愛宕館

概説 愛宕山古墳(頂上に愛宕神社が祭られている)を中心として館があったと伝えられている。南北朝時代延元元(1336)年、北朝方の佐竹義春軍と南朝方の春日顕国・楠正家(瓜連城主)が交戦した大枝(大井戸)の戦いの主戦場となり、愛宕神社も兵火に焼かれたと言う。[『玉里の史跡六井六畑八館八艘探訪マップ』より]
狼火台か物見台と思われる愛宕山古墳
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訪問記[2004/02/15]玉里村南端近くの愛宕神社周辺が館跡らしい。急な階段を上がっていくが高所恐怖症のため一目散に階上まで。いったん平坦になって周囲は畑や墓地、そして正面には愛宕山古墳がある。古墳の頂上はたいして広くないのでここは郭としてよりも狼火台や物見台として使われたと思われる。このシチュエーション、藤代町の岡城にそっくり。
所在地新治郡玉里村下玉里字平1471、1472。愛宕神社周辺。
参考書『玉里の史跡六井六畑八館八艘探訪マップ』、『玉里村史』