「悪霊」創作ノート1

2011年3月

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03/01
「悪霊」の創作ノートを本日より始める。ただし実際に書くのはずっと先のことだ。ただこの時点での構想を書いておく。『罪と罰』『白痴』に続くドストエフスキーの書き換え作業の第3弾である。この作業は当初、「小説によるドストエフスキー論」というプランのもとにスタートした。評論または解説書のようなものを書くつもりだったが、それを小説仕立てにしていく過程で、論の部分を消して、単純な小説として読めるものに変化していった。『罪と罰』では予審判事ポルフィーリーの視点で犯人の主人公を客観的に見ることを主眼としたが、脇役のザミョートフを設定することで、もう一人の主人公スヴィドリガイロフの横顔が見えるようにした。スヴィドリガイロフ→白痴→ニコライ・スタヴローギン→アリョーシャというのが、この4部作の主人公の流れだ。従って、スヴィドリガイロフこそはこのシリーズの主人公のトップバッターということになる。『白痴』では原作のムイシュキン公爵を割愛して、創作ノートで削除された白痴の原型、すなわち明らかにスヴィドリガイロフとニコライの中間に位置する人物を主人公に据えた。これでこの4部作はわかりやすいものになった。わかりやすくするとつまらなくなるということもあるが、わたしの試みはもともと評論であり解説であると解釈していただきたい。わたしは途方もないものを築こうとしているのではなく、わたしが読み解いたドストエフスキーの神髄を小説という形で再現したいと考えているだけだ。すでに2冊の本を出したが、自分で構想したとおりのものが書けている。わたしの頭の中にすでにあったものに形を与えただけだから、作業はそれほど難しいものではなかった。月に200枚のペースでひたすら書き続けるという作業を半年ほども続ければ作業は完成するのだが、そのためには準備が必要だ。原作を頭の中に入れ、それ以外のものを排除するという作業のために準備期間が要る。するとドストエフスキーの霊が降りてくる。これからの数ヶ月はそのための作業だ。実際に書き始めてから何を書くのかというのは、はっきりと見えている。「悪霊たちの青春」を書くのだ。原典では主人公のニコライがヨーロッパ旅行のあと、郷里に帰るところから始まる。そこに大学時代の旧友3人が集まってきて事件が起こる。この3人、主人公を加えた4人が、ペテルブルグ大学でどのような青春を過ごしたかは、時折、回想として登場人物の口から語られるのだが、その全容は見えないようになっている。だからこそこの作品は謎めいたものになっているのだが、わたしがなすべきことはその謎を解いてしまうことだ。つまり、ペテルブルグ大学で4人の人物が出会うところから話を始め、あとは時間軸に沿って話を進めていく。それだけで全体の半分くらいの分量になったところから、原典のオープニングに話をつなげ、あとは原典を半分くらいに圧縮すれば作品は終わる。こう書いてしまうともう作品は出来上がったようなものだ。もちろん細部は見えていない。だからこそ書くことのモチベーションがあるのだが、書くと決めてスタートすれば、あとはドストエフスキーの霊が書いてくれる。ただ謎を解く鍵は原典にしかない。これからしばらくの間、原典をしっかり読み込んで、ペテルブルグ大学で何があったかのヒントとなる部分をチェックし、想像するという作業を続ける。この作業が終わる頃にはドストエフスキーの霊が確実に降りてくるはずだ。
夕方、文化庁の会議に出たら席が用意されていなかった。出席の通知を出したはずなのに、事前の説明を拒否したら欠席と思われたようだ。こちらは多忙なのでいちいち説明を受けているひまはない。この会議、参加人数が多すぎて前へ進まない。広く意見を求めるというのが役所の考えだろうが、広すぎるとまったく前進しなくなる。最近、とくに痛感することだが、総務省や経済産業省は前向きに前進していく。文部科学省と文化庁はカニの横這いだ。じっとしていれば流れが運んでくれるという長年の慣習があるのだろう。こちらで流れを作るしかない。

03/02
午前中の会議。図書館関係者との定期協議。場所は書協。神楽坂を下りて飯田橋から吉祥寺に向かう。妻と待ち合わせて駅前の銀行へ。M大学の給料振り込みのための口座を開設する。何かその方が事務手続きがスムーズに行くということらしい。別の銀行に回って口座を解約する。40年前にこの街に住んでいた。芥川賞を貰ったのもここに住んでいた時のこと。当時は吉祥寺の銀行を振込先に指定していた。それから八王子市に引っ越し、いまは世田谷区の三宿にいる。振り込みの口座は下北沢の銀行に指定している。ということで、吉祥寺の口座は休眠状態だった。整理のために解約した。その後、隣の東急百貨店で遅い昼食。このデパートには想い出がある。長男を肩車してエレベーターに乗っていると、仕事(PR誌編集)で出入りしていた自動車メーカーの受付の女性とバッタリ会ってしまった。出入りの若手社員としてわたしは人気があったのではないかと思うのだが、それで妻帯者だとわかってしまいガタッと人気がなくなってしまった。長男が初めて立ったのもこのデパートの屋上だった。便利で自然に囲まれたいい街だ。高校生の頃、埴谷雄高を訪ねた想い出の地でもある。M大学で仕事をするようになったのも、この街に想い出があるからだ。通勤で吉祥寺を通る度に、何か温かいものを感じる。大学の最後の2年間と、サラリーマンの4年間と、作家として1年、合計7年、この街に暮らした。7年という年月は決して短くはないが、遠い想い出だ。口座を開設して振り込み先の番号が確定したので、大学に提出する書類を作成する。非常勤ではなく専任というかたちで大学の先生になるのは、3回目。W大学の客員教授は専任扱いで、4年と2年、つまり2回、就職したことになる。今回は3回目だから、慣れているといえばいえるのだが、すでに年金も貰える年齢になっているので、手続きのための書類がやたらと多い感じがする。一つ一つ片づけている。子どもたちがいないので扶養家族がないところが楽だ。子どもがいると就学証明とか、そんな書類も必要になるところだ。「実存から構造へ」そろそろピッチを上げないといけない。200枚ちょっとの新書だから、調子が出れば1ヶ月くらいで書き上げることができるはずなのだが。

