磯原異国船遠見番所

概説 水戸領は海岸線が長かっただけに、異国船については早くから関心が強く、初代頼房の時代、正保2(1645)年磯原村、水木村、湊村の3か所に異国船番所を設けて番人を置いた。以来磯原の高台にあったものは、「異国船遠見番所」として、番人も元禄7(1694)年以来2人を配置し、毎日遠眼鏡(望遠鏡)をもって間断なく海上を見晴らせていたという。[『北茨城市史上巻』より]
野口雨情生家・資料館前から異国船遠見番所を臨む
その他の写真
  1. 遠見番所の土壇
訪問記[2004/07/26]地元での呼び名「バンドコロヤマ」は「番所山」のことなのだろう。土壇の西側に古墳らしき塚があり物見台として利用したことも考えられる。かつて台地南側下の民家敷地内で番所の石らしきものが見つかったこともあるが、真偽のほどは分からない。ただ、ここは第二次世界大戦中にも監視所として使われているので遺構は幕末のものとは限らない。
所在地茨城県北茨城市磯原町磯原。地元ではバンドコロヤマあるいはバンドコヤマと呼ばれている。野口雨情生家の西100mにある台地上。雨情生家脇を進み常磐線踏切を越えて100mほど行くと左手の丘へ登る道がある。
参考書『北茨城市史上巻』、『国別 城郭・陣屋・要害・台場事典』