要害館

概説 別名、龍崖、地元では小幡城ともいうらしい。女池水門の北東の台地の先端部にあたる山林にある。館跡は約40a、現在も土塁と堀跡の一部をとどめる。常陸大掾氏の出城の一つで、館主は久保田平内という名が伝えられ、佐竹氏の常陸大掾氏攻めのなかで滅んだと言われる。[『玉里の史跡六井六畑八館八艘探訪マップ』より]
南端は土取されている
その他の写真
  1. 堀切
訪問記[2004/02/15]城址東側道端の玉里東小学校花壇の辺りから腰郭らしきところを上がっていくと写真の堀切に入れる。堀切中央には僅かだが土橋の跡もある。堀切北側は郭かと思ったら土塁程度しか広さがなかった。南側の郭は藪が深く奥へは入らなかった。道へ降りて下から観察したところ、100mほど南側にもう一本堀切があるように見受けられた。
所在地新治郡玉里村下玉里字古屋台1893外。玉里東小学校の南西300mの台地先端。
参考書『玉里の史跡六井六畑八館八艘探訪マップ』、『玉里村史』