03/03
ひな祭り。男児二人しかいないわたしのところでは縁のない日だが、スペインにいる長男のところでは3人娘がこの日を祝っているだろう。月例の近所のかかりつけの医者で薬を貰う。ついでに健康診断。M大学で専任扱いとなるための書類の一つ。妻に住民票をとりにいってもらって、これで書類が揃った。大学を出て以来、何度か就職しているのだが、だんだん書類が増えていく。歯医者にも行く。ようやく歯が入った。右上の奥歯。隣の親知らずも抜くなど難工事だった。次は下の歯。どこまで続くぬかるみぞ。

03/04
旺文社の全国学芸科学コンクール表彰式。ホテルオークラ平安の間。大がかりな表彰式だ。小中高の学校関係では最大の行事ではないか。しかし1時間以上もかかる表彰式の間、じっとしているのはまるで拷問みたい。わたしは今回で2回目の参加。まあ、これも世のため人のための仕事か。

03/05
土曜日。今週もけっこう多忙だったので、ほっとしていたら、『道鏡』のゲラが届いた。作品が完成したのは先月の10日だ。しかし2月は短いから、3週間しか経っていない。しかし何を書いたか忘れてしまっていた。わたしの頭脳はランダム・アクセス・メモリーのようなもので、作業が終われば情報は消去される。忘れているので読み始めるのが怖い。全然ダメな作品ではないかと不安になる。しかし、冒頭部を読んでみると、すごい文章だ。格調が高い。まるで文豪が書いたような文章だ。少し恥ずかしくなる。しかし還暦を過ぎた作家が書いているのだから、これくらいの文章を書いても許されるだろう。何となく安心して作業に取り組める。この作業に一週間くらいかかるだろうか。すでにこのノートは『悪霊』というタイトルになっているのだが、これからの一週間は道鏡のことを考える。
が、ついでに書いておくけれども、『実存』のあとは児童文学を書く。迷っていたが、いまはまだインドものを書く時期ではない。もう少し気持のためが必要だ。で、シンプルな冒険物語を書くことにした。タイトルは『太陽の王子』か『ヤマトの王子』。いまのところ『太陽の王子』で行きたいと思っている。が、気が散りそうなので、このことはしばし忘れる。まずは道鏡だ。とにかく校正作業に集中したい。
夕食に姉を招いた。三田和代さん。地方公演に出ていたので長い間、会っていなかった。母の三回忌が迫っているのだが格別のこともしないので、本日、献杯をした。

03/06
日曜日。花粉に苦しんでいる。散歩しないわけにはいかないのでゴーグルにマスクといういでたちで散歩に出るのだが、徐々に花粉に浸食されて深夜になると苦しくなる。それでも『道鏡』のゲラに取り組んでいる。1章終わる。全体が5章なので、このペースで行くと完了までに10日かかる。来週は会議が3日ある。週末にがんばるとして、そのすぐ先が締切だから、もう少しピッチを上げないといけない。

03/07
また週日が始まった。本日は国会図書館での協議会。終わってすぐに文藝家協会に回る。国会図書館から文藝家協会へは歩いて行ける。途中、民主党本部の前を通ると、警備の警官に、どちらへ?、と訊かれたので、あちらへ、と答えたら、通してくれた。これでは検問になっていない。理事会。ずいぶん長い時間がかかった。わたしのせいだけではない。著作権の問題は議論を始めると結論が出なくなる。だから議論を避けて、わたしの独断で仕事を進めることも多い。しかし最低限の報告はしないといけないので、そのあたりが難しい。とにかく、帰って『道鏡』に取り組む。道鏡は自分の野心に怯えている。ピュアな人だ。わたしはこういう人物しか書けない。それでいいと思っている。

03/08
本日は公用なし。ひたすら『道鏡』のゲラ。陽が射して花粉が舞っている気配だが、散歩には出る。今日はまだ目に来ない。なぜかはわからないが、花粉のシーズンが始まってしばらくすると目の症状が収まって鼻に移行する。いまはまだ鼻にも行かない。昨日の雪で少し空気が変わったのか。道鏡と鑑真が対話するシーン。いい感じだ。以前、『日蓮』を書いた時、日蓮と親鸞が対決するファーストショットを書いたが、その時に匹敵する密度で書けたと思う。鑑真は偉大な人物だと認知されているが、道鏡はそうではない。この作品で、道鏡のイメージをがらりと変えたい。2章完了。

03/09
会議一件。今年に入ってから急に始まった漢字の外字異体字についての委員会。とりあえず年度内の短期決戦ということで本日で終了。わたしが座長なのだが、思いの他、うまくまとまった。今日、この会の正式名称を改めて見たら、たいへんに長いものだった。「平成22年度コンテンツ配信型・ハイブリッドビジネスモデル実証実験/デジタル・ネットワーク社会における出版物の利活用推進のための外字・異体字利用環境整備調査」というものであった。去年の三省デジコンでわたしこの外字・異体字についての問題提起をして、印刷所のデータに互換性をもたせるためのコンバータを作る事業に国が助成してほしいと発言したのだが、その時の座のシラケた雰囲気が昨日のことにように思い起こされる。9月の補助金の配分でもこの件は無視されていたのだが、今年に入って経済産業省から補助金が出て凸版印刷が請け負ってこの実証実験のための予備調査が実施された。調査にあたっては大日本印刷の協力が得られたので、内容の充実した現実的な提案ができた。中国史の専門書などには対応できないが、通常の専門書や文芸書ならば、広辞苑程度の文字があれば対応できるので、その範囲でコンバーターができれば校正作業が楽になる。そのぶん電子書籍のコストも下がる。これは画期的な提案だし、未来への貴重な一歩だと思われる。と自画自賛しているわけだが、だれもがどうせダメだと諦めていた日本語特有の問題に、解決に向けての展望が出てきたという気がする。わたしが関わっているプロジェクトは他にも音訳ソフトや、国会図書館の画像など、いくつも困難な課題があるのだが、すべてうまくいくと楽観的に考えることが、何よりも大切なことではないか……と「道鏡」が乗り移っているわたしは楽観的に考えている。さて、夜中はひたすら「道鏡」。女帝に憑いた悪霊を祓う場面。あまりどぎつくするとオカルトになるのでさらっと書いている。このあたりがどうかと思うが流れはいい。

