殿塚館

概説 別名、四箇村城。笠松館も四箇村城と一連のものであったと思われる。今、殿坪と呼ばれる殿塚館の跡は平地でほぼ13アールあり、一見凹地状の地形である。館主は栗又左近政清(十太夫)といい、大掾清幹の近親で中郷城主を勤めた竹原左大臣兼信の家臣であった。栗又左近はさきに大掾氏の命で取手山の館を守ったが、戦い利なく、佐竹勢についに取手の館を落とされてからは、自ら殿塚館の防備を固めていた。その後、天正18年ころ佐竹氏に破られる。[『玉里村史』より]
上郷公民館前からの遠望
その他の写真
訪問記[2004/02/23]上郷公民館前から眺めただけ。
所在地新治郡玉里村栗又四箇殿坪。上郷公民館の東側約200m。果樹園。
参考書『玉里の史跡六井六畑八館八艘探訪マップ』、『玉里村史』