光と陰の紫式部01

2020年1月

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01/01/水
2020年の新年を迎える。もう長い期間、年末年始は浜松の仕事場で過ごすことを恒例としてきた。子どもたちが幼かったころは、妻の両親と浜松で過ごすことにしていた。その義父母はいまは恒例となって移動も困難となっているのだが、次男が四日市の研究所に勤務しているので、こちらも浜松に出向くことを続けてきた。今年は次男の長男が受験とのことで、来られないかもしれないと言われていた。そのタイミングでスペイン在住の長男一家が日本に来ることになったので、記憶にもないくらいの久し振りで、東京で新年を迎えることになった。せっかく神田明神の近くに住んでいるにいままで1度も初詣したことがなかったので、紅白歌合戦を見たあとスペイン組を送りがてら神田明神に行ってみたが、深夜にもかかわらずディズニーランドのアトラクションのような縄張りが設定され、大群衆が境内を埋めていた。さすがに神田明神だ。おそれをなして、鳥居の前から遙拝するにとどめた。スペイン組の宿舎は湯島天神の近くなので、そこまで送っていくと、天神の鳥居の前にも群衆が見えたのだが、神田明神ほどではないので、並んで参拝を済ませた。ここにも警察が出動して群衆を整理していた。警察も役に立つ仕事をしている。さて、2020年。オリンピックの年だが、抽選に外れたので観戦には出向かない。高層住宅の窓から見下ろせる靖国通りがマラソンのコースになっていたのだが、札幌で開催されることになった。オリンピックはテレビ観戦にとどめる。この前の東京オリンピックの時は、大阪在住の高校生だったので、テレビで見ただけだ。高校1年。妻と同級生だったなと、懐かしく想い起こす。昨年、武蔵野大学を定年退職して、名誉教授という肩書きをもらった。社会人向けのサテライトの講義には定年がないので、今年も月に1度くらいは出向こうと思っている。たまには講義をしないとしゃべるコツを忘れてしまう。講義でしゃべっている時にアイデアがわいてくることもあるので、歴史や宗教の話を続けていきたい。去年の暮れごろから、『光と陰の紫式部』という作品を書き始めた。もう30ページくらいのところまで来ている。全体を150ページ50枚と考えると、20%のところまで出来ている。まだ紫式部は子どもだ。これでは大長篇になってしまいそうだが、出版社と契約を結んでいるわけではないので、書きたいものを書けばいいと考えているから、200ページくらいになってもいいと思っている。冒頭に安倍晴明が出てくる。大丈夫かなという気もしているのだが、とにかく先に進んでいきたい。
正月元日。スペイン組がもちつきをやっている写真がラインで送られてきた。見るとわれわれの部屋から眼下に見えている旅館の前だ。ネットで調べて行ってみたとのことだが、その場所とわれわれの住居の距離感がつかめていない。えらい遠回りでようやく自宅に到着。妻の用意してお節やオードブルに、取り寄せた重箱入りのお節。全員で新年を祝う。北の丸公園まで散歩して、夕食はしゃぶしゃぶ。薄切り肉が手に入るのは日本だけだろう。霜降りの薄切り肉というものは、孫たちは初めての体験ではないか。おいして、と言ってよく食べた。孫たちに囲まれた食事は、やや疲れるものの、生きていてよかったと感じられる瞬間だ。まあ、いい正月だ。

01/02/木
姉の女優、三田和代さんは年末に腹痛で倒れて手術を受けた。退院して自宅に戻っていたのだが、正月はホテルで療養しているというので、渋谷のセリルアンタワーに行ってみた。上野動物園から原宿に回っていたスペイン組とロビーで待ち合わせをして合流したところに和代さんも現れた。高層階の部屋に行く。応接スペース付のシングルルームとのことで、角部屋なのでとても明るい。われわれ夫婦にスペイン組6人が入っても窮屈な感じはしない。和代さんはケーキを買ってくれ、ルームサービスでお茶を注文。全員、お年玉をもらった。姉はぼくより6歳上。たいへんな散財をしてもらったが、スペインの孫たちの成長を喜んでくれた。それから旧東急プラザのビルに行って、デジタルハチ公にスペイン国旗柄の服を着せてサグラダファミリアの前を歩かせたりした。屋上に上がって暮れていく渋谷の街を見下ろす。向かいの高層ビルの屋上は一人2000円とられるのだがここは無料。孫たちは原宿には何度か行っているのだが渋谷は初めてとのことで、とりあえずスクランブル交差点を渡る。丸井で買い物をしたあとパルコの手前のディズニーショップに入る。ぼくは入口のモニターの前の段差に腰をかけて待つ。公園通りを行き来する人々をぼんやり眺めていると、ここが日本であることを忘れてしまう。まあ、われわれといっしょに行動しているスペイン組も長男以外は明らかに日本の人ではない顔立ちをしている。昔、孫第1号が赤ん坊のころ、サラゴサのエルピラール寺院に通じるショッピング街で、息子夫婦と妻が店に入り、こちらは乳母車とともに外で待機していたことがあった。孫が泣き出したので乳母車を押してそのあたりをうろうろしていた。そんな遠い記憶が甦った。長女はもうすぐ18歳で大学受験を控えている。スペインは9月入学だから受験は少し先だが、あの時の赤ん坊がもうすぐ大学生かと思うと、何がしかの感銘がある。ようやくスペイン組と妻が出てきたのでNHKの方に向かい、結局原宿まで歩いた。竹下通りに行くという彼らと別れて妻とともに千代田線で自宅に戻る。昨日は自宅でしゃぶしゃぶを食べたのだが、今日はブタの鍋。住んでいる集合住宅はオール電化だが、災害時に備えてカセットのコンロは用意してある。昨日も使用したので、鍋を煮ている間にガスがなくなった。ボンベは3本セットのを買ってあるのですぐに取り換える。ふだんは使わない装置なのでやや手間取ったが無事に交換できた。深夜に近い時間でスペイン組が帰っていく。嬉しい疲労感が残っている。スペイン組と過ごすのもあと1日となった。この週末だけでなく次の週末まで公用はない。Footballのビデオを再生しながらのんびり過ごしたいと思う。