03/10
本日も公用なし。ありがたいことだ。散歩に出ただけ。『道鏡』の校正、3章終わる。半分を通過した。2日に1章のペースで来ている。来週の火曜が締切なので、金・土で4章、日・月で5章。これでぎりぎり間に合う。しかし明日はM大学の教授会で宴会だ。飲み過ぎないようにしよう。今年の冬は寒く、ずっとダイニングルームにいる。大邸宅に住んでいるが貧乏なので全体にエアコンを入れるわけにはいかない。ダイニングだけにエアコンを入れて閉じこもっている。ダイニングに大きなテレビが入ったこともある。ここにいると歌が歌えない。台所から音がもれる。仕事の合間に大声で歌うとストレスの発散になる。昔、長男のグランドピアノが置いてあった現在の客間なら二重窓になっているので思いきり声が出せる。今年の冬は寒いので、しばらく歌を控えていたが、思いついて寒さをしのぎながら歌ってみた。この客間には自分の本が並べてある。100冊くらいあるだろうか。ふと『空海』が目についた。先日、江戸川区で講演をした時に、区役所の女性が、『空海』をいま読んでいるが、10版を越えているのですね、と話していた。この作品は好評で、高野山の偉い人も読んでいると聞いた。その偉い人が、どんな思いで読んでくれているのだろうと、本を手にとって冒頭のところを読んでみたら、ものすごく密度の高い文章なので驚いた。これって自分の生涯のピークの作品ではないか。いまはとても書けないという気がするが、この時は、空海が乗り移っていたのだろう。あまりにすごい作品なので、いつの間にか第一章を全部読んでいた。それから、いま書いている『道鏡』はどうか、と思った。『空海』の密度には遠く及ばない。だが『道鏡』には小説としての面白さがある。それにしても、『道鏡』と『空海』はつながっている。どちらにも桓武天皇が出てくるし、佐伯今毛人も共通の知人だ。空海は大日経を尋ね求めることになるのだが、その大日経を吉備由利が西大寺に納めることになる。吉備由利は『道鏡』の重要人物の一人だ。歴史はつながっているのだし、わたしの作品もつながっている。来月発売になる『平安朝の悪女たち』は、その歴史のつながりそのものを描いた作品だ。ここには光明皇后から北条政子までの女性たちが登場するのだが、すべてのエピソードが巻物のようにつながっていると同時に、構造主義的なくりかえしの構造があるということを指摘した本になっている。これまでに書いた作品群がどのようにつながっているかの見取り図にもなっているのだが、その長大な巻物のような歴史の中には、わたしがまだ書いていない話も出てくる。これから書くことになるのかもしれない。中でも薬子のことはいずれ書きたいと思っている。紫式部や、「悪女」には入れなかったのだが、小野小町も書きたい気がしている。『難問』の見本が今月中に出るとのこと。『悪女』と『難問』が同時期に本屋に並ぶことになるのか。遠い昔に書いたような気がしている。とにかく『道鏡』を書き始めるよりも前に書いた本だから、ずっと昔のことだ。しかしドストエフスキーと道鏡に挟まれた時期の作品だから、それなりにレベルの高い内容になっているはずだ。

03/11
本日は文藝家協会で打ち合わせのあと、吉祥寺でM大学の宴会という手順だった。永田町の地下鉄出口のエスカレーター上で、エスカレーターが不審な動きをするので故障かと思い、駆け上がって外に出たら、高速道路の照明灯の柱が、運動会の応援の旛みたいに左右に揺れていた。赤坂プリンスから結婚式の客らしい黒服の人々がわらわらと駆けだしてきた。こういう時、人々はとりあえず外に出るらしく、歩道が混雑してまっすぐに進めないほどだった。文藝家協会で打ち合わせを終えて、さて吉祥寺に行くかと、その時まで、宴会に出席するつもりでいたのだが、テレビを見ていた人が交通が前面ストップだと教えてくれた。で、帰宅難民の人々の列に加わって青山通りを渋谷まで歩くことになった。車なら10分で走れるところが1時間くらいかかる。渋谷まで来るといつもの散歩コースなので、ほっとした。結局、2時間ほどかかったが、自宅には被害はなかった。仕事場の書類の山が崩壊して、その中から見たこともない重要書類が出てきてドキッとしたが、すでに解決済みのものであった。さて、天災があろうと、作家は仕事をしないといけない。『道鏡』とにかく先に進んでいくしかない。

03/12
土曜日。昨夜からテレビはずっと地震のニュースばかりだ。昨夜は東京も余震で揺れ続けていた。明け方に寝て、起きて、テレビをつけると、今日も状況は同じだが、夜中の内はわからなかった各地の状況が伝えられて、被害の大きさが明らかになった。わたしが小学生の時に、チリ津波というものが押し寄せて、おおぜいの死者が出たということは知識としては知っているが、イメージはなかった。今回は、各地に定点カメラが設置されていたり、テレビ局の協力レポーターがいたり、一般人もビデオカメラをもっていたりして、映像がふんだんにある。津波というものを具体的な映像で見ることができる。これがまた世界に配信されているようだ。スペインの長男から電話がかかってきて、原発が爆発したらしいが大丈夫か、などと言っている。こちらがそのニュースを見たのと、十分くらいのタイムラグしかないから、日本の情報がただちに世界に伝えられているのだろう。確かにわれわれも同時多発テロの時は、WTCビルが崩壊するのをリアルタイムで見ていた。スペインのようなヨーロッパの辺境においても、テレビが特番を組んで情報を伝えているようだ。ところでメールではさまざまな人が情報を発信している。いくつかのメールのグループに入っているので、直接に面識のない人からも情報が入る。夜中に必ず停電するから懐中電灯を用意しろとか、千葉のオイルの燃焼で有害物質が飛散しているから雨に濡れてはいかないとか、東京から食料がなくなるから水と食料を確保しておけとか……。確かに散歩の帰りにコンビニに寄ってみると、弁当もパンも存在しなかった。あったのはプリンみたいなものだけだった。実は今日から妻がいない。実家の義父母の様子を見るために以前から計画していて、新幹線の切符もとっていた。妻がいなくてもコンビニで食べ物を買えばいいと思っていたわたしにとっては、コンビニに食料がないというのはパニックだ。幸い、いまはダイエットをしていて、ソイジョイの類は大量に保管してある。一食はこれで間に合う。ご飯の冷凍もあるのだが、いずれは米を炊かないといけない。最近、うちでは釜でご飯を炊いている。ガステーブルが進化して、火加減をコンピュータが管理するようになったので、釜を載せておくだけで炊けるのだ。しかしこれは妻の担当なので、わたしにはわからない。妻に電話して、電気釜はあるかと尋ねた。下宿していた甥が残していった荷物の中にあるとのこと。一人用の簡便な電気釜があった。これは便利だ。これさえあれば、トレルト食品はかなり保存しているので、妻が帰るまで生きていける。『道鏡』、4章終わる。

