取手山館

概説 別名、田木谷堡障。玉里台地の東端にあり、立地上からも玉里の数ある館の中で第一線の位置を占める。地内の稲荷神社の後ろ手には土塁が残る。常陸大掾氏の出城としての取手山館は、長い間小河園部氏と常陸大掾氏との攻防の拠点であったが、天正16(1588)年佐竹氏が大掾氏を攻めるに及んで大激戦の末陥落し、多数の討死者を出したとの記録が残っている。[『玉里の史跡六井六畑八館八艘探訪マップ』より]
常陸小川駅方向からの遠望
その他の写真
訪問記[2004/02/23]常陸小川駅に車を留め、駅長さんとお話ししながらしばし駅舎の雰囲気を楽しむ。駅から北へ進むと館の南側へ突き当たるが舘下の民家と県道の間の水田は堀跡だったように思われる。丘の上に稲荷社が祀られていて、その裏手に長径5mほどの楕円形の堀がある。でも何のための堀だろうか。城館の遺構かどうか疑問。
所在地新治郡玉里村木田木谷字取手305。鹿島鉄道鉾田線常陸小川駅北側で、国道355号線と県道144号線との交差点の西側の丘。
参考書『玉里の史跡六井六畑八館八艘探訪マップ』、『玉里村史』