01/03/金
スペイン組は明日帰国するので、近くの店で必要なものを購入。ということで、われわれは静かな1日だった。夜は御徒町の吉池食堂で夕食。孫たちはやや疲れ気味だったが、ギョーザとかヤキトリとか、最後の日本の食事を楽しんだようだ。宿舎まで送っていって、全員とハグして別れた。妻と二人、夜の道を湯島から自宅に帰った。スペイン組が滞在している間、この道を何度も往復したが、これで最後だ。

01/04/土
早朝6時に起きる。7時すぎに車で出発。湯島に向かう。宿舎の前で車を駐める。狭い道なのでトラックとか来ないかと心配したが、荷物を積み込む間、車は来なかった。すごい量の荷物なので、妻とぼくが前の席に乗ると、2列目の座席に座れたのは小学生2人だけ。8人乗りのワゴン車だが、リアゲートがぎりぎりで閉まるくらいに荷物満載の状態だった。長男、嫁さん、長女、次女は徒歩で京成上野駅に向かう。上野公園下の駐車場に車を入れ、荷物を下ろし、小学生は車に乗せたままで、ぼくが駅の方に向かうと、前方からスペイン語が聞こえてきた。大人ばかりだし下り坂だったので、思ったより早く徒歩組が到着した。全員で荷物を運んで改札口へ。そこから先はスペイン組6人で荷物をもたないといけない。飛行機に預ける荷物だけで14個もある。さらに次女は人形をかかえているし、三女はバイオリンのケースを背負っている。まあ、何とかスカイライナーに乗り込んだようだ。電車は40分で成田空港に着く。こちらが自宅に帰りついてコーヒーを飲んでいると、空港のカート3台に荷物を乗せた一行の写真が届いた。さてこれで、日常が戻ってくる。車を集合住宅の駐車場に入れて、エレベーターの方に向かう時に、大きな喪失感が押し寄せてきた。それだけスペイン組との年末年始は、高揚していたということだろう。疲れたが幸せな日々であった。さて、今日からは自分の仕事に集中しないといけない。妻はiPadに航空会社の情報ページを出している。スペイン組が乗った飛行機が、日本列島の上を北上して、北海道からカラフトの方に向かう。ロシアの北部の北極海沿いを飛んでいる。パリのドゴール空港やドイツのフランクフルト空港を目指すならもっと南の、モスクワの近くを通るはずだが、フィンランドのヘルシンキ空港で乗り換えということなので、ずいぶんと北を飛ぶ。ぼくも1度、フィンランド航空に乗ったことがあるが、食事がしょっぱくて食べられなかった記憶がある。昔のことだ。いまは改善されているだろう。やがてヘルシンキ空港に到着、というメールと写真が届いた。

01/05/日
今日も朝の6時に起きた。昨日はスペイン組を京成上野に送らないといけないので、時間厳守で緊張していたのだが、本日はFootballを見るだけだから、もう少し寝ていてもよかったのだが、目が覚めてしまった。ビルズ対テキサンズ。予想どおり接戦で延長戦になった。一進一退があったが、QBワトソンの体力勝負の活躍で、かろうじてテキサンズが勝った。いい試合だった。早起きしてリアルタイムで見てよかった。次の試合はタイタンズ対ペイトリオッツ。9勝7敗でぎりぎりの第6シードのタイタンズと、昨年のSUPERBOWL覇者のペイトリオッツだが、今シーズンのブレイディーはパスの精度が落ちているので接戦を期待した。前半は1点差でタイタンズリード。結局、後半はディフェンスが活躍して両軍とも点が入らず、試合終了10秒前まで1点差のまま。最後はブレイディーの無理に投げたパスがインターセットされて勝負が決まった。第6シードが勝ち上がったので第1シードのタイタンズと当たる。ぼくが応援しているセインツはテキサンズが相手。まあ、勝てるだろう。妻と神田明神に出向いて、スペイン組の長女と、四日市の長男の幸運を祈る。スペイン組はマドリッドに到着し、ホテルに一泊したあと、無事にウエスカに到着した。長男はサラゴサで音楽院の仕事をしているので住居はサラゴサにあるのだが、以前住んでいた車で1時間ほどのウエスカの郊外の家もそのままにしているので別荘として使っている。嫁さんの実家がウエスカにあるので、6日のお祭には親戚一同がウエスカに結集するようだ。ちなみちサラゴサには香川、ウエスカには岡崎がいるので、サッカーファンなら街の名は知っているはず。

