訪問記 | [2000/12/11]牛久市役所の秘書広聴課で場所を聞いただけなので詳細はわからない。城跡の北側は圏央道桂ICの予定地。市役所の話ではIC建設地にかからないため未調査とのこと。周囲を見渡した限りでは、地形的には舌状台地の突端でもなく、東の台地側に堀切などの区画するための遺構も見当たらず、城郭なのか不明。
[2001/10/29]桂川側カーブミラーの近くから入れそうな場所を探したがあまりの藪のために戦意を無くした。少し西側に圏央道工事のために整地された場所があったのでそこから城の北側へと回り込んだところ藪ではあったが侵入に成功。後で分かったのだが、県道美浦栄線から林へ入る道もあった。全体像は判然としないが、南側斜面には竪堀がありその斜面下には帯郭または横堀がありそうだった。土塁とは別に単独に盛り上がった部分は櫓台だったのだろうか。
[2004/04/06]『牛久市史 原始古代中世』がようやく出版されたのでその記載を参考に再度歩いてみた。舌状台地先端の典型的な城館とは異なり、まったく個性的な構造をしている。上の郭の中央やや南よりの堀切の他、南側を仕切る円弧状の竪堀もある。下の郭の南端には弘化2年の銘の入った十一面観音石仏が立っていて、そこから下へも小さな竪堀が落ちている。 |