大竹台場

概説 「公辺御届向」(守山藩海防手当)(樫村家史料)の中に「大竹村 一、船付之場所ヨリ松川陣屋迄五里半 一、大筒台場 壱ケ所」などと書かれている。[『守山藩史料(下)』(大洗町史資料集第7集)より]
 大竹に台場築造の証拠として、現在もその跡と思われるものが残っている。それは国土地理院の五万分の一の地形図によると標高50.7mの三角点のある高台になっているが、この地方の標高は最も高いところで40mをやっと超える程度であるので、50mを超える高さは自然の地形ではない。この高台は明治30年代に作成された地図にも存在し、地元にも見張り櫓があったとか、実際大筒が設置され試射が行われたが、砲弾は渚から数メートル先に届くのがやっとだったとかいう伝承も残っている(註:この逸話は『鉾田町史研究 七瀬10』にもある)。現在では防風林として植えられた松林が大きくなって海を見ることはできないが、大筒が設置されたことの信憑性はともかく、台場が作成され見張り所的な役目を果たしていたものと思われる。[『鉾田町史 通史編(上)』より]
台場の置かれた土盛り
その他の写真
  1. 地蔵院東側の高台(写真の左手奥にある)
  2. 三角点の標柱
訪問記[2004/05/31]途中まで上がってみたが上はそうとうなブッシュのため三角点までは到達できない。冬場にもう一度来ることにした。
[2005/06/07]地蔵院側からでは藪がひどいので今日は北側の道からアプローチ。未舗装路を上がっていくと右手に明らかな高まりがあった。上がってみると使われていない民家か小屋がある。玄関前に三角点の標柱があった。周囲の雑草を除けて、三角点の指標石を探しかけると目の前を大きなハチが!スズメバチの偵察飛行に恐れを成して標柱の写真だけ写して退散した。
所在地鉾田町大竹。虚空蔵尊バス停近く、地蔵院東側の高台。地蔵院の北側30mほどのところから東へ入る道がある。70mほど行くと道は左へカーブするが、そこから未舗装路が東へ上がっていく。それを40mほど行った右手の高まり。
参考書『守山藩史料(下)』(大洗町史資料集第7集)、『鉾田町史 通史編(上)』、『鉾田町史研究 七瀬10』