03/13
日曜日、ではあるが、テレビの番組が日曜のものではないので曜日の感覚がない。今回の地震のマグニチュードが9.0に訂正された。9というのはすごい。6500年前、小惑星メネシスが地球に衝突して恐竜が絶滅したと言われているけれども、その衝突の時のマグニチュードが11だといわれているから、種の絶滅をもたらすような大衝突の1千分の1のショックということになる。こういうの大きいのか小さいのかよくわからないが、観測史上、日本ではトップ、世界でも4番目くらいだというのだから、大きな地震といっていいだろう。死者が1万人を越えるという予測もある。これはすごい人数のようだが、広島・長崎の原爆の被害と比べればわずかなものだ。原発の処理に手間取っているようだが、これは「想定外」では済まされない。世界最大の地震が起こっても安全なような設計されていなければならないのに、予備電源のディーゼル発電機が動かないとか、準備不足が露呈している。それでも現場で放射線を浴びながら対応している職員の方々がいるのだから、ここでの批判は控えるべきなのだが。福島第1原発の放射性物質が女川原発まで飛んでいったらしい。南風に乗ったようだが、北風だったら東京まで飛んでくることも考えられる。とにかく今日は急に気温が上がり花粉が舞っていそうなので散歩に出るのは中止。自宅の階段を上下していたら、15分で足が痛くなった。『道鏡』のゲラ、ゴールが見えてきたが、締切の迫った原稿もあるので、明日も集中して仕事をしなければならない。

03/14
前夜、『道鏡』の初校ゲラ完成。書き間違いを訂正。けっこう間違いが多かった。大きな直しはない。ほぼ完成された作品に仕上がっていた。キャラクターの揺れもなかった。自分の作品の中でもベストといえるものになっている。『空海』の密度には及ばないが、そのかわりに話の展開の面白さがある。担当者と会って渡す予定だったが、計画停電で東急田園都市線がストップしている。で、ゆうパックで送ることにした。郵便局に行ったついでにコンビニを回る。小田急OXは閉店。ローソン、セブンイレブンにも弁当、パンの類はない。ところがサンクスに行くと、ずらっと弁当が並んでいた。サークルK・サンクス連合は中部地方が本拠なので、物流が確保されているのだろう。これで安心。妻が実家に帰っているので、コンビニが頼りだ。

03/15
今週のさまざまな予定は次々にキャンセルされていくのだが、本日の時代小説作家の会については連絡がないので、たぶん中止ではないかと思いながらも出かけていく。田園都市線は動いているらしいが、間引きされているので混んでいると思い、渋谷まで歩いていく。がらがらのバスが走っているので心が動いたが、散歩を兼ねているので歩き続ける。渋谷から副都心線。急行が動いていないので快適。W大に行く時に下りる西早稲田で下りる。早稲田は今シーズンで完全にリタイアしたのでもう行かなくていい。何となくほっとした気分だ。点字図書館に行くので今後もこの駅は利用するだろう。本日はビッグボックスへ行く。山手線の方が近いのだが混んでいるだろうと思って回避する。ビルの前が暗い。閉店しようとしている。非常用エレベーターだけが動いていたので会場のある9階に向かう。がらんとしたロビーに岳真也がいた。会場が休業になったので宴会は中止だが、連絡がつかなかった人が来るので小さな宴会をするとのこと。が、結局、30人くらいが集まって大宴会になった。また副都心線へ。電車が出た直後だったのだが、すぐに電車が来た。いつもよりスムーズだ。急行がないので西早稲田から乗れる電車の本数は増えているのではないか。渋谷での乗り換えもスムーズで、電車はがらがら。いつもなら必ず満員になっているのだが。

03/16
本日は講演の予定が入っていたのだが、交通事情が悪化しているところから中止になった。こちらとしてもありがたい。『道鏡』の初校ゲラが来て中断していた『実存から構造へ』を読み返す。まだ実存の項目を書き始めたばかりという段階だが、出だしはうまくいっている。哲学議論にならないように、早めにカフカを出して、文学を中心に論を進めるようにする。強い風が吹いている。北風は危険だ。しかし原発のある福島県は北西の風とのことで安心する。原発はかなり危険な状態になっている。政府は人体に無害と言っているが、それは1日や2日では大丈夫ということで、1年、2年と同じ放射線レベルが続くようなら、周囲100キロ圏にまで被害は及ぶだろう。風向きによっては300キロまで放射性物質が飛散することはシェルノブイリで実証されている。ただし、チェルノブイリで被害が出たのは、農産物が有害であることをロシア政府が隠していたから。とくに草原で放牧されていた牛が放射性ヨウ素を含んだ草を食べ、濃度が圧縮された牛乳を子どもが飲んで、甲状腺のガンが多発した。放射性物質が最も危険なのは体内に取り込まれた時だ。体に付着しただけなら洗えば済む。食べても排出されればいいのだが、ヨウ素は甲状腺に取り込まれる。要するに汚染された農産物や飼料の放射性チェックさえやればいいので、政府の主張する「人体に無害」というのも嘘ではないのだが、とにかく風向きによっては、230キロ離れた東京にも死の灰は流れてくるので、空気を吸わないようにしなければいけない。が、散歩はしなければならないので、花粉用のマスクをして散歩に出る。一昨日は弁当があったサンクスだが、本日はタイミングが悪かったのか、弁当はない。サンドイッチとグラタンを買う。実はわたしはグラタンが好きだ。以前、スペインに行った時に、レストランでソーセージとグラタンを注文すると、息子に子どもみたいだと馬鹿にされた。余計なお世話だ。夜食にグラタンとビールというのは、至福の瞬間である。このところ自宅では酒を飲んでいなかったのだが、妻が実家に戻っているので、こういう時くらいは一人酒を楽しんでも許されるだろう。