01/06/月
本日は午前3時に起床。スカパーでバイキングス対セインツの試合を見る。ぼくはセインツをいちばん応援しているのだが、ベテランQBブリーズの調子が悪く、延長戦になってしまった。コイントスで負けてバイキングスの攻撃から始まり、そのままタッチダウンを決められてしまった。一昨年の準決勝でも同じバイキングスに試合終了直前に逆転負けを喫したし、作品も終了直前に疑惑の判定でラムズに追いつかれて延長で負けてしまった。セインツは3年連続でプレーオフで惜敗をすることになった。ブリーズは高齢なので、これが最後のSUPERBOWL出場のチャンスだったかもしれない。バイキングスのまさかの勝利で、両カンファとも6位シードが勝ったため、準決勝はシード1位と6位の対戦になる。もう1つの試合は順当にシーホークスが勝った。東地区優勝のイーグルスはシード順は上位だが、何しろ9勝6敗で優勝できるほどに地区のレベルが低い。さらに主力レシーバーが全員リタイアしている上に、本日はQBのウェンツまでが負傷退場してしまった。40歳を過ぎた控えQBのマカウンが出てきたが、これでは勝負にならない。シーホークスもランニングバックが全員負傷しているのだが、往年の英雄リンチを現役復帰させて、今日も見事なタッチダウンが見られた。Nカンファはワイルドカードの2チームが地区優勝チームを破る番狂わせだが、もともとシーホークスは優勝決定の最終戦で9ナーズに僅差で負けただけで実力はイーグルスより上だ。ワイルドカードのチームが勝つと第1シードと当たることになっており、再び49ナーズと準決勝で当たるはずだったのだが、バイキングスまで勝ってしまったので、シーホークスの次の相手はパッカーズということになった。49ナーズとシーホークスは、決勝で当たることになる。まあ、その方が熱戦になると思われるのでよかった。

01/07/火
Footballが終わったら少し気が抜けてしまった。終わったといってもプレーオフは週末ごとに続いていくのだが、ウィークデーになっても昨年のように大学に勤めているわけではないので、急に忙しくなるわけではない。公用の仕事始めは来週火曜は日本文藝家協会理事会で、常務理事会、理事会のあとに新年会もあるので、そこから多忙な日々が始まる。といってもスケジュールがぎっしりあるのはその次の週で、とにかく今週はまだ正月が続いているような感じだ。昨年は『人麻呂しのびうた』という小説を書いていた。ほぼ完成しているのだが出版の見通しが立っていないので、とりあえずはこのまま在庫として抱えておく。タイトルについては『柿本人麻呂/しのびうたの伝説』の方がわかりやすいかな、と考えているし、修正すべきところはあるだろうが、とりあえずはこの作品のことは忘れて、次の作品に集中したい。いま書いているのは『光と陰の紫式部』という作品。『人麻呂』は主人公の人丸が甲賀の忍び武者で呪詛の霊能を有しているという設定になっていたが、今回は紫式部が陰陽師の霊能を有しているという設定になっている。1つの設定を加えることで歴史を別の角度から見るという試みを続けていくことになる。この設定は小説にするための試みだが、歴史の解釈という点ではすでに一昨年に集英社新書として公刊した『源氏物語を反体制文学として読んでみる』という本に書いているので、書き手のしてのこの時代への関心はうすれているのだが、忘れてしまっていることもあるので、自分で書いた本を第1の参考資料として手元に置いている。陰陽道や風水の本も手元に置いている。もう30ページくらいのところに来ている。全体を150ページと考えているので、20%は書いたことになる。いま最初から読み返している。まだ文体が安定していないので、読み返す度に修正している。ただここまで来ると、もう1つの世界観ができてしまっているので、あとはその世界観の中でのリアリティーを守りながら物語を綴っていけばいい。紫式部は生まれた年も確定されていないが、とにかく970年代に生まれたことは間違いない。ところが死んだ年がわかっていない。仕えていた彰子は87歳まで生きた。従って、紫式部は高齢で出仕できなくなる年までは彰子のそばに仕えていたのではと思われる。彰子は上東門院という女院となったのでお付きの女官は多数いたはずだ。彰子の母の倫子は高齢まで生きた。紫式部も同じくらい生きたと考えることもできる。とすると、自分の娘の大弐三位が後冷泉天皇の乳母となったころも生きていたし、実母の嬉子が出産の直後に亡くなったので、祖母の彰子が引き取り、紫式部と大弐三位の母子が実質的に育ての親となったとも考えられる。従って、彰子、紫式部、大弐三位の三人の女性が、天皇を支配する、という構図が実現するのではないか、というのがこの作品のコンセプトだ。そこまで書けるかどうか、いまのところまったく白紙で、そこに到るまでに、藤原道長と倫子の婚姻というプロセスがある。時間の推移のテンポを早めないと大長篇になってしまいそうだが、時々時間をポンと飛ばしてもいい。彰子が生まれたら時間を飛ばして、もう入内、そして出産と、話を進めていけばいいと思っている。そういうことは書きながら考えていけばいい。小説を書くという行為でいちばん楽しいのは、何を書くか、どのように書くかを考えている段階だ。いまの『紫式部』はその段階は終わっている。大学の先生をしていたころは多忙で、さらにドストエフスキーのシリーズを書いていたので、次の作品のことはあまり考えなかった。しかし聖徳太子、天智天皇、柿本人麻呂と書いてきて、作品のテーマのタネが尽きている状態だ。タネが尽きたので、一昨年の新書をタネ本としていまの作品を書き始めたのだが、次の作品のことも考えておかねばならない。昔つきあっていた編集者(いまは故人)に、「天海」を書いてくれと言われていたことを思いだした。その人はもう亡くなってしまったので、義務として書く必要はないのだが、大河ドラマが明智光秀なので、関連書が本屋に並んでいる。こちらは戦国時代は対象外としてきたので知識は不足しているので、目についた本やムックの類を購入しておりにふれて読んでいる。昔から「天海=明智光秀」という風評があるようだが、資料を少し調べると、これは無理だとわかる。しかし若き日の光秀と天海が出会っていたということはあるだろう。天海の天台僧なので、家康と出会った晩年までの経緯はまったくわかっていない。会津や江戸崎の寺院の住持となってからはとりあえず居住地は明らかだがこれも晩年といっていい時期だ。それまでは修行僧として各地を転々としていたようで、だから沢庵のような旅の僧として、あるいは根来忍者のように僧形の忍び武者として、戦国末期に暗躍していたとも考えられる。豊臣秀吉の幼名は日吉丸だが、これは比叡山の麓の日枝神社の守り神の猿に顔が似ていたからだといわれている。比叡・日枝・日吉はすべて「ひえ」と読んで、要するに延暦寺の神社で、東に日枝神社、西に八坂神社(祇園社)が配置されたということで、日枝神社も延暦寺の寺域にある。親鸞を書いた時に、若き親鸞が毎日比叡山の山頂から日枝神社まで走り回っていた姿を描いたことがある。天海も同じように日枝神社のあたりを走り回っていたとすると、猿に似た少年と出会っていた、という設定も可能だ。そういうことを今年になってから考えるようになった。そうやって半年くらいかけて小説の設計図を作成したいと思っている。いよいよ戦国時代を書くことになるかなとも思っている。蓮如を書きたいとか、石山本願寺と信長の戦いを書きたいという思いはあったので、戦国の勉強も少しはやっている。とりあえず大河ドラマは欠かさず見ようと思っている。『真田丸』も欠かさず見ていたので、当時の国衆というもののイメージがつかめた。地元の侍、というくらいの意味で、どんなに貧しい農民でも穀物を採り入れた瞬間には1年分の資産を保有することになる。これを守るガードマンみたいなものが必要で、それが地侍であり、昔は地方豪族などといわれていたのだが、戦国時代には国衆と呼ばれていた。一向宗が加賀一国を支配したというのも、浄土真宗を信仰することが機縁となって国衆が団結して守護大名を追い出したということで、江戸時代の百姓一揆とは違う。国衆という狭い地域の地方領主が、武田についたり、織田についたり、右往左往していたということだ。そういう地方領主の中から、織田信長や徳川家康が台頭したわけで、そういう動きの中で、若き天海が躍動するという話は、資料が何もないので、フィクションで描く自由度が大きい。ただし脇役はすべて有名人になるので、それぞれの人物が生きた経緯は資料を調べて頭の中に入れないといけない。大河ドラマはその点、時代考証がしっかりしているので、イメージをつかみやすい。そんなことをいま考えている。

