水木異国船遠見番所

概説 水戸藩初代藩主頼房の時に設置された。
 正保元年(1644)8月、磯原、水木、那珂湊の三ヵ所に舟番をおくことになり、この年はそれぞれに与力一人が派遣されたが、翌年1月には金1両2人扶持で2人ずつ舟番が採用された。そして、磯原と那珂湊は船手方の支配、水木は助川村の郷侍(郷士)野内讃岐が指揮し、郡奉行の差配とされた。[『新修日立市史上巻』より]
 文政7年6月には水木の台にも番所を置き特に厳重を極めその責任者として水木の郷士である河村平太夫に命じ番所業務の一切を取り締まらせたのであった。それ以来代々海防監視の任務を遂行してきたが嘉永6年(1853)200年の歴史ある番所が閉じられた[碑文より]
田楽鼻児童公園(左にタコの山、正面に方形の塚)
その他の写真
  1. 代々番所責任者を務めたというK氏邸内の石碑
訪問記[2004/09/06]田楽鼻児童公園は金砂神社の大祭礼時に田楽舞をする水木浜の崖上に当たる。公園内には意味不明の方形の塚や遊具タコの山の変種などが設置されている。その北側のゲートボール場でプレーされていた地元のお年寄りによると、このゲートボール場とその北側のK氏宅が番所だったということだ。K氏宅を訪ねたがお留守だったため門近くの石碑の写真だけ写させてもらった。なお、遊具「タコの山」についてはD-oneさんのタコの山indexをご覧になって下さい。
所在地日立市水木町35。田楽鼻児童公園、ゲートボール場、その北側のK氏宅。
参考書『新修日立市史上巻』、『国別 城郭・陣屋・要害・台場事典』