03/17
本日は歯医者だけ。イテテテ! 麻酔をしているので痛いはずはないのだが、精神的に傷つけられる感じがする。歯医者の隣のコンビニに入ると、どういうわけかぎっしりと弁当が並んでいた。ファミリーマートだ。第4グループは夜に停電という情報だったが、いつの間にか世田谷区はグループからはずれていた。ひたすら『実存』を書く。カントとかヘーゲルの話になった。難しい話にしたくないので、思いきり簡単に触れて通り過ぎる。

03/18
本日はM大学の卒業式で、夕方から卒業パーティーが開かれる予定だったのだが、計画停電などの状況から中止となった。卒業生たちにとっては残念な事態だろうが、電力を消費する宴会は慎むべきだろう。ということで、床屋に行くことにした。1月の前半に行ったきりなのだが、わたしは髪型にこだわらないし、学生の頃は肩まで垂れる長髪だったので、床屋に行く必要は感じない。ただ長いと頭を洗うのがめんどうなので、時々は床屋に行く。現在の家に引っ越して以来、20数年も利用している床屋である。このオヤジがわたしより年長なので、いつまで存続するか不安である。文藝家協会の書記局からメールが来て、地震の日、文藝家協会で総務省関係の人と話をしていた時に大きな余震が来たのだが、周囲の人々が机の下にもぐりこんでいるのに三田さんは話を続けていた、といったことを指摘された。話に熱中していたこともあるが、余震の方が大きいということはないし、道鏡が憑依しているので、怖いものは何もないのだ。いまは初校ゲラが終わって少しずつ道鏡が抜けつつあるのだが、次はニコライ・スタブローギンだから、もっと怖れを知らぬ人物になっていくはずだ。

03/19
土曜日。世田谷文学館で文学賞の授賞式。さまざまなイベントが中止されているのだが、この催しは受賞者が世田谷区民に限られるので、交通機関の問題もないということで、予定どおりに実施された。選者の青野聰さんや、随筆の選者の堀江敏幸さんと会えてよかった。わたしがこの文学賞の選者を引き受けたのは十年以上前だが、その頃は他の部門の選者は自分より一世代上の人々だったが、ようやく同世代の人が選者になってくれて楽しい。電車はスムーズに動いていた。一週間ほど実家に帰っていた妻が戻ってきた。一人の方が仕事は進むのだが、テレビのニュースが気になって何となく落ち着かなかった。

03/20
日曜日。本日は予定なし。妻がスーパーに行ったら牛乳は1人1本とのことであったが、わたしが散歩の途中で別のスーパーに言ったら、2本買えた。配給制度みたいだ。長男が生まれた頃を思い出す。石油ショックのパニックで怪しい風評が出回っていた。粉ミルクがなくなるという噂があって、神田の安売りストアに買いに行った。まだ車をもっていなかった頃で、2キロ缶が8本入ったダンボールを電車でかついで帰った。こちらは25歳で、元気な若者だった。牛乳は紙パックの工場が被災して不足しているとのことだが、原発の放射性物質の影響が心配されるのも牛乳だ。チェルノブイリではおおぜいの子どもたちが甲状腺ガンになった。汚染した草を牛が食べると放射性物質が圧縮される。風評被害というものが問題視されているが、牛乳については、疑わしいものは流通させない方がいい。酪農家には気の毒だが、天災なのだから仕方がない。日本国民の全体が原発推進を受け入れてきたのだ。東電が嘘を言っていたわけではない。想定外の津波が来たということだ。学生の頃、田老という町の国民宿舎に泊まったことがある。万里の長城のような堤防が設置されていた。チリ津波の被害が大きかったところで、10メートルくらいの巨大な堤防が果てもなく延びていた。わたしはそれを見て、あつものにこりてなますをふく、という言葉を思い起こした。こんなすごいものを造っても、役立てるような津波は永遠に来ないのではないかと思ったのだが、今回はそれをはるかに超える津波が来たようだ。人間の想像力には限界がある。蓮舫さんが仕分けしてしまった東京都の堤防も、復活した方がいいのではと思われるし、発電用のダムも、やっぱり造った方がいいのではないかと思われる。仕分けした人に責任があるわけではない。想像力が及ばないということは現実にあるのだし、実際に想像外のことが起こってみると、費用対効果のそれまでの基準も見直さないといけないということになる。本日は気温が上がり、花粉が飛んでいそうな感じ。花粉も怖いが放射性物質も怖いので、帽子、メガネ、マスク、コートと、完全装備で散歩に出る。放射性物質に関する政府の発表は明らかにインチキだ。ほうれん草や牛乳の汚染を、レントゲンより低いから安心だなどといっている。レントゲンの放射線は一瞬だが、食べたものは体内に蓄積させて、長期間、体内から放射線を発生させる。ホコリをかぶったり雨でうたれたりしても、シャワーを浴びれば除去できるけれども、食べた物はどうしようもない。食品とレントゲンを比べること自体が明らかなインチキで、これを批判できないマスコミも報道機関としての公正さと判断能力を失っている。スペインの長男からは早く逃げてこいと電話がかかってくる。ヨーロッパでは原発がより悪化すると報道しているようだ。アメリカの報道は冷静だが、そこには福島第1原発の1号機がGE製だということも関わっているのではないか。日本の原発はアメリカにリードされるかたちで始まったので、アメリカにも責任の一端はあるはずだ。