01/08/水
本日は雨。どこへも出かけず。Footballのプレーオフの中継は日曜の朝は6時から、月曜の朝は3時から、リアルタイムで見ているのだが、NHKが深夜に圧縮版を放送するのでこれを録画している。異なる解説者の意見も参考になる。じっくりと録画を見ながら、負けたチームの敗因を考える。ビルズは若手QBアレンの若さが出た。勝ったテキサンズはディフェンスのワットが怪我から復帰したのが大きかった。ペイトリオッツはブレイディーが肘の痛みをかかえ、さらに足も傷めていたようだ。それとタイトエンドのグロンコウスキーの引退が去年の戦力とは違うところだ。セインツはQBブリーズに生彩がなかった。インターセプト1本、安易なファンブル1本。そんなミスをするQBではなかった。40歳。ブレイディーよりは若いがそろそろ限界か。来年はヒルの先発を期待したい。そうなると今シーズン控えQBとして5勝したブリッジウォーターはトレードに出ることになるだろう。どこに行くのか。ぼくはブリッジウォーターのファンなので気にかかる。イーグルスが負けたのは実力。ワイドレシーバー全員とタイトエンドが負傷し、QBのウェンツまで途中退場ではどうしようもない。その満身創痍のイーグルスを相手に大差をつけられなかったシーホークスも大丈夫かと心配だ。決勝戦で49ナーズと対戦して好ゲームを展開することを期待している。

01/09/木
スペイン組とすごした年末年始の疲れがまだ残っているのだが、事情があって小学生を一人預かることになった。妻が美容院の予約を入れていたので本日はぼくの担当。スカイツリーの根元のスケートリンクで小学生がスケートをするのを、寒風にふるえながら、ただぼうっと眺めていた。こういう時間もある。改めて、リタイアしたのだなと思う。

