堀越城

概説 堀越城は、津軽地方の歴史、とくに津軽藩成立時の経緯を知るうえで欠くことのできない重要な城跡である。つまり、津軽藩祖為信が天正18(1590)年に豊臣秀吉から津軽本領安堵の朱印状を受け、さらに同年(一説には文禄元年)に前田利家らの検地によって津軽三郡合浦一円の4万5千石の所領が確定し、大名の身分となったが、同時に姓を大浦氏から津軽氏に改め、本城を大浦城からこの堀越城へ移した。以来、慶長16(1611)年に2代信牧が新城の高岡城(後の弘前城)に移るまで、津軽藩の政庁であったからである。[『日本城郭体系2』より]
主郭は熊野宮神社となっている
    その他の写真
  1. 主郭周囲の堀
  2. 虎口部分の土塁
訪問記[2002/06/07]堀越城址の石碑のある場所が追手口跡とのこと。熊野宮神社の参道入口でもあり鳥居が並ぶ。鳥居をくぐりながら民家の間を抜けると畑地というよりも雑草地になっている二の丸へ入る(見出し写真)。写真には写っていないが右手に盛り上がった雑草地があったが、二の丸の土塁残欠かもしれない。正面の杜が熊野宮神社のある本丸跡。手前には水田に使われていたらしい堀跡がある。本丸の虎口は食い違いになっていたことが分かる。
所在地青森県弘前市堀越字川合、柏田。熊野宮神社が目印だが、この地域には「熊野宮神社」がいくつかあるようなのでご注意下さい。目印が見当たらないのでマピオンの地図で示します。
参考書『日本城郭体系2』