大津台場

概説 青山延寿「遊常北日記」にみられる。領主の中山氏により築かれた。安政2年9月の状態は、板小屋の中に大砲1挺があり、その台座はあまり堅固ではないとある。[『国別 城郭・陣屋・要害・台場事典』より]
 神官(管理人註:唐帰山佐波波地祇神社(カラカイサンサワガチギ神社神官))の瀬谷氏を訪ね、すこし酒を飲んでから辞した。中山大夫(著者註:水戸藩の付家老中山信守)の砲台を見る。大きな銃が板屋根で覆われていて、砲台の体裁はよくないが、ここからの眺めは非常に良くて、六所神(著者註:佐波波地祇神社)の丘より良いかも知れない。[『常北遊記』より]
大津漁港から大津の町並を望む
その他の写真
  1. 唐帰山佐波波地祇神社鳥居と亀塚
訪問記[2004/07/26]大津港を見下ろす台地上の唐帰山佐波波地祇神社境内に狼火台と言われる塚があるという話を聞いて行ってみた。一つは鳥居右手の亀塚で、もうひとつは少し東側の藪の中にある塚のことらしい。海防施設の一環として狼火台もあったかもしれない。ただ、佐波波地祇神社は太平洋に向かっての眺望が狭く大津台場の立地としては好ましくない印象を持った。『常北遊記』の記述からも、佐波波地祇神社とは別の眺めのより良い場所に台場が置かれていたと読める。
[2004/08/03]大津漁港から町並を望むと、左手(西側)に三峯神社、右手に長松寺の丘が見える。写真には写っていないが佐波波地祇神社は、長松寺よりもさらに右手奥になる。前二ヶ所は佐波波地祇神社よりも眺望が良いことは確かだ。大津台場の場所としてはより相応しいと思える。
所在地茨城県北茨城市大津町
参考書『国別 城郭・陣屋・要害・台場事典』、『常北遊記』(筑波書林ふるさと文庫)