01/10/金
本日は妻、他1名と大井町の四季劇場で『ライオンキング』を見る。3日前に妻がサイトで予約を入れた。2階の隅の方があいていてラッキーだった。隣にキャッツの劇場があった。自分の息子たちが小学生の時にキャッツの初演を見たことがある。当時はわが姉が四季に所属していてチケットをとってくれた。ずいぶん昔のことだ。本日は夕方まで自分の仕事ができた。第1章が終わった。引き続き第2章に入る。どんどん書けていく。状況設定が頭の中に入っているからだ。ただ単純な絵解きにならないように、ヒロインの心理を丹念に追いながら書く必要がある。式神の天后媽祖も声だけが聞こえてくる。千里眼と順風耳という手下を連れているので、未来を予測できるし、見えない情報が得られる。これでストーリー展開を圧縮できる。ただし大幅にリアリティーを逸脱してしまうと歴史小説のおもしろさがなくなってしまうので、式神にあまり頼らないようにしたい。

01/11/土
神田明神、湯島天神、不忍池の弁財天、寛永寺観音堂を回る。弁財天に行く途中、掌に米粒を載せて雀を呼んでいる人がいた。同行している小学生が米をわけてもらうと雀が寄ってきた。ユリカモメ、鴨などたくさんの鳥がいた。この小学生へのサービスも本日で終わりだ。『紫』はどんどん書けていく感じだが、どういう読者が読むのかわからない。とにかく自分で書きたいように書くということで先に進んでいる。明日と明後日はFootballの日だ。いまはこれに集中したい。

01/12/日
朝6時に起きて49ナーズ対バイキングス戦を見る。49ナーズ快勝。引き続きレイブンズ対タイタンズ戦。いずれの試合も1位シード対6位の対戦で、1位の方が勝つに決まっていると思われていたのだが、タイタンズの驚異的な奮戦で優勝候補筆頭のレイブンズが敗退した。今シーズンのMVP確実と言われるQBラマ―・ジャクソンが去年に続いて初戦で姿を消した。今年のプレーオフはどのチームがラマ―・ジャクソンを止めるか、結局それは無理ではないかと言われていたのに、タイタンズがペイトリオッツに勝った勢いのままで、優勝候補相手に圧勝した。こういうことがあるからFootballは目が離せない。チーフスと49ナーズを応援しているこちらとしては、レイブンズが姿を消したのは嬉しい結果。それにしてもこういう番狂わせがあると、Footballというのは体力や技術を駆使する必要はあるものの、基本は戦略ゲームなのだということがよくわかる。とくに200ヤード走ったランニングバックのヘンリーが意表を衝いてタッチダウンパスを投げたのには驚いた。ヘッドコーチの頭の中に描いた図上演習の戦略が、不器用そうなランニングバックのパスで実現してしまうところは、小説より奇なりという感じがする。さて、預かっていた小学生は無事に妻が新幹線で送り出した。受け取ったというラインも届いたのでこれで責任は果たせた。

01/13/月
本日は朝5時に起きてチーフス対テキサンズ戦。テキサンズの猛攻に24対0とリードされた時は終わったと思ったが、まだ第2クォーターに入ったばかりで、そこから4連続タッチダウンで前半の内に逆転。後半は危なげなく勝ちきった。昨日のレイブンスのまさかの敗戦があるだけに、何が起こるかわからないという恐怖感があったが、チーフスには劣勢を挽回する底力があった。もう1試合はパッカーズがシーホークスを押し切った。シーホークスは怪我人が多く、一度引退したリンチが復帰して2つのタッチダウンを挙げたのだが及ばなかった。これで来週のカンファ決勝はチーフス対タイタンズ、49ナーズ対パッカーズとなった。第1シードのレイブンズが負けたため、チーフスは決勝戦をホームで戦える。ワイルドカードから進出したのはタイタンズだけで残り3チームは順当にシードチームが勝ち上がった。この結果を見ると、SUPERBOWLはチーフス対49ナーズになりそうだ。ぼくはもともとチーフスとセインツを応援したので、まだチーフスが残っていて嬉しい。49ナーズも新人ディフェンスの活躍に注目してきた。タイタンズはぎりぎりの第6シードで勝ち残った勢いで、昨年覇者のペイトリオッツ、今年の優勝候補筆頭のレイブンズを撃破した。そろそろ疲れが出るころだが、ヘンリーというラインバックの巨体は要注意だ。パッカーズは昔から嫌いなチームなので49ナーズを応援したい。

01/14/火
日本文藝家協会常務理事会・理事会・新年会。新年会には著作権関係でおつきあいのある人々を招待しているので、とりあえず挨拶を交わし、初対面の人とは名刺を交換し、必要なら数分間談笑する。これを次から次へとやらないといけない。総会のあとの懇親会と並んで、一年で最も多忙な時間が過ぎていく。今年も無事に終わった。この種の仕事で忘年会をすることはないのだが、新年会はけっこう多い。同じメンバーで何度も会うことになる。一月はけっこう多忙だ。頭の中のどこかに昨日のFootballの余韻が残っている。チーフスの逆転勝ちの試合は脳裏に強く刻まれている。その前日のレイブンズがずるずる負けた試合とは好対照だった。

01/15/水
妻と赤坂見附にあるクリニックに行く。妻がいつも通っているところで、帯状疱疹の予防接種を受ける。注射をしても予防の有効性は50%とのこと。まあ、気休めみたいなものだが、帯状疱疹は対応が遅れる痛みがいつまでも残ると言われている。死ぬことは怖くないが、傷みがずっとあるというのは困った事態だ。ということで、一瞬の注射の傷みに耐える。インフルエンザの注射より痛くなかった。本日の仕事はそれだけ。『紫式部』は道長が訪ねて来るところまで来た。紫式部は「道長妾」などという文献が残っているし、『紫式部日記』にもそのことを暗示するくだりがある。父親の異例の出世など傍証もある。この作品はやや軽い文体で進めているのでユーモラスに描きたいと思う。