03/21
月曜日だが休日。お彼岸か。テレビでは倒れたお墓にお参りしている人を映していた。地震と津波の被害はたいへんなものだが、世界の注目は原発に集中している。すでに世界史上第二のスケールの原発事故になっているのだが、もしかしたら第一になるかもしれない。だからこそ世界の人々は固唾を呑んで日本を見守っている。汚染した農産物の出荷差し止めを国が命じたのは正しい判断だ。できれはただちに廃棄するところもで指導した方がいい。農家には税金で保証金を払えばいい。廃棄してしまえば風評の広がりを防ぐことができる。放置すると日本のチーズやバターなど乳製品のすべてが信じられなくなる。放射性物質は、洗えば落ちる、体内に入れなければ問題は生じない。食べてはいけない。吸い込んでもいけない。スリーマイル島で小規模なメルトダウンが生じた時、従業員に病変は生じなかった。だから原発は安全だと宣伝されたのだが、原発の従業員は全員、喫煙の習慣のないものが雇用されていた。喫煙者は微粒子を排出することができないからだ。わたしは大学の先生をしているので、二十歳前の学生たちに、タバコの危険性を説明してやらないといけないと思っている。さて、今週は病院に行ったりするので、スケジュールをあけてある。『実存』の作業も中断する。少しのんびりして、『悪霊』のことを考えたいと思っている。

03/22
簡単な手術で入院。どこかが苦しいとか痛いとかいった自覚症状はまったくないのだが、医者の指示によって入院することになった。『悪霊』上下の文庫本をひたすら読む。テレビもなく、妻との会話もないので、物語に集中できる。高校生の時に読んだ。それ以来である。評論などで何度も読み返しているような気分になっているのだが、原典に触れることはなかった。正直のところ細部は忘れてしまっている。こんなに退屈な話だったか、というのが読み始めの印象。しかしニコライが村に帰ってくるところはドラマチックで、さすがドストエフスキーだと思うが、そこまでがまったく面白くない。ドストエフスキーはピョートルの父親のスチェパン氏をほとんど主人公のようにして話を展開している。このことには意味があるのだが、作品としてはわかりにくいものになっている。
わたしの当初の構想は、『罪と罰』探偵を主人公にする。『白痴』創作ノートの廃棄されたプランを復活する。『悪霊』前篇を書く。『カラマゾフの兄弟』後篇を書く……というものだった。その構想どおり、前篇が書けるかというのが、今回、文庫を読み返して決断すべきところなのだが、原典の冒頭部を見ている限りでは、やや不安である。主要登場人物4人の学生時代に関する情報が不足している。
ラジオはもってきている。FMも聞けるのでテレビのNHKも聞ける。地デジだけでなるとこういうのも聞けなくなるのだろうね。ふだんでも仕事をしながらテレビを鳴らしているので、音だけ耳に入るというのはいつもと同じはずなのだが、ラジオでテレビを聞くと音に集中するので、意外な発見がある。耳で聞いて発見というのもヘンだが、アナウンサーの横で指示を出している人の声がものすごくよく聞こえるのだ。原発のニュースは気にかかる。

03/23
入院2日目。何もすることがないのでひたすら文庫本を読む。ファーストショットは大ネヴァ河を眺めているところから始めたい。上巻を終え、下巻に入る。その始めの方で、原典の出版時には公表されたかった、主人公ニコライが修道院のチーホン師を訪ねるくだりの章が挿入されるべきところに来たので、文庫本では巻末に置かれているその断章を続けて読む。やはりここが全篇の山場だろう。わたしの作品は前篇を書くというのが狙いだが、この断章はぜひ入れたいので、結局のところ、まったく創作の前篇を第1部500枚とし、原典を思いきり圧縮して第2部とする、といった構成になるかと思う。『新釈罪と罰』では警察の事務官のザミョートフを主役にした。『新釈白痴』では余命半年の少年イッポリートを主役とした。一人称ではないが、物語の視点となる人物で、三人称主観小説という形をとった。『新釈悪霊』の場合は主要登場人物が4人いるので、主観となる人物を1人に限定することができない。原典では語り手の「私」という人物を設定しているのだが、ドストエフスキーはこのスタイルを途中で放棄している。19世紀では許された視点の破綻である。21世紀の作家のわたしはスタイルを崩したくないので、今回は神の視点が俯瞰しながら、随時、主役4人の視点にも下りていく、といった手法をとることになるだろうが、それでもオープニングとエンディングに中心となる人物を設定したい。ところが主役4人のうち、ニコライとシャートフは幼なじみだし、ピョートルはニコライの家庭教師スチェパン先生の息子だから、関係がある。そういう過去の関係のないところで、学生たちが出会うという感じにしたいので、そうすると必然的に、ファーストショットはキリーロフということになるのだが、この人物はエンディングの前に自殺していしまうので、キリーロフの視点で押し通すことはできない。それにキリーロフは主人公にするにはあまりに暗く感性に乏しい。ニコライとチーホンのやりとりを読んでいるところで消灯時間となった。

