小和田台

概説 南側の先端部に台という字名があり、その裾に寄居門という字名がある。台という地名は、中世城館跡に、しばしば見られる。台と屋敷(小和田屋敷)の距離は250mある。[『筑波町史』より]
 [北畠親房滞在城館跡説](戦国時代には)外からの来訪者はたとい高貴な存在であっても、城主と同じ屋根の下で居住することなどあり得ないことであった。それが中世の慣習であった。そうした目で親房関係文書をみてみると(中略)、関城の関宗祐らの使者が「当所・小田方へも御状を」届けに来たと親房御教書に記されるように、「当所」すなわち親房の拠る城館と、「小田方」すなわち小田城とは微妙に区別されていた。では「当所」と記される親房の城館はどこにあったのか。今のところ、この点については不明といわざるを得ないが、小田城跡のすぐ北で、宝筺山麓にある台・屋敷という二つの城館跡があるので、あるいはこのどちらかがその候補になるのではないかと思われる。[『牛久市史 原始古代中世』より]
西側からの遠望
その他の写真
  1. 切岸になっている畑への登り口
訪問記[2003/01/02]台地先端部は畑になっている。畑の東側に住宅があり、畑と住宅の間は細い道になっているが堀切の跡だとされている。どうでしょうか。
所在地つくば市小和田字台。国道125号線小和田入り口のセブンイレブンの所から東へ250m入った突き当たりの微高地。
参考書『筑波町史』、『牛久市史 原始古代中世』