01/16/木
本日と明日も公用なし。しばらく車を動かしていないので、いつも行く深川のスーパーへ。昼食にパスタを食べ、館内を散歩。野菜などを買って帰る。この前、いつ車を動かしたかと考えてみると、スペイン組の荷物を京成上野に運んだ時以来。あれは1月4日だったか。ずいぶん時間が経ったようでもあるが、スペイン組と過ごした日々がつい昨日のことのような気がする。ようやく日常が戻って、自分の仕事に集中できる。まだ集中するというほどではないのだが、第2章もかなり進んだ。ヒロインが『源氏物語』を書いているプロセスは重要ではなく、当時の政治状況を描くことがテーマなので、物語についてはあまり触れない。物語をちゃんと読んでいる人は少数派だし、詳述すると煩雑に感じる読者も多いはず。学術論文ではないので、物語についてはあまり触れないこととする。今日は木曜日か。次のSUPERBOWLは月曜日だ。プレーオフの初戦と準決勝は、4試合ずつあるので、日本時間の日曜と月曜の早朝に中継があるのだが、来週はカンファの決勝なので、月曜に2試合ということになる。寂しくなった。録り溜めたビデオで試合の反省もしている。レイブンズが負けた試合と、チーフスが逆転勝ちして試合も、何度見てもすごい試合だ。

01/17/金
次男のところからラインで連絡があった。次男の長男が中学受験に合格したとのこと。思えばその次男が中学入試に挑んだのはいまから30年以上も前のことだ。仕事をほっぽり出して個人教授をして、その体験を『パパは塾長さん』という本にしたら何万部か売れたので、結果的に元がとれた。その次男はサラリーマンなので、個人教授などをする時間はとれなかっただろうが、本人が独力で頑張ったのだろう。ただ電車で通学することになるので、けっこう大変だろうが、いい友だちに出会えるはずだ。夕方、秋葉原を散歩。神田明神の方に回る。正月にお参りをした時、合格祈願をした。感謝を伝える。湯島天神には行けなかった。後日、お礼参りをしたい。

01/18/土
センターテストの日。雪が降ると言われていたが粉雪がパラッと降っている程度。去年の3月までは大学の先生をしていたので、センターテストの日は出勤だった。一昨年はセンターテストの総責任者の順番が回ってきて前日から近くのホテルに宿泊した。有明の国際展示場前のホテルで、夜景がきれいだった。そのセンターテストも今年が最終回だそうだ。昨日、中学受験の結果が出た孫が大学受験をするのは6年後のことだが、それまでに新たなテストがきちんと確立されているのか。センターテストは採点が容易なマークシート方式で、それなりの効果を挙げて定着していた。余計なことにクビをつっこむ趣味のある人か、利得のある業者が、改革の必要性を説いたのだろう。外野の声が入ると制度は悪化していく。定着しているシステムを守ることが公平で公正な制度につながる。システムを改変するとトクをするのは受験産業の業者ばかりで、生徒も現場の先生も迷惑をする。などとどうでもいいことを書いてしまった。本日は厳寒の八王子でコーラスの練習。新年会を終えて帰ってくると集合住宅の電気系統の点検とかで、エレベーターが止まっていた。30分ほど待たされた。

01/19/日
日曜日は休み。『光と陰の紫式部』を最初から読み返している。文体を調整しているが、だいたいこれでいいという感じにはなっている。第1章はまだ単なるプロローグだ。狂言回しとして式神を登場させることにしたので、式神のリアリティーというものが必要だ。この式神は十二天将の天后媽祖という設定になっていて、狛犬のように千里眼と順風耳という鬼神が従っている。この鬼神は時々予言をするのだが、これが物語の先の方を示唆し、それによってストーリーが進行していく仕組みになっている。第1章はそういう物語の構造を示すだけのプロローグだ。第2章からいよいよストーリーが進行し、ヒーローとしての藤原道長が登場する。この人物は顔はよいのだが三枚目という設定になっている。そのあたりの展開が、うまく書けているように思う。さて、いよいよFootballのカンファ決勝が明日の早朝だ。ドキドキする。

01/20/月
朝5時に起きてチーフス対タイタンズ戦。昨年の覇者のペイトリオッツと、今年の優勝候補のレイブンズを撃破したタイタンズだったが、チーフスのマホームズの前には敵ではなかった。前半はほぼ対等に渡り合っていたが、後半はチーフスの流れで進行し、そうなるとヘンリーのランが出せなくなった。チーフスの圧勝。2試合目は49ナーズの楽勝。これでSUPERBOWLは、どちらもぼくが応援しているチームになったので、結果はどうでもいいようなものだが、どちらかといえばチーフスを応援したい。本日は午後、オーファン委員会。委員長なので挨拶とかしないといけないのだが、朝5時に起きて集中して中継を見ていたので、やたらと眠かった。

