沖館城

概説 沖館部落のほとんどが沖館城郭内に当たる。本郭と外郭との境界線は現在、道路となっている。[『日本城郭体系2』より]
 築城年代は不詳。大光寺城南東備の砦として築城(津軽一統志)。天正7(1579)年、比山勢が大挙してこの城を攻撃したが、城主阿部兵庫介の勇戦によって撃退した。城は後に桜庭太郎左衛門信正に預けられた。この城は3・4郭から成っていたようだが、今は一部の堀跡のみ面影を留めているに過ぎない。[現地標柱説明文より]
正面奥の高台は郭跡、その手前の低地は堀跡
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訪問記[2003/06/13]沖館集落のほぼ中心部に標柱が建っている。標柱の東側20m付近の丁字路西側の民家敷地は窪んだ場所にあるがここは堀跡でそのさらに西側の高台が郭跡である。「本郭と外郭との境界線」の道路は分からなかった。
所在地青森県南津軽郡平賀町沖館。
参考書『日本城郭体系2』