松代城

概説 別名、海津城。地元ではこちらの名称が一般的らしい。
 永禄3年(1500)、武田信玄は川中島の一角に海津城を築き、上杉謙信と戦った。その後、城主は森・上杉・田丸氏など、元和8年(1622)真田氏が入城するまで交替する。この間城名も海津城から待城、松城、松代城と改められた。[『【決定版】図説江戸三百藩「城と陣屋」総覧 東国編』より]
 詳しい解説は他のページをご覧になって下さい(管理人はサボっております)。例えば、地元出身のアオさんの『北緯36度付近の中世城郭』の海津城のページがお勧め。
本丸南側大手口の太鼓門と太鼓門前橋
その他の写真
  1. アオさん幼少の砌、忍者になる訓練をしたという櫓台の石垣
訪問記[2006/07/31]三ヶ月堀などがあった南東側はかなり破壊されてしまったそうだが、残った石垣などを利用して近年公園整備を行ったらしい。ここまで来たので、川中島の八幡原古戦場跡妻女山へも回った。後日、『北緯36度付近の中世城郭』管理人のアオさんが、子ども時代にこのお城の櫓台の石垣をよじ登って忍者になるための訓練をしていたという思い出を語ってくれた。
所在地長野県長野市。長野電鉄河東線松代駅のすぐ西側。
参考書『【決定版】図説江戸三百藩「城と陣屋」総覧 東国編』