても、15日の晴天は望み難い。(16日は晴天か)
・反対に、冬型となれば太平洋側の天候は安定する事が予想
され、冷え込みはしても、太平洋側に近い八ケ岳では、比較的晴天に恵まれる可能性が高い。
以上から考えて、第2計画で実施することにい
たします。
従って、集合も八王子23時30分となりま
す。急な変更
ですが、天気には勝てませんし、たとえ「耐えて」も楽しくないでしょうから、ご了承下さい。
1991.11/21
顧問 熊野谿 寛
鍋割山荘に遊ぶ
2.山行日時 1991年11月24日
(日)
小田急線 新松田駅 8時15分集合
解散 渋沢 17時20分 予定
4.荒天時 中止(午前6時に判断)
エスケープルート 登山訓練所へ下山
個人 ヘッデン・雨具・非常食・水筒・防寒
具・その他
日帰り装備
承諾書
1991.12/20(金)
顧問 熊野谿 寛
1.山行目的 東京の最高峰・雲取山に登る
日の出をながめ、冬の展望を楽
しむ
2.山行期日 1992年1月5日(日)〜6
日(月)
予備日なし
3.行動計画 1月5日(日)午前8時20分 集合
○電車・バス
八王子838−848立川853−1007奥多摩1013−1053鴨沢
○行程
1/5 鴨沢登山口1100−1130小袖乗越−1300堂所−1350七ツ石小屋分岐−1500小雲取
1/6 避難小屋0800−0830三条ダルミ−0940三条ノ湯−1200お祭り1345−1430奥多摩
(又は) −0900七ツ石−1100鴨沢1147−1227奥多摩
共同・・・テント2張り、ホエブス3つ、銀
マット6枚、
コッフエル2組、大鍋1つ
個人・・・シュラフ、食器、ヘッデン、地図、コンパス、
雨具、着替え、防寒具、
・1/5夕食 白米・鍋
・1/5深夜食 御汁粉?
・1/6朝食 お雑煮
・その他 甘酒
承諾書
1月5〜6日の山行について、参加を承諾
します。
保護者氏名 印
1992.3/18
顧問 熊野谿 寛
北八ケ岳の多様な自然に親しむ。
幕営・生活技術の向上をはか
2.山行期日 1992年3月24日(火)夜発〜26日
(木)帰着 予備日なし
JR八王子駅 改札前(中) 11時50分集合
3月25日
八王子0045−0225甲府 0400−0540茅野 バス0620−0718渋の湯
幕営後クロカンで
遊ぶ
青苔荘0800−1400稲子湯−タクシー−松原湖1421−1522小渕沢1542−1810高尾
八王子にて解散
*天候などによ
り、高見石から渋の湯へ下山
4.費用 JR 2260円×2(青春18切符)バス 1100円 タクシー 1000円
幕営料500円 入浴料 600円
食費1500円
その他予備費 3000円+@(クロカンなど)
合計 12,220
5.装備
共同 テント3張り、銀マット6枚、大鍋1
つ、コッフェ
ル1セット、
6.緊急連絡先 略
8.食料計画
25日 朝 各自 昼 各自 夜 石狩鍋・白米
26日 朝 餅入り雑炊 昼 豪華具入り棒ラーメン
*嗜好品
9.注意点
・天候により気温や行動状態は大きく変わる。防寒具は軽くて暖かい物を多すぎない様に持って来ること。
・行動食には、できるだけ凍ってもよいものを選ぶこと。