01/21/火
教育NPOとの定期協議。必要な発言をして、あとは懇親会。今月は飲み会が5回もあるのだが、これで3回が終わった。あと2回。体調を維持したい。

01/22/水
今日は休み。湯島天神まで散歩。孫の志望校合格を感謝する。感謝のしるしにお守りを購入。こちらの文運もよろしくと祈願をした。

01/23/木
SARTRASの新年会。今日は飲み会だけ。月に2回くらい顔を合わせているメンバーだが飲み会は初めてなので、まあ、楽しく言葉を交わすことができた。会場は霞ヶ関ビルに隣接した別館みたいなところで、そのあたりに行くのは初めてだったので新鮮だった。これで今月の飲み会の4/5が終わった。あと1回だが、本日とほぼ同じメンバーなので、まあ、楽しく飲めるだろう。

01/24/金
SARTRAS理事会。SARTRASは補償金を受け取る組織だがまだ受け取りのシステムが確立されていないので無収入。ということで、複製権センターに間借りしている。その複製権センターが転居したので、今回から新しい事務所で会議をすることになった。虎ノ門森タワーの隣のビル。新しい駅がそのうちできるらしいが、いまのところ不便な場所だ。ぼくの自宅から一番近い駅は千代田線の新御茶ノ水駅なので、千代田線の霞ヶ関から歩いていく。まあ、近かった。新駅ができても日比谷線なので自宅からは一回乗り換えになる。秋葉原まで歩けば日比谷線に乗れるのだが、散歩でもないのに秋葉原の雑踏の中を歩くよりは、霞ヶ関から歩いた方が楽かなとも考えている。会議の内容は、とくに問題はなかったが、必要な発言はした。本日の公用はそれだけ。『光と陰の紫式部』はどんどん書けているが、少し文体が軽くなったかなという気もする。第2章が終わりそうなのでそろそろプリントにして読み返してみようと思う。

01/25/土
妻と散歩。三四郎池、赤門を回って、甥の東大生が下宿していたアパートなどを見て水道橋から電車で帰った。その途中、そのかつての東大生(いまはチリ在住の天文学者)が東京に来ているというメールが入ったので夕食に招く。ブラックホールや重力波の話などをしながら楽しい食事。たまにはこういう話も楽しい。

01/26/日
この週末はまったくの休み。散歩にも出かけずテレビばかり見ていた。幕尻の徳勝龍が優勝したのには驚いた。土俵際の突き落としだけで星を拾っていたのに、尻上がりに調子が出てきた。最後は不思議なほどに落ち着いていて勝機を逃さなかった。女子マラソンも基準をクリアーする選手が出現した。頑張れば何とかなるという見本だ。71歳のわたしも頑張ろうと思う。今週も2回の宴会を無事にクリアーした。今月5回の宴会のうち4回が終わった。

01/27/月
月曜日はFootballの日だが、本日はオールスター戦なので中継を見ることもなかった。夜中にNHKが放送していて、始まりのところだけ見ていたが、つまらないから寝てしまった。SUPERBOWLは来週だ。QBマホームズを擁するチーフスのパス攻撃を、49ナーズのディフェンスが防げるかが注目される。カンファの準決勝、決勝とも、チーフスは立ち上がりがよくなかった。マホームズのエンジンがかかるまで時間がかかるようだ。49ナーズのディフェンスは組織化されている上に、個別の選手の力量も傑出しているので、最後まで調子が出ないかもしれない。49ナーズのQBガロポロはパスの精度に問題があるのだが、ランニングバックのモスタートに脚力があり、さらに攻撃ライン、タイトエンド、フルバックだけでなく、ワイドレシーバーまでがランニングバックの走路を確保するために組織的なブロックをする。カンファ決勝ではモズタートが4つのタッチダウンを挙げた。とにかく49ナーズは攻守ともに組織化されている。これに対して、チーフスはマホームズの個人技だけでなく、パスを受けるレシーバーの全員が足が速い。組織力対個人技の戦いになる。マホームズの調子が上がらず、49ナーズがリードする展開になると、49ナーズのラン攻撃が強いだけに、ずるずると点差が開いていくような気がする。チーフスは監督に問題があるので、そこでマホームズが個人的に超人的な能力を発揮するのか、そんなドラマを見てみたい気もするのだが。ということで、本日は近くの銀行へ行ったのと、新宿のマッサージに行っただけ。短いエッセーを書きかけたが完成しなかった。

01/28/火
エッセー5枚書いて送付。これが今年の初仕事。小説は書いているがこれは注文を受けて書いているわけではないので、完成してもデッドストックになるだけだ。しかし在庫を保有していればいつかは世に出るはずと考えている。本日は終日、冷たい雨が降っている。内幸町の聘珍樓で著団協の新年会。今日は会議ではないので資料の配付はなく内職のノートも不要。ということはバッグなどの荷物がないということで、傘が邪魔だ。傘なしで行ける方法を考える。聘珍樓の入っているビルは都営三田線の内幸町に地下でつながっている。いつもは神保町まで歩くか、小川町から一駅乗るか。都営だけで行けば運賃は安いのだが、小川町への地下道の入口が自宅から少し離れているので傘が必要だ。千代田線の新御茶ノ水なら傘が不要なので、大手町で三田線に乗り換えることにした。その大手町で昔のことを思い出した。大卒直後に勤務していたPR関係のプロダクションの事務所が神保町にあった。クライアントは原宿にあって、千代田線の明治神宮前から乗って大手町で三田線に乗り換える。その時に切符をなくした。どうして切符がなくなったのかわからない。気がついたら三田線の車内にいた。いまみたいな自動改札ではなかった。乗り換え切符を買ったはずだが、大手町で乗り換える時に駅員に渡してしまったようだ。では三田線に乗る時にはどうしたのか。何となく入ってしまったのか、国鉄の定期でも見せたのか。要するに記憶が欠落していた。勤めているPRプロダクションは、広告会社はどこでもそうだが、いまでいえばブラック企業だった。自分の神経質で几帳面なので、切符をなくすなどといったことは考えられなかった。よほど疲れているのだと実感した。そこで、会社を辞めようと思った。そこで切符をなくすことがなければ、作家になる時期がもっと遅れていたかもしれないし、時流に乗り遅れていたかもしれない。大手町駅での切符喪失。懐かしい出来事だ。ふだん千代田線から都営に乗り換えることはないので、雨の日に三田線に乗るという特異な状況が忘れていた記憶を呼び戻した。時間をおけばすべてが懐かしい記憶だが、勤めが多忙の上に自宅には幼児が二人いてたいへんだった。それに比べれば、いまは楽だ。締切に追われることもなく、のんびり飲み会に出かける。親しい人々と酒を呑む。まあ、のんびりとした老後を送っている。著作権関係の会合で問題は山積しているのだが、命をとられるような大問題ではない。全力を尽くして、ダメでもがんばったと言ってもらえればいいというくらいの仕事だ。