03/24
簡単な手術なので2泊3日の予定だったのだが、やってみると簡単な手術ではなかったようで、急遽、3泊4日に延長された。まだ文庫本を読み終えていなかったので、それは好都合だ。妻がFAXで来た短い原稿の校正をもってきたので、病棟の待合室みたいなところでチェック。メールを見ていないのだが、明日は午前中に退院できるから対応できるだろう。さて、『悪霊』。キリーロフの名前がアレクセイだということがわかった。これは原典の一箇所にしか書かれていないし、この人物は苗字のキリーロフとして記憶されている。他の3人はファーストネームの方が印象的なので、この人物だけが特異な感じがしていたのだが、アレクセイ……。これはすごい発見。というのは、『新釈白痴』で主人公に据えた探偵ザミョートフが偶然にもアレクサンドルという名前だった。『カラマーゾフの兄弟』の三男のアリョーシャ(愛称)の本名はアレクセイだが、これはアレクサンドルの短縮形で、いずれにしても愛称はアリョーシャだ。そこでザミョートフがソーニャの妹からアリョーシャと呼ばれる設定とした。ここには『新釈カラマーゾフの兄弟』の主人公がアリョーシャだということが念頭にあった。そこで『新釈白痴』でも、主人公の弟で、原典のムイシュキン公爵のイメージを引き継いだ人物(創作ノートにも弟は出てくるが名前はない)をアレクサンドルという名前にしておいた。『新釈悪霊』でも、アレクサンドルまたはアレクセイという人物を創作して語り手にしようかということも考えていたのだが、何と、キリーロフの名前がアレクセイではないか。これではキリーロフを主人公にするしかないという結論になる。そこでアイデアがひらめいた。キリーロフは自殺しないことにする。これでは原典を改変することになるのだが、どちらにしろ原典を改変するわけだから、こうなればとことん改変するしかない。というのは、本来の主人公のニコライも最後には自殺してしまうのだが、この自殺の意味を理解できるのは、自殺こそは人が神になる行為なのだと主張するキリーロフこそが、ニコライの自殺の意味を理解できる唯一の人物なのだ。原典ではキリーロフが先に自殺しているので、ニコライの死が意味不明になってしまっている。原典の問題を解読するためにも、キリーロフはそこまで生きていなければならない。するとエンディングのイメージがくっきりと浮かんできた。ここに書くわけにはいかないが、ニコライの死で物語が終わり、キリーロフの謎解きのセリフ(たった1行)があり、それから短いエピローグで結びとなる、そこまでの展開が完全に頭の中で定着された。もう完成したといっていい気分だ。ということで、この作品はこれで安心して書けることになる。とそこまで考えたところで消灯時間。

03/25
退院。妻に迎えに来てもらう。自宅に帰ってまずメールをチェック。ものすごく緊急のものというのはなかったので、見ただけで閉じて、風呂に入る。それからメールの返信。この創作ノートがしばらく更新されていなかったので、さては東京を脱出したか、と思った友人がいたので、そうではないと返信。わたしはいまのところ、東京は安全だと思っている。ヨウ素131入りの水は、乳幼児だと甲状腺に蓄積される可能性があるのだが、40歳以上の人間の場合は、蓄積されることはないし、何か起こっても寿命の方が先にくる。変なミネラルウォーターを飲む方が危険性が高い。日本製でもバナジウムイオン水などというのもあるし、ヨーロッパの水は硬水なのでさまざまな金属元素が過剰に入っていて有害だ。水道の水をごくありふれた浄水器に通して飲むのがいちばん安全である。ヨウ素やセシウムなどはおそらく微少な粒子になっていると思われるので浄水器ではこせないだろうが、大粒のホコリみたいなものは濾過した方がいい。ただ炉心が爆発する可能性がまだ残っている。東電は信用できない。下請けの従業員を、当日の放射能測定もせずに作業を命じて被曝させ、修復の行程が1日延びることになった。地下にたまった水に1万倍の放射能があって、長靴もはいていない作業員2人が放射能の汚水に足をつけっぱなしにしたというのだから、人災というしかない。津波の大きさが想定外であったことは仕方がないが、その後の対応で、東電がろくに対策も考えられない組織であるということが露呈されてしまった。いずれにしろ東電は倒産する。これで国営企業になるともっと悪化するだろう。わたしは中部電力と東電の合併、関西電力と東北電力の合併というのが、再興への道筋だと考えるのだがいかがなものか。すると、中部、関西の電気代はアップするだろうが、それくらいの支援は当然だろう。

03/26
土曜日。3泊4日の入院を終えて日常が戻ってきた。本日は土曜日。花粉および放射性物質が舞っているので散歩にも出ない。手術の直後は絶対安静と言われたのだが、点滴のスタンドを押しながら病院内を散歩していた。そのせいか出血が止まらなかったことの反省から、まだ散歩に出るべきではないと用心している。来週は公用もあるので、明日は軽く散歩に出ようと思っている。さて、病院の中で『悪霊』を読んで構想がまとまってきた。すぐにも書けそうな感じだ。担当編集者からもメールが来て、打ち合わせをしたいということだが、当分禁酒なのでこれは先に延ばしてもらった。編集者との議論に酒は欠かせない。打ち合わせの前にもう少し構想を固めておきたい。書く時期について、いま書きかけている『実存から構造へ』は短い新書なので、4月末には完成するだろうと思っている。大学は震災の影響でスタートが一週間ずれる。その一週間に集中して仕事をすれば、ゴールが見えてくるだろう。並行して『悪霊』の構想を固めることになる。予定ではその後、児童文学を書きながら『悪霊』についてじっくり考えるつもりだったのだが、もはやじっくり考える段階は通過してしまった。児童文学については編集者と打ち合わせをしてからスタートすることになっているので、これはなかったことにすることも可能だ。実を言うと、これまでに書いた日本神話をもとにした『海の王子』と、仏教説話をもとにした『青い目の王子』の、どちらかの続篇を書くことにしていたのだが、どちらの続篇にするか、迷いがあった。それと講談社の童話はどちらかといったポップス系なので、自分の作品をそこに置くことに多少の違和感があった。スタートが『星の王子さま』の翻訳だったから、そのクラシック系の路線で押し通せるかと思ったのだが、作品そのものはポップなものではないので、それが迷いのもとになっている。これについてはもう少し考えた方がいいかなとも思っている。『新釈悪霊』を先に書いた方がいいかなという気がしているので、これについては担当者とも話し合いながら考えたい。

03/27
日曜日。しばらく世間と関わっていないが、そういうこともあっていい。花粉が舞っているし放射性物質も飛んでいるので外出もなるべく控えている。ただ体調を整えるために本日はいつものコースをフルに散歩した。ついでに妻に頼まれた買い物もした。散歩コースの近くに信濃屋というスーパーがあるのだが、ここはうちの近所の小田急OXよりも上質のものが揃っている。『悪霊』の前書きみたいなものを書いてみた。いけそうな感じがしてきた。

