堺南台場および堺北台場

概説 安政元年(1854)、ロシアのプチャーチン提督がディアナ号で大阪湾へ入り天保山沖に停泊した。幕府は堺港に南台場を急造、翌安政2年には大浜の対岸に北台場を造った。南台場は元治元年(1864)に桔梗型の西洋式砲台に大改造され、大砲18門を据えた。[堺市のホームページより]
北西側、テニスコート沿いの石垣
元治元年堺浦海岸砲台築造図絵(現地案内板より)(クリックで拡大)
大浜公園説明図(クリックで拡大)
南台場および北台場概観図(北台場位置は堺新御台場図より推測)
その他の写真
  1. 花菖蒲園沿いの石垣(上段の石垣が本物。下段の石垣は公園整備による)
訪問記[2006/11/06]ネット上の情報だけを頼りに現地へ行って、公園管理事務所で確認。北台場については大浜北公園の地にあったことは確かだが遺構は残っていないとの事だった(大浜から北公園方向を臨む)。
所在地大阪府堺市西区大浜北町および北波止町。大浜公園および大浜北公園。
参考書