吉田城

概説 常照寺を中心とする半島状台地は昔三方を沼が囲み武士の居館に最適の要害であった。平安末期から鎌倉時代初期に大掾盛幹がここに初めて館を建てて吉田の太郎とし称し子孫代々勢力を競ったが応永の末に江戸氏が水戸城を奪取してからはこの城もその一党の手に帰し土塁や濠を強化したと推察される。仏日山常照寺を建てたのは徳川光圀であった。[城址碑より]
南東側から
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訪問記[2004/04/25]北東側へ突き出した台地先端に立地している。2つの人工的な堀切で3つの区画に仕切られている連郭式構造のようだ。常照寺本堂のある2番目の区画が主郭に相当するのであろう。常照寺南西側の連乗寺東側にある自然地形を大堀切として利用することで台地基部からの切断を意図したのではないだろうか。
所在地水戸市元吉田町。水戸駅の南東約2km、常照寺境内。
参考書