03/28
歯医者。それだけ。少し温かくなったか。いつもの散歩は北沢川緑道だが、歯医者に行く時は烏山川緑道。北沢川の方が人工の小川が流れていて白鷺(これは本物)がいたりするのだが、烏山川の方はコンクリートで固めたような緑道。それでも木が植わっていて、桜がちらほら綻んでいた。

03/29
点字図書館。評議員会と理事会。その間に1時間の空白がある。喫茶店でウォルインスキーの『偉大なる憤怒の書』を読む。埴谷さんの唯一の訳書。文体が埴谷雄高そのものなので、埴谷さんの本みたいだ。そのせいかトーンが高い。ものものしく、針小棒大という感じがする。わたしは埴谷さんのファンで、いまでもファンであることは変わりないが、洗脳されてしまうと文体が感染ってしまうので、距離をとりながら読み返している。ニコライ・スタブローギンは魔神のような人物なのか。わたしは一種の神童のような人物ではあるが、わがままで大人になりきれない人物だと考えている。ニコライに心酔してはいけない。とくに冷静であろうとする必要はない。わたし自身、還暦を過ぎた老人なので、すでに墓場にいるような心境でニコライを見ている。ニコライは早い段階から死を覚悟している。その点ではニコライに共感できる。明日は会議が2つあったが、まだ療養中の身なので、午前中の方かキャンセル。夕方からの会議だけ出席する。こちらはわたしが委員長なので欠席するわけにはいかないという事情がある。1月からこの年度末まで、さまざまな会議が続いたが、これで打ち止めだ。これからしばらくは公用はないし、大学もまだ始まらないので、静養できるだろう。

03/30
TTS委員会。視覚障害者のために電子図書を合成音で音読する試み。今回が第一次の報告書作成のための協議の最終回。まだ前途は多難だが、未来に向けての道筋が見えてきた感じがする。日立系の企業が請け負っていて、いつも品川で会議がある。品川駅は新幹線の乗り換えにしか使っていなかったが、このプロジェクトが始まってから、駅で降りるようになった。近未来の都市のような景観が駅前に広がっている。ところが今日は、東口に向かう通路がいやに暗かった。節電で照明がほとんど消されている。われわれの世代はこのような光景に覚えがある。長男が生まれた頃、石油ショックがあった。歴史がくりかえされている。このところ私鉄は80%運行のところが多い。わたしがよく利用するのは田園都市線、井の頭線なのだが、両方とも3本に一本が通過する急行なので、実質66%しか乗れない。それに比べて各駅停車ばかりで80%の方が実は乗れる電車が頻繁に来るということになる。早稲田や点字図書館で乗る副都心線は2本に1本が急行だったから、いまの方がはるかに便利だ。

03/31
今日は公用はない。四日市の孫の誕生日に玩具を送ろうということになって、お台場のトイザらスに行った。お台場は中国人観光客の多いところで、いまは観光客が来ないから静かでよかった。閉店しているのではと心配したが、トイザらスは開いていて、客もちらほら見えた。映画館もやっていたので、アカデミー賞の『英国王のスピーチ』を観た。最も盛り上がる開戦のスピーチのところで流れる音楽がベートーヴェン。うーん、すごいね。交響曲7番の第2楽章のバステーマが流れた時は、魂がふるえた。実はすべての楽曲の中で、この曲がいちばん好きだ。しかしドイツと戦争しようというスピーチにベートーヴェンというところが深いというか、けっきょくベートーヴェンしかないというか、イギリスにクラシックの作家家がいないということだろう。エルガーの『威風堂々』もいいのだけれどすぐに軽い昼間部になってしまう。改めて7番はすごいと思った。
3月もこれで終わり。『道鏡』の初校ゲラが終わったので完全に手が離れた。間違いを訂正しただけで新たに書き足すようなことはなかったので、再校は編集者にお任せした。新たに書き足すことがないというのは、パーフェクトな原稿を書いているということだが、道鏡が憑依してお筆先みたいに書いているので、校正の段階ではもはやいじれないということだ。ドストエフスキーの場合も似たような感じになる。とにかく書いている時にベストな状態になっているということだ。2月、3月で仕上げたいと思っていた『実存から構造へ』は作業が遅れていて、4月末をめどということにした。いまは半分くらいのところに来ているので、何とかなるだろう。並行して児童文学とドストエフスキーのことを考えている。ドストエフスキーの方に深くのめりこみつつある。入院している間に『悪霊』の文庫本を集中して読めた。こういうチャンスは日常生活ではありえないから、入院したことは怪我の功名だ。手術もうまくいったようだ。当分、禁酒ということなので、まだ日常生活は戻っていないが、仕事はしている。
少し迷っていることがある。『悪霊』にはカルマジーロフという「文豪」が登場するのだが、これは明らかにツルゲーネフ。これをツルゲーネフという名前で登場させてはどうかと考えている。だが、現実の人間を創作の中に登場させていいのか。トルストイの『戦争と平和』にはナポレオンが登場する。だから有名人が出てきても問題はないはずだ。だが、バクーニンを登場させるのはどうか。作中の主人公ニコライは明らかにバクーニンをモデルにしている。ピョートルはネチャーエフだ。ネチャーエフを登場させることも可能だ。わたしの構想では、ペテルブルグの学生時代から、原点のオープニングに到るまでの10年くらいの物語を第1部として描くことになる。とくに重要なのはスイスのジュネーブの4年ほど前、ニコライが狂気のふりをして故郷で事件を起こしてスイスに逃れた直後の物語。この時期にバクーニンもネチャーエフもスイスにいる。パラレルワールドの人間がこちら側の世界にまぎれこむように、本人と本人の影が出会ってしまうことになる。ここを興ざめしないように描かないといけない。まだ実際に書き出す時期ではないが、頭の中にはどんどんとプランがふくらんでいる。これから1ヵ月くらいは、こういう感じでプランで頭がいっぱいになるような状態にしておきたい。


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