皆川城

概説 別名、法螺貝(ほらがい)城とも呼ばれる。皆川氏には13世紀前半の皆川氏と戦国期皆川氏の2系統があったらしい。現在の皆川城は後者の皆川氏が戦国期(15世紀後半)に築城されたものと考えられている。天正18年(1590)、15代皆川広照の時、小田原の役で皆川氏は小田原城に籠城していたが、真っ先に寝返った功により改易は免れた。南東部には「白山台」、その東方(東宮神社境内)にも郭があり、これらも皆川城の縄張をなしていたと考えられる。皆川広照(老甫)は『東國闘戰見聞私記』の作者の一人と云われている(が、真実ではないだろう)。
遠望からもほら貝様の横堀が見える
その他の写真
  1. クランクのある竪堀
訪問記[2006/06/19]写真のように、南面は樹木がなく曲輪の状態が見やすくなっている。輪郭式かつ階郭式といった様式でしょうか。
所在地栃木県栃木市皆川城内町。皆川城カントリークラブの南側。公民館の上が城址公園となっている。
参考書