01/29/水
妻と日本橋まで散歩。『キャッツ』を見て、うどんを食べて帰る。『キャッツ』はさまざまな書評で酷評されていた。何かの投票で、『キラートマト』や『死霊のはらわた』などのB級映画を下回る評価だったというのも読んだ。そこまで酷評されると気になるので見てみたのだが、いい映画だった。ただストーリーのない抽象的な作品だし、宗教的な高まりがあるので、知性がB級の人が見ると、わけのわからない気持の悪いものという感じがしたのかもしれない。ある世代以下の人々の見識、知性、抽象的なものへの理解度が落ちているという印象を以前からもっていたのだが、『キャッツ』を見てわからないというのは、子どもよりも知性が低いというべきだろう。劇団四季の『キャッツ』の初演を見たことがある。小学生低学年の息子二人を連れていったが、ちゃんと理解していた。グリザベラという老猫が天に昇るという話で、「メモリー」という名曲を歌う。初演を見た時、自分は三十代半ばだった。その時は気づかなかったことがある。自分が老人になって初めて、老猫の立ち位置が感じられ、わがことのような感動を覚えた。イギリスでは昔からミュージカルが愛好され、観客の年齢が高い。そういう客層を対象にした文化というものがある。日本でもそういう客層が支えになってくれればと思うのだが、日本の老人は文化的に貧しく、実際にも貧しいのではないかと思う。そう思うとやや寂しくなる。

01/30/木
もう月末も近い。『光と陰の紫式部』の2章までをプリントしてあるのだが、集中して読む時間がとれない。まあ、急ぐことはない。本日は深川のスーパーへ車で出かける。簡易のリュックを買う。袋みたいなもの。ぼくが中学生くらいのころは、こういう袋が流行っていてどこでも売っていたのだが最近は見かけなくなった。が、あるところにはあるようだ。SUPERBOWLまで数日。今年は双方のチームを応援してきたので、気持が揺れ動いているのだが、いまのところチーフスに気持が傾いている。昨年はラムズを応援して完敗した。一昨年はイーグルスを応援して奇蹟的な勝利。その前はどうでもいいと思って見ていた。その前くらいに引退するマニングのブロンコスを応援して勝った時は感動した。弟のイーライマニングが活躍してジャイアンツが勝ったのはいつだったか。その前年の年末、覇者となったジャイアンツがプレーオフに出場できるかという最後の試合で5分間で2回タッチダウンを挙げた奇蹟の逆転劇を、大学の研究室でネットの情報だけで見守っていた記憶があるから、それは2011年のことで、翌年のスーパーボウルでジャイアンツが優勝したのだったか。すると8年前だね。そんなことをぼんやりと考えている。ところで、一昨日、ひげ剃りの掃除をして回転刃をセットしたスイッチを入れたところ異様な音がした。何度か試みたのだがうまくいかない。考えてみるとこのひげ剃りをいつから使っているか記憶にもないほどだ。蓄電池の性能も落ちていて限界かなと思ったのが数年前で、それでも何とか使っていた。高価なものではないのでそろそろ替え時かと思ってアマゾンで注文した。最新のものは2万円以上するのだが型落ちのものを7千円でゲット。昨日届いたので充電して使ってみると音が静かだ。異音を発生する前にどんな音がしていたかもうわからなくなっているが、この新しいものは、動いているのかと訝られるほどに静かだ。それにちゃんとひげが剃れる。いままで使っていたのは剃れていなかったのだ。まあ、それだけの話だが、これでもう死ぬまでこのひげ剃りで行けるかなと思っている。

01/31/金
今月も月末になった。メモ帳で書いているこの創作ノートは一ヵ月単位に新たなノートに替えることにしている。メモ帳の容量にキャパシティーがあるからだが、いまのメモ帳はもっと入るのかもしれない。20年前からこのノートを書いている。当時はWindows98か95ではなかったか。いまはもっと便利になっているのだろうが、昔のままのスタイルで書いている。新しいノートに替える時にいくつかの処理が必要で、もはや老人となっているこちらとしては、その度に、どうやるんだったかな、と考え込むことになる。それで月末になるとやや憂鬱になる。まあ、とにかく更新しよう。


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