蛭田台場

概説 常陸国の最北部平潟付近は、棚倉藩の領地であり、同藩は、天保年間に九ノ崎及び蛭田に台場を築いた。[『幕末海防史の研究』より]
小字蛭田の海岸。左手遠方は五浦の岬
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訪問記[2004/07/26]『幕末海防史の研究』、『国別 城郭・陣屋・要害・台場事典』の記述によると蛭田に台場が築かれたことになるが、小字蛭田は南北に500mほどあり場所の特定には更に詳しい史料が必要である。この写真は九ノ崎の南側、小字蛭田の北端付近から南を臨んだものである。左手遠方に突き出しているのは五浦の天心記念五浦美術館のある岬である。
所在地茨城県北茨城市平潟町蛭田
参考書『幕末海防史の研究』、『国別 城郭・陣屋・要害・台場事典』