石田館

概説 『新編常陸国誌』には「真壁郡東石田村矢田と、筑波郡大島村糸川との間にあり、東西大約三町、南北二町許、土塁断続して各所に存す、其大島村に属する地は、陸田にして、本村の部は水田たり、北方残隍あり、(中略)承平中平國香之に居る、五年乙未二月、平将門来り攻め、國香自殺して館廃す、といえり」と書かれている。
東石田の丘陵を東側から臨む
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訪問記[2004/09/27]『新編常陸国誌』の記述からは筑真橋の北側あたりかと見当を付けていたのだが、公民館で聞いたところでは、東石田集落の南東部分だということだった。「糸川」というのはつくば市上大島の井戸川集落のことだろうが、「矢田」という地名が分からなかった。筑真橋北側あたりは「矢ノ田」と言われているそうだが、ここのことだろうかはっきりしなかった。ところで、東石田集落の北側、県道132号線沿いで近世城郭かと見紛うばかりの石垣が建設されている。石の積み方の感じから四保城南側の民家の石垣と同じ業者が造っているのではないかと想像する。
所在地真壁郡明野町東石田。
参考書『新編常陸国誌』