千本(せんぼ)

概説 千本氏は、茂木氏と並びこの地方の鎌倉時代以来の武門の名家で、旗本として江戸時代も連綿として続いた。千本氏は源氏に属し、平家滅亡に功を成し那須資隆の十男為隆が建久年間(1190〜1199)千本を領し教ヶ岡(千本)城を築き千本氏の祖となった。[現地説明板より]
屋敷地と出丸を境する櫓台風の土塁
その他の写真
  1. 馬出
  2. 本丸南側の土塁(赤い焼け土が見られる)
訪問記[2005/06/06]初めての栃木遠征、『北総の秘めたる遺跡』のオカちゃんにご案内いただき阿見町のO先生にもご同行いただいた。最近竹藪が刈られたようでたいへん見通しがよく、城塁の形も明瞭にであった。2の丸に車を留めて2段構造の馬出から土橋を渡って本丸へ入る。ここから本丸先端部の羽黒神社まで参道になっている。足下を見ると土が異常に赤い。焼け土だと言う。土塁上を南から東へと歩いていくと土塁上にも赤い焼け土が至る所に見られる。いつの時代のものだろうか?戦闘時のものか、興味が尽きない。神社社殿の周囲を囲む土塁の土が無くなったところからは、土塁内部に組まれていた石垣が露出している。2の丸に突き出した馬出の下にも石垣石の残存と思える石が多数転がっている。南端部の出丸への虎口には桝形が備えられている。桝形を入った正面の畑の中に直系70cmほどの表面の平たい石が置かれていた。城門の礎石にでも使われていたものだろうか。構造が明瞭で遺構の残りも良く歩きやすい城だった。
所在地栃木県茂木町町田。通称、城山。電波塔が目印。
参考書『日本城郭体系4』